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第四章 手紙

第99話 月のヘアピン

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 旧部室棟へ向かいながら、黒木紅葉は空を仰ぎ見た。

 夕立が去った後の空が、雲の隙間から天日が差し込んでいて、とても美しい。
 ……天使の梯子と、誰か言い始めたのだろう?

 昼間の暑さとは打って変わり、顔を撫でる風が心地よかった。


 今日は、部活動は休みにした。

 ここのところ根を詰めて活動したこともあり、部員達は皆、疲れが溜まっていたからだ。だがそれも、無事に形にする事が出来た。
 それがどう相手に伝わったのかは分からないが、少なくとも自分達が納得する形で終わらすことが出来た。


 みんな、本当にお疲れ様―――。


 紅葉は心の中で、部員達にねぎらいの言葉を掛けた。

 今日は誰も来ないであろう部室へ足を運んだのは、何か理由があったからではない。……ただ何となく、足が向いてしまった。

 旧部室棟の近くまで来た時、入口辺りに猫が座っているのが目に写った。恐らく、最近この辺りでよく見かけるようになった黒猫だろう。

 驚かさない様にゆっくりと近付いて、傍にそっと腰を下ろす。

 丁度、その場所は二、三段の階段になっていて座りやすいし、屋根も掛かっているので夕立の後でも濡れてはいなかった。

 きっとこの子も、雨宿りにこの場所を選んだのだろう。

 紅葉が座ると猫も近寄って来て、身体を擦り寄せてきた。どうやら人懐っこい性格の様だ。優しく喉の辺りを撫でていると、ゴロゴロと喉を鳴らして気持ちよさそうに寝ころんでしまった。

 思わず、笑顔になる。

 にゃーにゃーと猫の鳴き声を真似ながら、会話を楽しむ。別に猫語が話せる訳ではないのだが、気持ちが伝わっている気がした。

 優しく猫を撫でながら、紅葉は彼の家に初めて行った日の帰り道の出来事を何となく、思い返していた。



*🌝 * 🌔 * 🌓 * 🌒 * 🌑*



「……雑貨屋さん?」

「うん!駅前にね、新しい雑貨屋さんが出来たんだって!寄って行かない?」

 紅葉、青葉、いずみの三人は、彼の家を後にして、今は帰路に就いていた。
 親友の笑顔の誘いに、少し困り顔の紅葉がいる。


「そ、そう……ね。でも私、顔が腫れていない?少し恥ずかしいわ」

「……なぁに?紅葉ちゃん、それって嫌味かなぁ?」

 そんな紅葉に、いずみが詰め寄っていく。

「べ……別に、そんなつもりじゃあ……。
 ……だって、さっきあんなに泣いてしまったから、そうじゃないかって思ったの」

 そう、恥ずかしそうにと、

「ふふ…そんなの、みんな一緒だよ。それに、ぜんぜん腫れてなんかいないよ」

 そんな紅葉に、いずみが優しく微笑みかけてくれた。

「そ、そう。ならいいんだけど?」

「三人で出掛けるの、久しぶりじゃない?すっごく可愛いアクセサリーとかがあるお店なんだって。……時間が無いなら、また今度にするけど?」

「時間なら大丈夫よ。……分かった、それじゃあ寄っていきましょう。青葉はどうするの?」

 同行する旨を、いずみに伝えた後で、妹に視線を向けた。彼女が、のモノに興味が無いのを知っていたからだ。

「……私も、行きたい」

 妹の返事を聞き、少し驚いてしまう。珍しく、彼女も乗り気の様子だ。

「じゃあ、決まりだね!」

 そこで親友が嬉しそうに、パチリと指を鳴らした。

           ・
           ・
           ・
           ・

「わー!素敵なアクセサリーがいっぱい!可愛いのも大人っぽいのも!」

「ふふっ、本当ね。目移りしてしまうわ」

 隣で、いずみが瞳を輝かせている。紅葉は、アクセサリーの一つを手に取りながら、そんな彼女の楽しそうな姿に目を細めた。

 正直な気持ちを言えば、アクセサリーを見るよりも喜ぶ彼女の姿を見たくてこの店に来たのだから、その目的は果たせたと言えるだろう。

 だけれど……

 紅葉は、必要性がない限りアクセサリーはあまり身に付けない主義だ。
 だけれど――この店のアクセサリーは、どれも品が感じられて好みだった。

 妹が興味深そうに、キョロキョロと店内を歩き回っている。今までアクセサリーなどには全く興味を示したことがなかった彼女が、どういう風の吹き回しだろうか?

「……あっ」

 そんなことを考えている時に、いずみの小さな声が聞こえ、どうしたの?と彼女に近付いていく。

「うん、……これね」

 彼女の手の中にある小さなアクセサリーは、銀の三日月に黄色く輝く石をちりばめてある、可愛らしくも落ち着いた雰囲気の……ヘアピン?


「あ………」

 つい言葉が漏れ出てしまった。それはつい先程まで一緒にいた、あの笑顔が浮かんだからだった。
 気付けば妹も近くにいて、暫くの間、三人でそのアクセサリーに見惚れていた。

「この子にはね、色違いもあるんだよ?」

 いずみが棚を指さす。見ると確かに空色の石を散りばめたものと、秋色の石を散りばめたものも置かれていた。形も、少しづつ違っているようだ。


 三人は、顔を見合わせた。


「―――素敵、じゃない? この子たち……」

「ええ、本当に。……ねえ、丁度三つあるし、お揃いにしない?」

「――うん!二人は、どの色の子がいいの?」

「私は、青色がいいです」

「……紅葉ちゃんは?」

「私は、赤い色が一番好きだわ」

「それじゃあ、私は黄色いの!……よかった。この子が一番気に入ってたから……」

 手の中にある輝きを大切そうに握りしめている彼女の前に、其々に輝くお月さまが顔を揃えると、三人はまた顔を見合わせたのだった。


 こうして紅葉はそのお店で、秋色のヘアピンとお気に入りの黒猫のしおりに出会った。
 
           ・
           ・
           ・
           ・
           ・
           ・

 その店から家へと向かう道すがらは、あまり私達の会話は弾ませんでした。

 そうして物心がついた時から目蓋に馴染み過ぎた風景が直ぐそこまで近付いて来た時に、親友である彼女に声を掛けられたんです。

「……ねえ、ちょっとだけ寄って行こうよ?」

 彼女が指さした先には、幼い頃に私達三人がよく遊んでいた公園がありました。


「…………懐かしいわね」

 ブランコに座りながら目蓋を閉じれば、あの頃の私達が直ぐに覗き込んできます。

「……うん。そのブランコでさ、どっちが高くまで漕げるかって紅葉ちゃんと競ってたよね?」

「ふふっ…… ええ、そうだったわね」

「あのシーソーでも、よく遊びました」

「あはは、そうそう。青葉ちゃんと二人で、バカみたいにギッコンバッタンしたね」

 二人が懐かしそうに視線を向ける先には、ペンキが剥がれかけた青いシーソー。
 あの頃と比べると随分とお年を召したように見えるけれど、今も現役で頑張ってくれているのね。



「……あの頃は本当に、毎日この公園で三人一緒だったわ」

 懐かしさを込めて……私は、改めてこの想いでの場所を見渡してみました。


 アスレチックから青葉が落ちて、怪我をしたこと―――

 砂場で三人で協力して、長いトンネルを掘ったこと―――

 おままごとをすると、パパ役を誰がするかで、いつもこと―――

 私達三人にとってそれは、どれも懐かしくも輝かしい大切な思い出たち。


「本当に……楽しかった」


 目を細めながら呟いた言葉を最後に、私の唇がまた重たさを増しました。

 それから私達三人の間を、幾つの優しい風が通り過ぎていったことでしょう。



「……しょうがないよ」

 長い静寂を終わりにしてくれたのは、また……彼女でした。

「うん、しょうがない。だって―――どこにも、いないんだもん。
 あんな人……どこを探しても、いないの。だから、しようが………ないんだよ」

 彼女が、遠い空を見つめています。その視線の先には、美しすぎる茜色の空にも負けていない、一つだけの星が輝いていました。


「…………」

 言葉の意味を理解していても、私は何も言わなかった。

 ………ううん。言えや、しなかったの。

 そんな私を見つめながら、それでも彼女は明るく元気な笑顔を見せてくれたの。


「でもね!私達なら、きっと大丈夫だよ!」

 私はハッとして、改めて彼女を見つめました。

「私達なら、きっと大丈夫!
 どんな結末になったとしても。あの人が誰を選んだとしても―――!

 きっと心から、その人を――― 祝福するの!」

 
 ニッコリと笑う彼女の笑顔に―――

 私は生まれて初めて、抱き締めてもらえた気がしました。

 私は私でいていいんだって……教えてもらえた気がしたんです。



*🌑 * 🌒 * 🌓 * 🌔 * 🌝*




 にゃーにゃーと猫に話し掛けながら、紅葉はまた同じ事を考えてしまっている自分に気が付く。最近はいつも、同じ事ばかり考えてしまっている自分がいる。

 きっと十八年も生きてきて、漸く芽生えた感情に戸惑っているのだと思う。
 初めての感情に、心が怯えているのかもしれない。

 しかもその感情は、日に日に大きくなってゆく。
 
 まるで植物が根を張り、大きく育ってゆくみたいに……


 …………怖い。と思った。

 このまま放っておいたら、自分はどうなってしまうのだろう?

 だけれど、不思議と嫌ではなかった。
 むしろ温かくて、希望に満ちた感情が溢れ出してくる。


 思い返せば――― 物心がついた時からずっと、走り続けてきた。
 ずうっと、走り続けなければならなかった。
 だから私たち姉妹は、この温かい世界で生きていられるのだ。



「…………猫と、話せるんです?」

 不意に話し掛けられ、心臓がドキリと跳ね上がる。


「―――如月君。どうして、ここに……?」

 顔をあげると直ぐそこには、彼の笑顔が待っていた。
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