87 / 100
第三章 死闘
第87話 仇討
しおりを挟む「島田は、本当に温厚な人だったよ。家族に対しても、周囲に対しても優しい人だった。だけど事件の容疑者になって、何もかも変わった。
一番変わったのは、世間の島田に対する態度さ。押しかけるマスコミ、夜な夜な家に投げ込まれる石や、悪意に満ちた手紙。……嫌がらせの数々。
あれだけの事をしておきながら、島田が犯人じゃない可能性が出てきても、それを行った奴らは誰一人として謝罪の言葉なんて口にしなかった。
……笑っちまうよ。それを奴らは、正義と呼ぶらしい」
当時を思い出す様に、水崎は目を閉じた。
そしてゆっくりと目蓋を開けると、静かに話の続きを始めた。
「島田は死んだよ、多分な。……ある日、ふらっと気分転換に登山に行って来るって笑顔で出掛けて行ったきりさ。 ……もう生きてはいないだろ。8年以上も音信不通だからな。
きっと堪えきれなかったんだと思う。自分が信じていた世間……いや、人間って生き物に、本当に嫌気が差したんだと思う」
そこまで話すと水崎は、両手を戯けた様に持ち上げて肩を竦めた。
「……残された家族に、不幸は続いた。居なくなってしまった夫に替わって、一日中働くようになった妻。それでも家で父と母の帰りを待つ子供達は、仲良くやってたさ。不安で一杯になりながら、きっと大丈夫だよって弟を勇気付ける姉と、そんな姉を信頼しきっている無邪気な優しい弟。……だけど全然、大丈夫なんかじゃなかったんだ」
水崎翔子は、そこで唇をぎゅっと噛みしめた。
「直にお母さんは心労で倒れて、お父さんに似て優しかった優樹は学校で虐め抜かれた挙句に、白血病になったとさ。ガリガリにやつれて、あの子は死んだ。
……死んだんだ」
そして深い深い溜息を一つ付くと、懐かしむ様な優しい笑顔を浮かべて、それを火東へと向ける。
「優樹は、最後まで優しい子だったよ。自分が一番苦しかったろうに、お父さんやお母さん、それから私の心配ばかりしてたんだ。本当に、最後の最後まで……。
……お母さんも、死んじゃった。脳卒中だったから、最後まで優樹が死んだことを知らなかったのが、せめてもの救いだけどね」
今までの話を、黙って聞いていた火東がゴクリと唾を飲み込む。水崎翔子の優しい笑顔の中に、何を感じたのだろうか?
「……ねえ火東。私がお前を、怨まない理由があるってのか?」
水崎翔子が笑っている。ただただ、優しい笑顔を火東に向けている。
その笑顔に恐怖を感じながらも、火東が水崎に必死に弁明をし始めた。
「たっ確かに君のお父さんのことは担当刑事だった私にも非はあるかもしれないが、お母さんと弟さんのことは、仕方がないじゃないか!とても残念なことだとは思うが、どうしてやることも出来ないことなんだよ!」
「……仕方ない、だと?」
火東の言葉を聞いた水崎翔子の顔が、みるみる怒気を帯てゆく。
……みんな、いずれ死ぬんだから仕方がない。
今、コイツが口にしたのは、残念なことだと如何にも心を痛めている体裁を繕ってはいるが、苦しんで亡くなった人の心に少しも寄り添っていない言葉だった……。今まで翔子が何度となく誰かに言われ、その度に心の底から憎悪した言葉だった。
その言葉を口にしたのが自分の大切だった家族を苦しみに追いやった、この男の口から出たのだと理解した瞬間、翔子の中で人として一番大事な何かが弾け飛んだ気がした。
「あはは……っ!」
自然と、笑い声が口から洩れ始めた。
「あははっははっはっはは……………っっっ!!!!」
何が可笑しいのか、自分でも分からなかった。分からなかったが、その笑い声は自分で止めることなど出来はしなかった。
……コイツが。こんな奴が、家族を殺した。
大声で笑いながら、自分の目蓋から涙が溢れているのを翔子は感じた。
あたしは……泣いているの?それとも笑っているの?
そんなことすら、もう分からないよ。
目から涙を流し、口からは薄気味悪い笑い声と涎を垂れ流し、鼻からは鼻水が止めどなく流れ出る。分かってはいたが、そんな事どうでもよかった。
ただ心と体の中から溢れ出てくる感情に身を委ねて、
翔子は泣き、そして笑い続けた。
……気付くと、翔子は誰かに優しく抱きしめられていた。
その抱擁は力強く、そして温かく、翔子を包み込んでくれた。
「……りょ…涼兄ぃぃぃ……」
笑い声が止んで、初めて口から出た言葉はそれだった。
「もういい、もういいんだ翔子ちゃん。もう苦しまなくていい。……ゴメンな。俺たち警察が不甲斐ないばっかりに、こんな辛い想いをさせちまって。本当にゴメンな」
翔子を抱き締めながら、小野涼太は肩を震わせて自らも泣いていた。
それから小野は翔子のくしゃくしゃな顔を両手で優しく包みこみ、小さいがハッキリした声で言った。
「……翔子ちゃん。もう終わりにしよう」
その言葉に、翔子は頷いた。
小野は翔子から離れると火東に近付き、椅子と体を縛り付けているロープを解いた。急に自由の身になった火東は、逆に何をしていいか分からず、あたふたと二人を見ている。
「何だ?どうしろっていうんだ!?」
「……逃がしてやる」と、小野は言った。
「な、何だと?」
小野の言葉が理解出来なかったのか、火東がもう一度聞き返している。
「逃がしてやるって言ったんだ。ただし、こちらにはこちらの事情ってものがある。こちらの私怨は、晴らさせてもらうからな。
今からこの子と命懸けで闘うんだ火東。昔で言う仇討ってやつさ。お前が見事、この子を倒せたら好きに何処にでも逃げろよ。もっとも全国で指名手配になるのは時間の問題だから、その後のことは知らないけどな」
そう言って小野が、火東を冷たく睨みつけた。そして翔子に視線を送り…… 本当に、これでいいんだね?と尋ねる。
翔子が頷くのを確認すると、軽く咳ばらいをしてから
「じゃあ、早速始めようか。 …………始めっ!!!」
と、まるで試合でも始める様に大声で合図を出した。
小野の合図を聞いても、火東には目の前で何が起こっているのか理解出来ていなかった。何だ……?こいつら馬鹿なのか?……仇討?翔子と決闘をしろって言うのか?
……だが。
だが、願ったり叶ったりじゃないか!
正直、さっきまでは、もう駄目だと思っていた火東は、息を吹き返した気分だった。俄かには信じられないが、もしあいつらの口から俺がこの10年でやってきた事が暴露されたとしたら、本当に俺の人生は終わるだろう。
それに、この二人の雰囲気から自分はこの場所で殺されるのかとも思っていた。
だが、この場を上手く逃げられたとしたら……?
……逃げ切れるかもしれない。いや、絶対に逃げ切る!
金ならある。絶対に見つからない隠れ場所にも心当たりがある。
そこに潜伏して、頃合いを見計らって海外に高飛びすればいい。その手のルートにも心当たりがある。
火東は、心の中でニヤリと笑みを浮かべた。
腕には自信があった。火東からすれば、学生時代から鍛え上げた柔道で目の前の女子高生を捻り潰すなど、造作もない事だった。
何ならこの少女を人質にして逃げればいい。さっき気が触れちまったみたいだが、逃走中の慰み者くらいにはなるだろう。
……翔子は、いずれはと目にかけていた女だしな。
心の中で下卑た情事を想像しなから、火東は翔子の全身を舐める様に見つめる。後は、この少女が武器を持っていないか警戒すればいいだけだった。
だが、彼女が武器等を所持している様子はなかった。
水崎翔子は開始の合図があったにも関わらず、両手をぶらりと下げたまま、ぼーっと立っているだけだった。時折、空中へと視線を泳がせては、所在がない表情を浮かべている。
……本当に、気が触れてしまったのかもしれない。そう、火東は考えた。
しかし警戒は怠らず、ゆっくりと彼女へと近付いてゆく。そして自分の間合いまで近づくと、もう一度様子を確認してから一気に組み伏せようと少女へと飛び付いていった。
ゴスッ!と、鈍い音がした。
胸元を掴もうと伸ばしてきた火東の右手を、翔子が右肘でガードしたのだ。
だがそれは、もはやガードなどという生易しいものではなかった。肘という体で一番固い部位を使った、強烈なカウンターだ。火東自身の体重と突進力が乗った右手に、翔子の体重と打撃力を乗せた肘打ちを喰らわせたのだ。
手の甲にある骨など、簡単に砕かれる一撃だった。
「ぐあ!!」と、慌てて右手を引っ込めて悶絶する火東の金的を、容赦なく蹴り上げる翔子の左脚。
「うごっ!!」
堪らず前のめりに倒れ込んだ顔面に、今度は右脚の廻し蹴りをお見舞いする。
数メートル吹き飛んだ火東は、動かなくなった。
「ああ……言い忘れたけど、その子は強いぞ?うちの空手道場で、俺も含めた大人の男の誰一人として、彼女に敵う奴はいないからな」
小野が、今更言っても仕方ない言葉を口にする。
小野自身が全国の腕に覚えがある警察官が集まる空手大会で、上位入賞を何度もしている猛者だ。……その彼も敵わないと語った水崎翔子の実力は、如何ほどのものなのだろうか?
その言葉が終わるのを待っていたかの様に……
水崎翔子はふ――っと、深い深呼吸をして構えを取った。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
カリスマレビュワーの俺に逆らうネット小説家は潰しますけど?
きんちゃん
青春
レビュー。ネット小説におけるそれは単なる応援コメントや作品紹介ではない。
優秀なレビュワーは時に作者の創作活動の道標となるのだ。
数々のレビューを送ることでここアルファポリスにてカリスマレビュワーとして名を知られた文野良明。時に厳しく、時に的確なレビューとコメントを送ることで数々のネット小説家に影響を与えてきた。アドバイスを受けた作家の中には書籍化までこぎつけた者もいるほどだ。
だがそんな彼も密かに好意を寄せていた大学の同級生、草田可南子にだけは正直なレビューを送ることが出来なかった。
可南子の親友である赤城瞳、そして良明の過去を知る米倉真智の登場によって、良明のカリスマレビュワーとして築いてきた地位とプライドはガタガタになる!?
これを読んでいるあなたが送る応援コメント・レビューなどは、書き手にとって想像以上に大きなものなのかもしれません。
アンタッチャブル・ツインズ ~転生したら双子の妹に魔力もってかれた~
歩楽 (ホラ)
青春
とってもギャグな、お笑いな、青春学園物語、
料理があって、ちょびっとの恋愛と、ちょびっとのバトルで、ちょびっとのユリで、
エロ?もあったりで・・・とりあえず、合宿編23話まで読め!
そして【お気に入り】登録を、【感想】をお願いします!
してくれたら、作者のモチベーションがあがります
おねがいします~~~~~~~~~
___
科学魔法と呼ばれる魔法が存在する【現代世界】
異世界から転生してきた【双子の兄】と、
兄の魔力を奪い取って生まれた【双子の妹】が、
国立関東天童魔法学園の中等部に通う、
ほのぼの青春学園物語です。
___
【時系列】__
覚醒編(10才誕生日)→入学編(12歳中学入学)→合宿編(中等部2年、5月)→異世界編→きぐるい幼女編
___
タイトル正式名・
【アンタッチャブル・ツインズ(その双子、危険につき、触れるな関わるな!)】
元名(なろう投稿時)・
【転生したら双子の妹に魔力もってかれた】
俺のバラ色LIFE
パックパック
青春
俺は高校2年生の田中武。
そんな俺はなんのおもしろみもない高校生活に飽き飽きしていた。
家に帰る道で歩きながらそう思う。
そんなくだらないことを考えていると家がもう見えていた。
ため息をはきながら玄関の鍵を開けると、、
そこには金髪美少女が玄関マットの上で正座をしてこちらを見ていた。
俺は驚いてしりもちをついてしまった。
俺は頭の中を整理した。
そして、金髪美少女に話しかけた。
「あんたは誰だ。なぜ俺の家にいる?」
すると金髪美少女は口を開け答えた
「質問はひとつにしてくだいますか。まぁ答えましょう。私の名前はサトウ・トリトン・ショウ。あなたの親友の友達のお母さんの飼っている犬に頼まれてここにきたわ」
「そうか…わかった。あと、名前長いから頭文字をとってサトシとよぶ。いいな?」
「どうぞご自由に。」
そのとき俺は思った。
(これから暗く淀んだ人生が終わるかもしれない!)
そして、サトシとこれから俺の家で一緒に生活することになり、何事もなく武は寿命がきて死んでしまった。
サトシはなせが何十年も一緒に暮らしてきたのに武が死ぬことに悲しくなることはなく、武が亡くなった数年後に死んでしまった。
武は死ぬ直前に思ったことがあった。
それは、
(お腹すいたなぁ)
であった
個性派JK☆勢揃いっ!【完結済み】
M・A・J・O
青春
【第5回&第6回カクヨムWeb小説コンテスト、中間選考突破!】
【第2回ファミ通文庫大賞、中間選考突破!】
庇護欲をそそる人見知りJK、女子力の高い姐御肌JK、ちょっぴりドジな優等生JK……などなど。
様々な個性を持ったJKたちが集う、私立の聖タピオカ女子高等学校。
小高い丘の上に建てられた校舎の中で、JKたちはどう過ごしていくのか。
カトリック系の女子校という秘密の花園(?)で、JKたちの個性が炸裂する!
青春!日常!学園!ガールズコメディー!ここに開幕――ッッ!
☆ ☆ ☆
人見知りコミュ障の美久里は、最高の青春を送ろうと意気込み。
面倒見がいいサバサバした性格の朔良は、あっという間に友だちができ。
背が小さくて頭のいい萌花は、テストをもらった際にちょっとしたドジを踏み。
絵を描くのが得意でマイペースな紫乃は、描き途中の絵を見られるのが恥ずかしいようで。
プロ作家の葉奈は、勉強も運動もだめだめ。
たくさんの恋人がいるあざとい瑠衣は、何やら闇を抱えているらしい。
そんな彼女らの青春は、まだ始まったばかり――
※視点人物がころころ変わる。
※だいたい一話完結。
※サブタイトル後のカッコ内は視点人物。
・表紙絵は秀和様(@Lv9o5)より。
彼ノ女人禁制地ニテ
フルーツパフェ
ホラー
古より日本に点在する女人禁制の地――
その理由は語られぬまま、時代は令和を迎える。
柏原鈴奈は本業のOLの片手間、動画配信者として活動していた。
今なお日本に根強く残る女性差別を忌み嫌う彼女は、動画配信の一環としてとある地方都市に存在する女人禁制地潜入の動画配信を企てる。
地元住民の監視を警告を無視し、勧誘した協力者達と共に神聖な土地で破廉恥な演出を続けた彼女達は視聴者たちから一定の反応を得た後、帰途に就こうとするが――
拝み屋一家の飯島さん。
創作屋 鬼聴
恋愛
水島楓はコンビニでアルバイトをする、
女子大学生。とある日、大学内で妙な噂を耳にする。それは俗にいう、都市伝説。
「コツコツさん」。楓は、このコツコツさんに心当たりがあった。アルバイトの帰り後ろからコツコツと音がする。毎日音は大きくなる。
そんなある日、アルバイト先のコンビニに
拝み屋の男、飯島がやってくる。
この事件をきっかけに
怪しくも美しい、そして残念な、
変人拝み屋「飯島」によって
楓は淫靡で悍ましい世界へと
引きずりこまれていく。
怪談×サイコデレ
⚠︎多少のグロ、性的描写がございます。
性的描写には*。グロには⚠︎。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる