魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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とある鬼人の戦記 10 人外対人外 4

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 ゴージが斃れるとほぼ同時に、テラスに兵がなだれ込んで来た。室内でも使える短槍と革の鎧の王城の警護兵達だ。列を作って槍を腰に構えたが、それ以上近づこうとはしなかった。倒れたゴージに明らかに動揺している。それほどゴージの強さは圧倒的だと認識されていた。
 その後ろからは、鎖帷子の上に、精緻な装飾を施した胸当てを付け、今では廃れつつある盾を持った護衛騎士達が続く。室内での任務が多いのにかさばる盾を持っているのは、盾と我が身を使って兇刃を防ぐのが彼らの役目だからだ。騎士の半数は剣を抜き、残りの半数は後方で何事か声を上げている。剣を抜いて刺客と相対しようとした騎士達も、やはり信じられないという表情で斃れた剣士を見ていた。
 だが、そんな騒ぎを他所に、ステレは倒れたゴージの前に立ち尽くしていた。

 「ゴージっ!」

 後方での騒ぎの元はブレス王だった。兵を押しのけて出ようとするブレス王を、警護の兵が必死に止めていた。王は逃げなかった。護衛と共に取って返して来た。何者をも遠ざけた王が、ただ一人手元に置いた半身のために。
 人垣の間から血溜まりに倒れたゴージを見た王は、半狂乱で叫んだ。

 「貴様は、貴様はなぜ私から奪う。なぜ私に一つだけ残ったゴージを奪うのだ!」

 ゴージが倒れた瞬間から、呆けたように立ち尽くしていたステレは、その声で我に返ると驚きと感慨を込めて王の顔を見た。

 (あぁそうか……大切な人を喪ったとき、人はこういう顔をするのだ……)

 故郷を炎に包んだ男だが、こういう顔ができるのならば、きっと自分よりはまだマシな人間なのだ。自分は目の前で家臣が次々に死んでも、心が全く動かなくなっていたのだから。
 故郷の復讐のためではなく、人を超えた王国最強の剣士と勝負するためだけに、そんな馬鹿な理由でここまで来たのだから。
 だが、それを言う事はできない。
 今のステレは、『品行方正な鬼人』でなければならないからだ。グリフのために王の首を狙い、大胆にも警戒厳重な王城に単身乗り込んだ剣士でなければならない。

 「……彼は俺を止めようとした。だから斬るしか無かった」

 静かにそう言うと、ステレは冑と頭巾を取る。ここで正体を明かしておく必要があった。口元に巻いていた襟巻をほどくと、斬撃に強いはずの鎖帷子は半ばまで断ち切られ、最後の一巻きでようやく刃を止めていた。鬼人でなければ、防御強化を全開でかけていなかれば、即死していただろう。
 冑の下の真っ赤な髪と角、金色の瞳の美丈夫を見てブレス王は驚愕した。周囲の兵達からもざわめきが広がる。

 「鬼人か!」

 噂に聞くグリフに付いたという鬼人に違いない。まさか戦線を離れて王城に単独で現れるとは思っても居なかった。鬼人が王を襲って手傷を追ったというトキラ達が流した噂は、王の耳に届いていなかった。王は城でそこまで孤立していたのだ。

 「なぜだ。もう何十年と姿を見せていなかったのに、なぜ今更鬼人が出てくる」
 「…鬼人が王国の敵に回る訳じゃあない。けど、あんたは俺の仇となった……あんたも奪ったからその報いを受けるんだ」
 「貴様はカンフレーの縁者か!」

 ステレは沈黙で答えた。まさかカンフレーの者だと言う訳にもいかないが、これ以上嘘に嘘を重ねるのが嫌だった。
 沈黙を「是」と受け取った王の顔に浮かんだのは、以外にも後悔の色だった。もう現世に姿を見せなくなって久しい鬼人を軽視していた事は否めない。王国から鬼人の存在を消すために取り次ぎのカンフレーを潰そうとし、その結果最も信頼する男を失った。それがアルデ卿の陰謀が原因だったとしても。
 全てを覚悟し、思いのまま生きて死んだカーラの態度から、鬼人が意趣返しに来るとは思っていなかった。カンフレーも鬼人も、自分の思いのままに生きる性分で、例えそれが原因で自分の死を招いても納得づくだと見えたからだ。だが、カンフレーに縁がある情の深い鬼人が居るかもしれない事は想定して然るべきだった。全てを遠ざけ、自分一人で決断しなければならない事がこの失態を招いたのだろうか。助言してくれたカーラに従い円卓と。あるいは弟との和解の道を模索するべきだったのだろうか。だが、それを今言っても詮無い事だ。

 「あんたは俺の仇だが、今度は俺が奪ってあんたの仇になった。仇同士って訳だ。どちらかの命が尽きるまでな…」
 「貴様…」

 ブレス王は怒りに目を剥く。
 ステレは言外に『生き残るのはこちらだろうがね』という挑発を込めて言った。王の表情から、後悔と自責の色を感じたからだ。王の怒りを自分に向けねばならない。なんとはなしにそう考えた。それは、怒りをグリフに向けさせないためだけではない。どこにも怒りをぶつけようのない理不尽な死に直面したとき、人はやがては自分を焼き尽くして虚無の闇に落ちてしまうと、のだ。ステレを明確に敵と憎み、怒りの炎を、自分ではなくステレに向けるならば…王はまだ人の領域にとどまっていられる。復讐に捕われた方がマシな事があるのだ。いくら故郷の仇でも、あんな無明の世界に落ちる必要は無い。ステレのどこかがそう思っていた。
 この男は、まだ大切な人の死に涙を流す事ができる人間だ。そして何よりこの男は愛した人の兄なのだから。

 「陛下、どうか盾の後ろへ!」

 今にもステレに飛びかからん勢いの王を抑え、騎士達がブレス王とステレの間に割って入った。剣を抜いた騎士と槍を構える城兵がステレを囲もうとする。
 もう引き時だろう。幸い、膝が多少はしっかりしてきた。ステレはもつれそうな脚を叩き、あらかじめ用意していた逃走ルートに走る。速度を上げ目も眩むテラスの端へ。驚く騎士達を後目にそのままの速度で飛び出す。進退窮まっての自害…などではもちろんない。少しでも躊躇したら届かなかったかもしれない。全速でテラスの手すりを蹴って飛び出したステレは、城壁を超え城の内濠に飛び込んだ。
 すさまじい水しぶきが上がる。通常の二倍の重さの甲冑を着込んだまま、塔の上から濠に飛び込めば、頑丈な鬼人とてただでは済まない。それを助けるために獣人の密偵が予め濠に潜んでいた。一気に水底まで達して、半ば泥にめり込んだ鬼人を、獣人が必死に引っ張り上げる。甲冑はベルトを切り、その場で脱ぎ捨てた。実をいえば、鬼人が水が苦手だ。何しろ身体が浮かないのだ。加えて鎖帷子は脱ぐ余裕が無いから、どうにかして水面に出なければそのまま溺れる。ステレは必死になってブーツを脱ぎ捨てると、泥を蹴ってかろうじて水面に顔を出して息を継いだ。胸いっぱい息を吸っても即座に沈む身体で、水底を半ば走り半ば泳ぐような態勢で濁った濠の中を進む。視界はほとんど無いが、代わりに上から発見される可能性も低い。先導する獣人はどこをどうしているのか、濁った水中でも迷わず先に進んで行く。
 城では大慌ての衛兵が伝令に走るが、最上階のテラスから濠の際までは即座に伝令を伝える事はできない。時間差を生むための無茶苦茶なショートカットを敢行したステレは、どうにか伝わった命令で包囲の輪が閉じる頃には、濠を伝って王都地下に張り巡らされた排水遺構に逃げ込んでいた。

 水から引き上げられたステレは、ようやく大きく呼吸をした。強敵を倒し鬼人の闘争心が薄れると、首の痛みが人間としての意識を呼び戻して行く。打たれた首と飛び込みのダメージは思ったよりも大きく、ステレは立ち上がる事ができない。
 排水遺構で指揮を執っていたトキラは、どうにか五体満足のステレを見て安堵の息を吐いた。

 「よくご無事で…」
 「なんとかね……」
 「首尾はいかがでしたか」
 「……ゴージは倒したが、王には届かなかったよ」
 「あのバケモノ剣士を!」

 トキラが感極まったように叫ぶ。
 獣人の密偵は、暗闇では無類の強さを誇る。その手練れ二人を全く寄せ付けずに倒したゴージへの勝算はそう高くないと考えていた。商会の最強戦力に近い二人を失った事で、もう仇を討つのは無理と諦めていたのだ。ステレは預かり知らない事だが、この時点でステレは商会の仇を討った恩人となっていた。

 「すまない…俺はしばらく動けないと思う……」
 「承知しました。殿下が到着するまで養生してください。皆、頼む」

 簡易担架が作られ、ステレは迷路のような地下道を抜けてアジトにたどり着く事ができた。無論、痕跡は念入りに消してある。わざわざ獣人を王都に入れ、入念な下準備を進めていたからこそ完遂できた襲撃だった。
 鬼人がステレと知った時点でトキラは女性の店員を手配していた。水中を伝って逃げる計画だったから、着替えが必要だと判っていたからだ。ステレは男の介助でも特段気にしないが、心遣いをありがたく受け取って身を任せる。正直、全身がガタガタになっていて、自分でどうにかできる状況では無かった。肝っ玉母さん風のやや小太りの中年女性の店員は、見掛けよりも重いステレを難なく支えて寝台に連れて行き、着替えを手伝い、手足や首の手当をすると、余計な事は何も言わずに部屋を出た。商会の店員は、密偵にしろ使用人にしろ一人一人が恐ろしく教育が行き届いていると感じる。


 しんとした寝台に横になり、ステレはただ天井を見ていた。
 強敵を斃した高揚感や満足感は一切ない。それはそうだ…

 「勝ち…とは言えないな…」

 ぽつりとつぶやく。
 ステレの心は敗北感で打ちのめされていた。
 ゴージが斃れたとき、ステレが呆然としていたのは……。力尽き倒れる間際、ゴージは確かにこう口にしたのだ。

 「まにあった」と。

 致命傷を受けてなお、ゴージは自分の役目を全うしようとし、王の無事に安堵して倒れたのだ。
 ステレは目を閉じる。
 その一言で、ステレはゴージにまったく相手にされていなかった事に気づいた。彼にとってステレは最後まで『王の敵』でしかなかった。自身の生死はゴージの考える勝敗には何らの関係も無い。だから、ステレが生き残りゴージが死んでも、ゴージにとってはそれは敗北ではなかったのだ。
 もちろん、ステレは「勝った」と主張する事ができるだろう。そして、ほとんどの者は生き残ったステレの勝ちと認めるだろう。だが、ステレに取ってはそんなものはなんの意味の無い勝ちだった。戦った相手に自身の敵として認識されないなど、闘争の権化たる鬼人にとってこれ以上無い屈辱だった。
 そして、『只人のステレ』も打ちのめされていた。
 人はゴージを、心の無い人斬り機械とも呼ぶ。どこがだ!。これほど強い想いで戦う剣士など見た事も無い。ステレはゴージに敬意さえ持っていた。
 主を護ることこそが護衛剣士の最大の使命なのだ。彼は心が無いのではない。護衛剣士として最も大切なもの…『主の安全』のために、感情を捨てたのだ。それは、どれだけ人を斬っても心折れぬため。女子供老人の姿をした刺客であろうと、一瞬の躊躇もなく斬るため。そして…万が一にも闘いを愉しまないため。
 どれだけの強い想いが彼をここまでの剣士にしたというのだ。彼こそが、グリフのために人を捨てた自分が目指すべき姿ではなかったのか。
 ……なのに、護衛剣士を目指していた自分が、最も大切なことを忘れ闘争本能のままにゴージに勝負を吹っ掛けに行ったなど、これ以上無様で滑稽な事はない。

 『カンフレーを滅ぼし、弟を殺そうとし、閣僚を遠ざけて独裁をする王』も、『感情を欠片も見せず、無表情で間合いに入ったものをただ斬る男』も、自分よりよほど人間らしい人間だった。
 ステレは、人外の剣士を殺すのであれば、鬼人の最後の仕事として相応しいと勝手に思い込んでいた。どちらかが死ぬか、相討ちになるか。王国からは憂いが…人外が一人か二人減るはずだった。だが、結果は…人外が人を殺しただけだった。

 「ははは……」

 乾いた笑いが声に出る。

 「はは…結局、人外は私一人か…」

 王国の憂いを消さねばならない。ステレはより一層強くそう思った。
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