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乙原ゆう

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 浩太が20歳になった年の秋、豪雨の影響で腰掛け岩の川が氾濫した。
 ニュースで祖母の隣街の河川が氾濫したことを知り慌てて連絡をとると、電話口で祖母は比較的元気そうな声で教えてくれた。避難警報がでたため村の集会所に近所の知り合いと一緒に避難しているらしい。普段元気な祖母だがこんなときひとり暮らしでは心配になる。

 避難警報が解除されるやいなや、浩太は講義をさぼり、川へと向かった。周辺の田畑が水没したため農作物は被害を受けたが、運よく人家に被害は及ばなかったらしい。
 腰掛岩の川へと続く道は、川に近づくほど荒れていた。さほど多くはないが道路に蓄積されている土砂と木くずやゴミ。人家まで流れてこなかったことが本当に奇跡だ。

 足場の悪い中、川へと進む。遠目に見た川は普段からは考えられないような水量と、色。土色に濁った濁流が目に入り、心臓に鳥肌が立ったような気がした。
 腰掛岩が見えなかった。水量が多くて見えないだけなのか、岩そのものが流れてしまったのか。
 永遠なんてものはないのは知ってるし、明日がどうなるかなんてわからないことも知ってる。わかっていても突然目の前に突きつけられるとどうすることもできない。
 こんな思いを前にもした。後悔しないように時を刻んでいこうと思っていたのに、どんなに一生懸命生きていても、結局のところ最後には同じことを思うのだ。

 近づいても眼前に広がる光景は変わらないのに、足は勝手に一歩づつ前へと進む。土手に足がかかろうとしたときに声が聞こえた

「入っちゃだめ」

 いつになくきつい口調だったので空耳かと思った。
 一瞬の間を置いて振り返ると、そこにはいつもより少しだけ厳しい表情の彼女がいた。
 その姿を見た瞬間、彼女が無事だったことへの安堵と、そんな顔もできるのかという驚きと、訳のわからない強い感情が体の中で荒れ狂う。
 みっともなく涙が溢れたけれど、とても止めることはできなかった。この想いが何なのかわからない。どうすればいいのかもわからない。
 彼女がモノを触れないことを知っている。これだけはっきりと姿を見ることができるのに、誰もその体に触れることができないことも知っている。それでもどうして今、彼女を抱きしめられないのだろうと思わずにはいられなかった。
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