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とある鬼人の前世(?)7 かくして災厄は王都へ
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カンフレー家討伐部隊の指揮官、ヤウス子爵は苛ついていた。
部隊を預けられた時は、ド田舎のちっぽけな男爵家など一押しに潰せると思っていた。なのにどうだ、もう日が落ちてだいぶ経つのに、未だに手こずっているのだ。
部下は無能ばかりだ。ヤウス卿はそう思っている。何故こんな小勢に手こずるのだ。命を惜しむ臆病者しか居ないのか。輜重も進軍に全く付いてこれないウスノロ揃いと来た。日が落ちてからようやく到着したから、督戦のために弩兵を後方にも配置した。腰の引けた兵を何人か射殺したら、ようやく前進するようになり、道を塞ぐ障壁は短期間で突破できるようになった。やはり自分の指揮が正しいと証明された。輜重がもっと早く着いていれば、もっと短時間で攻略できたに違いない。輜重の長は後で責任を取らせてやる。
障壁を短時間で突破できるようになったものの、兵の損害も増えていた。既に半数以上の兵が何等かの損害を受けている。公爵の寄子の中から選ばれて部隊を任されたというのに、これでは命令を果たしても褒美どころか叱責を受けかねない。なんという無能共だ、私の指揮通りに動けないとは。だが、今更兵を引くなどできるはずもない。カンフレー夫妻の首は、どうしても上げる必要があった。
グリフが屋敷に入ったという報告は受けていた、この抵抗はグリフを逃がすための時間稼ぎだろう。足止めされた時間を考えれば、もはやグリフを捕らえるのは諦めるしか無い。だがヤウス卿は、それは北谷を任されていた連中の失態だから、自分の知ったことではない…と、都合良く考えている。
山道の途中の朽ちかけた小屋が、ヤウス卿の本陣になっていた。
山中に残党が潜んでいることを警戒し、篝火が焚かれ護衛が囲む中に組み立て椅子を設置して、どっかと座っている。ヤウス卿は相変わらず不機嫌なままだ。迎撃の兵と交戦に入ったと連絡があったものの、男爵夫妻の姿は無いという。副官が、『戦い続けている兵は限界で、この暗がりでは捜索もままならない』と兵を下げることを進言してきたから、殴って黙らせた。ヤウス卿からすれば、自分の邪魔をする敗北主義者としか思えない。
イラつきながらワインを呷ろうとした瞬間、隣に立つ護衛がヤウス卿の襟首を掴んで後方に放り投げた。「何を…」と叫んだところで、目の前を通過した何かが鈍い音を立てて小屋の壁に突き立った。篝火の灯りで影を伸ばすそれは、どうやら鋼鉄の棒のように見える。
「お下がり下さい!」
護衛の叫び声と同時に、金属同士がぶつかる音が響いた。ヤウス卿は首をすくめて、悲鳴を上げながら部下の人垣の方に這って行く。
ヤウス卿の護衛長ダンタルは、抜き放った剣で目の前に飛んできた投剣をかろうじて弾いた。もう1本は避け損ね、左の腕に刺さっている。鎧のおかげで傷はそれほど深くないが、篝火しか灯りが無い状況で投剣を見切るのは至難の技だ。
小屋の屋根を飛び越え、二人の人物が降り立っていた。一人は上着を着ておらず、シャツの上に妙なポーチを着けた男、もう一人は長い棒を持ったスカート姿の女だった。暗がりで顔はよく見えないが、棒を持った女が本陣に強襲をかけて来たなら、それはカーラ夫人以外にはあり得ない。
「カーラだ、討ち取れ!」
ダンタルの声で我に返った護衛が剣を抜いた。だがたちまち二人が倒れる。鎧の無い首や顔に投剣が突き立っている。カーラはヤウス卿を狙うつもりのようだ。立ちはだかった護衛が棍で打たれると、肘だろうが手首だろう変な方向に曲がって、悲鳴を上げなら転がる。ダンタルは腕に刺さった投剣を抜き捨てると、横合いからカーラに切りかかった。
シャリンという音と共に剣先が逸らされる。と、同時に棒の反対側が跳ね上がって顔の側面を襲った。ダンタルは身を伏せてかろうじて躱す。そこを隙と見た護衛が二人、後ろからカーラに斬りかかった。だが、カーラが舞うように身体を捻り棍を振るうと、首をあらぬ方向に向けて二人とも崩れ落ちる。
ダンタルの背中を冷や汗が流れた。
(なんだ、この棒術は)
女の細腕で振るわれる棍など、鎧で受け止めて組み伏せてやると思っていた。とんでもない。あの棍は当たれば即死の武器と思わねばダメだ。
ダンタルは部下に命じて呼子を吹かせた。手練だが所詮は二人、数で押し潰せばどうとでもなる。だが、集まってくる兵は思ったより少ない。その頃前線では、ほとんど死兵と化したカンフレー兵たちが、王国兵を釘付けにしていたのだ。
護衛の多くは男の投剣とカーラの棒術で既に倒されてしまった。ダンタルは痛む左腕にも剣を拾うと、カーラに斬りかかる。
(防ぎきれないか)
そう思うダンタルの視界の端に、前線から駆けつけた兵が見えた。……弩兵だ。
「こちらに構うな、そのまま撃て」
必死のダンタルが叫ぶ。
弩兵は味方を巻き込むことを躊躇したが、もう一度「撃て」と命じられると、横一列になって構えた。何人かの兵が投剣で倒れるが、残りの兵が一斉に射撃する。その太矢をクリークスは抜き放った二振りの小剣で叩き落とした。
弩兵は隊列を入れ替え、装填済みの二列目が前に出た。クリークスは右手の小剣を投げつけて一人を倒すと、空いた右手で投剣を撃ち込んで弩兵を倒す。放たれた太矢は、カーラに当たりそうなものだけ弾き飛ばした。
(絶え間なく射撃にさられたら防ぎきれない)
クリークスは無理をしても弩兵を全滅させると決心した。
一方のカーラは、ダンカルに阻まれヤウスを討つことができないでいた。ダンタルは剣技も身体強化もかなりのもので、そんな男が防御に徹しているのでなかなか打ち崩せない。そもそも、ヤウス卿が味方撃ちをしても無事でいられるのは、ダンタルが護衛として付いて居るからなのだ。彼はそれほど恐れられていた。
カーラはちらりと背後を見た。弩兵が駆けつけている、時間はダンタルの味方だ。時間をかけるほど不利になる、急がなければ。その焦りが棍を大振りさせた。
……ように見せた。ついに見つけた隙に必殺の反撃を入れようとしたダンタルは、カーラが既に身を引いているのを呆然と見た。途端に景色がぐるりと回る。頚椎を粉砕されたダンタルの意識はそこで途切れた。
「いやだねぇ、歳は取りたくないよ…」
後ろからかすれた声が聞こえる。
棍を投げ捨てたカーラは、駆け寄ると崩れ落ちるクリークスを後ろから支えた。胸と腹に4本の太矢が刺さっている。
「若い頃なら全部叩き落せたのにな」
苦笑しながら言った。もう助からないと判っていた。
二人を狙っていた弩の兵は、全員が投剣を受けて倒れていた。矢を弾き落としながらも、弩兵を殺すことを優先にして、カーラへの矢を身体で受け止めたのだ。
クリークスの身体から急速に熱が失われていく。
クリークスは目を閉じ、再び開くと口調が全く変わっていた。
「お館様、最後までお供できず申し訳ございませ…」
言いかけた口をカーラの唇が塞ぐ。カーラの口中に鉄錆の味が広がったが、そのまま唇を重ねる。クリークスは、驚いた眼でカーラを見つめていた。
クリークス卿は、庶民の出だという噂意外、出自は謎のままだった。
彼は当主であるカーラの家臣であり、護衛の一人だったのである。武技は抜群で頭も回り、幼馴染という付き合いをしていたこともあって、カーラには彼以上の男は見つけられなかった。だから、無理をしてキブト王に直訴した。忠誠の証として、カンフレー家の婚姻は王に権限がある。王には円卓から既にカンフレー家へ斡旋する養子の名が届いていたが、カーラがクリークスの出自と彼と結婚したい旨を正直に話すと、これ以上無い程面白がって結婚を認めてくれた。王はクリークスに何度も「幼馴染…身分差…羨ましい、もげろ」と呪うように言っていたが、幸いにもげずにステレを…好きな男の子供を産むことができた。
だが、結婚してからもクリークスはカーラを主として接しようとした。だからカーラは、『偽装結婚がバレないように、ちゃんと夫らしくしなさい』と命じたのだ。以降、クリークスはそれを忠実に守っていた。
致命傷を悟ったクリークスは、最後に家臣に戻って別れを告げようとしたのだ。
なんてバカなんだこの男は。
カーラは憤る
なんてバカなんだこの男は、偽装結婚なら子供など作る訳が無いだろ。
なんてバカなんだこの男は、私がどれほど愛しているか、気付かなかったのか?
なんてバカなんだこの男は、自分が家臣として死ねば、私が何も感じないとでも思ったのか?。
そんなはず無い。
クリークスほどカーラを理解している者は、この世に居ない。
それでも、言わずに居られなかったのだ、カーラを愛していたから。自分の死を越えて生きて欲しかったのだ。
判っていた。
そんな男だから、カーラはクリークスが好きで好きでたまらなかったのだ。
抜け落ちようとする命を繋ぎ止めようとするかの如く、カーラは抱きしめる腕に力を込める。
「ありがとう、クリークス」
長い口づけのあと、血まみれの顔でカーラが言った。
クリークス卿は僅かに微笑み、「ありがとう、カーラ」とだけ言い残して事切れた。
カーラはクリークスの身体をそっと横たえると、ゆっくりと立ち上がる。
棍も手にせず敵陣に向かうと、派手な軍服の男が片手剣を抜いて前に出てきた。二人の部下らしい男が、カーラを左右から押さえつけるために近づいて来る。
「ようやく観念したか、謀反人め。討伐隊長のヤウス子爵が謀反人の首を……」
最後まで言い終わらないうちにカーラのスカートが翻ると、ヤウス卿と部下二人の頭は石畳に落とした瓜のように木っ端微塵に吹っ飛んだ。
へたり込んでいた生き残りの王国兵から悲鳴が上がる。
何があったのか全く判らなかった。蹴りの間合いにはまだ遠かったはずなのに。
カーラは、呆れ果てたように倒れた男を見る。無為に兵を前進させるだけで、素手の女一人が出てくるまで隠れていたこの男が指揮官?。クリークスは、指揮官が戦慣れしてるか、頭がオカシイと言っていたが、後者だったようだ。この男は、配下が将棋の駒にしか見えないのだろう。
カーラはヘタリ込んでいる男の一人に近づいた。軍服が派手だから、この男も指揮官の一人なのだろうと当たりを付けた。この男はヤウス卿の副官だった。生き残りの中では最も高位の士官になる。
「なんとお呼びすればよろしいのかしら?」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ」
要領を得ない声を上げて後ずさろうとする男に、カーラは怒るでもなく優しく繰り返した。
「お名前はなんとお呼びすればよろしいのかしら?」
「わ、わ、わ、私はっ、王国騎士トリフランであります、マム!」
トリフランはガクガク震えたまま、敬称と敬礼付きで名乗る。
「では騎士トリフラン様、私を陛下の所に連れて行ってもらえるかしら」
「は、はいぃ?」
予想もしていなかった言葉に、トリフランは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「陛下の所に連れて行って欲しいと申し上げているのですよ?今回の陛下のなさりようは、何か我々に対する誤解が原因だと思えるのです。ですから、私に直接弁明をさせていただきたいのです」
「そ、そんなこと、私の一存では…」
「あら、できないとおっしゃるのなら、貴方で無くても結構ですよ。できる方にお願いするだけですから」
「ひぃいいい」
言外に『出来なきゃ殺す』と言われた気がして、トリフランは悲鳴を上げた。
キブト王がクリークスとの結婚を認めたのは、ただ面白かったからだけではない。円卓の推す結婚相手を退けたのは、円卓が…アルデ卿が、カンフレー男爵に鬼人への指揮権があると思っていたからだ。バカバカしい話だ。それができるのはカンフレー家当主であって、カンフレー男爵では無いというのに。カンフレー家と王家の間の忠誠の形は、他の貴族とは違う。キブト王はそれを正しく理解していた。それだけでも忠誠を捧げるに値する王だった。そんなキブト王はもう居ない。クリークスも居なくなった。ステレは自分で道を見つけなければならない。もう未練は何も無いが、キブト王の息子には二人とも助言を送ってから行こう。それがカンフレーを理解してくれた王への礼だ。
カーラはきょろきょろと辺りを見渡すと、小屋の軒下から、じゃらじゃらとサビた鎖を引っ張り出してきた。端の輪を指先でパキっと捻り開けてしまった。そのまま腰にぐるぐると巻き付けると、途中の輪に噛ませてまた難なく輪を閉じてしまう。そして適当な長さを残すと、その先の余った鎖を簡単に引きちぎってしまった。
「はい、どうぞ」
鎖を渡されたトリフランは、自分の握る鎖が正真正銘鉄製であることを確かめると、悲鳴を上げて放り投げた。なぜ、鎖の輪が素手で簡単に開いたり閉じたりするのだ?。
「あらあら、駄目じゃないですか、罪人の腰縄はきちんと持たくちゃ」
カーラは鎖を拾うと、トリフランの手を優しく取り、その左手首に鎖を巻きつけて輪を繋いでしまった。
トリフランはカーラと自分の手首を何度も交互に見る。その顔は蒼白で、脂汗がだらだらと流れている。この鎖で繋がっているということは、上官の頭を吹き飛ばした見えない攻撃の殺傷範囲に居るということなのだ。
「大丈夫ですよ、ちゃんと陛下の所まで連れて行ってくれるなら何もしませんから」
そう言って微笑むカーラの笑顔は、どこか作り物じみていた。
この日、謀反の嫌疑により追討を受けた王弟グリフは、付き従う手勢と共にクヴァルシル公国へと亡命した。
そして、謀反に加担した上グリフの逃亡を手助けしたとして、カンフレー男爵家は廃絶となった。勅使に抵抗したクリークス卿は誅殺され、カーラ夫人は捕縛の上王都に送られた…と、記録には残されている。
部隊を預けられた時は、ド田舎のちっぽけな男爵家など一押しに潰せると思っていた。なのにどうだ、もう日が落ちてだいぶ経つのに、未だに手こずっているのだ。
部下は無能ばかりだ。ヤウス卿はそう思っている。何故こんな小勢に手こずるのだ。命を惜しむ臆病者しか居ないのか。輜重も進軍に全く付いてこれないウスノロ揃いと来た。日が落ちてからようやく到着したから、督戦のために弩兵を後方にも配置した。腰の引けた兵を何人か射殺したら、ようやく前進するようになり、道を塞ぐ障壁は短期間で突破できるようになった。やはり自分の指揮が正しいと証明された。輜重がもっと早く着いていれば、もっと短時間で攻略できたに違いない。輜重の長は後で責任を取らせてやる。
障壁を短時間で突破できるようになったものの、兵の損害も増えていた。既に半数以上の兵が何等かの損害を受けている。公爵の寄子の中から選ばれて部隊を任されたというのに、これでは命令を果たしても褒美どころか叱責を受けかねない。なんという無能共だ、私の指揮通りに動けないとは。だが、今更兵を引くなどできるはずもない。カンフレー夫妻の首は、どうしても上げる必要があった。
グリフが屋敷に入ったという報告は受けていた、この抵抗はグリフを逃がすための時間稼ぎだろう。足止めされた時間を考えれば、もはやグリフを捕らえるのは諦めるしか無い。だがヤウス卿は、それは北谷を任されていた連中の失態だから、自分の知ったことではない…と、都合良く考えている。
山道の途中の朽ちかけた小屋が、ヤウス卿の本陣になっていた。
山中に残党が潜んでいることを警戒し、篝火が焚かれ護衛が囲む中に組み立て椅子を設置して、どっかと座っている。ヤウス卿は相変わらず不機嫌なままだ。迎撃の兵と交戦に入ったと連絡があったものの、男爵夫妻の姿は無いという。副官が、『戦い続けている兵は限界で、この暗がりでは捜索もままならない』と兵を下げることを進言してきたから、殴って黙らせた。ヤウス卿からすれば、自分の邪魔をする敗北主義者としか思えない。
イラつきながらワインを呷ろうとした瞬間、隣に立つ護衛がヤウス卿の襟首を掴んで後方に放り投げた。「何を…」と叫んだところで、目の前を通過した何かが鈍い音を立てて小屋の壁に突き立った。篝火の灯りで影を伸ばすそれは、どうやら鋼鉄の棒のように見える。
「お下がり下さい!」
護衛の叫び声と同時に、金属同士がぶつかる音が響いた。ヤウス卿は首をすくめて、悲鳴を上げながら部下の人垣の方に這って行く。
ヤウス卿の護衛長ダンタルは、抜き放った剣で目の前に飛んできた投剣をかろうじて弾いた。もう1本は避け損ね、左の腕に刺さっている。鎧のおかげで傷はそれほど深くないが、篝火しか灯りが無い状況で投剣を見切るのは至難の技だ。
小屋の屋根を飛び越え、二人の人物が降り立っていた。一人は上着を着ておらず、シャツの上に妙なポーチを着けた男、もう一人は長い棒を持ったスカート姿の女だった。暗がりで顔はよく見えないが、棒を持った女が本陣に強襲をかけて来たなら、それはカーラ夫人以外にはあり得ない。
「カーラだ、討ち取れ!」
ダンタルの声で我に返った護衛が剣を抜いた。だがたちまち二人が倒れる。鎧の無い首や顔に投剣が突き立っている。カーラはヤウス卿を狙うつもりのようだ。立ちはだかった護衛が棍で打たれると、肘だろうが手首だろう変な方向に曲がって、悲鳴を上げなら転がる。ダンタルは腕に刺さった投剣を抜き捨てると、横合いからカーラに切りかかった。
シャリンという音と共に剣先が逸らされる。と、同時に棒の反対側が跳ね上がって顔の側面を襲った。ダンタルは身を伏せてかろうじて躱す。そこを隙と見た護衛が二人、後ろからカーラに斬りかかった。だが、カーラが舞うように身体を捻り棍を振るうと、首をあらぬ方向に向けて二人とも崩れ落ちる。
ダンタルの背中を冷や汗が流れた。
(なんだ、この棒術は)
女の細腕で振るわれる棍など、鎧で受け止めて組み伏せてやると思っていた。とんでもない。あの棍は当たれば即死の武器と思わねばダメだ。
ダンタルは部下に命じて呼子を吹かせた。手練だが所詮は二人、数で押し潰せばどうとでもなる。だが、集まってくる兵は思ったより少ない。その頃前線では、ほとんど死兵と化したカンフレー兵たちが、王国兵を釘付けにしていたのだ。
護衛の多くは男の投剣とカーラの棒術で既に倒されてしまった。ダンタルは痛む左腕にも剣を拾うと、カーラに斬りかかる。
(防ぎきれないか)
そう思うダンタルの視界の端に、前線から駆けつけた兵が見えた。……弩兵だ。
「こちらに構うな、そのまま撃て」
必死のダンタルが叫ぶ。
弩兵は味方を巻き込むことを躊躇したが、もう一度「撃て」と命じられると、横一列になって構えた。何人かの兵が投剣で倒れるが、残りの兵が一斉に射撃する。その太矢をクリークスは抜き放った二振りの小剣で叩き落とした。
弩兵は隊列を入れ替え、装填済みの二列目が前に出た。クリークスは右手の小剣を投げつけて一人を倒すと、空いた右手で投剣を撃ち込んで弩兵を倒す。放たれた太矢は、カーラに当たりそうなものだけ弾き飛ばした。
(絶え間なく射撃にさられたら防ぎきれない)
クリークスは無理をしても弩兵を全滅させると決心した。
一方のカーラは、ダンカルに阻まれヤウスを討つことができないでいた。ダンタルは剣技も身体強化もかなりのもので、そんな男が防御に徹しているのでなかなか打ち崩せない。そもそも、ヤウス卿が味方撃ちをしても無事でいられるのは、ダンタルが護衛として付いて居るからなのだ。彼はそれほど恐れられていた。
カーラはちらりと背後を見た。弩兵が駆けつけている、時間はダンタルの味方だ。時間をかけるほど不利になる、急がなければ。その焦りが棍を大振りさせた。
……ように見せた。ついに見つけた隙に必殺の反撃を入れようとしたダンタルは、カーラが既に身を引いているのを呆然と見た。途端に景色がぐるりと回る。頚椎を粉砕されたダンタルの意識はそこで途切れた。
「いやだねぇ、歳は取りたくないよ…」
後ろからかすれた声が聞こえる。
棍を投げ捨てたカーラは、駆け寄ると崩れ落ちるクリークスを後ろから支えた。胸と腹に4本の太矢が刺さっている。
「若い頃なら全部叩き落せたのにな」
苦笑しながら言った。もう助からないと判っていた。
二人を狙っていた弩の兵は、全員が投剣を受けて倒れていた。矢を弾き落としながらも、弩兵を殺すことを優先にして、カーラへの矢を身体で受け止めたのだ。
クリークスの身体から急速に熱が失われていく。
クリークスは目を閉じ、再び開くと口調が全く変わっていた。
「お館様、最後までお供できず申し訳ございませ…」
言いかけた口をカーラの唇が塞ぐ。カーラの口中に鉄錆の味が広がったが、そのまま唇を重ねる。クリークスは、驚いた眼でカーラを見つめていた。
クリークス卿は、庶民の出だという噂意外、出自は謎のままだった。
彼は当主であるカーラの家臣であり、護衛の一人だったのである。武技は抜群で頭も回り、幼馴染という付き合いをしていたこともあって、カーラには彼以上の男は見つけられなかった。だから、無理をしてキブト王に直訴した。忠誠の証として、カンフレー家の婚姻は王に権限がある。王には円卓から既にカンフレー家へ斡旋する養子の名が届いていたが、カーラがクリークスの出自と彼と結婚したい旨を正直に話すと、これ以上無い程面白がって結婚を認めてくれた。王はクリークスに何度も「幼馴染…身分差…羨ましい、もげろ」と呪うように言っていたが、幸いにもげずにステレを…好きな男の子供を産むことができた。
だが、結婚してからもクリークスはカーラを主として接しようとした。だからカーラは、『偽装結婚がバレないように、ちゃんと夫らしくしなさい』と命じたのだ。以降、クリークスはそれを忠実に守っていた。
致命傷を悟ったクリークスは、最後に家臣に戻って別れを告げようとしたのだ。
なんてバカなんだこの男は。
カーラは憤る
なんてバカなんだこの男は、偽装結婚なら子供など作る訳が無いだろ。
なんてバカなんだこの男は、私がどれほど愛しているか、気付かなかったのか?
なんてバカなんだこの男は、自分が家臣として死ねば、私が何も感じないとでも思ったのか?。
そんなはず無い。
クリークスほどカーラを理解している者は、この世に居ない。
それでも、言わずに居られなかったのだ、カーラを愛していたから。自分の死を越えて生きて欲しかったのだ。
判っていた。
そんな男だから、カーラはクリークスが好きで好きでたまらなかったのだ。
抜け落ちようとする命を繋ぎ止めようとするかの如く、カーラは抱きしめる腕に力を込める。
「ありがとう、クリークス」
長い口づけのあと、血まみれの顔でカーラが言った。
クリークス卿は僅かに微笑み、「ありがとう、カーラ」とだけ言い残して事切れた。
カーラはクリークスの身体をそっと横たえると、ゆっくりと立ち上がる。
棍も手にせず敵陣に向かうと、派手な軍服の男が片手剣を抜いて前に出てきた。二人の部下らしい男が、カーラを左右から押さえつけるために近づいて来る。
「ようやく観念したか、謀反人め。討伐隊長のヤウス子爵が謀反人の首を……」
最後まで言い終わらないうちにカーラのスカートが翻ると、ヤウス卿と部下二人の頭は石畳に落とした瓜のように木っ端微塵に吹っ飛んだ。
へたり込んでいた生き残りの王国兵から悲鳴が上がる。
何があったのか全く判らなかった。蹴りの間合いにはまだ遠かったはずなのに。
カーラは、呆れ果てたように倒れた男を見る。無為に兵を前進させるだけで、素手の女一人が出てくるまで隠れていたこの男が指揮官?。クリークスは、指揮官が戦慣れしてるか、頭がオカシイと言っていたが、後者だったようだ。この男は、配下が将棋の駒にしか見えないのだろう。
カーラはヘタリ込んでいる男の一人に近づいた。軍服が派手だから、この男も指揮官の一人なのだろうと当たりを付けた。この男はヤウス卿の副官だった。生き残りの中では最も高位の士官になる。
「なんとお呼びすればよろしいのかしら?」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ」
要領を得ない声を上げて後ずさろうとする男に、カーラは怒るでもなく優しく繰り返した。
「お名前はなんとお呼びすればよろしいのかしら?」
「わ、わ、わ、私はっ、王国騎士トリフランであります、マム!」
トリフランはガクガク震えたまま、敬称と敬礼付きで名乗る。
「では騎士トリフラン様、私を陛下の所に連れて行ってもらえるかしら」
「は、はいぃ?」
予想もしていなかった言葉に、トリフランは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「陛下の所に連れて行って欲しいと申し上げているのですよ?今回の陛下のなさりようは、何か我々に対する誤解が原因だと思えるのです。ですから、私に直接弁明をさせていただきたいのです」
「そ、そんなこと、私の一存では…」
「あら、できないとおっしゃるのなら、貴方で無くても結構ですよ。できる方にお願いするだけですから」
「ひぃいいい」
言外に『出来なきゃ殺す』と言われた気がして、トリフランは悲鳴を上げた。
キブト王がクリークスとの結婚を認めたのは、ただ面白かったからだけではない。円卓の推す結婚相手を退けたのは、円卓が…アルデ卿が、カンフレー男爵に鬼人への指揮権があると思っていたからだ。バカバカしい話だ。それができるのはカンフレー家当主であって、カンフレー男爵では無いというのに。カンフレー家と王家の間の忠誠の形は、他の貴族とは違う。キブト王はそれを正しく理解していた。それだけでも忠誠を捧げるに値する王だった。そんなキブト王はもう居ない。クリークスも居なくなった。ステレは自分で道を見つけなければならない。もう未練は何も無いが、キブト王の息子には二人とも助言を送ってから行こう。それがカンフレーを理解してくれた王への礼だ。
カーラはきょろきょろと辺りを見渡すと、小屋の軒下から、じゃらじゃらとサビた鎖を引っ張り出してきた。端の輪を指先でパキっと捻り開けてしまった。そのまま腰にぐるぐると巻き付けると、途中の輪に噛ませてまた難なく輪を閉じてしまう。そして適当な長さを残すと、その先の余った鎖を簡単に引きちぎってしまった。
「はい、どうぞ」
鎖を渡されたトリフランは、自分の握る鎖が正真正銘鉄製であることを確かめると、悲鳴を上げて放り投げた。なぜ、鎖の輪が素手で簡単に開いたり閉じたりするのだ?。
「あらあら、駄目じゃないですか、罪人の腰縄はきちんと持たくちゃ」
カーラは鎖を拾うと、トリフランの手を優しく取り、その左手首に鎖を巻きつけて輪を繋いでしまった。
トリフランはカーラと自分の手首を何度も交互に見る。その顔は蒼白で、脂汗がだらだらと流れている。この鎖で繋がっているということは、上官の頭を吹き飛ばした見えない攻撃の殺傷範囲に居るということなのだ。
「大丈夫ですよ、ちゃんと陛下の所まで連れて行ってくれるなら何もしませんから」
そう言って微笑むカーラの笑顔は、どこか作り物じみていた。
この日、謀反の嫌疑により追討を受けた王弟グリフは、付き従う手勢と共にクヴァルシル公国へと亡命した。
そして、謀反に加担した上グリフの逃亡を手助けしたとして、カンフレー男爵家は廃絶となった。勅使に抵抗したクリークス卿は誅殺され、カーラ夫人は捕縛の上王都に送られた…と、記録には残されている。
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