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ミスリルの剣
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「懐かしいなぁ……。10年振りくらい、だったか?」
目の前に広がるイコンの街並みに、思わず独り言が零れてしまう。
別に良い思い出なんか数えるほどしかないってのに、生まれ故郷ってのはそれだけで心に訴えかけてくるものがあるらしいや。
「くくっ。相変わらず寂れた街だぜ。俺が出ていった時となぁんにも変わっちゃいねぇ」
何がそんなに面白いのか、鼻歌交じりで10年振りの生まれ故郷を歩き回る。
……自分から飛び出したくせによぉ。
今更故郷の空気が懐かしいなんて、我ながら随分と現金な奴だぜ。
「えーっと……。おっ、やっぱ居やがった。相変わらず1人で飲んでやがる」
かつて通った馴染みの酒場に顔を出すと、10年前と同じ席に、10年前と同じように1人で酒を飲むガンツの姿があった。
この10年で筋肉もついて、随分鍛冶屋らくしなったようだが、この様子じゃ独り身らしいな?
「よぉガンツ。いい加減嫁でも貰って落ち着いたらどうだ?」
「あぁ? 誰だか知らねぇが余計、な……」
面倒臭そうに振り返ったガンツは、まるで幽霊でも見たみたいに大きく目を見開いて、あんぐりと口を開いたバカ面を晒してくれやがった。
「ぶわっはっはっは! お前、なんつうマヌケ面しやがるんだよ!? 俺を笑い殺す気かぁっ!?」
「テメェ……ビルかっ!? ははっ、生きてやがったのかよ、ビルっ!」
旧友との再会に、一気に時間が巻き戻ったように感じる。
俺は昔と同じ席で、昔と同じようにガンツと共に飲み始めた。
「10年も経ってりゃ、堅物のお前でも家庭の1つも持ってるかと思ったんだが……。まだ独り身とはなぁ」
「はっ! 俺はドナ以外の女と添い遂げる気は無ぇんだよ。ドナ以外の女になんざ興味ねぇってんだ」
「ったく。人の女房にいつまで操を立ててやがんだ、この馬鹿が……」
俺とガンツ、そして女房のドナは幼馴染だった。
3人とも貧しい子供時代を過ごし、大人になったら成り上がってやるんだと、3人で互いを励まし合って……。
そんな思いで俺とドナは冒険者になる事を選んだけれど、ガンツだけは鍛冶屋を継がなきゃいけなくて……。
いつも一緒だった俺達3人の関係は、大人になるに連れて少しずつ変わっていった。
俺もガンツもドナを愛していたけれど、一緒にいる時間が長くなった俺とドナが生涯を誓い合うまで時間はかからなかった。
俺とドナの結婚の時に、生涯をドナに捧げると言って泣きながら祝福してくれたっけな……。
「お前さんは、もう2度とイコンに戻ってくる事は無いと思ってたぜ、ビル……」
「…………」
ガンツの溢した呟きに、なんて返すべき言葉が見つからない。
俺自身、どうして今更この街に戻ってきたのか分からなかったから……。
10年前、俺の子供を身篭ったドナと共に、ドナと一緒にこなす最後のモンスターの討伐依頼に赴いた。
出産を控えたドナの引退式みたいなもので、簡単な依頼、万全の準備を整えたつもりだった。
けれど、現実ってのはいつも残酷で……。
「帰って来たなら、ドナに会いに行ってやれ。10年も旦那の顔が見れなくて、アイツも寂しい思いをしてただろうよ……」
「……そうだな」
突然現れた未知のモンスター。
一緒に依頼を請けていた冒険者たちは次々と斃れ、地面に這い蹲る俺の前で、腹の子ごとモンスターに食われてしまったドナ。
イコンに作られたドナの墓には、彼女の髪の毛が少しだけ埋められただけだった。
それからの日々は地獄だった。
眠る度にドナの最後が夢に出て、イコンを歩けばドナとの思い出が無い場所なんて無くて……。
変わらないイコンの街に、ドナだけが居ない現実に耐えられなくて。
訪れるはずだった幸福な未来が、永遠に失われた事に耐えられなくて。
俺は生まれ故郷を捨てて、少しでもイコンから離れようと逃げ出したんだ。
「……イコンに居るのが辛くて辛くて逃げ出したってのにさぁ。10年って時間は、俺の涙を枯らすにゃ充分な時間だったらしいよ……」
「……10年か。お互い年だけ食っちまったもんだぜ……」
イコンから逃げ出して、ドナの居ない現実から逃げ出して10年。
遠く離れた異国の街で、たった独りで細々と冒険者として暮らしてきた。
けれど、この10年ですっかり体にガタが来て、もうすぐ冒険者も続けられなくなると思ったら……。
なんだか自然と、生まれ故郷に足が向いたのだった。
「これからどうすんだビル? これからはずっとイコンに?」
「正直、勢いだけで帰って来ちまったからなぁ。まだ何にも決めて……」
「またお前かっ! このクソがガキっ!!」
「ぎゃっ……!」
俺の言葉を遮る誰かの怒声と、子供らしき誰かの悲鳴が店内に響き渡る。
何事かと騒ぎの聞こえた方に視線を向けると、深く酔った男に少年が蹴り飛ばされているのが目に入った。
「おっ、おいっ! なにやってんだアンタ! やめ……」
「ほっとけビル。周りを見てみろ」
「なにを落ち着いてやがるんだっ!? 周りが何だっ、て……」
ガンツの言葉に従い店内を見渡すと、俺以外の客は迷惑そうに顔を顰めながらも騒ぎの方には誰も目もくれず、少年を助けようとする者も、酔っ払いを止めようとする者もいなかった。
中には手を叩いて喜び、酔っ払いを応援している奴までいる始末だ。
「なんだこれ……? なんで子供が蹴られるのに、こんな空気になってんだ……?」
「いつものことだからだよ。あのガキはいつも、酔っ払った客の食い物を盗みに来てんだよ」
興味無さげに吐き捨てるガンツに話を聞くと、どうやらソイルという名のこの少年は、通常ではありえないほどの少量の魔力しかその身に宿していないらしく、それを嘆いた両親に生まれたその日に捨てられてしまったそうだ。
始めは孤児として聖教会で預かっていたらしいが、孤児の中でもその極端に少ない魔力が原因で苛められ、聖教会を飛び出し路上で寝ながら、ああやって盗みを働いて何とか命を繋いでいるらしかった。
「あのガキの境遇には同情するがよぉ。気分よく飲んでるところに毎回水を差されちゃあ堪ったもんじゃねぇってな。この街であのガキを庇う大人はもう……て、ビル?」
戸惑うガンツの声を背中に受けながら、少年を蹴り続ける酔っ払いに声をかける。
「悪い兄さん。今日は妻の命日なんで静かに飲みたいんだ。アンタの分は奢るから、この場は収めちゃあくれねぇか?」
どうしてこの時こんなことをしたのか、何度考えても分からなかった。
生まれるはずだった俺の子供が生きていたら、今頃この少年と同じくらいだったから?
大人に蹴りを浴びせられても、それでも目だけは睨み返していたその気骨が気にいったから?
生まれた瞬間両親に捨てられたという、ソイルというこの少年の境遇に同情したから?
自分自身でも困惑しながら、不思議そうに俺を見上げるソイルの面倒を見る事に決めたのだった。
「お前の境遇には同情するがよ。自分が不幸だからって他人に迷惑をかけていいワケじゃねぇんだ」
殆ど魔力を持たず、将来的にも苦労が約束されているソイルに、それでも人に迷惑をかけずに生きていけるように、徹底的に技術と知識を仕込んでいく。
Cクラス冒険者の俺に教えられることなんて大した事はねぇが、これでもこの10年をたった独りで過ごしてきた経験がある。
誰にも頼らず、誰にも関わらずに生きていく術なら、今の俺でも教えられると思ったのだ。
「くっそぉ……! 絶対俺に仕事を押し付けてるだけだろ、この馬鹿師匠っ!」
口では反発しながらも、ソイルは俺の言いつけを破ることは無かった。
魔力も無く、他に頼れる知人も居ないソイルは、自分がもう後が無い場所に立たされている事を自覚していたのかもしれない。
「……今まで、沢山迷惑をかけて済みませんでした……」
不満げな表情を浮かべながらも、素直に頭を下げるソイル。
迷惑をかけた大人たちに1人1人頭を下げさせ、酒場に出た被害額も弁償すると誓わせた。
始めは頭を下げる事に不服そうにしていたが、謝罪をする度に大人たちの態度が軟化していく様を見て、自分がしてきたことが如何に他人の迷惑になっていたのかを自覚したようだった。
落ち零れと笑われながらも冒険者として活動し、少しずつ、けれど確実に弁償を済ませていった。
「あのクソガキが、変われば変わるもんだなぁ?」
いつもの店でいつものように飲んでいると、自分で支払いを済ませた料理にがっつくソイルを見て、ガンツが感心したように呟いた。
でもなガンツ。ソイルは変わったんじゃねぇんだよ。
以前のソイルは人から奪わなければ生きていけなかっただけで、人に迷惑をかけずに生きる方法を知らなかっただけなんだ。
何にも分からずたった独りで、それでも生きる事を諦めずにもがいていただけだったんだよ。
「変わったのは、多分俺の方だろうなぁ……」
ドナが死んでから、ずっと独りで過ごしてきた。
なのにいつの間にか、ドナが生きていたときみたいに2人でパーティを組んでいた。
ソイルは全く頼りになるような奴じゃなかったけど、それでもなんだかソイルと過ごす時間は悪くないと思い始めていた。
……けれどやっぱり現実って奴ぁ、どこまでも残酷だったんだ。
「あ、あぁ……。し、師匠……、俺、どどど、どうすれば……」
「……へ。どうやら俺はここまでらしいや……」
かつてドナを襲った未知のモンスター。
マンティコアと名付けられた神出鬼没の化け物が、やっぱり俺の人生に引導を渡しに来やがった。
なんとか追い払うことには成功したが、その代償に俺の脇腹からは内臓が零れ出ていた。
……だけどよ。今度は守り抜いてみせたぜぇ……!
「おっ、俺に魔力があれば……! 回復魔法さえ使えりゃあ……!」
「……はっ、ばぁか……。こんな大怪我、治す魔法なんざありゃねぇよ……」
必死に俺の脇腹を押さえながら憤るソイルがおかしくて、間もなく死ぬってのになんだか笑いが零れてくる。
俺は最後の力を振り絞って、腰に下げていた剣をソイルに託す。
「こんな安物しか、弟子に残してやれねぇなんて……。かっこ、つかねぇなぁ……」
「しゃ……喋るなって……! 今っ、たたた助けっ、が来るから……!」
「最期くらい師匠、らしく……。ばぁんとミスリルの剣でも……、渡してやりてぇとこ、なんだがよぉ……。受け取ってくれ、ソイル……」
視界が霞んでソイルの顔が見えなくなる。
そんな状態で剣を差し出してやってるのに、ソイルの野郎はずっと俺の脇腹を両手で押さえつけていて、いつまで経っても剣を受けとりゃしねぇんだ。
仕方ないから、俺の脇腹を押さえるソイルの両手に重ねるように俺の愛剣を置いてやった。
「独りにして、わりぃな……。でもお前は、もう1人でだって、生きていけるさ……」
「畜生……! 畜生……! 血が、血が止まらない……! ちくしょぉぉ……!」
「自分で渡していて、何だがよぉ……。こんな安物の剣じゃ、まん……ぞく出来、ないくらいの……。すっげぇ男になれよ、ソイル……」
次第に暗くなっていく目の前で、ソイルが泣きながら頷いたのが見えたような気がした。
ソイルの才能の無さを誰よりも知っているくせに、我ながら無茶振りをしちまったもんだぜ。
こいつの魔力量じゃ、俺と同じCクラスまでいくことすら絶望的だろうによぉ。
でも……。初めて会った時のあの眼差し。
絶望に屈して堪るかっつうあの諦めの悪さに、ちったぁ期待させてくれや。
目の前に広がるイコンの街並みに、思わず独り言が零れてしまう。
別に良い思い出なんか数えるほどしかないってのに、生まれ故郷ってのはそれだけで心に訴えかけてくるものがあるらしいや。
「くくっ。相変わらず寂れた街だぜ。俺が出ていった時となぁんにも変わっちゃいねぇ」
何がそんなに面白いのか、鼻歌交じりで10年振りの生まれ故郷を歩き回る。
……自分から飛び出したくせによぉ。
今更故郷の空気が懐かしいなんて、我ながら随分と現金な奴だぜ。
「えーっと……。おっ、やっぱ居やがった。相変わらず1人で飲んでやがる」
かつて通った馴染みの酒場に顔を出すと、10年前と同じ席に、10年前と同じように1人で酒を飲むガンツの姿があった。
この10年で筋肉もついて、随分鍛冶屋らくしなったようだが、この様子じゃ独り身らしいな?
「よぉガンツ。いい加減嫁でも貰って落ち着いたらどうだ?」
「あぁ? 誰だか知らねぇが余計、な……」
面倒臭そうに振り返ったガンツは、まるで幽霊でも見たみたいに大きく目を見開いて、あんぐりと口を開いたバカ面を晒してくれやがった。
「ぶわっはっはっは! お前、なんつうマヌケ面しやがるんだよ!? 俺を笑い殺す気かぁっ!?」
「テメェ……ビルかっ!? ははっ、生きてやがったのかよ、ビルっ!」
旧友との再会に、一気に時間が巻き戻ったように感じる。
俺は昔と同じ席で、昔と同じようにガンツと共に飲み始めた。
「10年も経ってりゃ、堅物のお前でも家庭の1つも持ってるかと思ったんだが……。まだ独り身とはなぁ」
「はっ! 俺はドナ以外の女と添い遂げる気は無ぇんだよ。ドナ以外の女になんざ興味ねぇってんだ」
「ったく。人の女房にいつまで操を立ててやがんだ、この馬鹿が……」
俺とガンツ、そして女房のドナは幼馴染だった。
3人とも貧しい子供時代を過ごし、大人になったら成り上がってやるんだと、3人で互いを励まし合って……。
そんな思いで俺とドナは冒険者になる事を選んだけれど、ガンツだけは鍛冶屋を継がなきゃいけなくて……。
いつも一緒だった俺達3人の関係は、大人になるに連れて少しずつ変わっていった。
俺もガンツもドナを愛していたけれど、一緒にいる時間が長くなった俺とドナが生涯を誓い合うまで時間はかからなかった。
俺とドナの結婚の時に、生涯をドナに捧げると言って泣きながら祝福してくれたっけな……。
「お前さんは、もう2度とイコンに戻ってくる事は無いと思ってたぜ、ビル……」
「…………」
ガンツの溢した呟きに、なんて返すべき言葉が見つからない。
俺自身、どうして今更この街に戻ってきたのか分からなかったから……。
10年前、俺の子供を身篭ったドナと共に、ドナと一緒にこなす最後のモンスターの討伐依頼に赴いた。
出産を控えたドナの引退式みたいなもので、簡単な依頼、万全の準備を整えたつもりだった。
けれど、現実ってのはいつも残酷で……。
「帰って来たなら、ドナに会いに行ってやれ。10年も旦那の顔が見れなくて、アイツも寂しい思いをしてただろうよ……」
「……そうだな」
突然現れた未知のモンスター。
一緒に依頼を請けていた冒険者たちは次々と斃れ、地面に這い蹲る俺の前で、腹の子ごとモンスターに食われてしまったドナ。
イコンに作られたドナの墓には、彼女の髪の毛が少しだけ埋められただけだった。
それからの日々は地獄だった。
眠る度にドナの最後が夢に出て、イコンを歩けばドナとの思い出が無い場所なんて無くて……。
変わらないイコンの街に、ドナだけが居ない現実に耐えられなくて。
訪れるはずだった幸福な未来が、永遠に失われた事に耐えられなくて。
俺は生まれ故郷を捨てて、少しでもイコンから離れようと逃げ出したんだ。
「……イコンに居るのが辛くて辛くて逃げ出したってのにさぁ。10年って時間は、俺の涙を枯らすにゃ充分な時間だったらしいよ……」
「……10年か。お互い年だけ食っちまったもんだぜ……」
イコンから逃げ出して、ドナの居ない現実から逃げ出して10年。
遠く離れた異国の街で、たった独りで細々と冒険者として暮らしてきた。
けれど、この10年ですっかり体にガタが来て、もうすぐ冒険者も続けられなくなると思ったら……。
なんだか自然と、生まれ故郷に足が向いたのだった。
「これからどうすんだビル? これからはずっとイコンに?」
「正直、勢いだけで帰って来ちまったからなぁ。まだ何にも決めて……」
「またお前かっ! このクソがガキっ!!」
「ぎゃっ……!」
俺の言葉を遮る誰かの怒声と、子供らしき誰かの悲鳴が店内に響き渡る。
何事かと騒ぎの聞こえた方に視線を向けると、深く酔った男に少年が蹴り飛ばされているのが目に入った。
「おっ、おいっ! なにやってんだアンタ! やめ……」
「ほっとけビル。周りを見てみろ」
「なにを落ち着いてやがるんだっ!? 周りが何だっ、て……」
ガンツの言葉に従い店内を見渡すと、俺以外の客は迷惑そうに顔を顰めながらも騒ぎの方には誰も目もくれず、少年を助けようとする者も、酔っ払いを止めようとする者もいなかった。
中には手を叩いて喜び、酔っ払いを応援している奴までいる始末だ。
「なんだこれ……? なんで子供が蹴られるのに、こんな空気になってんだ……?」
「いつものことだからだよ。あのガキはいつも、酔っ払った客の食い物を盗みに来てんだよ」
興味無さげに吐き捨てるガンツに話を聞くと、どうやらソイルという名のこの少年は、通常ではありえないほどの少量の魔力しかその身に宿していないらしく、それを嘆いた両親に生まれたその日に捨てられてしまったそうだ。
始めは孤児として聖教会で預かっていたらしいが、孤児の中でもその極端に少ない魔力が原因で苛められ、聖教会を飛び出し路上で寝ながら、ああやって盗みを働いて何とか命を繋いでいるらしかった。
「あのガキの境遇には同情するがよぉ。気分よく飲んでるところに毎回水を差されちゃあ堪ったもんじゃねぇってな。この街であのガキを庇う大人はもう……て、ビル?」
戸惑うガンツの声を背中に受けながら、少年を蹴り続ける酔っ払いに声をかける。
「悪い兄さん。今日は妻の命日なんで静かに飲みたいんだ。アンタの分は奢るから、この場は収めちゃあくれねぇか?」
どうしてこの時こんなことをしたのか、何度考えても分からなかった。
生まれるはずだった俺の子供が生きていたら、今頃この少年と同じくらいだったから?
大人に蹴りを浴びせられても、それでも目だけは睨み返していたその気骨が気にいったから?
生まれた瞬間両親に捨てられたという、ソイルというこの少年の境遇に同情したから?
自分自身でも困惑しながら、不思議そうに俺を見上げるソイルの面倒を見る事に決めたのだった。
「お前の境遇には同情するがよ。自分が不幸だからって他人に迷惑をかけていいワケじゃねぇんだ」
殆ど魔力を持たず、将来的にも苦労が約束されているソイルに、それでも人に迷惑をかけずに生きていけるように、徹底的に技術と知識を仕込んでいく。
Cクラス冒険者の俺に教えられることなんて大した事はねぇが、これでもこの10年をたった独りで過ごしてきた経験がある。
誰にも頼らず、誰にも関わらずに生きていく術なら、今の俺でも教えられると思ったのだ。
「くっそぉ……! 絶対俺に仕事を押し付けてるだけだろ、この馬鹿師匠っ!」
口では反発しながらも、ソイルは俺の言いつけを破ることは無かった。
魔力も無く、他に頼れる知人も居ないソイルは、自分がもう後が無い場所に立たされている事を自覚していたのかもしれない。
「……今まで、沢山迷惑をかけて済みませんでした……」
不満げな表情を浮かべながらも、素直に頭を下げるソイル。
迷惑をかけた大人たちに1人1人頭を下げさせ、酒場に出た被害額も弁償すると誓わせた。
始めは頭を下げる事に不服そうにしていたが、謝罪をする度に大人たちの態度が軟化していく様を見て、自分がしてきたことが如何に他人の迷惑になっていたのかを自覚したようだった。
落ち零れと笑われながらも冒険者として活動し、少しずつ、けれど確実に弁償を済ませていった。
「あのクソガキが、変われば変わるもんだなぁ?」
いつもの店でいつものように飲んでいると、自分で支払いを済ませた料理にがっつくソイルを見て、ガンツが感心したように呟いた。
でもなガンツ。ソイルは変わったんじゃねぇんだよ。
以前のソイルは人から奪わなければ生きていけなかっただけで、人に迷惑をかけずに生きる方法を知らなかっただけなんだ。
何にも分からずたった独りで、それでも生きる事を諦めずにもがいていただけだったんだよ。
「変わったのは、多分俺の方だろうなぁ……」
ドナが死んでから、ずっと独りで過ごしてきた。
なのにいつの間にか、ドナが生きていたときみたいに2人でパーティを組んでいた。
ソイルは全く頼りになるような奴じゃなかったけど、それでもなんだかソイルと過ごす時間は悪くないと思い始めていた。
……けれどやっぱり現実って奴ぁ、どこまでも残酷だったんだ。
「あ、あぁ……。し、師匠……、俺、どどど、どうすれば……」
「……へ。どうやら俺はここまでらしいや……」
かつてドナを襲った未知のモンスター。
マンティコアと名付けられた神出鬼没の化け物が、やっぱり俺の人生に引導を渡しに来やがった。
なんとか追い払うことには成功したが、その代償に俺の脇腹からは内臓が零れ出ていた。
……だけどよ。今度は守り抜いてみせたぜぇ……!
「おっ、俺に魔力があれば……! 回復魔法さえ使えりゃあ……!」
「……はっ、ばぁか……。こんな大怪我、治す魔法なんざありゃねぇよ……」
必死に俺の脇腹を押さえながら憤るソイルがおかしくて、間もなく死ぬってのになんだか笑いが零れてくる。
俺は最後の力を振り絞って、腰に下げていた剣をソイルに託す。
「こんな安物しか、弟子に残してやれねぇなんて……。かっこ、つかねぇなぁ……」
「しゃ……喋るなって……! 今っ、たたた助けっ、が来るから……!」
「最期くらい師匠、らしく……。ばぁんとミスリルの剣でも……、渡してやりてぇとこ、なんだがよぉ……。受け取ってくれ、ソイル……」
視界が霞んでソイルの顔が見えなくなる。
そんな状態で剣を差し出してやってるのに、ソイルの野郎はずっと俺の脇腹を両手で押さえつけていて、いつまで経っても剣を受けとりゃしねぇんだ。
仕方ないから、俺の脇腹を押さえるソイルの両手に重ねるように俺の愛剣を置いてやった。
「独りにして、わりぃな……。でもお前は、もう1人でだって、生きていけるさ……」
「畜生……! 畜生……! 血が、血が止まらない……! ちくしょぉぉ……!」
「自分で渡していて、何だがよぉ……。こんな安物の剣じゃ、まん……ぞく出来、ないくらいの……。すっげぇ男になれよ、ソイル……」
次第に暗くなっていく目の前で、ソイルが泣きながら頷いたのが見えたような気がした。
ソイルの才能の無さを誰よりも知っているくせに、我ながら無茶振りをしちまったもんだぜ。
こいつの魔力量じゃ、俺と同じCクラスまでいくことすら絶望的だろうによぉ。
でも……。初めて会った時のあの眼差し。
絶望に屈して堪るかっつうあの諦めの悪さに、ちったぁ期待させてくれや。
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
一気に最後まで読んでしまいました。ソイルがとても魅力的でした。
苦労人が、その苦労ゆえに報われる話はカタルシスそのものです。
矢木羽研さん
読んでいただきありがとうございます。
【コンテンツ】『ミスリルの剣』に新しい感想があります。
の一文を見た時「ふぁっ!?」ってなりました。
更新していた時は毎話24hポイント2ケタ台の投稿だった上、完結してほぼ2ヶ月経ってから感想を贈っていただけるとは本当にびっくりしました。本当にありがとうございます。
目指していたものは手に入れられなかったけれど、別のもっと良い物は手に入れることが出来た、みたいなお話になったかなと思います。
個人的な話になりますけど、最初に配られたカードを使いこなして頂点を目指すみたいな話が好きです。
ちなみに現在書き直しの最中で、全話書き直しが済んだら100話目も書き下ろす予定です。
本編とはあまり関係のない話になる予定ですが、もし宜しければそちらの方も是非お読みいただけたら嬉しいです。
公開予定日は1月の上旬~中旬です。よろしくお願いします。