魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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魔人と商人

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 前日の様子では、魔人はしばらく来ないかとドルトンは予想していたが、一夜明けたら魔人はまたやってきた。
 ただ、挨拶しただけで何も言わない。ステレも何も言わず、黙って茶を煎れる。二人で黙ったまま茶を飲んで、しばらくして魔人は帰って行った。見ているドルトンの方が緊張していた。
 お茶を片付けながらステレは「ま、大丈夫かな、、、」とだけ言った。

 その翌日もまた魔人はやってきた。
 魔人はようやく以前の雰囲気に戻っていた。昨日のお茶は何かの儀式だったのだろうか?。ドルトンには推し量ることが難しいが、二人には何か通じるものがあったらしい。どうにもこうにも似たもの同士のようだ。

 だが、せっかくの来訪だが、生憎と家主は不在であった。商会の男衆と一緒に狩に出たのだ。女性商会員はステレが出かけている間の家事をしたり、物置の塩漬け肉を燻製にするための準備を始めている。
 ステレの不在にちょっとがっかりしたふうの<夜明けの雲>だったが、勝手に茶を煎れて飲んだり、庭で燻製機を組み立てる女衆に声をかけたり、呆れるくらいにくつろいでいた。
 今ではそれも飽きたのか、小屋の一段下で工事途中の風呂を面白そうに覗いている。

 ドルトンは複雑な心境で魔人を見る。
 先日の様子を見る限りでは、現状ステレに危険が及ぶ可能性は低い。ステレと対等に付き合える異性というだけで貴重な存在だ。だがそれは、魔人の半面にしかすぎない。
 商会員の監督をしながら、付かず離れずで様子を伺うドルトンは気付かれぬよう<夜明けの雲>を見た。こちらに背を向けている。相変わらず闘気も殺気も無い。山小屋でステレとじゃれ合っている姿は、どこにでもいる普通の青年にしか見えなかった。ステレの口から『生きることが闘うことみたいな男』『素手で完全装備の剣士を倒す』と聞いたが、その片鱗さえ見せない。半面を見ただけで楽観はできない。
(…試して見るか)
 藪蛇になるか、、、と危惧もしたが、敢えて仕掛けてみる。
 ドルトンから少しずつ音も気配も消えていく。やがて、『そこにあるだけの物』と同様の存在になったドルトンは、無音のまま広場を降り<夜明けの雲>に数歩近づく。音はおろか周囲の空気さえ動かさない。

 と、突然<夜明けの雲>が振り向き、背後の何かを避けると同時に腰を落とし肘打ちを入れる型を取った。パシッとはじける音と共に、物理的な風とは違う何かが頬を撫でて吹き抜けて行くのを確かに感じた。

 「なんてね」

 構えを解いた<夜明けの雲>はドルトンを見てニヤリと笑う。ドルトンは立ち尽くしたままだ。驚愕して、何も言えずにいたのだ。

 「商人殿の気配が消えたのでね、警戒したらほんの僅か、そう、、殺気の匂い?みたいなのを背後に感じた」

 黙ったままのドルトンに、種明かしのような口調で説明する。

 「聞いてるかもしれないけど、俺こう見えて魔法使いでさ。そういうのには割と敏感なのよ」

 (この男は、想像以上の怪物だ、、、)
 ニコニコしながら軽口を叩く<夜明けの雲>を前に、ドルトンの背を冷や汗が流れる。
 殺気は出さなかったはずだ。気配を消し背後から首に、、、そう思い描いただけだ。そのイメージを、振り返った<夜明けの雲>が迎撃したのだ。気配は完全に消していたはずなのに。
 ドルトンの知る限りでは、獣人の本気の隠蔽を看破したのは先王の護衛剣士だったゴージだけだ。彼は只人でありながらそれだけの能力を手にした一種のバケモノだった。魔人はそれを軽々とやってのけた。

 「すっごい隠形だね。最初に見た通り、中々やりそうだ。獣人とは闘ったこと無いけど、生粋の戦士なら商人殿以上なのかな?」
 「一族の戦力に関してなので、秘密ということで、、、」

 ドルトンはようやく口を開くことができた。

 「ふうん、、、ま、いいや。で、俺は保護者殿の眼鏡にかなったのかな?」
 「正直、まだ困っているところです。腕前に関しては文句の着けようもございませんが、最近、目利きに失敗することが多くなりまして」

 「俺ほど単純な男も居ないと思うけどなぁ。勝負が全て。その代わり立合の広場以外では人畜無害」
 「そこが一番の困り所なのですよ。確かにここにいる限りあなたはステレ様の良き友人のように見えます。しかし、立ち合いとなれば…」
 「命をかけてやり合うね」

 何を当たり前のことを、と言わんばかりの口ぶりだ。

 「……即死しない限りは蘇生するとおっしゃっていましたが…」
 「わずか三回目の立ち合いで腕を三分斬られた。遠からず俺も殺すつもりでやることになるだろうね」

 あっさりと言う<夜明けの雲>の顔に浮かぶのは…愉悦。
 ドルトンは、ようやくステレが「戦闘狂」と言った意味を理解した。
 言葉は軽妙なまま。見た目も穏やかで変わりはない。だがこの男の内側には、底知れぬ死が隠れている。北方の湿地で一面の草原に隠れて口を開けるヤチマナコのような恐ろしさがある。

 「……私はステレ様を危険に晒したくありません。あなたはこの森からは動けないとお聞きしました。いっそステレ様をこの森から連れ出したいところですが……ステレ様は、あの通りの方ですから」

 確かに魔人の求める性急な立合いは渋るステレだが、腕を上げて魔人と勝負すること自体を否定はしていない。腕の差が縮まれば、何かの拍子にステレの命が断たれる危険が増す。ドルトンにとってはそれななんとしても避けたい事態だ。

 「で、どうしても立合いを止められないなら、俺を殺す?。さっきのように?」

 後ろから近づこうとして瞬時に見破られたことを揶揄している。
 普段の<夜明けの雲>はあまりしない皮肉が含まれた言い回し。今まで対戦した相手とは違うタイプの使い手を前にし、昂ぶりが抑えられない。

 「手段はいろいろございますよ」

 それは単なる強がりという訳でもなかった。単純な腕力では、獣人は只人と大差無い。獣人の得意とするのは暗殺だからだ。ただ、よほどのことが無い限り獣人が実力行使に出ることは無い。只人の間では、一般に正直な人種として通っている。一部の裏を知る階層を除いて。
 『獣人を追い詰めれば人知れず殺される』という恐怖であれば、抑止力として使えるが、『気に入らない相手は誰彼構わず暗殺する連中』思われては、只人始め他種族との交渉で不利にしかならない。だから安易に暴力に走ることを戒め、禁を破った同胞を取り締まるのを厭わない。獣人を装った犯行は、首謀者を徹底的に探し出して潔白を証明する。只人が圧倒的多数を占めるこの世界で、少数の獣人が平穏に生きるために選んだ処世術だ。土地にも地位にも執着しない獣人にとって、そんなものを求めるための争いばかりの生涯になんの意味も無い。
 もちろん、おとなしくしていれば度を越す奴らも現れる。そういうときは、絶対に証拠を残さず確実にやる。
 だが…

 「勝てるかな?」
 「勝てないでしょうね」
 「おおっと、即答」

 <夜明けの雲>はクスクス笑う。
 ドルトンは彼我の実力差を見切っていた。不意を打つのは不可能だ。暗殺はできない。恐らくは、正面から撃破する以外にこの男を打倒することはできない。
 <夜明けの雲>が笑ったのは、その事実をドルトンがあっさりと把握していることが嬉しかったからだ。彼我の力量差を読むことはできるのは、相応の腕に達している証拠だ。ステレの陰に思わぬ実力者が居た。

 「ですが、死力を尽くせば、あなたの当面の闘争の欲求を満たすことはできるくらいの腕はある、、と自負しております。それに万が一、私があなたに殺されれば、ステレ様も多少は用心なさるでしょう」

 釘を刺すつもりの一言だったが、魔人は恐ろしく静かな声で切り返した。

 「商人殿を…あなたを殺せば……、ステレは俺を本気で殺す気になってくれるかな?」

 痛い所を突かれたドルトンは押し黙る。彼が最も危惧しているのはそれだったからだ。
 (ステレ様の信頼を得たことが裏目になったか?)
 王都の命を受けた出入りの商人の死であれば、単なる「怒り」で済んだかもしれない。それなりに彼女の信頼を得た今、魔人に殺されることで、ステレが復讐の「狂気」に囚われたら…それでは本末転倒もいいところだ。

 言いよどむドルトンを見て、魔人は僅かに首をかしげる。

 「判らないな。もちろん親族じゃ無いだろうし、師弟でも無いよね。お嬢様と呼んではいるが、主従という訳でもなさそうだ。何故そうまで彼女に入れ込む?俺に勝てないと判ってなお、自分の命を賭けるほどの思い入れが彼女にある?」
 「とある方にステレ様の生きる手助けをするよう依頼を受けております。その依頼を守りたいだけですよ。商人は信用第一ですので」

 どこかはぐらかすようなドルトンの答えだが、先日の経験から、それはきっと魔人である自分には判らない彼なりの矜持なのだろう。と<夜明けの雲>は思うことにした。そしてそれ以上に、ドルトンからは揺るぎない意思を感じ取れる。もし必要があれば、彼は言った通り死力を振り絞って自分と闘うだろう。
 元々大した意味のある質問では無かった。商人である彼が、本気で魔人である自分に挑もうとしている。その確信が持てれば十分だ。

 「…商人殿との立合には魅力を感じるけど、やめとくよ。ステレの恨みを買いたくない。俺はそういう感情を元にした力はあんまり好きじゃないんだ。こういう性格だからね」

 声は真面目だが、魔人はいつもの気楽な雰囲気に戻っていた。

 「それに商人殿も、命を大事に。だよ」

 そう、笑いながら付け足す。
 ドルトンはあえて魔人にも判るように、肩の力を抜いた。確かに不安は払拭しきれない。だが、今の魔人の言葉は信用できる。そう思えた。
 魔人は茶化していたのではなく大真面目に「命を大事に」と言っていたのだ。
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