金魚の記憶

ましら佳

文字の大きさ
上 下
82 / 86
3.

82.愛しい人へ

しおりを挟む
桃が行きたいと言ったのは、小松川の別宅だった。

はるかは意外に思ったが、桃は確認したい事があると言う。

桃は、甘い香りに気づいて、いつかの柊木犀ひいらぎもくせいだと気付いた。
よく見ると、ほんの小さな花が集まって咲いていた。

「ああ、ちょうど時期でしたね。ここのは少し咲くのが遅いそうです」
「・・・こんな香りなんですね・・・いい匂い・・・。金木犀きんもくせい銀木犀ぎんもくせいに似てるけど、ちょっと違いますよね」

金木犀きんもくせいはもう少し強いパウダリーな香り、こちらはほんのりクリームのような果物のような甘い香りがする。


「・・・金木犀きんもくせいって、銀杏いちょうみたいに雄株と雌株があるらしくて。日本には中国から雄株だけ輸入されて、それを増やしたものらしいんです。今、日本にある金木犀きんもくせいは、その一番最初の株から増やしたものなんですって」
「そうなんですか。・・・じゃあ、この柊木犀ひいらぎもくせいと言うのは?」
「柊ひいらぎ銀木犀ぎんもくせいの交雑種らしいんです」

ああ、なるほど、と悠《はるか》が頷いた。

「・・・ちょっと頂いていいですか?」

葉っぱと花を少しだけ、と桃は尋ねた。

「どうぞ。指を痛めないようにしてくださいね」

桃はそっと小枝に触れて手折ると、大切そうにバッグ にしまった。



久しぶりに訪れてみると、邸内は、記憶とあまり変わっていなかった。

桃は庭に出て、あちこち見渡していた。

やっぱり、ここだ。
バッグから和紙で包まれた資料の中から印伝の野帳に挟まれた写真を取り出した。

「・・・何ですか?」

はるかが写真を覗き込んだ。

「・・・結構古いものですね。ここですか?・・・あの石がここだから、多分、もう少しあっちからこう撮ったのかな?あの椿の木が写真じゃまだ低いけど。・・・これはいつのものですか?」

はるかが日付を確認した。

「やっぱり春に撮ったものですね。あの白椿は春になると咲くんです。母は椿は花が落ちるからあんまり縁起が良く無いから植え替えたらと言っていたのですけど、祖父が好きだったのでね」
「・・・お父様は?」
「父は情緒が無いタイプで。興味は無いでしょう。桜は春に咲くのは知ってるでしょうけど、椿が一体いつ咲くかなんて知らないと思います。ヒマワリだってあやしい」

はるかが真面目に言うのに、桃は笑った。
まさかそんは人がいるわけない、冗談でしょうと桃は言うが、本当の事だ。
最近では一年の半分どころか、ほとんどを海外あちこち移動しながら過ごしている父は、季節なんてほぼ関係ないだろう。

「だいぶ古いもののようだけど、どなたが撮ったんですか?」
「・・・うん。おじいちゃんの遺品なの。写真はそう無かったんだけど、見覚えがあって。やっぱりここでしたね」


それでね、と桃ははるかに写真の裏側を見せた。

濃紺のインクの筆記体でメッセージが書いてあった。
一読して、はるかが顔を上げた。

「・・・桃さん、これって、どういう事ですか?」
「そのまんまなんだと思うの」

愛しい人へ。君を迎える場所を用意しました。

Dear愛しい人へって二回も書いてある。・・・愛情深い方ね」

「・・・おじいちゃんと、はるかさんのおじいさんがどこで出会ったかって知ってる?」
「留学先のイギリスだって聞いてましたけど・・・」
「そうね。おじいちゃんて、ミドルネームがヘンリクっていうの。イギリスでは、ヘンリーになるの。だからハルって呼ばれてたみたい。・・・はるかさんの名前に似てますね」

「・・・僕も、海外の友人にはそう呼ばれています。僕の名前は、祖父がつけたものです」

桃が頷いた。

ああ、やっぱり。

桃はまた写真を眺めて、大切そうに包み直した。

「おじいちゃんの写真が出て来たの。・・・必ずおじいちゃんだけが写っていたの。これもそう。だから、撮ったのはきっと、はるかさんのおじいさんね」
「桃さん、それって・・・」
「・・・何か暴きたくて来たわけでは無いの。ただ、確認したくて」

きっとあの二人は、特別な関係であったのだろう。
難しい時代で、それはどうにもならなかったのだろうけど。


「・・・はるかさんがどうお感じになるか分からないのに、急に話してしまってごめんなさい。でも、実際にどこまで本当かは分かりませんよ」
「いえ、本当だと思います。・・・まあ、驚きましたけど。・・・でも、なんと言うか、納得したと言うか・・・」

はるかがそれほど嫌悪感を持っていないようでほっとした。
現代とは言え、やはり理解されない事も多いだろうし。
それが身内となったら尚更だ。

桃はバッグから包みを取り出した。

「スウェーデンの紅茶飲んでみませんか?お土産です。お菓子もあります」
「嬉しいです。・・・でもスウェーデンって、コーヒーの方が好まれますよね」
「そうね。フィーカって言って、学校でも職場でもコーヒータイムあるの。でも紅茶好きさんもいるのよ。・・・それからお菓子は、7種類がおもてなしにちょうど良いんですって」

はるかと墓参りに行くことになり、何か手土産をと思ったのだが、残るものでは彼が面倒だろうと思ったので、ここで食べてしまえるのは助かる。
桃はキッチン入れた紅茶と、クッキーを勧めた。
馬の形や、ジャムが乗ったものや、白い粉砂糖がかかったもの等が入っている。

「これもいい香りですね・・・なんだろう・・・」
「・・・うーん、コーンフラワー、オレンジピール、ローズベタル・・・かな?あ、当たり。あと、マリーゴールドも入っているらしいです」

桃が原材料の表示を眺めながら言った。

窓の外で雪がちらついていた。
積もりはしないだろう。

「そうだ、はるかさん、雛《ひな》に会ったと聞きました。
「ええ。先々月ですね。友人の結婚式に呼ばれまして。軽い気持ちで行ったら、なんと3日かかりました」
「豪華なパーティーですね。象がいたって本当ですか?」
「馬もいましたよ」
「パーティーというか、もうおまつりですね」

思った通り、桃は嬉しそうだった。

ひなから、友達がアメリカで結婚式を挙げる事になって、こんな機会そうないと思ったから行って来たんだけど、象がいてウチの子が大はしゃぎだった、というような事を聞いていた。
動物園でもないのになんで象?と不思議だったが、インドでは珍しくないらしい。
本当に白馬に乗った王子様ならぬ派手派手の新郎がやって来るらしい。

「3日、ずっとぶっ通して祝ってるわけですよ。スポーツですよ、もう」

はるかが呆れたように言うのに、桃は笑った。


ひなさん、三兄弟がいらっしゃるそうですね」
「そうなの。くりくり坊主が三人。可愛いんです」
「今から食費が心配だとおっしゃっていましたよ。」
「よく言ってます。計算したら、三兄弟で月十二万円くらい食べそうって。象やキリンくらいかかるみたい」

悠|が笑った。

「・・・雛《ひな》さんが桃さんのご友人で良かった」

そう言われて、桃は頷いた。

ひなも、悠《はるか》さんがいらしてくれて安心したって言ってました」

ひなは、新婦の素晴らしく豪華な結婚衣装やアクセサリーや、インドもフレンチもイタリアンもあったご馳走の話もだけど、はるかに会ったという事を嬉しそうに話していたのだ。

「前より大人になっていて、落ち着いたイケメンって感じ。相変わらず爽やかね。私のことも一度しか会っていないのに覚えていてくれたし。・・・桃、良かったね、弟がいてくれて」

そう言って喜んでくれた。

彼女は数少ない肉親が親友にいてくれるという事に安心したようだった。
昔から、ほんの子供の頃から、ひなは、桃が母と離れて暮らしているという事を心配してくれていたから。
何かのタイミングで連絡は取り合うけれど、直接はもう何年も会ってない。
疎遠というのに近いと言われればそう。
でも、母には新しい家族もいるし、ネットを通じても分かる、その完成された家庭に自分が入っていく事はなんだか違和感があって。
でも、別に仲違いしているわけでもないのだけれど。

「そう言って頂けると嬉しいです」

はるかは嬉しそうに言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...