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本編
LEVEL10 / 焦り(前編)
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時計の針は午後8時30分を回っていた。
「遅いな、勇斗の奴」
8時を過ぎると広王は、カップラーメンをすすりながら1分おきにリビングの時計をチラチラと眺めていた。
16歳未満は18時以降、ゲームセンターにいることが出来ない。もしそれを無視して滞在すれば補導の対象となるのだ。中学生である勇斗は当然、その中に含まれる。
「補導されて学校にでも通報されたら、一体どうする気だ」
本人のスマホに直接連絡を入れようか。いや、ゲームセンターにいるとは限らないし。
そうこう考えている内に、時間だけが過ぎて行った……
「ただいま」
勇斗が返ってくると、広王は玄関で腕を組み、仁王立ちの状態で彼を迎える。いや、迎えるというには、あまりにも高圧的。そのしかめっ面は、逆にそのまま追い返さんばかりである。
「こんな時間まで一体、何をしてたんだ!」
「まだ9時前だろ」
「中学生が、こんな時間に外を歩いていいと思ってんのか!」
「塾だよ、文句あるか!」
「塾?嘘をつくな!」
「ウソじゃねーよ!」
「どこの塾だ!」
「どこって、バカじゃねーのか。学進ゼミナールだよ」
「何ィ!」
「だから塾だって言ってんだろ!」
「もういっぺん言ってみろ!」
「だから塾だって言ってんだろ!」
「親に向かってその口の聞き方は何だ!」
「塾だって言ってんだろうが、何が言いたいんだよ!」
「バカとは何だ、取り消せ!」
「人の揚げ足ばっかとってんじゃねーよ、バーカ!」
「ちょっと来い、話がある」
「知るかよ」
広王が勇斗の腕を掴もうとすると、彼はその腕を振り払い、逃げるようにして2階の自分の部屋へと籠る。
▽
「全く、塾に行ったのに何で怒られなきゃいけねーんだよ」
塾の講師に怒られるリスクはあった。しかし、それを承知で行ったというのだ。
加えて夏期講習に申込んでおらず、授業が受けられない可能性もあった状態だった。
にもかかわらず、夏休みの宿題を何とかしようと思って勇斗なりに一生懸命行動した。
もし一連の事情を全て知っていれば、褒める事はあっても怒られる理由なんてないはずだ。塾ならばともかく親は、である。
「何でもかんでも頭ごなしに否定しやがって!」
中学校に入学した辺りだろうか、勇斗は父親に対し、自分が必要以上に干渉《かんしょう》をされていると感じるようになった。
口を開けば「勉強をしろ」という。むろん、親が子に勉強をしろというくらいならば、どこの家庭でも一緒だと思っていた。
ところが勇斗がある休日、音楽を聞きながら英語の勉強をしているときだった。夕食の時に広王は、彼が遊んでいたと一方的に決めつけた。
「勉強していたんだよ!」
「嘘をつくな!」
「なんで嘘だって言うんだよ!」
「お前の部屋から音楽が聞こえてたじゃないか!」
「音楽を聞きながら勉強してたんだよ!」
「音楽なんか聞きながら勉強なんか出来るはずがないっ!」
「なんで勝手に決めつけるんだよ!」
「ちゃんと勉強しろ!」
「してるって言ってんじゃないか!」
「何だとぉ!」
大体、いつもこんな感じだ。つまり勉強、というより「正しく机に向かって」勉強しているかがどうかが重要とでもいいたいのか。とにかく勉強というよりも勉強「姿勢」に異常な執着を見せる。
「あれじゃあ、全くやる気をなくすんだよ」
勇斗は父親が自分の成績に満足していない事をよく理解していた。それに対し、親の期待に応えようとそれなりの努力もしてきたつもりだ。
にもかかわらず、その努力を最初に否定しようとする。つまり勇斗が努力することは否定し、父親である自分自身が決めた努力方法で努力する事以外、一切認めないというのだ。
もっともそれが正しく。やればやるほど成績が上がったというのであれば喜んで従ったのかもしれない。
しかし現実は違う。
数学の点数が平均点を下回ったとき、広王は大量に小学校の計算ドリルを買ってきて「基礎からやり直せ」と命令した。いや数学だけじゃない。とにかくテストの点数が悪いと、まるでその事実を打ち消すかの如く大量の問題集やら、参考書を買ってくるのだ。
「そもそも、その参考書の内容が理解できないんですけど……」
まあ、そんなことを言ったが最後。「口の聞き方が悪い!」といって、また怒鳴り散らすのは目に見えている。
今回のゲーム感想文だってそうだ。
「だったらお前が書いてみろよ」
その言葉が喉の先まで出かかっていたが、どうせまた口喧嘩になる。そして結論はいつも決まっている。
「親に逆らうなんて生意気だ」
「文句があるならテストで高得点をとってから言え」
もうウンザリだ。だから最近の勇斗は極力、父親と距離を置くことで何とか面倒な問題を回避しようとすることに神経を集中するようになっていた。
「でも……本当に大丈夫なんだろうか?」
自分を担当することになった、あの杉田とかいう東大医学部の学生を名乗るチャラ男。
「確か、3日もあればドラクエのシナリオを把握するのに十分だって言ってたよな」
じゃあ一体、1か月以上も。それも徹夜でゲームに打ち込んだ日もある自分は一体何なんだ。アイツは3日、それも徹夜もしない。さらには教授から緊急の呼び出しがあるかもしれないから、実質的には1日くらいで十分だという。
「アイツ、ドラクエのこと舐めてんじゃねーの?」
勇斗にしてみればどうしても納得がいかない。いや、納得がいかないといえば聞こえはいいが……
要するに彼の教え方が理解できず、感想文が書けなかった時のことを考えてしまう。その不安があまりにも大き過ぎた、いう方がより正しい気持ちであろう。
いや、不安というよりは、焦りといった方が正しいのかもしれない。杉田という人物に一抹の不安を抱いてはいたものの、今は彼しか頼ることが出来ない自分。
そしてそれが失敗すればもう後がない、という現状に対し、正直言って焦りを感じていたのだ。
それだけじゃない。焦っているのはおそらく、自分だけではない。
少なくとも稔は焦っている。そして自分が塾の先生から解答を引き出してくれることを心待ちにしている。
「他の連中もおそらく、一緒だろうな……」
今はやれ、部活で忙しいとか。あるいは家族旅行に出かけている間は仕方がない、と「不都合な真実」から目を瞑っている連中だって、嫌でも現実を見なければならない時が来る。
そして、慌てて「模範解答探し」を始めようとする。しかし今回の課題は文学作品ではなく、ゲームだ。当然だがそれはネット上に存在しない。
「と、なると……」
クラスで勉強の出来る奴の感想文を「回し読み」でもすることになるのだろうか。少なくとも去年、勇斗を始め、読書感想文が書けなかった生徒達の最後の課題は賢木の感想文を写経することだった。
しかし今年はそうはいかない。なぜならゲーム感想文に異を唱えた女子は基本的に課題が存在しないからだ。したがってクラス一の秀才である賢木も、そして文学少女の月城もゲーム感想文は書かない。
それは即ち、模範解答を「供給」する人間が不在ということを意味する。
「じゃあ、一体誰が……」
「遅いな、勇斗の奴」
8時を過ぎると広王は、カップラーメンをすすりながら1分おきにリビングの時計をチラチラと眺めていた。
16歳未満は18時以降、ゲームセンターにいることが出来ない。もしそれを無視して滞在すれば補導の対象となるのだ。中学生である勇斗は当然、その中に含まれる。
「補導されて学校にでも通報されたら、一体どうする気だ」
本人のスマホに直接連絡を入れようか。いや、ゲームセンターにいるとは限らないし。
そうこう考えている内に、時間だけが過ぎて行った……
「ただいま」
勇斗が返ってくると、広王は玄関で腕を組み、仁王立ちの状態で彼を迎える。いや、迎えるというには、あまりにも高圧的。そのしかめっ面は、逆にそのまま追い返さんばかりである。
「こんな時間まで一体、何をしてたんだ!」
「まだ9時前だろ」
「中学生が、こんな時間に外を歩いていいと思ってんのか!」
「塾だよ、文句あるか!」
「塾?嘘をつくな!」
「ウソじゃねーよ!」
「どこの塾だ!」
「どこって、バカじゃねーのか。学進ゼミナールだよ」
「何ィ!」
「だから塾だって言ってんだろ!」
「もういっぺん言ってみろ!」
「だから塾だって言ってんだろ!」
「親に向かってその口の聞き方は何だ!」
「塾だって言ってんだろうが、何が言いたいんだよ!」
「バカとは何だ、取り消せ!」
「人の揚げ足ばっかとってんじゃねーよ、バーカ!」
「ちょっと来い、話がある」
「知るかよ」
広王が勇斗の腕を掴もうとすると、彼はその腕を振り払い、逃げるようにして2階の自分の部屋へと籠る。
▽
「全く、塾に行ったのに何で怒られなきゃいけねーんだよ」
塾の講師に怒られるリスクはあった。しかし、それを承知で行ったというのだ。
加えて夏期講習に申込んでおらず、授業が受けられない可能性もあった状態だった。
にもかかわらず、夏休みの宿題を何とかしようと思って勇斗なりに一生懸命行動した。
もし一連の事情を全て知っていれば、褒める事はあっても怒られる理由なんてないはずだ。塾ならばともかく親は、である。
「何でもかんでも頭ごなしに否定しやがって!」
中学校に入学した辺りだろうか、勇斗は父親に対し、自分が必要以上に干渉《かんしょう》をされていると感じるようになった。
口を開けば「勉強をしろ」という。むろん、親が子に勉強をしろというくらいならば、どこの家庭でも一緒だと思っていた。
ところが勇斗がある休日、音楽を聞きながら英語の勉強をしているときだった。夕食の時に広王は、彼が遊んでいたと一方的に決めつけた。
「勉強していたんだよ!」
「嘘をつくな!」
「なんで嘘だって言うんだよ!」
「お前の部屋から音楽が聞こえてたじゃないか!」
「音楽を聞きながら勉強してたんだよ!」
「音楽なんか聞きながら勉強なんか出来るはずがないっ!」
「なんで勝手に決めつけるんだよ!」
「ちゃんと勉強しろ!」
「してるって言ってんじゃないか!」
「何だとぉ!」
大体、いつもこんな感じだ。つまり勉強、というより「正しく机に向かって」勉強しているかがどうかが重要とでもいいたいのか。とにかく勉強というよりも勉強「姿勢」に異常な執着を見せる。
「あれじゃあ、全くやる気をなくすんだよ」
勇斗は父親が自分の成績に満足していない事をよく理解していた。それに対し、親の期待に応えようとそれなりの努力もしてきたつもりだ。
にもかかわらず、その努力を最初に否定しようとする。つまり勇斗が努力することは否定し、父親である自分自身が決めた努力方法で努力する事以外、一切認めないというのだ。
もっともそれが正しく。やればやるほど成績が上がったというのであれば喜んで従ったのかもしれない。
しかし現実は違う。
数学の点数が平均点を下回ったとき、広王は大量に小学校の計算ドリルを買ってきて「基礎からやり直せ」と命令した。いや数学だけじゃない。とにかくテストの点数が悪いと、まるでその事実を打ち消すかの如く大量の問題集やら、参考書を買ってくるのだ。
「そもそも、その参考書の内容が理解できないんですけど……」
まあ、そんなことを言ったが最後。「口の聞き方が悪い!」といって、また怒鳴り散らすのは目に見えている。
今回のゲーム感想文だってそうだ。
「だったらお前が書いてみろよ」
その言葉が喉の先まで出かかっていたが、どうせまた口喧嘩になる。そして結論はいつも決まっている。
「親に逆らうなんて生意気だ」
「文句があるならテストで高得点をとってから言え」
もうウンザリだ。だから最近の勇斗は極力、父親と距離を置くことで何とか面倒な問題を回避しようとすることに神経を集中するようになっていた。
「でも……本当に大丈夫なんだろうか?」
自分を担当することになった、あの杉田とかいう東大医学部の学生を名乗るチャラ男。
「確か、3日もあればドラクエのシナリオを把握するのに十分だって言ってたよな」
じゃあ一体、1か月以上も。それも徹夜でゲームに打ち込んだ日もある自分は一体何なんだ。アイツは3日、それも徹夜もしない。さらには教授から緊急の呼び出しがあるかもしれないから、実質的には1日くらいで十分だという。
「アイツ、ドラクエのこと舐めてんじゃねーの?」
勇斗にしてみればどうしても納得がいかない。いや、納得がいかないといえば聞こえはいいが……
要するに彼の教え方が理解できず、感想文が書けなかった時のことを考えてしまう。その不安があまりにも大き過ぎた、いう方がより正しい気持ちであろう。
いや、不安というよりは、焦りといった方が正しいのかもしれない。杉田という人物に一抹の不安を抱いてはいたものの、今は彼しか頼ることが出来ない自分。
そしてそれが失敗すればもう後がない、という現状に対し、正直言って焦りを感じていたのだ。
それだけじゃない。焦っているのはおそらく、自分だけではない。
少なくとも稔は焦っている。そして自分が塾の先生から解答を引き出してくれることを心待ちにしている。
「他の連中もおそらく、一緒だろうな……」
今はやれ、部活で忙しいとか。あるいは家族旅行に出かけている間は仕方がない、と「不都合な真実」から目を瞑っている連中だって、嫌でも現実を見なければならない時が来る。
そして、慌てて「模範解答探し」を始めようとする。しかし今回の課題は文学作品ではなく、ゲームだ。当然だがそれはネット上に存在しない。
「と、なると……」
クラスで勉強の出来る奴の感想文を「回し読み」でもすることになるのだろうか。少なくとも去年、勇斗を始め、読書感想文が書けなかった生徒達の最後の課題は賢木の感想文を写経することだった。
しかし今年はそうはいかない。なぜならゲーム感想文に異を唱えた女子は基本的に課題が存在しないからだ。したがってクラス一の秀才である賢木も、そして文学少女の月城もゲーム感想文は書かない。
それは即ち、模範解答を「供給」する人間が不在ということを意味する。
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