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8 初恋の幼馴染。
しおりを挟む しかし光は、その俺の手にもう片方の手を乗せて、しっかりと握ってくれた。
「俺は、俺なりになりふり構ってらんなかったんだけど、な」
知っている、そんなこと。手放してしまったのは、俺の方なのだ。
握った手を手繰り寄せて、光は俺を抱き締めた。自然な流れで、じんわりと腕に力を加えて。
「そうしたくても、俺は弱いから。鞍が必要とするまでに届かなかった。ごめんね、寂しい想いばかりさせて」
違う。決してそんなことはない。腕の中で、懸命に首を横に振る。
「うぅん?光は優しいけど、弱くなんかないよ!」
弱いのは、俺だ。優しさにもなりきれない。単に、弱いだけなのは。
弱くて、意気地がなくて、不甲斐なくて、なのに我欲だけは通して。愛してくれだの、繋いでくれだの、相手にしてもらうことばかりを求めた。その意味さえも判らないくせに。
なのに光も晃も、辛抱強く付き合ってくれた。俺自身ですら見えなかった深層の感情を、引き上げて、聞き出してくれようとした。俺は、二人に甘えていたのだ。
「それなのに、俺……っ。俺は、わがままを通してしまったんだ。……ごめん」
目尻に熱がこみ上げた。混沌や、昂ぶりから来たものではない涙は、それらよりずっと静かに、素直に頬を伝い落ちる。もしかしたらこれまで流したものよりも格段に透き通っているのではないかと、我ながら感じる。
「わがままなんて思っちゃいないよ。それに、釈君とこへ行っても、また俺が恋しくなるかもしれないでしょ?」
くすりと笑って、光は俺の背を撫でた。
「俺は、鞍に寂しい想いなんてさせる気ねぇけど」
横から、晃の挑戦的な声。戯けた言い合いのようだが、このひとの明白な言葉も俺には心強い。
「なに、宣戦布告?」
「さぁな?」
二人の顔へ順に目を遣れば、険悪さなどない笑顔。敵対というよりも、むしろ共同戦線を張る同志のようで。
彼等が俺を導いてくれる。手を差し伸べて、道筋を示してくれている。もったいないようで、畏れ多いようで、それでいて、この上なく嬉しくて。
彼等にいつか、俺は何かを返せるだろうか。真剣に、それを考え始めた。家事や、仕事のことだけではない。もっと深い、精神的な何かを。
今はなにもできている気がしない。俺は、彼等を照らす灯になり得るだろうか。
突如、和の愛らしい顔が浮かぶ。あいつみたいに。あいつに、負けないくらいに。
「とにかく、鞍が釈君と一緒に住むくらいで、俺は取られたなんて思ってない。釈君なんかに負けてるつもりはないからね。それだけは覚えてて?」
肩から頭を上げた俺の鼻を、光は軽く突く。
一人になったら、瞳の影に押しつぶされてどうにかなってしまうのではないかと思った光。怒りと悲しみで、壊れてしまうように見えた光。そんな彼の姿は、俺の思い込みの像に過ぎなかった。自身の話をはぐらかし、臆病に触れる光は、もはや目の前にはいない。
「やっぱり、光は弱くなんかねぇよ。ありがと、ちゃんと覚えとく」
自分は今、微笑んでいるのだろうと初めて自覚する。涙がわずかに残った頬が、何の抗いもなく緩やかに上がるのを。
「でもまぁ、鞍がいなくなったらしばらくは枕が涙で濡れちゃいそうだけどねー」
「思う存分濡らしとけ。大体、取られるとか言ってるけど、そもそもお前のもんでもねぇだろ?俺は取るなんて思ってねぇし」
「うっ、痛いとこ突くね」
「気のせいじゃねぇの?」
「釈君、なんかキャラ変わってない?!」
二人のやりとりに、身を縮める。申し訳無くも、おかしく思えてしまって。
「そういうことだから、俺は平気だよ。鞍の事、これからも大事に思えるから」
「ありがと……ほんとにありがと、光」
再度、相手をぎゅっと抱き締めた。絶対に、俺は忘れない。彼の感触、彼の想い、彼が、俺にくれたもの。
「そんじゃ、帰るか、鞍」
晃の呼びかけに、名残惜しく腕を解く。光も一緒に立ち上がって、俺の背を押した。
「またね、鞍。カフェには通うからさ」
「けっ、ケーキは食い過ぎんなよ?身体には、気をつけて」
「わかってるって。鞍のお許しが出た時だけにするよ」
三和土に下り、光は外に出てバイクに跨がる俺達を見送った。
「じゃあ光一郎、そういうことで」
ヘルメットを被った晃が、エンジンをかける。俺も倣って、頭にメットを乗せた瞬間。
……あぁ、あれは……。
あれは、光がいつか和に向けていたのと同じ目だ。信頼と、絆と……揺らぐことの無い、繋がり。俺が、無意識に憧れて止まなかった兄弟の。
スモークのかかったシェードを上げ、もう一度確かめようとしたときには、バイクはすでに走り出していた。
和に投げかけていた視線と同じか否かは、確認できない。けれど、俺を見る光の眼は明らかに今までと違っていた。願望も加算されているかもしれない。それでも光は、俺を信じてくれた。そう感じた。和と、同じように。
「……待ってる。待ってるからな!光!!」
後ろを向いたまま、俺は叫んだ。何を待つのかは、自分でも判然としない。だけど、口から出たのはこの言葉だった。
光の立ち姿は、あっという間に小さくなってしまったけれど。
一時停止でエンジン音が鎮まると、晃がぼそりと呟く声が聞こえた。
「鞍……お前を繋ぎ止めた俺の紐、長いからな。行きたいとこに行けよ」
返事の代わりに、背中に巻き付けた腕に力を込めた。
「朝飯、まだだったな。帰ったら食おうぜ?」
俺の居場所は、未だ不確定だ。けれど、「戻っても良い」場所はできた。できたのだと思う。迷うばかりだった道の途中。帰路のみは、明るく照らされた。そこだけは、俺は安心して一人でも歩ける。
もう一度、俺は後ろを振り返る。その先で手を振って、迎えてくれるひとの面影を確かに見据えて。
── 北極星(ポラリス)・完
「俺は、俺なりになりふり構ってらんなかったんだけど、な」
知っている、そんなこと。手放してしまったのは、俺の方なのだ。
握った手を手繰り寄せて、光は俺を抱き締めた。自然な流れで、じんわりと腕に力を加えて。
「そうしたくても、俺は弱いから。鞍が必要とするまでに届かなかった。ごめんね、寂しい想いばかりさせて」
違う。決してそんなことはない。腕の中で、懸命に首を横に振る。
「うぅん?光は優しいけど、弱くなんかないよ!」
弱いのは、俺だ。優しさにもなりきれない。単に、弱いだけなのは。
弱くて、意気地がなくて、不甲斐なくて、なのに我欲だけは通して。愛してくれだの、繋いでくれだの、相手にしてもらうことばかりを求めた。その意味さえも判らないくせに。
なのに光も晃も、辛抱強く付き合ってくれた。俺自身ですら見えなかった深層の感情を、引き上げて、聞き出してくれようとした。俺は、二人に甘えていたのだ。
「それなのに、俺……っ。俺は、わがままを通してしまったんだ。……ごめん」
目尻に熱がこみ上げた。混沌や、昂ぶりから来たものではない涙は、それらよりずっと静かに、素直に頬を伝い落ちる。もしかしたらこれまで流したものよりも格段に透き通っているのではないかと、我ながら感じる。
「わがままなんて思っちゃいないよ。それに、釈君とこへ行っても、また俺が恋しくなるかもしれないでしょ?」
くすりと笑って、光は俺の背を撫でた。
「俺は、鞍に寂しい想いなんてさせる気ねぇけど」
横から、晃の挑戦的な声。戯けた言い合いのようだが、このひとの明白な言葉も俺には心強い。
「なに、宣戦布告?」
「さぁな?」
二人の顔へ順に目を遣れば、険悪さなどない笑顔。敵対というよりも、むしろ共同戦線を張る同志のようで。
彼等が俺を導いてくれる。手を差し伸べて、道筋を示してくれている。もったいないようで、畏れ多いようで、それでいて、この上なく嬉しくて。
彼等にいつか、俺は何かを返せるだろうか。真剣に、それを考え始めた。家事や、仕事のことだけではない。もっと深い、精神的な何かを。
今はなにもできている気がしない。俺は、彼等を照らす灯になり得るだろうか。
突如、和の愛らしい顔が浮かぶ。あいつみたいに。あいつに、負けないくらいに。
「とにかく、鞍が釈君と一緒に住むくらいで、俺は取られたなんて思ってない。釈君なんかに負けてるつもりはないからね。それだけは覚えてて?」
肩から頭を上げた俺の鼻を、光は軽く突く。
一人になったら、瞳の影に押しつぶされてどうにかなってしまうのではないかと思った光。怒りと悲しみで、壊れてしまうように見えた光。そんな彼の姿は、俺の思い込みの像に過ぎなかった。自身の話をはぐらかし、臆病に触れる光は、もはや目の前にはいない。
「やっぱり、光は弱くなんかねぇよ。ありがと、ちゃんと覚えとく」
自分は今、微笑んでいるのだろうと初めて自覚する。涙がわずかに残った頬が、何の抗いもなく緩やかに上がるのを。
「でもまぁ、鞍がいなくなったらしばらくは枕が涙で濡れちゃいそうだけどねー」
「思う存分濡らしとけ。大体、取られるとか言ってるけど、そもそもお前のもんでもねぇだろ?俺は取るなんて思ってねぇし」
「うっ、痛いとこ突くね」
「気のせいじゃねぇの?」
「釈君、なんかキャラ変わってない?!」
二人のやりとりに、身を縮める。申し訳無くも、おかしく思えてしまって。
「そういうことだから、俺は平気だよ。鞍の事、これからも大事に思えるから」
「ありがと……ほんとにありがと、光」
再度、相手をぎゅっと抱き締めた。絶対に、俺は忘れない。彼の感触、彼の想い、彼が、俺にくれたもの。
「そんじゃ、帰るか、鞍」
晃の呼びかけに、名残惜しく腕を解く。光も一緒に立ち上がって、俺の背を押した。
「またね、鞍。カフェには通うからさ」
「けっ、ケーキは食い過ぎんなよ?身体には、気をつけて」
「わかってるって。鞍のお許しが出た時だけにするよ」
三和土に下り、光は外に出てバイクに跨がる俺達を見送った。
「じゃあ光一郎、そういうことで」
ヘルメットを被った晃が、エンジンをかける。俺も倣って、頭にメットを乗せた瞬間。
……あぁ、あれは……。
あれは、光がいつか和に向けていたのと同じ目だ。信頼と、絆と……揺らぐことの無い、繋がり。俺が、無意識に憧れて止まなかった兄弟の。
スモークのかかったシェードを上げ、もう一度確かめようとしたときには、バイクはすでに走り出していた。
和に投げかけていた視線と同じか否かは、確認できない。けれど、俺を見る光の眼は明らかに今までと違っていた。願望も加算されているかもしれない。それでも光は、俺を信じてくれた。そう感じた。和と、同じように。
「……待ってる。待ってるからな!光!!」
後ろを向いたまま、俺は叫んだ。何を待つのかは、自分でも判然としない。だけど、口から出たのはこの言葉だった。
光の立ち姿は、あっという間に小さくなってしまったけれど。
一時停止でエンジン音が鎮まると、晃がぼそりと呟く声が聞こえた。
「鞍……お前を繋ぎ止めた俺の紐、長いからな。行きたいとこに行けよ」
返事の代わりに、背中に巻き付けた腕に力を込めた。
「朝飯、まだだったな。帰ったら食おうぜ?」
俺の居場所は、未だ不確定だ。けれど、「戻っても良い」場所はできた。できたのだと思う。迷うばかりだった道の途中。帰路のみは、明るく照らされた。そこだけは、俺は安心して一人でも歩ける。
もう一度、俺は後ろを振り返る。その先で手を振って、迎えてくれるひとの面影を確かに見据えて。
── 北極星(ポラリス)・完
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