607 / 878
8章 新たな王と新たな時代2 亡霊と王
607 現実 (改)
しおりを挟む
「私と夫との間にティムルという娘がいたのは、事実です……」
ティモシーに案内された寂れた武器屋の奥さんが、とうとうティムルという娘が居た事を認めてくれた。
これで何とか話が聞けそうだ。
……けど、いったい何の話をすればいいんだろ?
「……よく考えたら俺らって、ティモシーに案内されて貴女に引き合わされただけだったな」
奥さんが嘘なんか吐くから遠回りしちゃったけど、本来俺達はティモシーに無理矢理引き合わされただけなんだよなぁ。
次の流れはティモシーに確認するのが筋かなぁ。
「なぁティモシー。奥さんにも会ったことだし、俺らはもう帰っていいの?」
「いい訳ないだろ!? 話をする為に装備を買い占めたんじゃねぇのかよっ!?」
「そうなんだけどさぁ。そもそも何の話をするとか決めてないんだよ。お前が両親に会えって言うから付き合っただけでさ」
「ぐっ……! そりゃそうだけどよ……! ティムルも興味なさそうにしやがってぇ……!」
恨めしそうに向けられるティモシーの視線を、退屈そうな欠伸で迎え撃つティムル。
そこでティムルに恨み言を言うのはお門違いだろ。今回の話はお前が主導してるんだから。
俺達側からは話が進まないと判断したティモシーは、慌てて母親の方を振り返る。
「お袋もなんとか言ってやってくれよ! そこに居るのはティムルなんだ! 俺の妹でお袋の娘のティムルなんだよっ!」
「……ティモシー。そちらの方が娘のティムルかどうかはさておいて、貴方は私とお客様の紹介もしてくれないのねぇ……」
詰め寄るティモシーに、心底呆れたように盛大に溜め息を吐いて見せる奥さん。
そう、未だに奥さん呼びなのは、お互いの名前も知らないからなんだよ?
普通は両者を引き合わせたティモシーがお互いを紹介するもんじゃないの~?
「どうやら息子に任せておくと話が進まないようなので……。申し訳ありませんがお客様、当店にいらした理由を説明していただけますか?」
はっきりと母親に無能宣告されるティモシー。
またしてもぞんざいに扱われるなコイツ。
でも今回は流石に同情出来ないよ。俺も迷惑被ってる側だもん。
「ティモシーにつれてこられただけ、と仰るのでしたら、このままお帰りいただいてもお引止めは致しません」
「なっ!? お袋、アンタ何言って……!」
「ティモシー! いい加減頭を冷やしなさいっ!」
「ひっ……!」
相変わらず母親に怒鳴られると、すぐに黙り込んでしまうティモシー。
こいつ、この調子で本当にノッキングスレイヤーの幹部なんてやっていけてるんだろうか?
ティモシーと違ってどうやら奥さんは理性的な方のようで、俺がティムルと共に訪れたからといっても変に慌てたりはしていないようだ。
「お客様を無理矢理引っ張ってきておきながら、応対は私たちに投げっぱなしなんて……! 職人かどうか以前に人として、大人として恥を知りなさいっ!」
「ぐっ、ぐぬぬ……」
「息子にはもう口を挟ませませんので、どうかお客様の話を聞かせてもらえますか? ……話す事など無いというのであれば、それでも構いませんが」
「話す事は……あるかな」
ティムルという娘がいたと認めた以上、この女性がティムルの母親である可能性が高い。
だからティムルがここで過ごしていた時の様子とかを聞きたいとは思うんだけど……。
けれど当事者であるティムルが我関せずと傍観を決め込んでいる今、俺の口からこの女性に聞くべきことってなんなんだろうなぁ?
「……そうだなぁ。話を始める前に自己紹介をしておこうか。俺はダン。一応ティムルの旦那だよ」
「ティムルの……。あ、私はクラーラ。主人はティッタと言います」
「クラーラさんね。それじゃ俺がこの店に足を運んだ理由だけど……」
今回の話には関わってこないであろうシャロの事は名前だけの紹介に留めて、俺がこの店に足を運んだ理由を話す。
妻のティムルも15歳の時にクラメトーラから売り飛ばされていて、ティモシーの話と妻の過去に共通点を感じなくもなかった。
妻は売り飛ばされる前の事を殆ど覚えていなかったので、妻の過去に少しでも触れられるならと、ティモシーの話に乗ってクラーラさんたちに会いに来た、と説明した。
「……なるほど。お話はよく分かりました」
余計な口を挟まずに俺の話を聞いたクラーラさんは、小さく頷き息を吐く。
そして少し緊張した様子でティムルに話しかけてきた。
「ティムルさん。失礼ですがご年齢を伺っても?」
「私? 私は今年で33になりましたよー」
「33……。であれば確かに貴女はティモシーの言う通り、私と主人の娘なのでしょうね……」
年齢と名前で確信するか。
この世界では平民はファミリーネームを持っていないけど、その分人口も少ないから同名の人もあまり居ないのだろう。実際会った事ないし。
「ほっ、ほら見ろっ! やっぱりお前は俺の妹のティ……」
「黙れティモシー。次にひと言でも余計な口を開いたらまた萎縮させっからな」
「ひっ……」
騒ぎかけたティモシーに邪魔をするなと釘を刺しておく。
コイツ、集会所でも話の流れをぶった切ってたし、ティムルのことがなくても普段から空気の読めない奴っぽい。
「クラーラさん。まず最初に言っておくけど、別に俺もティムルも貴方達の生活を脅かそうとは思ってないからね。ここに来たのは単なる好奇心だと思ってくれて良いよ」
「主人の言う通りです。もしもクラーラさんが私の母親であったとしても、申し訳無いけど私は覚えていないので……。特に思い出したいとも思ってないから、雑談のつもりで応じてもらえれば充分です」
「……貴女が私達のことを覚えていないのも無理ないかもしれませんね。それほどに私たちとあの娘は関わってこなかったから……」
ティムルからの決別の言葉に、自嘲するように渇いた笑いを浮かべるクラーラさん。
娘に覚えられていなくても無理はないって、いったいこの人たちはティムルとどのように接してきたんだろう?
「クラーラさん。貴女達は幼い日の妻をどのように扱っていたの? それと、さっき1度娘の存在を否定したのはどうして?」
「……まだ幼かった娘は、本当に気軽にドワーフ族のタブーを口にしてしまいました。その為決して外に出すわけには行かず、私と主人の中では娘はいなかった事になっていたんです」
娘はいなかった事に、なっていた……?
その言葉に胸の奥で何かが燻ったような気がしたけれど、両側から伝わるティムルとシャロの体温が俺を落ち着かせてくれる。
「……それじゃ、いなかった事になっている娘の存在を、今こうやって認めたのはなぜ?」
「改まって何故と問われると言葉に窮するのですが……。店の商品全てを購入していただいたお客様……ダンさんへの感謝のつもりだったのかも……」
「あ~、そういう……」
郊外だし扱ってる商品の品質は低いしで、誰がどう見ても流行ってなさそうだもんなこの店。
思いがけず大金を売り上げてしまったことで昂揚し、つい口が滑ったって感じかな?
「若き日の私と主人……ティッタは、それはもう燃え上がるような大恋愛の末に結ばれました」
ティムルの存在を認めたことで心の箍が外れたのか、尋ねるまでもなく自分から堰を切ったように話し始めるクラーラさん。
余計な口を挟まず、黙ってクラーラさんの言葉に耳を傾ける。
「お互いさえいれば何も要らないと、これからの2人の未来は幸福で輝かしいものになると信じて疑いませんでした。……けれどそんな私たちに待っていたのは、ありふれた現実という名の地獄だったんです」
2人が結ばれた当時、旦那さんのティッタさんは工房の見習い職人でクラーラさんは大地の工廠の親方の娘という、所謂身分違いの恋をしていたそうだ。
当然周囲の大人たちは2人の仲を認めるはずもなく、けれど若い2人の情熱の炎も消えることなく燃え上がり、周囲の反対を押し切って2人は婚姻を結んでしまったそうだ。
「大地の工廠の親方の娘って……。クラーラさんってエウレイサの娘か何かなの?」
「いえ、私は先代の娘で、エウレイサ様とは血縁にはありません。先代の親方である父は既に他界しております」
先代も職人連合の重鎮だったとするなら、クラーラさんは良いとこのお嬢様ってわけだ。
道理でこんな小さな店を構えている割に、俺達への応対がやけに丁寧だと思ったよ。
そう言えばクラメトーラのクラって、職人って意味の言葉なんだっけ。
クラと名付けられたクラーラさんは、ひょっとしたら俺が思う以上に身分の高い人だったのかもしれない。
「主人と結ばれた事に後悔はありません。ですが、幸せになれたかと言われたら……」
「……何があったの? いくら周囲の反対を押し切って結ばれたからって、大地の工廠の親方の娘をそんなぞんざいに扱ってくるわけ?」
大地の工廠のエウレイサって、確か今代の職人連合の長とか言ってたよな? なら先代だってそれなりの地位に居たはずだ。
先達を崇拝するドワーフ族なら、親方衆の血縁者に酷い扱いはしないと思うんだけどなぁ?
「私も主人も甘く見ていたんです。ここクラクラットで、年長者の意見を蔑ろにするという行為の重大さを……」
当時の想いがぶり返してきたのか、悔しそうに歯噛みするクラーラさん。
周囲の反対を押し切って強引に婚姻を結んでしまったティッタさんとクラーラさんだったけど、婚姻を結んだ事を境に周囲の態度は一変してしまったそうだ。
当時見習いだったティッタさんは破門され、けれどクラーラさんの家が職人じゃないのは格好がつかないと、街外れに小さな店を開く事を許された2人。
しかし魔物狩りの数も少なく、素材の供給もアウター管理局に調整されているこの地で職人連合の協力無しに商売を営むことはかなり難しく、袂を分かったかつての実家に頭を下げて生活費を無心しなければならない日々だったらしい。
「実家にお金を借りに行く度、私たちは笑い者にされるんです。それ見たことか。年長者の言う事を聞かないからだと、私たちを若い衆に対する見せしめのように扱って……」
「……ティムル以前に、両親が既に冷遇されてたのかよ」
クラクラット、クラメトーラという閉じたコミュニティで最も重要視されている年長者の声を無視して我を通したティッタさんとクラーラさん夫妻は、想像すらしていなかったほどの冷遇に晒されてしまったそうだ。
お金の無心の対価に肉体関係を迫る者も少なくなく、愛する夫のために操を立てるか、愛する夫の為に体を差し出すか、クラーラさんはいつも極限の二択を迫られ続けていたそうだ。
……そんな扱いをするくらいなら、始めから何がなんでも2人の婚姻を阻止しろって感じだけど。
この世界での婚姻はステータスプレートに誓うだけで良いので、両者を監禁でもしない限り止めるのは難しいからなぁ……。
「幸いその頃にはティモシーがノッキングスレイヤーに参加して、生活費を稼いで家にお金を入れてくれるようになりまして。なんとか望まぬ相手と肌を重ねずに済んだのですがね……」
「へぇ? やるじゃんティモシー」
ここでティモシーの空気が読めない性格が良い方に働いてくれたわけか。
道理で店主であり敬われるべき父親が、ティモシーに対してあまり強く出ないと思ったよ。
「でも家族ぐるみで冷遇されてたんなら、ティモシーがお金を稼ぐ事に妨害のようなものは無かったわけ?」
「さっきも言ったろ。ここじゃ職人よりも上に見られる職業なんかねぇってな。職人じゃなくて魔物狩りなんかを目指す俺を妨害なんて、職人共のプライドが許さねぇのさ」
「うわぁ……。どうでもいい上に馬鹿馬鹿しい理由だった……。ま、それで生活費を稼げたのは不幸中の幸いだったね」
ティモシーの魔物狩り活動には妨害などを受けることは無かったそうだけど、魔物の数が限られている暴王のゆりかごでの活動はそれほど儲かるわけではなく、ティッタさん一家は常に苦しい生活を強いられていたそうだ。
そんな生活の中でクラメトーラの地を否定するティムルの発言は、ティッタさんにとってもクラーラさんにとっても、とても聞き流せるような発言ではなかったらしい。
「息子のティモシーは魔物狩りを志し、娘のティムルはこの地を否定する発言をしました。このこともまた散々責められまして……」
「……年長者の言う事を聞かないから、お前の子供は職人を目指さないんだー、ってこと? イカれてるなぁドワーフ族」
「……辛い日々の中、私も主人も心が磨り減っていくのが分かりました」
ドワーフ族がイカれてると発言しても、その発言を咎めることなく続きを語るクラーラさん。
クラーラさんも心の奥底では、ドワーフたちの価値観に疑問を抱いてしまっているんだろうな。
「あんなに恋焦がれたティッタとの夫婦生活がこんなに色褪せた日々になるなんて……。そんな時に娘がこの地を否定したんです。私もティッタももう、これ以上の生活には耐えられなかった……」
「だからティムルを閉じ込めて、目を逸らして、極力関わろうとしなかったってことか……」
早い話が育児放棄をしたわけだ。
クラーラさんたちも限界だったみたいだし、単純に彼女達を責めるのもまた違う話なのかもしれないけれど……。
「……今にして思えば、私は娘に八つ当たりをすることで心を落ち着けていたのかもしれません」
「八つ当たり?」
「自分と主人がしたことを棚に上げて、クラメトーラを否定する娘のせいでこんな生活を強いられていると……。そんな風に思い込んで、娘を拒絶しひた隠しにして……」
「あ~……。だから顔を合わせる度に罵倒してきたわけねぇ……。正直細かい内容は覚えてないけど……。あれってストレス発散だったのねぇ」
クラーラさんの懺悔のような告白に、薄れていたティムルの記憶が重なったようだ。
幼い日に母親に罵倒された記憶に、なるほどーと感心するように何度も頷いているティムル。
そんなティムルの小さな呟きに、大きく目を見開いて驚くクラーラさん。
「貴女は……。貴女は本当に娘のティムルなのね……」
「ま、一応そうみたいね? 貴方の娘だった時の記憶はあまり無いんだけど」
「覚えているのは娘を罵倒している姿だけ、ね……」
あっけらかんとした態度のティムルに、悲しそうに表情を曇らせるクラーラさん。
ティムルを娘だと認識したからこそ、その娘になんの執着も持たれていないことが悲しいのだろう。
「なんて最低の母親、最低の家族だったんでしょう……。私と主人が幸せになる方法なんて、始めから無かったんでしょうか……」
クラーラさんの懺悔のような後悔の言葉は、誰にも反応されずに宙に薄れていく。
けれど情報が断片的過ぎて、彼女に返すべき言葉が見つからない。
周囲の反対を押し切ってまで愛する人と結ばれたのに、その婚姻が原因で袋小路のような閉塞した日々に悩み続けたクラーラさん。
愛する人を諦めても想いを貫いても、結局は幸せになる道なんてなかったんじゃないだろうかと、自分が選んだ道に疑問を持ち、自分の選択を信じられなくなってしまったようだ。
日々の生活の疲れとストレスを、娘のティムルにぶつけることで何とか平静を保っていた、か。
……笑っちゃうねクラーラさん。
貴女はクラクラットの職人連中に拒絶され、冷遇された日々を耐え忍びながら、その一方でまだ何も分からない幼い娘に同じ事を強いていたのだから。
誰もが口を噤んだ店の中で、ティムルとシャロから伝わる温もりだけが俺の心を暖めてくれていた。
ティモシーに案内された寂れた武器屋の奥さんが、とうとうティムルという娘が居た事を認めてくれた。
これで何とか話が聞けそうだ。
……けど、いったい何の話をすればいいんだろ?
「……よく考えたら俺らって、ティモシーに案内されて貴女に引き合わされただけだったな」
奥さんが嘘なんか吐くから遠回りしちゃったけど、本来俺達はティモシーに無理矢理引き合わされただけなんだよなぁ。
次の流れはティモシーに確認するのが筋かなぁ。
「なぁティモシー。奥さんにも会ったことだし、俺らはもう帰っていいの?」
「いい訳ないだろ!? 話をする為に装備を買い占めたんじゃねぇのかよっ!?」
「そうなんだけどさぁ。そもそも何の話をするとか決めてないんだよ。お前が両親に会えって言うから付き合っただけでさ」
「ぐっ……! そりゃそうだけどよ……! ティムルも興味なさそうにしやがってぇ……!」
恨めしそうに向けられるティモシーの視線を、退屈そうな欠伸で迎え撃つティムル。
そこでティムルに恨み言を言うのはお門違いだろ。今回の話はお前が主導してるんだから。
俺達側からは話が進まないと判断したティモシーは、慌てて母親の方を振り返る。
「お袋もなんとか言ってやってくれよ! そこに居るのはティムルなんだ! 俺の妹でお袋の娘のティムルなんだよっ!」
「……ティモシー。そちらの方が娘のティムルかどうかはさておいて、貴方は私とお客様の紹介もしてくれないのねぇ……」
詰め寄るティモシーに、心底呆れたように盛大に溜め息を吐いて見せる奥さん。
そう、未だに奥さん呼びなのは、お互いの名前も知らないからなんだよ?
普通は両者を引き合わせたティモシーがお互いを紹介するもんじゃないの~?
「どうやら息子に任せておくと話が進まないようなので……。申し訳ありませんがお客様、当店にいらした理由を説明していただけますか?」
はっきりと母親に無能宣告されるティモシー。
またしてもぞんざいに扱われるなコイツ。
でも今回は流石に同情出来ないよ。俺も迷惑被ってる側だもん。
「ティモシーにつれてこられただけ、と仰るのでしたら、このままお帰りいただいてもお引止めは致しません」
「なっ!? お袋、アンタ何言って……!」
「ティモシー! いい加減頭を冷やしなさいっ!」
「ひっ……!」
相変わらず母親に怒鳴られると、すぐに黙り込んでしまうティモシー。
こいつ、この調子で本当にノッキングスレイヤーの幹部なんてやっていけてるんだろうか?
ティモシーと違ってどうやら奥さんは理性的な方のようで、俺がティムルと共に訪れたからといっても変に慌てたりはしていないようだ。
「お客様を無理矢理引っ張ってきておきながら、応対は私たちに投げっぱなしなんて……! 職人かどうか以前に人として、大人として恥を知りなさいっ!」
「ぐっ、ぐぬぬ……」
「息子にはもう口を挟ませませんので、どうかお客様の話を聞かせてもらえますか? ……話す事など無いというのであれば、それでも構いませんが」
「話す事は……あるかな」
ティムルという娘がいたと認めた以上、この女性がティムルの母親である可能性が高い。
だからティムルがここで過ごしていた時の様子とかを聞きたいとは思うんだけど……。
けれど当事者であるティムルが我関せずと傍観を決め込んでいる今、俺の口からこの女性に聞くべきことってなんなんだろうなぁ?
「……そうだなぁ。話を始める前に自己紹介をしておこうか。俺はダン。一応ティムルの旦那だよ」
「ティムルの……。あ、私はクラーラ。主人はティッタと言います」
「クラーラさんね。それじゃ俺がこの店に足を運んだ理由だけど……」
今回の話には関わってこないであろうシャロの事は名前だけの紹介に留めて、俺がこの店に足を運んだ理由を話す。
妻のティムルも15歳の時にクラメトーラから売り飛ばされていて、ティモシーの話と妻の過去に共通点を感じなくもなかった。
妻は売り飛ばされる前の事を殆ど覚えていなかったので、妻の過去に少しでも触れられるならと、ティモシーの話に乗ってクラーラさんたちに会いに来た、と説明した。
「……なるほど。お話はよく分かりました」
余計な口を挟まずに俺の話を聞いたクラーラさんは、小さく頷き息を吐く。
そして少し緊張した様子でティムルに話しかけてきた。
「ティムルさん。失礼ですがご年齢を伺っても?」
「私? 私は今年で33になりましたよー」
「33……。であれば確かに貴女はティモシーの言う通り、私と主人の娘なのでしょうね……」
年齢と名前で確信するか。
この世界では平民はファミリーネームを持っていないけど、その分人口も少ないから同名の人もあまり居ないのだろう。実際会った事ないし。
「ほっ、ほら見ろっ! やっぱりお前は俺の妹のティ……」
「黙れティモシー。次にひと言でも余計な口を開いたらまた萎縮させっからな」
「ひっ……」
騒ぎかけたティモシーに邪魔をするなと釘を刺しておく。
コイツ、集会所でも話の流れをぶった切ってたし、ティムルのことがなくても普段から空気の読めない奴っぽい。
「クラーラさん。まず最初に言っておくけど、別に俺もティムルも貴方達の生活を脅かそうとは思ってないからね。ここに来たのは単なる好奇心だと思ってくれて良いよ」
「主人の言う通りです。もしもクラーラさんが私の母親であったとしても、申し訳無いけど私は覚えていないので……。特に思い出したいとも思ってないから、雑談のつもりで応じてもらえれば充分です」
「……貴女が私達のことを覚えていないのも無理ないかもしれませんね。それほどに私たちとあの娘は関わってこなかったから……」
ティムルからの決別の言葉に、自嘲するように渇いた笑いを浮かべるクラーラさん。
娘に覚えられていなくても無理はないって、いったいこの人たちはティムルとどのように接してきたんだろう?
「クラーラさん。貴女達は幼い日の妻をどのように扱っていたの? それと、さっき1度娘の存在を否定したのはどうして?」
「……まだ幼かった娘は、本当に気軽にドワーフ族のタブーを口にしてしまいました。その為決して外に出すわけには行かず、私と主人の中では娘はいなかった事になっていたんです」
娘はいなかった事に、なっていた……?
その言葉に胸の奥で何かが燻ったような気がしたけれど、両側から伝わるティムルとシャロの体温が俺を落ち着かせてくれる。
「……それじゃ、いなかった事になっている娘の存在を、今こうやって認めたのはなぜ?」
「改まって何故と問われると言葉に窮するのですが……。店の商品全てを購入していただいたお客様……ダンさんへの感謝のつもりだったのかも……」
「あ~、そういう……」
郊外だし扱ってる商品の品質は低いしで、誰がどう見ても流行ってなさそうだもんなこの店。
思いがけず大金を売り上げてしまったことで昂揚し、つい口が滑ったって感じかな?
「若き日の私と主人……ティッタは、それはもう燃え上がるような大恋愛の末に結ばれました」
ティムルの存在を認めたことで心の箍が外れたのか、尋ねるまでもなく自分から堰を切ったように話し始めるクラーラさん。
余計な口を挟まず、黙ってクラーラさんの言葉に耳を傾ける。
「お互いさえいれば何も要らないと、これからの2人の未来は幸福で輝かしいものになると信じて疑いませんでした。……けれどそんな私たちに待っていたのは、ありふれた現実という名の地獄だったんです」
2人が結ばれた当時、旦那さんのティッタさんは工房の見習い職人でクラーラさんは大地の工廠の親方の娘という、所謂身分違いの恋をしていたそうだ。
当然周囲の大人たちは2人の仲を認めるはずもなく、けれど若い2人の情熱の炎も消えることなく燃え上がり、周囲の反対を押し切って2人は婚姻を結んでしまったそうだ。
「大地の工廠の親方の娘って……。クラーラさんってエウレイサの娘か何かなの?」
「いえ、私は先代の娘で、エウレイサ様とは血縁にはありません。先代の親方である父は既に他界しております」
先代も職人連合の重鎮だったとするなら、クラーラさんは良いとこのお嬢様ってわけだ。
道理でこんな小さな店を構えている割に、俺達への応対がやけに丁寧だと思ったよ。
そう言えばクラメトーラのクラって、職人って意味の言葉なんだっけ。
クラと名付けられたクラーラさんは、ひょっとしたら俺が思う以上に身分の高い人だったのかもしれない。
「主人と結ばれた事に後悔はありません。ですが、幸せになれたかと言われたら……」
「……何があったの? いくら周囲の反対を押し切って結ばれたからって、大地の工廠の親方の娘をそんなぞんざいに扱ってくるわけ?」
大地の工廠のエウレイサって、確か今代の職人連合の長とか言ってたよな? なら先代だってそれなりの地位に居たはずだ。
先達を崇拝するドワーフ族なら、親方衆の血縁者に酷い扱いはしないと思うんだけどなぁ?
「私も主人も甘く見ていたんです。ここクラクラットで、年長者の意見を蔑ろにするという行為の重大さを……」
当時の想いがぶり返してきたのか、悔しそうに歯噛みするクラーラさん。
周囲の反対を押し切って強引に婚姻を結んでしまったティッタさんとクラーラさんだったけど、婚姻を結んだ事を境に周囲の態度は一変してしまったそうだ。
当時見習いだったティッタさんは破門され、けれどクラーラさんの家が職人じゃないのは格好がつかないと、街外れに小さな店を開く事を許された2人。
しかし魔物狩りの数も少なく、素材の供給もアウター管理局に調整されているこの地で職人連合の協力無しに商売を営むことはかなり難しく、袂を分かったかつての実家に頭を下げて生活費を無心しなければならない日々だったらしい。
「実家にお金を借りに行く度、私たちは笑い者にされるんです。それ見たことか。年長者の言う事を聞かないからだと、私たちを若い衆に対する見せしめのように扱って……」
「……ティムル以前に、両親が既に冷遇されてたのかよ」
クラクラット、クラメトーラという閉じたコミュニティで最も重要視されている年長者の声を無視して我を通したティッタさんとクラーラさん夫妻は、想像すらしていなかったほどの冷遇に晒されてしまったそうだ。
お金の無心の対価に肉体関係を迫る者も少なくなく、愛する夫のために操を立てるか、愛する夫の為に体を差し出すか、クラーラさんはいつも極限の二択を迫られ続けていたそうだ。
……そんな扱いをするくらいなら、始めから何がなんでも2人の婚姻を阻止しろって感じだけど。
この世界での婚姻はステータスプレートに誓うだけで良いので、両者を監禁でもしない限り止めるのは難しいからなぁ……。
「幸いその頃にはティモシーがノッキングスレイヤーに参加して、生活費を稼いで家にお金を入れてくれるようになりまして。なんとか望まぬ相手と肌を重ねずに済んだのですがね……」
「へぇ? やるじゃんティモシー」
ここでティモシーの空気が読めない性格が良い方に働いてくれたわけか。
道理で店主であり敬われるべき父親が、ティモシーに対してあまり強く出ないと思ったよ。
「でも家族ぐるみで冷遇されてたんなら、ティモシーがお金を稼ぐ事に妨害のようなものは無かったわけ?」
「さっきも言ったろ。ここじゃ職人よりも上に見られる職業なんかねぇってな。職人じゃなくて魔物狩りなんかを目指す俺を妨害なんて、職人共のプライドが許さねぇのさ」
「うわぁ……。どうでもいい上に馬鹿馬鹿しい理由だった……。ま、それで生活費を稼げたのは不幸中の幸いだったね」
ティモシーの魔物狩り活動には妨害などを受けることは無かったそうだけど、魔物の数が限られている暴王のゆりかごでの活動はそれほど儲かるわけではなく、ティッタさん一家は常に苦しい生活を強いられていたそうだ。
そんな生活の中でクラメトーラの地を否定するティムルの発言は、ティッタさんにとってもクラーラさんにとっても、とても聞き流せるような発言ではなかったらしい。
「息子のティモシーは魔物狩りを志し、娘のティムルはこの地を否定する発言をしました。このこともまた散々責められまして……」
「……年長者の言う事を聞かないから、お前の子供は職人を目指さないんだー、ってこと? イカれてるなぁドワーフ族」
「……辛い日々の中、私も主人も心が磨り減っていくのが分かりました」
ドワーフ族がイカれてると発言しても、その発言を咎めることなく続きを語るクラーラさん。
クラーラさんも心の奥底では、ドワーフたちの価値観に疑問を抱いてしまっているんだろうな。
「あんなに恋焦がれたティッタとの夫婦生活がこんなに色褪せた日々になるなんて……。そんな時に娘がこの地を否定したんです。私もティッタももう、これ以上の生活には耐えられなかった……」
「だからティムルを閉じ込めて、目を逸らして、極力関わろうとしなかったってことか……」
早い話が育児放棄をしたわけだ。
クラーラさんたちも限界だったみたいだし、単純に彼女達を責めるのもまた違う話なのかもしれないけれど……。
「……今にして思えば、私は娘に八つ当たりをすることで心を落ち着けていたのかもしれません」
「八つ当たり?」
「自分と主人がしたことを棚に上げて、クラメトーラを否定する娘のせいでこんな生活を強いられていると……。そんな風に思い込んで、娘を拒絶しひた隠しにして……」
「あ~……。だから顔を合わせる度に罵倒してきたわけねぇ……。正直細かい内容は覚えてないけど……。あれってストレス発散だったのねぇ」
クラーラさんの懺悔のような告白に、薄れていたティムルの記憶が重なったようだ。
幼い日に母親に罵倒された記憶に、なるほどーと感心するように何度も頷いているティムル。
そんなティムルの小さな呟きに、大きく目を見開いて驚くクラーラさん。
「貴女は……。貴女は本当に娘のティムルなのね……」
「ま、一応そうみたいね? 貴方の娘だった時の記憶はあまり無いんだけど」
「覚えているのは娘を罵倒している姿だけ、ね……」
あっけらかんとした態度のティムルに、悲しそうに表情を曇らせるクラーラさん。
ティムルを娘だと認識したからこそ、その娘になんの執着も持たれていないことが悲しいのだろう。
「なんて最低の母親、最低の家族だったんでしょう……。私と主人が幸せになる方法なんて、始めから無かったんでしょうか……」
クラーラさんの懺悔のような後悔の言葉は、誰にも反応されずに宙に薄れていく。
けれど情報が断片的過ぎて、彼女に返すべき言葉が見つからない。
周囲の反対を押し切ってまで愛する人と結ばれたのに、その婚姻が原因で袋小路のような閉塞した日々に悩み続けたクラーラさん。
愛する人を諦めても想いを貫いても、結局は幸せになる道なんてなかったんじゃないだろうかと、自分が選んだ道に疑問を持ち、自分の選択を信じられなくなってしまったようだ。
日々の生活の疲れとストレスを、娘のティムルにぶつけることで何とか平静を保っていた、か。
……笑っちゃうねクラーラさん。
貴女はクラクラットの職人連中に拒絶され、冷遇された日々を耐え忍びながら、その一方でまだ何も分からない幼い娘に同じ事を強いていたのだから。
誰もが口を噤んだ店の中で、ティムルとシャロから伝わる温もりだけが俺の心を暖めてくれていた。
0
お気に入りに追加
1,820
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

美人四天王の妹とシテいるけど、僕は学校を卒業するまでモブに徹する、はずだった
ぐうのすけ
恋愛
【カクヨムでラブコメ週間2位】ありがとうございます!
僕【山田集】は高校3年生のモブとして何事もなく高校を卒業するはずだった。でも、義理の妹である【山田芽以】とシテいる現場をお母さんに目撃され、家族会議が開かれた。家族会議の結果隠蔽し、何事も無く高校を卒業する事が決まる。ある時学校の美人四天王の一角である【夏空日葵】に僕と芽以がベッドでシテいる所を目撃されたところからドタバタが始まる。僕の完璧なモブメッキは剥がれ、ヒマリに観察され、他の美人四天王にもメッキを剥され、何かを嗅ぎつけられていく。僕は、平穏無事に学校を卒業できるのだろうか?
『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』

異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編

男女比が1対100だったり貞操概念が逆転した世界にいますが会社員してます
neru
ファンタジー
30を過ぎた松田 茂人(まつだ しげひと )は男女比が1対100だったり貞操概念が逆転した世界にひょんなことから転移してしまう。
松本は新しい世界で会社員となり働くこととなる。
ちなみに、新しい世界の女性は全員高身長、美形だ。
PS.2月27日から4月まで投稿頻度が減ることを許して下さい。

Hしてレベルアップ ~可愛い女の子とHして強くなれるなんて、この世は最高じゃないか~
トモ治太郎
ファンタジー
孤児院で育った少年ユキャール、この孤児院では15歳になると1人立ちしなければいけない。
旅立ちの朝に初めて夢精したユキャール。それが原因なのか『異性性交』と言うスキルを得る。『相手に精子を与えることでより多くの経験値を得る。』女性経験のないユキャールはまだこのスキルのすごさを知らなかった。
この日の為に準備してきたユキャール。しかし旅立つ直前、一緒に育った少女スピカが一緒にいくと言い出す。本来ならおいしい場面だが、スピカは何も準備していないので俺の負担は最初から2倍増だ。
こんな感じで2人で旅立ち、共に戦い、時にはHして強くなっていくお話しです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる