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本編

LEVEL11 / 焦り(後編)

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 時計の針は午後8時30分を回っていた。

 学進ゼミナール。即ち勇斗が訪れた塾ではお盆休みの間、授業はない。


 しかし自習室じしゅうしつを利用したい生徒。そして講師達は夏期講習のの作成に追われているため、お盆休みの期間でも基本的に教室が解放されていた。

 午後8時に自習室は閉室へいしつとなり、生徒が次々に教室を出て行く。そして他の講師も教室を後にする。今残っているのは室長の石津と講師の杉田の2人である。


 「何か、先を越された感じっすね」
 「ああ、まさか学校に先を越されるとはな」

 授業の教材にゲームや漫画、あるいはアニメを使用したい。その企画を最初に提案したのは石津だった。そして、その内容に賛成したのは今ここにいる杉田。そして千賀美智子せんがみちこ鳥居久恵とりいひさえであった。


 「いい企画だと思うんですけどね~」

 石津が企画の骨子を作成し、それを基に杉田が中心となって企画書を仕上げる。

 自画自賛じがじさん、といえば確かにそうかもしれない。しかし「子供達がゲームや動画ばかり見て、勉強しなくて困っている」という保護者達に対し、その状況を逆手にとって学習意欲がくしゅういよくを高めるという手法は非常に画期的がっきてきなものだ。少なくとも企画を作成した彼等はそう考えていた。


 しかし……

 「しょうがないさ。所詮、俺達はやとわれの身だ」

 彼等の期待とは裏腹うらはらに、本部の評判は決してよいものではなかった。それどころか、

 「こんなもので成績なんか上がるわけがない!」
 「勉強を舐めるな!」


 そして何より、

 「じゃあ、実績をアピールしてみろ!」

 その実績をこれから作ろうとしているというのに、一体何を考えているのだろうか。


 「おかしいっすよね。それがないから今から実績を作ろうってのに」
 「全くだよな。お役所仕事でもしてんのかって思うよ」
 「で、そのお役所仕事の公立中学校にってわけですか」
 「全くだ。実は役所の方がかしこかったというわけだ」

 お役所仕事、と聞いてよいイメージを浮かべる人間はまず存在しないだろう。とりわけ「民間みんかん」というキーワードと比較すれば、後者を引き立たせる存在に思う人も少なくないのかもしれない。


 「で、「民間の俺達は絶対正しい」って調子こいている内にっすか……」
 「まあ、でも成長が止まった大手企業なんて、大体そんなもんだよ。ある意味、役所より性質タチが悪い」

 学進ゼミナールは、学習塾としては大手である。中学受験では新規参入しんきさんにゅうながら、業界でも1、2を争う規模に成長を遂げた。

 そして最近は、その勢いに乗って高校受験。そして大学受験にも進出し、急速な教室数の増加を行っている。成長が止まったどころか、逆に成長のにある企業だ。

 ただ、その目覚ましく成長を遂げる企業としては意外な程、生徒の指導方針に関しては相変わらず旧態依然きゅうたいいぜんとした手法が用いられていた。


 ――とりあえず大量の課題を出す。

 まず頻繁ひんぱんにテストを行う。そして、そのテストの問題で間違った問題の部分をデータに入力し、それを基にされたプリントが「弱点強化じゃくてんきょうか」。即ち課題として作成される。

 テストの点が良かった子はわずかな量で済まされる一方、点数が悪かった子には、さながら「罰ゲーム」の如く大量の課題が与えられるようになっていた。

 人によってはそれを「無謀むぼう」あるいは「虐待ぎゃくたい」と感じる人すらいるかもしれない。だが、それによって一生懸命勉強しているように見える子の姿を見て、多くの親はする。


 「出来ない子程、ますます課題に追われて出来なくなるわけだ」
 「ホント、悪循環あくじゅんかんっすよね」
 「そのとおり」
 「出来ない子に、あんな量の課題を出したって無理だっつーの」
 「全くそのとおり」
 「出来ない子ほどまず、無駄な課題から全て解放してあげないと」
 「ホントそれ、まさしくソレだよ」

 小学校の勉強。例えば漢字の書き取りや計算ドリルであれば、それもある程度は必要なのかもしれない。

 しかし、一定の思考力。即ち論理展開ろんりてんかい能力が求められる中学校以降となると、そのような「力技ちからわざ」は自ずと限界を露呈ろていする。


 論理展開能力……即ち「思考力の基礎」が身についていない子はその後、いくら努力をしたって基本的に成績は伸びない。自ずとそこが勉強の「終着点しゅうちゃくてん」だ。

 そこで勉強をあきらめ、非行に走る子だっている。あるいは非行に走ることのできない真面目な子は、自ずと学校に行く事が億劫おっくうになり、結果として「引きこもり」になってしまう……

 そんな惨状さんじょうを多く見てきた石津は、かねてから「何とかしなければならない」と思っていた。にもかかわらず、本部の回答は「No」である。


 「ただ、ここは直営ちょくえいだからな~」

 石津の言う直営とは、本部が直接、運営する校舎のことだ。

 学進ゼミナールでは教室の運営者を募集するフランチャイズ校と、直営校の2つの形態けいたいが存在している。

 前者は教室の運営が一定の裁量さいりょうで認められる反面、高額な加盟料かめいりょうと月々の、即ち上納金じょうのうきんが課せられていた。


 それに対し、後者は本部が直接運営にたずさわる。室長は本部から派遣はけんされ、加盟料もロイヤリティーも支払わない。その代り、本部の命令は「絶対」だった。

 虎ノ口校は最近まで、フランチャイズ校だった。だが、ライバルである阪口塾さかぐちじゅくが進出してくると虎ノ口中学校の生徒の多くはそこに流れ、前室長は生徒が集まらないことを理由に運営権を放棄ほうきしてしまった。

 急遽きゅうきょ直営校となったここの当面の目標は新規の、そして阪口塾に流れた虎ノ口中学校の生徒を一人でも多く獲得し、その競争に勝つことが「ノルマ」となっている。


 「そのための切りふだじゃないっすか」
 「でも、それは塾の方針ほうしんじゃないってことだ」
 「納得いかないですよ!」
 
 杉田にしてみれば、あんな課題けの方法で生徒の成績が向上こうじょうする事なんて有り得ない。弱点の強化は一度に全部やるものではなく、個々の部分から潰していく。いわば「各個撃破かっこげきは」というのが彼の持論だった。

 いや、杉田だけではない。そもそも、この企画を最初に提案した石津だって。そして企画に賛同さんどうした千賀だって、鳥居だって、みんなそうだ。


 だが本部の見解けんかいは全く違う。

 「とにかく課題をたくさん出せ」
 「子供が課題をやっている姿を見て、親は満足するもんだ」
 「成績が伸びないのは、あくまで自己責任じこせきにん

 おかしいじゃないか。そもそも塾が成績を伸ばす手伝いをするどころか逆に、足をいるではないか、というのが今回の企画を考えた彼等の主張であった。


 「でも、それが現実なんだよ」
 「現実って何ですか?」
 「つまり「もうけ主義」ってことさ」

 塾長の大神官二郎おおがみかんじろうは、どこまでもビジネスライクだ。彼の経営哲学によれば、生徒の成績を向上させることはおろかな事だそうだ。


 「全くふざけてますよね」
 「そう、ふざけている。教育者としてはね」
 「ただし……っすよね」
 「そう。ただし教育者ではなく、としては、だ」

 一見すると矛盾むじゅんするかもしれない。しかし言われてみれば、それは必ずしも間違っているとはいえないものだった。

 生徒の成績が短期間で向上すれば、自ずと塾は存在価値を失ってしまうことになる。なぜなら「出来る子」となった生徒は塾など通わず、自宅や図書館でも使って勉強をする。そして成績を向上させてしまうからだ。


 だが、いつまでも生徒の成績が上がらない場合はどうか。本人はもちろんのこと、何より親が子供を塾にしばりつけようとする。

 その結果、親がいつまでも塾にお金を出す。まるで「教祖様きょうそさまにお布施ふせする信者しんじゃのように」だ。


 「でも、仮にゲーム感想文で虎ノ口中学校の生徒達が国語力を一気に向上させてしまったら……」
 「塾としてはまずいよな。それに、その時は俺、解雇クビじゃないか」

 むろん、クビになるのは正社員である石津だけではない。

 「杉田先生。君だって……まあ、バイトならまだマシか」
 「嫌ですよ。なんか悔しいじゃないっすか!そんなインチキな連中につぶされた感じでめるなんて」
 「でも、そんなインチキな連中でも一応、俺達の雇い主だしさ……」

 石津は確かに本部の経営方針に疑問も持っていた。しかし、今の待遇たいぐうそのものは決して悪くない。

 そして何より、不景気で就職口が極端きょくたんに少なかった時期に何とか正社員としてひろってもらったという恩義おんぎじょうが、少なからず存在していたのである。


 「与えられた環境かんきょう頑張がんばるしかない、そんなときもあるさ……」

 ある意味、石津は妥協だきょうしていた。そんな中で今回、杉田達と共に考えた計画は、久々に「自分らしさ」を発揮できたこととして、精神的な充足感じゅうそくかんを味わえるものだった。


 「感謝はしてるよ。結果はどうあれ、だ」

 とはいえ、このまま虎ノ口中学校の生徒達が自分達の塾に通わないことが決定的となると、自分の将来にも関わってくる。

 最悪、虎ノ口校が撤退てったいとして。その後、本部に戻ったところで自分の椅子いすが存在しているのかどうか……

 もちろん、それは石津だけではない。アルバイトである杉田等も含め、ここにいる全員が「明日あす」であった。


 「何とかしないとな」

 石津を始め、虎ノ口校のスタッフ達もまた「焦り」を隠せないでいたのである。
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