魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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とある鬼人の戦記 20 その手からこぼれ落ちるもの 2

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 実を言えば……

 決意を秘め、扉の向こうの遥か遠い地を見ていたかのようなステレは……単に途方に暮れているだけだった。

 なんで一曲踊りたいとか言ってしまったのだろう…と、激しく後悔していた。何しろ、ステレの最も苦手なものの一つがダンスなのだから。今更必死になって基本のステップを思い出そうして、遥か遠くを見る目になっていたのだった。さすがの王妃も、そんなステレの情けない内心には全く気付いていなかったのだが、それはステレにはなんの慰めにもならなかった。

 グリフ王が気付いた通り、ステレはにはもう欲しい物など無かった。思い悩んだ末に王の伴侶を見たとき、自分も(一応)女だったという思い出が残せれば…そう思って咄嗟に口に出てしまったのだ。それに、鬼人が男装のまま踊るなら、それは多少ガサツでも目こぼししてもらえただろう。そういう思いもあった。だが…今の自分は、その王妃が何故だかやる気満々で頑張ったせいで、自分でも信じられないくらいの美女なのだ。こんな姿でブザマなダンスなど披露できる訳もない。というか、なんで王妃は態々自分をここまで着飾らせたのだろう?。ズバリ「あなたに嫉妬してます」とまで言ったというのに…。
 記憶を掘り返しダンスの稽古を思い出そうとしていたステレは…(無理だ…)と諦めた。残る手段は…開き直るしかない。動きのパターンは限られる、型稽古だと思えばいい。相手の動きに遅れず追随できればなんとかなる、言わば、『後の先』だ。幸いにというか、鬼人の反応速度は只人を凌駕する。不安なのは、うっかり過剰反応して王に反撃を入れてしまう事だけだ。

 (なんとかなる)自分を強引に納得させたステレは、唇を引き締め頷く。
 ステレが覚悟を決めた…と見たマーシアは、扉を護る護衛を促した。

 「マーシア王妃殿下並びに鬼人殿ご入場」

 先触れが声を上げると同時にドアが開かれ、広間に王妃とステレが戻って来た。楽団は既に調律を終えて位置についている。グリフ王はゆっくりと玉座から立ち上がり、広間の中央に立つと二人を迎えた。
 色鮮やかなタペストリーを、古の女神の如く緩やかに体に纏い、頭にベールを乗せたステレの姿は、上背が高いものの、先ほどの男の剣士と見紛う印象とは全く違っていた。角と金色の目は確かに異相ではあったが、人ならざる美しさすら感じられるほどだった。当のステレは、いざグリフ王を目の前にした瞬間にいたたまれなくて俯いてしまったが、そのせいで剣士然とした力強さよりむしろ女性らしさが強調されていた。
 広間を囲む貴族たちからも感嘆の声が上がる。オーウェンに至っては、口を半開きにしたまま横に居たメイガーに突かれるまで動けなかった。

 「こうして見ると、美しいな…」
 「……あぁ」

 それ以上に言葉が出ない。
 オーウェンは、ステレが鬼人に転生した直後に素っ裸のステレを匿っていたのだが、その時は愛した女性が全く違う姿になってしまった事がショックで、その美しさを受け入れる事が出来なかった。その後再会したステレは常に武装していたし、顔は目深に被った帽子で隠していた。今こうしてみれば、ステレはとても美しかった。自分には手の届かない高嶺の花に見える程に……。


 「いかがでしょうか?せめてスカートが無いと恰好が付きませんから工夫してみましたが」
 「見事だ」

 グリフ王が満足気に頷く。
 マーシアの仕事は想像以上だった。彼が知る限り、ステレは今までろくに化粧もしていなかった。血化粧の方が多いくらいだ。剣士として働くために普段から男装していたし、物資の調達に行くときも村娘風の地味な衣装だったから、着飾る事など一度として無かった。貴婦人らしく装い化粧をしたステレは、輝くような美しさだった。
 しかし、王の称賛を得たにも関わらず、マーシアはわざとらしく「ですが…」と言い出した。

 「鬼人様の美しさを十分に引き出せたと思ったのですが、こうして陛下と並び立っていただくと、私の力の不足を思い知らされました。ですので最後に少々箔を付けさせていただこうかと思います」

 そう言うと、マーシアは自らの左腰に着けた勲章を外し、ステレの同じ位置に付けた。
 もういい加減、王妃の奇行(?)に慣れたと油断したステレが、言葉を失い、思わず首をブンブン振ってしまう程慌てていた。周囲の貴族も一様に驚きの顔をしている。マーキス卿に至っては、引き攣った表情で天を仰いでいた。

 「こ、これは…拝受できません……」
 「あら、陛下とダンスを踊るならこれくらいの箔は必要よ?。それに、これは王国があなたに贈るのでは無いわ、私からあなたに贈るの。王国の叙勲とは何も関係ない事よ」

 マーシアは周囲の貴族に聞かせるように声を高めながら言うと、たすきにかけていたサッシュも外して、戸惑うステレに同じようにかけてしまった。

 紫光錫十字章
 錫十字は、武功以外で王国に多大な貢献をした者に送られる栄誉。紫光章はその最上位である。授与されているのは、王族や大神殿での関係者がほとんどだ。他には他国の王族(文官)や王女が国賓として訪問した際に授与されるものである。王妃は婚姻の際に授与されている。

 「あなたには剣十字章がふさわしいのでしょうけどね、私が出せるのはこれが精一杯。陛下、お認めいただけますでしょうか」
 「無論だ」

 王は口元の緩みを隠し、即決で認めた。なるほど、この手があったか。叙勲者が記章を譲るのなら王国の国是も関係無い。

 「鬼人殿、それは私の妻が友人に送る記章に過ぎない、記念として受け取ってくれ」

 王の言葉は、ステレを納得させるための方便だけでは無かった。グリフ王は、マーシアがあえて勲章を贈った意味を察したからだ。確かに、王国最高の勲章でも今のステレにはなんの価値も無いだろう。だが、思い出に残す事はできるのだ。ステレが共に踊ることを願ったのは、思い出以外に欲しいものが無かったからだ。それに気づいたマーシアは精一杯ステレを着飾り、勲章を渡したのだ。
 鬼人が只人と同じく生きられるその日まで、今日ここであった事を忘れないために。いつの日か古い友人同士として、なんの憚りも無くこの日の出来事を笑って語れる、その日のために。
 どうにかこの想いがステレに届いてくれれば、あるいは…

 あわあわしていたステレは、王の言葉の意味に気付くと我に返って王と王妃の顔を交互に見た。王は「王妃が鬼人に」ではなく「妻が友人に」と言った。その意味は…論功行賞のために栄誉を送りたいのでもなく、ステレを晒し者にしたい訳でも無く…。王妃は本当に、『友人』の晴れ舞台のためだけにこの場を準備してくれたのだ。『亡き友人の娘』に手袋を譲ってくれたシエイラ伯爵夫人と、何も変わりは無かったのだ。

 「さ、気合入れて行ってらっしゃい。陛下があなたを絶対忘れられないようにね」

 マーシアがステレの耳元で囁く。頷いたステレは、一歩進み出て軽く礼をすると、背筋を伸ばしまっすぐにグリフ王の顔を見た。楽団が演奏を始める。ステレとグリフは互いの手を取り、ステップを踏み始めた。
 凡人殿下と呼ばれていたグリフ王は、ダンスが得意という訳でもなかった。だが、王族だけあって踊り慣れていた。これだけ体格が良い女性と踊った経験は無かったが、ステレの歩幅を把握すると、即座に補正してリードを取る。一方のステレは、間違ってもグリフの重心を崩したり、関節を極めたり、足を掛けたりしないようにと気を遣い、冷や汗をかきながら動きに付いて行く。何しろ鬼人は見かけより重いから、うっかり足を踏んだり体を預けたりしただけで大惨事になりかねない。
 だが、そのうちに気が付いた。王は、ほんの僅か体を動かしたり、引く手の力を強くする事で、ステレが動くべき方向へ誘導してくれていた。ステレが気を遣うのは足の運びだけでいいのだ。そしてステレもようやく理解した。組討ちもダンスも、合気である事に変わりは無い。互いに相手の動きと呼吸に合わせればよい。そういう事だと。それからは、グリフもステレも流れのままに身体を動かした。時に、ステレが動きをリードする事もある。もう型通りのダンスからは離れていたが、全く気にしない。最初は硬い表情だった二人が、最後は二人とも笑顔のまま曲の終わりを迎えた。ステレはもう思い出せないが、それは奇しくも両親が踊っていた型破りで情熱的な高速ダンスと同じものだった。
 いささか型から外れたダンスだったが、長身のステレが色鮮やかなタペストリーのドレスをひるがえして踊る様に、多くの貴族から心からの拍手を送った。ステレは王の手を放し一歩下がると、もう生涯でこれ以上は無理だろうという、渾身の淑女の礼を取った。

 これで…もう思い残す事は何もない。

 そう思うと同時に、もう一つの感情が沸き上がって来る。
 自分がもう悲しみの涙を流す事ができないのは、旅の途中で気が付いていた。そして今、歓喜に包まれても…これほど感極まってもやはり涙は一滴も流れないのだ。

 もう私は壊れている…。

 改めてそう思うしか無かった。
 壊れた自分が鬼人の力を御しきれなければ、何が起きるか判らない。女の自分を騎士としてくれた人。鬼人の自分を友人と呼んでくれる人。その治世に、万が一にも瑕疵を残す訳には行かない。
 ステレは、ドレスのまま騎士のように跪いた。

 「陛下、今私はこれ以上無い誉を賜りました。どうか、この誉を胸に御前を離れる事をお許しください」

 グリフ王の表情が一転して曇った。

 「私が…あなたを必要としたならば、戻って来てくれるだろうか?」
 「……私はこの命尽きるまで陛下の騎士にございます」

 グリフ王は、沈鬱な表情で俯いた。このダンスでもステレの心を変える事はできなかった。ステレは直接『是』と答えなかった。嘘を付きたく無かったのだ……。
 自分にできる事はもう何もない。至高の座に着きながら、自分には一人の家臣の心をすくい上げる事すらできなかった。
 王はただ一言「大儀であった」と告げると、力なく玉座に戻った。
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