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ウルスからの使者4
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驚いたドルトンはテンゲンの表情を読み取ろうとした。テンゲンの表情には揺らぎも曇りも無い。…いや、それこそが死を覚悟したからこそか。
「先程、取引の口添えはいたしかねると申したが、ドルトン殿を信用しておらぬ訳ではござらん。ただ、果たせぬ約束ができないだけでござる」
テンゲンは静かに言うと頭を下げた。
「いったい何故…」
「某は、腰の剣を一度は差し出し申した。その事実は我が主には包み隠さず報告する所存」
「不名誉な生より名誉の死ですか」
「隠しだて出来ぬのでござるよ。郎党の幾人かは、一族の他派に通じておりましてな。もちろん、某の息のかかった者が他派にも仕えております。こうせねばかえって一族が割れる元となるのです。某が話さずとも御屋形様の耳には入るでござろう。もし自裁を命じられれば、それに従うつもりにござる」
一度自分の命を差し出しておきながら、前言を翻した。それは諸侯国の武人には不名誉となるのだろう。
役目を果たして帰国しても、死を命じられる。そんな理不尽がまかり通るのが諸侯国だと、ステレもドルトンもようよう理解した。
「心配りを頂いた鬼人殿に何も返せぬのは心残りゆえ、せめてご所望の話くらいは某の口から伝えたく…」
「納得できる話が聞かせてもらえると思ったら、その前に納得できない話を聞かされるとは思いませんでした」
「ウルスの武士の倣い故、気になされるな」
精一杯の皮肉もさらりと返された。結局のところは彼らの習慣なのだ、ステレがどれだけ頑張ろうと、テンゲンが覚悟を決めてしまった以上覆すことは難しい。割り切れない気持ちを抱えつつも、ステレはおとなしく席に着いた。
「さて、まず順を追って、我がウルスの風習から説明せねばなりますまい」
そう断ると、テンゲンは諸侯国での弔いについての話を始めた。
彼らは、元が定住せず遊牧する民だったので、一族累代の墓地のようなものは持たなかった。それはまた、死者の安寧を願うためでもあった。彼らは、平原で生まれ平原に還ることを望んでいた。そして、部族同士の争いが四六時中起きていたから、立派な墓など作っても、敵対する部族に荒らされる可能性が高かったのだ。彼らが最も恐れるのは、平原に還れぬこと…死骸を焼かれ、灰を川に流されることだった。だから、死者は皆草原のどこかに塚も石も建てずに埋められる。一族の首長ともなると、秘密裏に魔法で地下に埋葬するので、一族ですら墓の場所は知らない。祖先の礼拝は、持ち運べる厨子で行うし。それも持てぬ貧しい者は、大地に触れ、大地を祭壇として祖先を祀る。それで十分なのだという。
「墓に入れるのは、遺愛の品のみ。欲に駆られた墓荒らしを呼び込まぬためにござる。それが知られており、今まで墓が荒らされたことは無かったのですが…、数年前、滅多に振らない長雨によって平原に僅かの間川ができましてな、不運なことに、流れに削られた丘の地下から棺が露わとなってしもうたのでござる。気づいたときには墓は何者かに暴かれたあとで、剣の収められていたとされる魔銀の箱がなくなっており申した。そうと判ったのは、墓誌が収められていたからで、その墓の主は、我らが一族中興の祖とされる<呑月候>エン・カラハルであり、墓から持ち去られたのは、呑月候の名誉の剣なのです」
そこまで言って、テンゲンは茶を口にする。
「あの長剣が名誉の剣ですと?」
「左様」
「しかし、名誉の剣は肌身離さず身につけるとか、いくらなんでもあの剣は大きすぎるのでは」
「エン・カラハルは身の丈7リク(約2m以上)という偉丈夫で、月を呑み込んで月食を起こすという巨大な天狼の伝承から、呑月候と呼ばれており申した。とはいえ、さすがにあの太刀を名誉の剣として上宮には持ち込めぬ。呑月候は上宮では木刀を挿していたとのこと」
なんとも剛毅な話である。建前上、上宮には部族間の諍いは持ち込めぬとはいえ、実際に名誉の剣で斬り殺された例がある。自分も破滅することを覚悟するなら、無防備の相手を容易に刺殺できるのだから。
「そして、刀ですな。平原の続くウルスでは木材が乏しく、鍛冶仕事に不可欠の木炭も高価。鋼の刀は良質の炭を大量に使うため、財産としての価値もあり、上出来の刀には『号』と呼ばれる名前を付けて愛好し申す。刀ですから、何其れを斬ったという名付けが多いのですが……あぁ確か『鬼人切』と号された刀もあり申した」
ステレを見て、にっと笑って見せた。
「本当に鬼人を斬ったのなら、使い手には一手ご指南願いたいわね」
ステレは不機嫌な表情のまま返す。どうやらテンゲンは場を和ませようとして失敗したらしい。
「…号が付くような名品を打ち上げる鍛冶師は、クヴァルシルの名匠の如く名を称えられ申す。呑月候の時代、随一の名人と謳われたのが、ギコウという名の刀鍛冶でござる。ギコウは晩年、手に入る限り最上の鋼を選別し、自分の技量を全て注いで刀を一振りを打ち上げ申した。老鍛冶は打ち上がりに満足すると、他の者に同じ剣を望まれることを嫌い、自らの右手を火床に突き入れて焼いてしまったと言われており申す。それがあの刀にござる。ギコウは打ち上がった刀だけを持って、そのまま隠遁してしもうたとのこと」
ギコウが最後の刀を世に出さなかったのは理由があった。
名人ギコウの刀は、美しいだけでなく、頑丈で切れ味も兼ね備えていた。贈答にも実戦にも多く使われた。だが、とある家の当主の手に渡った刀は、敵に内通したと疑い家老をしていた叔父を斬ったので『家老切』と号されることとなる。また、とある部族の嫡男が所持していた刀は、後継者争いの末に次男が分捕り、元の持ち主を斬るのに使われたので『長兄切』と号されることとなった。そんな不吉な逸話が重なり、いつしか『ギコウの刀は身内を斬る妖刀』『不幸の剣』と恐れられ、出来映えと裏腹に避けられるようになってしまっていたのだ。
それを所望したのが、成人を迎えたばかりで怖いもの知らずの呑月候である。ギコウが会心の作を持って隠遁したと聞くと、わざわざギコウの元に出向き、刀を強引に取り上げた。
ギコウは当主嫡男である呑月候相手にすら抗った。
「儂の刀は因果を呼ぶ。敵を斬れば因果が返り、一族を斬ることになる。だから儂の刀は使えぬ。使えぬ刀になんの意味もないから、もう刀を打つ気は無かった。だが、儂の腕がどれほどの域に達したかは、刀を打たねば判らぬ。だから最後の一振りを打った。この刀は決して使わず、儂が墓まで持っていく」
だが、呑月候は譲らなかった。因果や呪いなど鼻で笑っている。生きた人間の方がよほど怖いと知っているのだ。
「なるほどこの刀は古今無双の業物よ、だが先の世まで無双かと言えば、それは誰にも判らぬ。翁よ、弟子を育てよ。この太刀を超える物が打ち上がったら持って来い、さすればそれと引き換えに返してやるぞ」
そう笑って、ギコウの前に黄金を積み上げた。それは打ち上げた刀を忌み嫌われ、零落していたギコウの家を立て直すのに余りある金だった。
「翁よ、この刀は儂の名誉の剣としよう。儂はこの通りの身体だから、お前の刀でなければ死ねる気がせぬ。儂はこの刀で敵も味方も斬るつもりは無いぞ。無論儂自身もな。この刀は儂と共に有り、儂と共に平原の土に還るだろう。それでどうだ?」
そこまで言われてはギコウもうなずくしか無かった。何より、呑月候は見向きもされなくなっていた自分の技を、刀を、認めてくれた男なのだから。
呑月候の援助を受けたギコウは、人生の最後に刀ではなく弟子を鍛え上げ、ギコウに並ぶ技量の鍛冶も輩出したが、ついに刀を取り返しには行くことは無かったという。
呑月候は戦でも決闘でも一度も敗北したことはなく、エン一族はウルスで五指に数えられる大家となった。だが、呑月候が最も得意としたのは実は調略だった。惜しみなく金を使って周辺部族を侵食していきながら『金も刀も使わん方がいいわい』と嘯いていたという。無駄に戦い家臣を磨り潰すのが、結局一番金がかかることに気づいていたのだ。
呑月候が死したのちは、その遺志通り、刀も一緒に埋葬されたのだった。
「あの刀は、誰の血も流してはならぬのでござる。もし、鬼人殿と争うこととなり、あの刀を向けられたら、我らは手出しが出来ぬ。事実は伏し、交渉でお譲りいただくしか無かった。幸いにして、持ち去られた後も誰も斬っていないとのこと。国許に持ち帰れば貪月候の棺に納め、別の場所に改葬されることになっており申す」
ステレもドルトンもようやく合点がいった。埋めるための刀に銀貨3万枚を払うというのは無駄な金に思えるが、目に見えるものだけが価値ではないことは、ステレもドルトンも知っている。
だが、ステレの心は晴れない。話し終えたテンゲンは、もう思い残すことは無いという顔をしている。ステレにはそれがどうにも気に入らなかった。やりたいことをやり切り、この先自分の命が無くなっても何ほどのことも無い。そう思っている。
……それはまるで……
「……ところで、テンゲン様のお国には、魔人の伝承はおありで?」
「む?魔人でござるか?もちろんありますとも。だいたい、どこの一族でも魔人を倒した<英雄王>キを祖先と称しておりますからな。<魔人切>という号の刀もありますぞ。<竜鱗切>と並んで、かなりの古刀なので、真偽不明ということになってござるが」
突然出てきた魔人の話題を訝しんだものの、何故かステレが表情を和らげていたこともあって、テンゲンは世間話に応じるように気軽に答えた。
「私は、王国の北にある魔の森に住んでいるのですが、実はそこには魔人も居るんですよ。本物の生きた魔人が。私が仕合う相手というのはその魔人なのです」
「そ、それは誠にござるか?」
テンゲンが驚愕した表情で食いついて来た。
横で聞いているドルトンは、口こそ挟まないものの、内心では困惑極まっている。魔の森に魔人が住んでいるのは極秘事項になっているのだ。都市を亡ぼすようなバケモノが国内に潜んでいると公になったら、間違いなくパニックが起きる。それを他国人に話してしまうとは…。
「鬼人殿は武器を折られたと申しておったが、魔力は山をも砕くと言われる魔人と勝負して、武器を折られるだけで済んだと?」
「それが、その魔人は魔法は使わず、己の拳で勝負すると言っているのですよ。それなのに、もう数百年も無敗だそうです。私が勝負したときも確かに魔法は使いませんでしたが、素手の魔人に武器を砕かれ、私も死にかけました」
「なんと…なんと…」
テンゲンが、信じられないという表情でステレを見、手許を見、天井を見上げ、またステレを見る。
「どうですか、テンゲン様も一つ腕試しに」
「願ってもない、是非とも手合わせいたしたい」
即答したところで思い返えし、視線を落とした。覚悟を決めた身でこのような約束をして良いものか…。国許へ帰らぬ訳にはいかない。刀を持ち帰ってこそ役目を果たしたと言える、その前に逐電はできない。ならば、死の前にせめて魔人との立会を、役目を果たした褒美に強請るしか無いか…、
「きっと…きっと参りますぞ」
顔を上げたテンゲンは明言した。主命で死すのが武士の本懐だが、伝説の存在と仕合って死ぬなら剣士の本懐である。テンゲンは武士であるが、剣士でもあるのだから。
テンゲンの決意を見たステレは、内心で安堵の息を吐いた。戦国の気風の残る国の剣士ならば、伝説の魔人と聞いて心動かないはずがない。
本当に……アイツは、剣士の死と生をひっくり返してくれる…。
「されど、如何にして挑めば良いのやら。魔人は某如きの勝負を受けてくれましょうや?」
「魔人の住む地には岩に囲まれた広場があり、そこにたどり着けば魔人は誰とでも勝負します。魔人は、挑む者は拒まず、去る者は追わず、のようです」
「去る者は追わず…とは?」
「広場を出れば闘わないそうです。魔人が言うには、『命を大事に』、『安心安全な殺し合い』だとか」
テンゲンが、なんとも表現しがたい微妙な表情になった。
なにか、魔人という存在と相容れない言葉が並んでいたような気がする。
「私に聞かないでくださいね。正直言って『言葉の意味はよく判らないが、とにかくすごい自信だ』としか言いようが無いのですから」
「は?……はぁ……」
テンゲンが何か聞きたそうだったので、先手を打って質問を封じた。実際、ステレに聞かれも困るのだ。
「事実、私もただ一撃の拳で死にかけましたが、魔人が私を魔法で蘇生しました」
ステレは言葉を切り、テンゲンを見据える。どうか言葉が届いてくれますように…
「私は…不名誉な生とは思っていません。私が魔人と闘うのは、恥を濯ぐためではなく、恩を返すためです」
テンゲンは無言のまましばらくの間ステレを見ていた。突然魔人の話を持ち出した鬼人の狙いがようやく判った。伝説の存在に浮かれて、単純な手にかかってしまったか。
だが、新たな疑問が湧いて来た。そうまでして、今日会ったばかりの自分を生かそうとするのは何故だ?記憶を探り、鬼人の言った事を思い返す。鬼人は何と言っていた?
「……鬼人殿は、某と同じ目をした男達を見送ったと申されたな…同じ戦場に在った鬼人殿も、もしや?」
「えぇ、私も最後は同じ目をしていました。ですが、魔人に敗れ死を超えて今はこうして生きています。だからテンゲン様をお誘いしたのです」
(あぁ…)テンゲンは、ようやくステレの心中が判った。おそらく、鬼人の胸にあるのは、理不尽への抵抗ではないだろうか…一度は理不尽に押しつぶされながら、今しぶとく生きている。だからこそ、理不尽を受け入れ、抵抗も無く死の淵に沈もうとする自分を引き上げようとしているのではないか。
なんともお節介で……なんとも気持ちのいい漢…いや女子か…。
まぁどちらでも構わんが。
テンゲンの口の端が僅かに上がった。
「そうですな、魔人との仕合。年甲斐もなく胸が騒いでしもうたわ。申した通り、きっと伺いますぞ、鬼人殿」
ステレは初めてにっこりと微笑んだ。諸侯国の武士が一度口にした言を翻さないのは、見た通りだ。そして言質を取ったステレは、笑顔のままとてつもない一撃を落としてきた。
「……言い忘れてたけど、私が住む魔の森は、王家の直轄地ですので、尋ねる前に我が王にはご挨拶をお願いしますね」
暫く固まった後、その意味を理解したとき、テンゲンは『あっ!』という顔をした。
他国人であるテンゲンが、王家に理由も話さず魔の森に入れるはずがない。テンゲンがステレとの約束を果たすためには、国に帰って命を永らえるだけでなく、王国への正式な使者を立てるか、立てて貰えることのできる地位を占めなければならないのだ。そして、使者を立てるとなれば、それはテンゲンが諸侯国の貴族階級として、グラスヘイム王家への誼を通じるということになる。
鬼人に一杯食わされた。よもや、鬼人が王家に繋がりがあるとは思ってもいなかった。
突然、テンゲンは声を上げて笑った。
おかしくてたまらないというように、ひとしきり笑うと、ようやく息を整えてから居住まいを正した。
「いや、良き出会い、良き縁にござった。鬼人殿、ドルトン殿にも礼を申す。お約束した通り、是が非でも魔人との勝負に行きますぞ。誓いの証として、我が名をお預かり下され、我が諱はソルと申す」
反撃とばかりに繰り出してきたテンゲンの一撃に、今度はステレとドルトンが驚かされる番だった。
諸侯国の人は、呪いを避けるためとして実の名は秘し、血縁や親しい者にしか明かさないという話は、ステレもドルトンも知っていた。テンゲンが一方的に名乗っただけだとしても、それに答えぬ非礼はできない。
「私は、ステレ。今は家名は無いただのステレです」
「ステレ殿か…うむ、次にお会いするまで、その名は口にいたさぬ」
「私も」
それが当然であるように、互いに相手の名は口外しないと約束すると、テンゲンは郎党の元へ帰っていった。
思わぬ長い話になってしまった。ドルトンは次の街へたどり着くのを諦め、この先にある広場で野営することを決め、ゆるゆると出発の準備を始めたが、テンゲンは自分たちの馬ならばこれから出発しても、なんとか日暮れまでに次の街に入れると言って出発して行った。一刻も早く国に帰りたいのであろう。
出発間際、ドルトンはテンゲンから銀貨3万の手形を受け取った。ドルトンは値引きすると申し出たが、テンゲンが譲らなかったのだ。代わりにこの先の諸侯国へのルート近くにある支店への添え状を何通か渡していた。
街道を進んだ商会の馬車は、日が暮れる頃に次の広場にたどり着き、野営の準備を始めた。
『お嬢は座ってお待ち下さい』と、仕事を取り上げられたステレは、茶を片手に石を積んだ簡単な竈の火をみつめ、異国の武士との邂逅を思い返していた。
無駄な死を避けた呑月候がエン家であそこまで評価されているなら、やたらと死に急ぎたがる諸侯国の風習も少しは改まる未来があるかもしれない。そのためにも、テンゲンのような男には長生きしてもらいたいものだ。
「何を思案しておいでで?」
ステレは顔を上げてドルトンを見たが、またすぐ炎に目を戻した。
「……<呑月候>より<天狼候>とかの方がカッコいいんじゃないかなって。文化の差ってやつかしら?」
「………そこですか」
あまりに予想外の返事に、ドルトンはガックリと肩を落とした。だがステレに対するドルトンの評価は揺るぐことはない。ステレがそれだけでは無いことを承知している。
それを裏付けるように、ステレは小さな声でつぶやいていた。
「えらく重たい名を受け取っちゃったけど…剣を抜かない闘いというのは、勉強になったかな」
「先程、取引の口添えはいたしかねると申したが、ドルトン殿を信用しておらぬ訳ではござらん。ただ、果たせぬ約束ができないだけでござる」
テンゲンは静かに言うと頭を下げた。
「いったい何故…」
「某は、腰の剣を一度は差し出し申した。その事実は我が主には包み隠さず報告する所存」
「不名誉な生より名誉の死ですか」
「隠しだて出来ぬのでござるよ。郎党の幾人かは、一族の他派に通じておりましてな。もちろん、某の息のかかった者が他派にも仕えております。こうせねばかえって一族が割れる元となるのです。某が話さずとも御屋形様の耳には入るでござろう。もし自裁を命じられれば、それに従うつもりにござる」
一度自分の命を差し出しておきながら、前言を翻した。それは諸侯国の武人には不名誉となるのだろう。
役目を果たして帰国しても、死を命じられる。そんな理不尽がまかり通るのが諸侯国だと、ステレもドルトンもようよう理解した。
「心配りを頂いた鬼人殿に何も返せぬのは心残りゆえ、せめてご所望の話くらいは某の口から伝えたく…」
「納得できる話が聞かせてもらえると思ったら、その前に納得できない話を聞かされるとは思いませんでした」
「ウルスの武士の倣い故、気になされるな」
精一杯の皮肉もさらりと返された。結局のところは彼らの習慣なのだ、ステレがどれだけ頑張ろうと、テンゲンが覚悟を決めてしまった以上覆すことは難しい。割り切れない気持ちを抱えつつも、ステレはおとなしく席に着いた。
「さて、まず順を追って、我がウルスの風習から説明せねばなりますまい」
そう断ると、テンゲンは諸侯国での弔いについての話を始めた。
彼らは、元が定住せず遊牧する民だったので、一族累代の墓地のようなものは持たなかった。それはまた、死者の安寧を願うためでもあった。彼らは、平原で生まれ平原に還ることを望んでいた。そして、部族同士の争いが四六時中起きていたから、立派な墓など作っても、敵対する部族に荒らされる可能性が高かったのだ。彼らが最も恐れるのは、平原に還れぬこと…死骸を焼かれ、灰を川に流されることだった。だから、死者は皆草原のどこかに塚も石も建てずに埋められる。一族の首長ともなると、秘密裏に魔法で地下に埋葬するので、一族ですら墓の場所は知らない。祖先の礼拝は、持ち運べる厨子で行うし。それも持てぬ貧しい者は、大地に触れ、大地を祭壇として祖先を祀る。それで十分なのだという。
「墓に入れるのは、遺愛の品のみ。欲に駆られた墓荒らしを呼び込まぬためにござる。それが知られており、今まで墓が荒らされたことは無かったのですが…、数年前、滅多に振らない長雨によって平原に僅かの間川ができましてな、不運なことに、流れに削られた丘の地下から棺が露わとなってしもうたのでござる。気づいたときには墓は何者かに暴かれたあとで、剣の収められていたとされる魔銀の箱がなくなっており申した。そうと判ったのは、墓誌が収められていたからで、その墓の主は、我らが一族中興の祖とされる<呑月候>エン・カラハルであり、墓から持ち去られたのは、呑月候の名誉の剣なのです」
そこまで言って、テンゲンは茶を口にする。
「あの長剣が名誉の剣ですと?」
「左様」
「しかし、名誉の剣は肌身離さず身につけるとか、いくらなんでもあの剣は大きすぎるのでは」
「エン・カラハルは身の丈7リク(約2m以上)という偉丈夫で、月を呑み込んで月食を起こすという巨大な天狼の伝承から、呑月候と呼ばれており申した。とはいえ、さすがにあの太刀を名誉の剣として上宮には持ち込めぬ。呑月候は上宮では木刀を挿していたとのこと」
なんとも剛毅な話である。建前上、上宮には部族間の諍いは持ち込めぬとはいえ、実際に名誉の剣で斬り殺された例がある。自分も破滅することを覚悟するなら、無防備の相手を容易に刺殺できるのだから。
「そして、刀ですな。平原の続くウルスでは木材が乏しく、鍛冶仕事に不可欠の木炭も高価。鋼の刀は良質の炭を大量に使うため、財産としての価値もあり、上出来の刀には『号』と呼ばれる名前を付けて愛好し申す。刀ですから、何其れを斬ったという名付けが多いのですが……あぁ確か『鬼人切』と号された刀もあり申した」
ステレを見て、にっと笑って見せた。
「本当に鬼人を斬ったのなら、使い手には一手ご指南願いたいわね」
ステレは不機嫌な表情のまま返す。どうやらテンゲンは場を和ませようとして失敗したらしい。
「…号が付くような名品を打ち上げる鍛冶師は、クヴァルシルの名匠の如く名を称えられ申す。呑月候の時代、随一の名人と謳われたのが、ギコウという名の刀鍛冶でござる。ギコウは晩年、手に入る限り最上の鋼を選別し、自分の技量を全て注いで刀を一振りを打ち上げ申した。老鍛冶は打ち上がりに満足すると、他の者に同じ剣を望まれることを嫌い、自らの右手を火床に突き入れて焼いてしまったと言われており申す。それがあの刀にござる。ギコウは打ち上がった刀だけを持って、そのまま隠遁してしもうたとのこと」
ギコウが最後の刀を世に出さなかったのは理由があった。
名人ギコウの刀は、美しいだけでなく、頑丈で切れ味も兼ね備えていた。贈答にも実戦にも多く使われた。だが、とある家の当主の手に渡った刀は、敵に内通したと疑い家老をしていた叔父を斬ったので『家老切』と号されることとなる。また、とある部族の嫡男が所持していた刀は、後継者争いの末に次男が分捕り、元の持ち主を斬るのに使われたので『長兄切』と号されることとなった。そんな不吉な逸話が重なり、いつしか『ギコウの刀は身内を斬る妖刀』『不幸の剣』と恐れられ、出来映えと裏腹に避けられるようになってしまっていたのだ。
それを所望したのが、成人を迎えたばかりで怖いもの知らずの呑月候である。ギコウが会心の作を持って隠遁したと聞くと、わざわざギコウの元に出向き、刀を強引に取り上げた。
ギコウは当主嫡男である呑月候相手にすら抗った。
「儂の刀は因果を呼ぶ。敵を斬れば因果が返り、一族を斬ることになる。だから儂の刀は使えぬ。使えぬ刀になんの意味もないから、もう刀を打つ気は無かった。だが、儂の腕がどれほどの域に達したかは、刀を打たねば判らぬ。だから最後の一振りを打った。この刀は決して使わず、儂が墓まで持っていく」
だが、呑月候は譲らなかった。因果や呪いなど鼻で笑っている。生きた人間の方がよほど怖いと知っているのだ。
「なるほどこの刀は古今無双の業物よ、だが先の世まで無双かと言えば、それは誰にも判らぬ。翁よ、弟子を育てよ。この太刀を超える物が打ち上がったら持って来い、さすればそれと引き換えに返してやるぞ」
そう笑って、ギコウの前に黄金を積み上げた。それは打ち上げた刀を忌み嫌われ、零落していたギコウの家を立て直すのに余りある金だった。
「翁よ、この刀は儂の名誉の剣としよう。儂はこの通りの身体だから、お前の刀でなければ死ねる気がせぬ。儂はこの刀で敵も味方も斬るつもりは無いぞ。無論儂自身もな。この刀は儂と共に有り、儂と共に平原の土に還るだろう。それでどうだ?」
そこまで言われてはギコウもうなずくしか無かった。何より、呑月候は見向きもされなくなっていた自分の技を、刀を、認めてくれた男なのだから。
呑月候の援助を受けたギコウは、人生の最後に刀ではなく弟子を鍛え上げ、ギコウに並ぶ技量の鍛冶も輩出したが、ついに刀を取り返しには行くことは無かったという。
呑月候は戦でも決闘でも一度も敗北したことはなく、エン一族はウルスで五指に数えられる大家となった。だが、呑月候が最も得意としたのは実は調略だった。惜しみなく金を使って周辺部族を侵食していきながら『金も刀も使わん方がいいわい』と嘯いていたという。無駄に戦い家臣を磨り潰すのが、結局一番金がかかることに気づいていたのだ。
呑月候が死したのちは、その遺志通り、刀も一緒に埋葬されたのだった。
「あの刀は、誰の血も流してはならぬのでござる。もし、鬼人殿と争うこととなり、あの刀を向けられたら、我らは手出しが出来ぬ。事実は伏し、交渉でお譲りいただくしか無かった。幸いにして、持ち去られた後も誰も斬っていないとのこと。国許に持ち帰れば貪月候の棺に納め、別の場所に改葬されることになっており申す」
ステレもドルトンもようやく合点がいった。埋めるための刀に銀貨3万枚を払うというのは無駄な金に思えるが、目に見えるものだけが価値ではないことは、ステレもドルトンも知っている。
だが、ステレの心は晴れない。話し終えたテンゲンは、もう思い残すことは無いという顔をしている。ステレにはそれがどうにも気に入らなかった。やりたいことをやり切り、この先自分の命が無くなっても何ほどのことも無い。そう思っている。
……それはまるで……
「……ところで、テンゲン様のお国には、魔人の伝承はおありで?」
「む?魔人でござるか?もちろんありますとも。だいたい、どこの一族でも魔人を倒した<英雄王>キを祖先と称しておりますからな。<魔人切>という号の刀もありますぞ。<竜鱗切>と並んで、かなりの古刀なので、真偽不明ということになってござるが」
突然出てきた魔人の話題を訝しんだものの、何故かステレが表情を和らげていたこともあって、テンゲンは世間話に応じるように気軽に答えた。
「私は、王国の北にある魔の森に住んでいるのですが、実はそこには魔人も居るんですよ。本物の生きた魔人が。私が仕合う相手というのはその魔人なのです」
「そ、それは誠にござるか?」
テンゲンが驚愕した表情で食いついて来た。
横で聞いているドルトンは、口こそ挟まないものの、内心では困惑極まっている。魔の森に魔人が住んでいるのは極秘事項になっているのだ。都市を亡ぼすようなバケモノが国内に潜んでいると公になったら、間違いなくパニックが起きる。それを他国人に話してしまうとは…。
「鬼人殿は武器を折られたと申しておったが、魔力は山をも砕くと言われる魔人と勝負して、武器を折られるだけで済んだと?」
「それが、その魔人は魔法は使わず、己の拳で勝負すると言っているのですよ。それなのに、もう数百年も無敗だそうです。私が勝負したときも確かに魔法は使いませんでしたが、素手の魔人に武器を砕かれ、私も死にかけました」
「なんと…なんと…」
テンゲンが、信じられないという表情でステレを見、手許を見、天井を見上げ、またステレを見る。
「どうですか、テンゲン様も一つ腕試しに」
「願ってもない、是非とも手合わせいたしたい」
即答したところで思い返えし、視線を落とした。覚悟を決めた身でこのような約束をして良いものか…。国許へ帰らぬ訳にはいかない。刀を持ち帰ってこそ役目を果たしたと言える、その前に逐電はできない。ならば、死の前にせめて魔人との立会を、役目を果たした褒美に強請るしか無いか…、
「きっと…きっと参りますぞ」
顔を上げたテンゲンは明言した。主命で死すのが武士の本懐だが、伝説の存在と仕合って死ぬなら剣士の本懐である。テンゲンは武士であるが、剣士でもあるのだから。
テンゲンの決意を見たステレは、内心で安堵の息を吐いた。戦国の気風の残る国の剣士ならば、伝説の魔人と聞いて心動かないはずがない。
本当に……アイツは、剣士の死と生をひっくり返してくれる…。
「されど、如何にして挑めば良いのやら。魔人は某如きの勝負を受けてくれましょうや?」
「魔人の住む地には岩に囲まれた広場があり、そこにたどり着けば魔人は誰とでも勝負します。魔人は、挑む者は拒まず、去る者は追わず、のようです」
「去る者は追わず…とは?」
「広場を出れば闘わないそうです。魔人が言うには、『命を大事に』、『安心安全な殺し合い』だとか」
テンゲンが、なんとも表現しがたい微妙な表情になった。
なにか、魔人という存在と相容れない言葉が並んでいたような気がする。
「私に聞かないでくださいね。正直言って『言葉の意味はよく判らないが、とにかくすごい自信だ』としか言いようが無いのですから」
「は?……はぁ……」
テンゲンが何か聞きたそうだったので、先手を打って質問を封じた。実際、ステレに聞かれも困るのだ。
「事実、私もただ一撃の拳で死にかけましたが、魔人が私を魔法で蘇生しました」
ステレは言葉を切り、テンゲンを見据える。どうか言葉が届いてくれますように…
「私は…不名誉な生とは思っていません。私が魔人と闘うのは、恥を濯ぐためではなく、恩を返すためです」
テンゲンは無言のまましばらくの間ステレを見ていた。突然魔人の話を持ち出した鬼人の狙いがようやく判った。伝説の存在に浮かれて、単純な手にかかってしまったか。
だが、新たな疑問が湧いて来た。そうまでして、今日会ったばかりの自分を生かそうとするのは何故だ?記憶を探り、鬼人の言った事を思い返す。鬼人は何と言っていた?
「……鬼人殿は、某と同じ目をした男達を見送ったと申されたな…同じ戦場に在った鬼人殿も、もしや?」
「えぇ、私も最後は同じ目をしていました。ですが、魔人に敗れ死を超えて今はこうして生きています。だからテンゲン様をお誘いしたのです」
(あぁ…)テンゲンは、ようやくステレの心中が判った。おそらく、鬼人の胸にあるのは、理不尽への抵抗ではないだろうか…一度は理不尽に押しつぶされながら、今しぶとく生きている。だからこそ、理不尽を受け入れ、抵抗も無く死の淵に沈もうとする自分を引き上げようとしているのではないか。
なんともお節介で……なんとも気持ちのいい漢…いや女子か…。
まぁどちらでも構わんが。
テンゲンの口の端が僅かに上がった。
「そうですな、魔人との仕合。年甲斐もなく胸が騒いでしもうたわ。申した通り、きっと伺いますぞ、鬼人殿」
ステレは初めてにっこりと微笑んだ。諸侯国の武士が一度口にした言を翻さないのは、見た通りだ。そして言質を取ったステレは、笑顔のままとてつもない一撃を落としてきた。
「……言い忘れてたけど、私が住む魔の森は、王家の直轄地ですので、尋ねる前に我が王にはご挨拶をお願いしますね」
暫く固まった後、その意味を理解したとき、テンゲンは『あっ!』という顔をした。
他国人であるテンゲンが、王家に理由も話さず魔の森に入れるはずがない。テンゲンがステレとの約束を果たすためには、国に帰って命を永らえるだけでなく、王国への正式な使者を立てるか、立てて貰えることのできる地位を占めなければならないのだ。そして、使者を立てるとなれば、それはテンゲンが諸侯国の貴族階級として、グラスヘイム王家への誼を通じるということになる。
鬼人に一杯食わされた。よもや、鬼人が王家に繋がりがあるとは思ってもいなかった。
突然、テンゲンは声を上げて笑った。
おかしくてたまらないというように、ひとしきり笑うと、ようやく息を整えてから居住まいを正した。
「いや、良き出会い、良き縁にござった。鬼人殿、ドルトン殿にも礼を申す。お約束した通り、是が非でも魔人との勝負に行きますぞ。誓いの証として、我が名をお預かり下され、我が諱はソルと申す」
反撃とばかりに繰り出してきたテンゲンの一撃に、今度はステレとドルトンが驚かされる番だった。
諸侯国の人は、呪いを避けるためとして実の名は秘し、血縁や親しい者にしか明かさないという話は、ステレもドルトンも知っていた。テンゲンが一方的に名乗っただけだとしても、それに答えぬ非礼はできない。
「私は、ステレ。今は家名は無いただのステレです」
「ステレ殿か…うむ、次にお会いするまで、その名は口にいたさぬ」
「私も」
それが当然であるように、互いに相手の名は口外しないと約束すると、テンゲンは郎党の元へ帰っていった。
思わぬ長い話になってしまった。ドルトンは次の街へたどり着くのを諦め、この先にある広場で野営することを決め、ゆるゆると出発の準備を始めたが、テンゲンは自分たちの馬ならばこれから出発しても、なんとか日暮れまでに次の街に入れると言って出発して行った。一刻も早く国に帰りたいのであろう。
出発間際、ドルトンはテンゲンから銀貨3万の手形を受け取った。ドルトンは値引きすると申し出たが、テンゲンが譲らなかったのだ。代わりにこの先の諸侯国へのルート近くにある支店への添え状を何通か渡していた。
街道を進んだ商会の馬車は、日が暮れる頃に次の広場にたどり着き、野営の準備を始めた。
『お嬢は座ってお待ち下さい』と、仕事を取り上げられたステレは、茶を片手に石を積んだ簡単な竈の火をみつめ、異国の武士との邂逅を思い返していた。
無駄な死を避けた呑月候がエン家であそこまで評価されているなら、やたらと死に急ぎたがる諸侯国の風習も少しは改まる未来があるかもしれない。そのためにも、テンゲンのような男には長生きしてもらいたいものだ。
「何を思案しておいでで?」
ステレは顔を上げてドルトンを見たが、またすぐ炎に目を戻した。
「……<呑月候>より<天狼候>とかの方がカッコいいんじゃないかなって。文化の差ってやつかしら?」
「………そこですか」
あまりに予想外の返事に、ドルトンはガックリと肩を落とした。だがステレに対するドルトンの評価は揺るぐことはない。ステレがそれだけでは無いことを承知している。
それを裏付けるように、ステレは小さな声でつぶやいていた。
「えらく重たい名を受け取っちゃったけど…剣を抜かない闘いというのは、勉強になったかな」
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