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九死からの一生。

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 人質に対する横暴な対応に罵倒を続けていた私は、茂みの暗がりからこちらを覗き見る、赤く光る二つのナニカを見付けて顔を強張らせた。直後、茂みを掻き分けて姿を見せたのは、出会っちゃいけない存在だった。

「ぐっ、グリズリーっ!」
「ケ、ケケケケケケッ!」

 グリズリー。名前と見た目からしても紛う事なくクマ。ただし、二メートルはあるだろうマッチョ男より頭一つでかい。触れば心地良さそうなもふもふとした毛並みに反して、鋭い牙と爪を見せて威嚇していた。ナルシブサ男の『ケ』が矢鱈と多いのは、ビビっているからだろう。遭っちゃった。森の中でクマさんに遭っちゃった!

「ケケッ、逃げるか?」
「いやダメだ、逃げても追い付かれる。ここはヤるしかねぇ。見せてやるぜ、オレ様の上腕二頭筋をなぁっ」
「ケケケ。そうだ、お前の上腕二頭筋とオレ様の薬でこんなヤツなんか楽勝だぜ」
「応よ! 唸れオレ様の上腕二頭筋っ! ゆくぞグリズリーっ! 上腕二頭筋アターックッ!」

 上腕二頭筋を連呼するなやかましい。

「うおおおっ! ──お?」

 勇んでグリズリーへと向かったマッチョ男。しかし、熊が振るった何気ない腕のひと振りで、マッチョ男の身体が二つに分かたれた。直後にふわりと風が吹き抜ける。

「ひっ!」
「ケッ!?」

 ちょっと漏れた。吹き上がる鮮血、目の前で起こった人の死。屈強な大男があっさりと為す術もなく血の海に沈んだ。その恐怖が、股間を弛緩させた。

「グゥルゥ……」

 次はどっちをヤろうか。と言わんばかりに、グリズリーは私とナルシブサ男の交互に鋭い眼光を放つ。益々弛緩する私の股。『女の子のお肉は柔らかくて美味しいらしいよ』。イケメン天使の余計な一言が頭を過る。お願い、美味しいものは最後まで取っておく派であってくれ。と、恐怖のあまり変な事を考えてしまっていた。

「ケケッ!」

 ナルシブサ男が動いた。ただし、グリズリーの方ではなく、やって来た道を引き返す様に駆けてゆく。私を置いて逃げる腹積もりの様だ。しかし、動くモノを追い掛けるのは獣の習性なのだろう。それはグリズリーが許さなかった。あっという間にナルシブサ男に追い付いたグリズリーは、逃げられないと知って交戦の構えを見せたナルシブサ男をもあっさりと三枚におろす。再び吹き上がる鮮血。ドチャリと生々しい音が耳に届いた。『次は私の番だ』そう思うだけで漏れが収まらない。

「グルゥ……」
「ひぃ……」

 ゆっくりと振り向き、鋭い眼光を飛ばすグリズリー。鋭利な牙を剥き出しにして、顔に付いた液体をベロリと舐め取る。私を見つめる眼差しは正に野獣の目。『お嬢さんお逃げなさい』という、件の歌の様にならない事は確かだった。

「ひ……ひ……」

 ゆっくりと歩み寄って来るグリズリー。恐怖におののき息苦しさを感じて意識が薄れる。スグソコに死が迫っていた。

「コッチだっ!」
「グルァッ!?」
「え……」

 何処からともなく届いた声にグリズリーが反応する。若い男の声の様だが、その姿は何処にも見えない。と、一体何処から放ったのか、グリズリーの身体に何本もの矢が突き刺さった。

「グアアアッ!」

 咆哮を上げて刺さった矢の方向へと駆け出すグリズリー。駆け出した方向とは別な所から矢が飛来する。その精度は百発百中。グリズリーがいかに動こうとも一本も外れる事が無く、まるで磁石でも付いているかの様に尽くその身体に吸い込まれてゆく。凄まじい技量の持ち主だ。

 その後、四方八方から飛来する矢に翻弄され続けたグリズリーは、やがて地響きと共にその動きを止めた。

「一体、誰が……?」

 辺りを見渡しても誰も居ない。ハラリと舞い落ちてきた木の葉に、上だと判断して仰ぎ見る。同時に、樹から影が虚空へと飛び出した。影はスマートな着地を決めるとニコリと微笑み、私はその顔を惚けて眺めていた──



 親方、空から女の子がっ。名作映画のワンシーンが頭を過ぎる。あちらは美少女だったがこっちは違う。

 サラサラな金色の髪。背は私とマッチョ男の中間程。百八十くらいはあるだろうか? 細く長い手足は、マッチョ男とは違って無駄に筋肉は付いていない。街を歩けば数十人が声を掛ける程の容姿端麗な美青年。何よりも特徴的なのがその耳。そう、彼はエルフだったのだ。

「ええっと、貴女がアユザワさん?」

 柔らかく優しい声。容姿も相まって、胸がキュンキュンしたのは言うまでも無い。

「は、はいっ。そうですっ」
「良かった。貴女を探していたんですよ」

 彼はエルフの国の王子様で、街で見掛けた私に惚れて妃として迎える為に探していた。そんな勝手な解釈が脳内を巡る。それを遮ったのは、聞き覚えのある声だった。

「ああ、良かった。間に合いましたか」

 傍らにもう一人のイケメンエルフを侍ら……引き連れてやって来たその人物は、アルカイックスマイルを燦然と輝かせる。

「予定日になってもお越しにならないので、アユザワ様のご自宅までお伺いしたのですが、いらっしゃらない。嫌な予感がして情報を集めると、男二人と街を出たっていうじゃありませんか。大慌ててハンターを雇い追い掛けて来たのですが……ご無事で何よりでした」

 イケメンエルフによって拘束を解いて貰ったはいいが、覚束ない足取りで二歩進んだ所でペタンと地面に座り込む。

「こ、怖かった……」
「大丈夫ですか? 魔物は普通の獣とは違います。『威嚇』によって受ける影響は、唯の獣より遥かに強いですからね」
「ルレイルさん。そういう話は街に戻ってからにしましょう。血の匂いを嗅ぎ付けて、何時他の魔物がやって来るか分かりません」

 縄をナイフで切ってくれたイケメンエルフが周囲を警戒しながら言う。そういえば、この男性ギルド員の名前を聞いてなかったな。ルレイルさんっていうのか。

「ああ、そうですね。アユザワ様、立てますか?」
「ああ、はい。少しは落ち着いてきたので大丈夫です」

 よっこいしょ。と立ち上がり、お尻に着いた枯れ葉を叩き落としていると、スッと目の前に一枚の布が差し出された。

「何ですか、これ?」
「ローブです。これから街に戻りますのでこちらを羽織って下さい」

 羽織る……? 仰っている意味がよく分かりません。

「えっと……?」
「流石にそのままの格好では不味いでしょうからね」
「別に普通のカッコ……」

 そこで言葉に詰まる。直後、炎が吹き出たかと思える程に、恥辱で顔が充血してゆくのを感じた。

「み、み……見ちゃらめぇぇっ!」

 三人に対する嘆願の叫びが、静かな森に木霊したのだった──



 森の中を走る獣道を四人は外へと歩いてゆく。先導するのは『アルカイック』のルレイルさん。私はイケメンエルフに挟まれて歩いていた。イケメン二人に挟まれて『グヘへ、ハーレムじゃぁ。』と喜ぶべき状況なんだけど、さっきの事を思えばそんな考えも恥辱に埋もれてしまう。

「別に良くある事ですから、恥じる必要はありませんよ」

 渡されたローブを頭からガッツリと被り、異世界地図が絶対に見えない様に内側からガッチリとホールドして、項垂れながらトボトボ歩く私に声を掛けるルレイルさん。

 そんな事を言われても、恥ずかしいモノは恥ずかしい。可憐な美少女のお股に描かれた立派な異世界地図を、事もあろうにイケメン。それも二人にも見られたのだ。これはもう責任を取って貰い、イケメン二人の嫁に迎えてもらうしか無い。

「ええ。冒険者稼業をしている者でさえ、恐怖を感じれば漏らしてしまう人も居ます。それに、そのお陰もあって貴女を見付ける事も出来たのですから」

 か、嗅いだのっ?! 乙女の恥ずかしいかほりをっ!?

「エルフは耳だけでなく鼻も利きますからね。それに彼等は弓の名手でもありますから、お願いして正解でした」

 弓の名手……。そういえば、あの矢は凄かったな。

「あの、グリズリーを倒した矢。あれは貴方が撃ったのですか?」

 縛られていた私の前に降ってきたエルフの人に尋ねると、『はい』と頷いた。

「貴方一人でですか?!」

 矢は四方から飛んで来ていた。それを一人で熟したというのは俄に信じ難い。

「ええ、そうですよ。居場所が特定されない様に矢の軌道を変えて獲物を穿つ。エルフ族が一人前と認められる為の最低条件です」

 ほぇぇっ、それはまた天井知らずな難易度だな。私なんかじゃ何時まで経っても半人前だろう。クリア出来る気がしない。

「エルフ族の超感覚と膨大な魔力があって初めて出来る芸当です。我々人族には一生掛かっても到達する事の出来ない領域ですよ。さ、出口が見えました。もう少しです。魔物の方は如何です?」
「どうやら血の匂いがする方に誘われたようだ。こっちへ来る気配は無い」
「では、魔物の気が変わる前に街へ戻ってしまいましょう」

 そう言って歩くスピードを早めるルレイルさん。生きている事に喜びを感じつつも、見られてしまった事に感傷的になりながら、彼等と共に森を後にした。
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