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第三章 死闘

第76話 一人きりの闘い 後編

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 軽く握られたダガーは男の顔の前で、まるで鎌首をもたげた蛇の様にゆらゆらと揺れながら目の前の得物を物色している。
 
 自慢とも威嚇とも受け取れる男の話を黙って聞いていた青葉だったが、聞き終えると、さも詰まらなそうな顔をして男に近づいていった。

 まったく躊躇のない青葉の動きに驚いたのか、男の握るダガーの動きが一瞬だけ止まった。青葉はその一瞬を見逃さず、一気に間合いを詰め男の懐へと入りこんだ。

 男もその動きに反応して刃先をかえしたが、青葉の左手が相手の手首を掴む方が早かった。ダガーを握っている右の手首だ。
 今度は往なさず、しっかりと手首を握り締め、青葉はそのまま外側に回転しながら男の右腕に全体重を乗せた。

 体重に強烈な回転が加わった重みだ。男はその重みに耐えきれず、バランスを崩して顔からアスファルトへと倒れ込んだ。

 ボキボキッ………!と、背中に伝わる振動を感じながら青葉は男を下敷きにしたまま、背中合わせに回転した。そして今度は男の左腕を掴むと逆方向に回転する。
 ボキボキッ!っと、また先程と同じ振動を背中に感じると、青葉は男の左腕から手を離して地面へと降り立った。

 青葉の足元には正座をした恰好で顔をアスファルトに着けた男が、両腕をダラリとさせながら座り込んでいる。……もう彼は、ピクリとも動かなかった。

「流派なんて、どうだっていいじゃないですか?だってどれも最強で、どれも最弱ですからね。様は一つの技をどれだけ極めるか、じゃないん…です…………か?」

 青葉はそこまで話して、話すのを止めた。そして――

「………聞いてないです」

 と、独り言を呟く。どうやら男はもう、青葉の話には耳を傾けてはいない様子だ。

 青葉は少し恥ずかしそうに辺りをキョロキョロと見渡してから、乱れてしまった髪と制服を整えるとポケットに手を入れてスマホを取り出した。そしてグループ通話を繋げる前に軽く咳払いをしてから、終わりました………と、皆に声を掛けた。

「青葉!無事に逃げられたのか!?大丈夫かよ!?」

 直ぐに彼が、心配そうな声を掛けてくれた。その声を聞いた瞬間、キュッと自分の胸の奥が苦しくなったのを感じた。

 心配してくれていたのが、嬉しかった。
 ……答える声が、心なしか震える。

「……いえ、終わりました」

「は?終わったって何が……」

 その質問に答える為に、青葉はスマホでゆっくりと周囲の様子を見せた。だが、スマホの向こうからは何の反応も帰って来ない。不審に思った青葉は、またスマホの画面を覗き込んだ。

 するとそこには、明らかにドン引きした顔のユウと、顔を引きつらせながら一生懸命な笑顔を見せているいずみ。そして不憫そうな顔で自分を見つめてくる姉の姿が写っていた。
 
 青葉はその時に初めて、自分は”やらかした”のだと気付いた。
 怖くて、彼の顔が見れない自分がいる。

「……で、でもさ、無事で何よりだったよぉ。本当に青葉ちゃんは、強いんだね」

 いずみちゃんが誉め言葉をかけてくれた。きっといつもだったら、嬉しかったに違いない。それに今のは、彼女なりの精一杯の慰めの言葉でもあったのだろう。しかしその優しさが、今の青葉の心には逆に追い打ちの様にダメージを負わせた。


 ……もう、終わりだ。と、思った時だった。

「本当に……強いんだな。でも心配したんだぞ?とにかく、無事でよかった」

 声が聞こえて、視線が思わず彼へと向いてしまう。
 そこには目を潤ませた彼が、 優しくも心配そうな笑顔を向けてくれていた。


「……はい」

 そう答えながら、青葉は今すぐに彼に逢いたいと思った。

 
 青葉がぽ~っとしていると、姉が声を掛けてきた。

「小野さんには連絡しておいたから、10分位で警察がそっちに行くと思うわ。あなたはそこで待機していて、しっかりと事情を説明なさい。
 ……大丈夫、小野さんには前もって事情を話してあるから、大して時間は掛からないと思う。なんだったらパトカーに乗せてもらって、こちらに来なさい。全面的に協力してくれる筈だから。
 
 ……青葉、それからね。そこで寝ている人達の中に、話が出来そうな人はいる?」

「………多分」と、青葉が足元で正座している男に視線を送ると、画面の向こうの姉が、意味深な微笑みを浮かべる。

「………そう。だったら警察が来る前に、事情聴取に協力的になる様に。分かるでしょう、青葉?」

「あ… はい。分かりました、姉さん」

 そして申し訳なさそうな顔をした彼からも、嬉しい要望を伝えられた。

「あのぅ……出来るだけ早く、こっちに来れないか?青葉がいると心強いんだけど」

 私だって、早く逢いたい……

 青葉は、心の中で思う。


「そのことなら大丈夫です。だって姉さんの方が、私よりずっと強いんですから」

「……はぁ?どういうことなの?」

「私は、姉さんに試合でも稽古でも一度も勝てたこと……… 」

 彼の質問に素直に答えていると、その声に被せる様に姉が大きな咳払いをした。

「……あなたは、何を話しているのかしら?そんなことより時間が無んだから、よろしくね、?」

 笑顔で自分を見つめてくる姉の目。その目を見た青葉は、自分がまた”やらかした”ことに気付く。………どうやら明日の稽古は、地獄を見そうな予感。

 コクリと頷くと、青葉は震える指で通話オフをタップした。


 気持ちを落ち着かせようと、青葉は辺りの様子に視線を向けた。

 ………気が付けば、日が傾きかけている。


 少しの間…… 青葉は、自分の胸に手を置いた。

 夜風を含みはじめた風が青葉の黒髪を優しく揺らし、一人きりの闘いで少し火照った身体を、ゆっくりと冷ましてゆく。
 目を閉じながら感じたその風は懐かしい香りがして、揺り動かされたのは幼い頃の記憶たちだ。

 それは姉と縁側で過ごした日向ぼっこのお日様の香りと、優しく抱きしめてくれた温もりだったり………。いずみちゃんと泥だらけになって観た、近所の公園の夕焼けの色だったりした。

 その風はそんな懐かしい記憶を思い出させ、青葉を不思議な気持ちにさせてくれたのだった。……この不思議な気持ちこそが、彼の言っていた幸せという気持ちなのかもしれなかった。

 彼の優しい笑顔を思い浮かべながら、ほんの一時だけ…… そんなことを考えた。

 そして――

 青葉は、目の前で丁寧なお辞儀をしている彼に冷たい視線を向ける。
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