怪人幻想

乙原ゆう

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 真夜中を過ぎすべてが眠りについた頃、瑛美は屋敷の裏の森の中にいた。
 何かに呼ばれたような気がして部屋をふらりと抜けだし、気がつけば森の中にいた。
 人工の光は何もない。青白い月だけが唯一の光だった。

 瑛美はふと今朝の子供のことを思い出す。
 不思議な子供だった。何がどうと説明することはできないがとにかく不思議だった。
 ファントムの話はホールで出会った紳士が言うようにこの辺りでは有名な話らしい。あらわれる度に異なる姿をしているという。だったら子供の姿のファントムも存在するかもしれないというエドワードの言葉がよみがえった。

 しかし瑛美にとってそんなことはどうでもよかった。
 人はみな舞台に立てという。舞台へ立ち、多くの観衆を前に自分の技を披露することが成功だという。確かに多くの人に聞いてもらいたいとは思うが、それがすべてではないと瑛美は思っていた。
 歌うことができればそれでいい。時や場所などどうでもよかった。

「おまえのコロラトゥーラのテクニックは抜群だ」

 背後から声が聞こえてきた。それは聞き覚えのある声。
 瑛美はゆっくりと振り返る。そこにはやはり今朝の男の子の姿があった。彼は話し続ける。

「通常ココロラトゥーラを得意とする者の多くは軽くて小さな声だがおまえの場合はそうではない。中低音域も充実していて響きが美しい。非常に特異だね」

 うす暗闇の中聞こえてくるその声はまるで天使のささやきのようだった。澄んだ空気にとけ込むような優しく繊細な声。体中に染みいる、声。
 瑛美はゆっくりと口を開く。

「あなたは誰?」
「単なる森の住人。おまえは知っているはずだ」

 かさかさと木の葉のすれる音がする。

「……ファントム?」

 彼は笑う。ゆったりと、華やかに。

「ここはパリではないわ」
「しかし私はいる」
「仮面がないわ」
「そんなものは必要ない」
「……本当にファントム?」
「人はそう呼んでいるようだが?」

 瑛美は彼を見る。

「あなたまだ子供でしょう?」
「そうみえるか?」
「ファントムはもうずっと昔からいるってみんな言ってるわ」

 瑛美は真剣な面もちでそう言った。
 彼はクッと笑う。

「私はね、おまえが思っている以上に長い年月を過ごしているんだよ」

 瑛美はぱちぱちと瞬きをする。

「信じない?まあいいさ。そんなことはどうだっていいんだ」

 彼はゆっくりと瑛美に歩み寄り、その小さな手で瑛美の手をとった。

「もし私の為だけに歌うと誓うならおまえの望みを叶えよう」

 瑛美はぼんやりと彼を見る。
 彼は何を叶えてくれるというのだろう。自分の望みとはいったい何か……そんなものがはたしてあるのか。
 瑛美は戸惑う。

「来るか?」

 彼はまっすぐ瑛美を見る。そのブルーの目には以前見た無機質さはなかった。
  彼の手は冷たいけれど嫌ではなかい。むしろ放したくなかった。 
  
「ええ」

 瑛美は答えた。
 そして。

 二人の姿は森の中へと消えていった。
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