セカイの祝福と毒の少女

雨宮未栞

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ある少女の話

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 アリアという少女は、山間の小さな村に生まれた。
 その少女には、触れた者の病を治す特別な力があった。それが発覚したのは僅か六歳の頃。質の悪い風邪を引いて寝込んだ幼馴染みの少年を見舞い、はやくよくなってね、とその手を取った瞬間だった。青白かった少年の顔色が見る間に血色を取り戻し、起き上がることすらできなかったのが嘘のように元気になったのだ。
 常駐する薬師もいない小さな村だ。そのことが広まるのに半日と掛からなかった。村人達は挙ってアリアに救いを求め、彼女もまた人々にその手を伸ばした。
 ただ、アリアが手を差し伸べたのは、病に苦しむ人を救いたかったからではない。人を救えば、その者は彼女に感謝し、何かと良くしてくれた。それは単純に嬉しかったし、何より、彼女の欲しいものが手に入ると思ったからだ。
 きっとまた、認めて、褒めて、抱き締めてくれると、優しくこの名を呼んでくれると。

「お母さん、ラマおばちゃんがお花くれたの! キレイでしょう?」

 アリアは両手一杯に色とりどりの花を抱えて帰宅した。ドアを開けた拍子に何輪かその手から零れ落ちるが、それには気付かず母親の元へぱたぱたと走っていく。

「はいっ、お母さんにあげる!」

 窓辺で外を眺めていた母親は、花束を差し出す彼女にその手を伸ばし。

「──っ……」

 アリアの手から、花をはたき落とした。
 床に散らばった花を呆然と見下ろしたアリアが、大きな蒼い瞳を揺らす。

「…………おかあ、さん」

 母親は、幼い娘に向けるものとは思えない、憎悪に塗れた眼でアリアを睨んでいた。

「こんなものを私に持ってくるなんて、何のつもりよ」

 強烈な憎しみを繕いもしない低い声に、彼女は萎縮する。それでも、ただ一人の温もりを求めるように歩み寄る。

「わ、わたしは……ただ」
「近寄るな!!」
「ひっ……」

 まるで地を這うかのようだった先ほどの声と対照のヒステリックな叫びに、アリアが小さく悲鳴を上げる。
 据わった眼をした母親は、激情どころか感情をなくした声で呟き続ける。

「あんたさえ、あんたさえいなければ……あたしは、あたしはあのとき、」

 その眼には既にアリアは映っていない。やつれた、柳のような細腕に爪を立てて、がりがりと引っ掻く。無意識にやっているそれは、血が滴ろうとも止まらない。力尽くで止めようものなら、それ以上の力で暴れてとても手がつけられないのだ。

「……ごめ、なさい…………」

 消え入りそうな声でそう言ったアリアは、床に散らばった花を集め直して家を出て行った。


***


 村外れの小高い丘にある墓地。アリアは一つの墓標を前に座り込んでいた。墓前には、アリアが持ってきた花が供えられている。
 その墓は、アリアの父親を弔ったものだ。父親は、彼女が生まれる少し前に流行り病で命を落とした。だから、アリアはその顔も声も知らない。それ故に、父親というものは、彼女にとってある意味他人よりも遠い存在だ。
 ぼうっと墓標を眺めている間に陽は暮れて、辺り一帯が朱に染まっていた。眼下の家々からは、炊事の煙が上がっている。それも、アリアの家にはなかったが。
 さく、と地を踏む音と共に、少年の声がアリアの耳に届く。

「こんなところで何してるんだ?」
「…………ユート」

 アリアより三つ歳上の少年が、丘を登って来るところだった。
 間もなく十歳になる彼は最近、兄のキースに付いて狩りの練習をしている。今もその帰りなのだろう。
 その様子をちらりと眺めたアリアは、またすぐに墓標へと視線を戻した。
 アリアの傍まで来たユートは、墓標と供えられた花束を見て尋ねる。

「それ、母さんが育ててる花だろ?」
「ん……おばちゃんがくれた。お母さんがスキなお花だって」

 あげたらきっと喜ぶだろう、って。

「……受け取ってくれなかったのか」
「…………」

 沈黙という答えにユートは頭を掻く。幼い少年には上手い言葉が見付けられなかった。
 重い沈黙が停滞する前に、新たな声が空気を震わせた。

「ユート、何か見付けたのか……ってアリアか」

 現れた青年、キースはざっと周囲を見ただけで状況を察したようだ。
 座り込んだままのアリアと目線を合わせるようにしゃがむと、その頭に手を乗せて金髪を梳くように撫でる。

「今日はうちで飯を食っていきな。ユートのお陰で良いものが捕れたからな」
「でも……」
「大丈夫、アリアの母さんにもお裾分けに行くさ」

 即座にアリアの懸念を察したキースは先回りして答える。

「……ん」

 手を引かれて立ち上がったアリアは、二人と共に墓地を後にした。


***


「手伝ってくれるなんて、アリアは偉いねえ」

 感激した様子のラマがアリアを褒める。
 キース達の家で夕食を摂った後、アリアは片付けの手伝いをしていた。今日はこのまま泊まることも決まっていた。
 墓地から帰る途中、アリアの母親に話を通して来る、と家に一人で寄ったキースは外泊の許可まで取り付けたのだ。アリアには言わなかったが、二つ返事で頷くどころか、そのまま引き取ってくれとまで言われる始末だった。

「わたしはなにもしてないから」

 ラマの娘でもなければ、キース達のように獲物を獲ってきたわけでものないのだから当然だと、ラマが洗った食器を拭きながらアリアは答えた。

「そんなの、気にしなくて良いのに。ほんと、アリアは良い子だねえ」

 ラマは洗い物の手を止めて、アリアの頭を撫でる。アリアも眼を細めてそれを受け入れた。

「あたしもこんな可愛い娘が欲しかったわ」
「………………」

 ラマがそう言うと、アリアはぴくりと肩を震わせた。それから俯いて、悄然と呟く。

「……お母さんは、わたしのこと…………キライだから」
「アリア……。そんなことないよ」
「でも、あんたさえいなければ、って…………おばちゃんに、もらったお花も……」

 そこからはしゃくり上げるばかりで言葉にならなかった。
 ラマは、アリアが持ったままの皿を取り上げて抱き締める。小さな村である以上に、彼女はアリア達母娘の事情をよく理解していた。

「セレナはルタが、アリアのお父さんが本当に好きだったからね……。ルタが死んでからは、アリアが心の支えだったのさ」
「だったら…………どう、して……?」

 アリアは、泣き濡れた瞳でラマを見上げる。
 アリアの母親は初めから彼女を邪険にしていたわけではなかった。いっそ過保護なほどに愛し、アリアもまた、そんな母が大好きだった。それが、いつからかおかしくなったのだ。それは、

「アリアがユートを助けてくれたとき、セレナは思っちまったんだよ。ルタが死んだとき、自分も流行り病をもらわなかったのは、お腹にアリアがいたからなんじゃないかって」

 ──アリアがいれば、ルタを助けられたんじゃないか。

 人々は生まれながらにして神に祝福されている。それが胎児でも適用されるのかはわかっていないが、それなら。

 ──アリアがいなければ、自分もルタと共に死ねたんじゃないか。

「だから……わたしがいたから…………。ユートを、たすけたから?」
「ユートを助けなければ良かった?」

 その声に、責めるような響きはなかった。しかし、彼女はユートの母親だ。
 自分の失言に気付いたアリアが慌てて首を振る。

「ち、ちがっ」

 気の毒なほど狼狽えたアリアを落ち着けるように、ラマは背を優しく叩く。

「そう、あたしが母親だから言うわけじゃないけど、偶然でもアリアがユートを助けたことは間違ってなんていないよ。セレナもきっとそれをわかってる。だから苦しいのさ」

 心の整理で精一杯なのよ、と諭すように言われて、アリアは瞳を揺らした。

「それじゃあ……わたしは、お母さんといっしょにいちゃだめ…………?」
「アリアは、お母さんが好きかい?」

 突然の問い掛けに、アリアは迷いなく答える。

「うん、大好き」
「それなら、尚のこと一緒にいてあげるんだよ。怪我と一緒で、向き合って時間を掛けて治していくしかないんだ。アリアので治せない傷だけど、アリアがいないとできないことだからね」
「わたし、だけ……?」

 呆然と反芻したアリアに、ラマは微笑んでたしかに頷いた。

「ああ、でもきっとアリアも辛い思いをすることがあるだろうから、そのときはいつでもうちにおいで」
「うんっ」

 そうして再び零れた涙は悲しみに染まったものではなかった。

 しかし、その数日後。アリアは人攫いに遭った。
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