金魚の記憶

ましら佳

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79.見知らぬ影

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サーラが帰った後は、何だか静かになってしまって寂しい程だ。

桃はコーヒーを淹れるとレオンの姿を探して、アトリエに向かった。
しかし、姿が無く、テーブルにコーヒーを置いて、サーラがテーブルの近くに出したままのキャンバスを片付けようとした。
コーヒーをこぼしたら大変だ。
ふと、その手を止めた。

「・・・あれ?・・・ん?」

レオンにしては珍しい人間の絵。
女性の絵であるが。
どこかで、会ったような・・・。
それが自分の絵だと分かると、桃は動揺して、絵を見比べた。

「・・・ベニ、クッキー無くなっちゃった・・・」

レオンがクッキーを入れている瓶を持って現れた。


「・・・これ、何・・・」
「あー・・・えーと・・・ベニ」
「だよね。・・・でも、私、こんなの覚えないよ?」

キャンバスの中の自分は、半裸だったり、あまつさえほぼ全裸だったり。

「ど、どうすんのこれ、なんなのこれ・・・?」
「・・・落ち着いて?・・・えーと、これは、趣味で」
「趣味?!」
「そう。で、これは半分想像、半分再現。東洋人がよく言う、心の目で見るってやつ?・・・違うか・・・」
「違う違う・・・。真面目な顔して何・・・?」
「そりゃ、真面目でしょ」

桃はとにかく、隠せ、しまえ、片付けろとばかり、キャンバスを奥の棚に押し込んだ。

「・・・これ、誰も見てないよね・・・?」
「あー、ミカと。・・・サーラも見てるね、この状況だと」
「嘘・・・」

だから悪戯心を出してサーラが出して行ったのか。

「お願い捨てて・・・。もしくは消して・・・」
「いやだ!なんで?」
「なんでって・・・。・・・ねぇ、ここからどこにも出して無いよね?」
「うん。とんでもない。もったいない。・・・あ、でも、一枚だけ・・・。ミカが持ってっちゃって・・・」
「え・・・?」
「それ売れちゃって・・・」
「ええぇ?!」
「僕も不本意なんだけど。・・・でも、そのお客さんがね、死んじゃった奥さんに似てるって言ってたらしくて・・・」

桃は驚いてから、頷いた。
サーラから聞いていたミカエルの亡くした妻の事を思い出していた。
ミカエルは、その客から話を聞いて、きっと心が動いたのに違いない。

「・・・そうなの・・・」
「うん。・・・あ、でもね。こんな裸とかじゃ無いから。もうちょっと、布の面積多いから」
「・・・本当?」
「うん。・・・ちょっとね。・・・あー、でも、ごめん・・・」
「・・・うん。・・・分かった。もういいよ。・・・でもお願い、もうこれっきりにしてね」
「・・・もうこの部屋から出さない。大丈夫!」
「本当よ?このご時世だから、特定されて炎上とかしたらやだ・・・」
「炎上はしないでしょ?」
「するわよ・・・。絵より全然美人じゃないとか言われる・・・」
「言われないよ。だってそのまんま描いてるのに?」
「・・・ううん。絶対盛って描いてくれてる・・・」

桃は、一旦落ち着こう、とコーヒーを差し出した。

「あ、そうだ。クッキー無くなっちゃって・・・」

レオンが悲しそうに空瓶を見せた。

「焼いておかなきゃね。買い置きのクッキーあるからしばらくそれ食べようか・・・。あ、なら、ドーナツでも揚げようかな」
「いいね!」

レオンの表情が途端に明るくなった。

「イーストドーナツがいい?ケーキドーナツがいい?」
「ケーキドーナツ。すぐ食べれるから」
「お腹空いてる?」
「ううん、出来るの待ってらんないだけ」


正直にレオンは言った。

「明日、レオンも大学でしょ。おやつに持って行く?」
「行く!」
「じゃあ、いろんな種類のいっぱい作って、皆でおやつにしようか」

日本のドーナツが食べたすぎて、結構な種類が作れるようになっていた。
食欲の原動力とはすごい。

「ベニ、ドーナツ屋できるよ」
「ならコンビニがいいわ・・・。でも流通の問題がね・・・」

レオンはわくわくしながらキッチンに向かった。


大量のドーナツを前にして、レオンは嬉しそうに早速摘んでいた。

「これ美味しい。モチモチする」
「・・・それが食べたくて研究したもの」

ドーナツは見かけるが、この手のものは日本独自のものらしくて、どうしてもなかった。
そもそもモチモチする食べ物なんてあまり無い。
日本のチェーン店のドーナツ屋が恋しい。
なんでも最近はドーナツ食べ放題というものがあるらしい。
夢の企画だ。
今度帰国したら絶対参加しようと決めていた。

「・・・ベニ、ごめんね。・・・あの、さっき、絵の事・・・。知らない人が自分の絵持ってるなんて嫌だよね。・・・僕も嫌なんだけど・・・」

レオンが尚も謝ったのに、桃はもういいと首を振った。

「・・・ねえ、レオン。・・・サーラに色々聞いたの。・・・ミカ、奥様を亡くしてるって」

レオンが少しだけ痛みを感じたような表情をした。

「・・・サーラ、アンナと仲良かったんだ。本当の姉妹みたいでね。ミカも、騒ぎが終わったら、結婚式挙げて、フィジーに新婚旅行ハネムーン行く計画もしていたんだよ。・・・ミカ、結婚したら、農業して、キノコ採ったりしてのんびり暮らすって言ってて」
「・・・なんか、今のミカと全然違くない?」

彼は、今や生馬の目を抜くN.Y.C《ニューヨークシティ》で美術商のパーティーピーポー。

「うん。そうなんだよね。ミカって本来のんびり志向なんだよ。・・・そもそも美術商としてやって行きたかったのはアンナだから。だから、ミカはアンナの代わりにその夢を叶えてるわけだよね。もちろん、ミカにもその才能はあって、向いてたんだとも思うけど」
「・・・あなたの事も聞いたの。・・・その、お友達の事」
「うん。・・・ラースはね、すごく才能があったんだ。僕には無い才能」

レオンは今まで見たこともないほどに心細く見えた。
桃は、黙って、レオンを抱きしめた。

ミカエルの中にも、この人の心の中にも、金魚が棲みついているのだろう。
ミカエルは、その金魚がどうやったら喜ぶか分かっていて、それを自分自身が叶えて、それを喜びとしているけれど。

レオンはきっと、わからない。
だから、彼の影をなぞっているのだろう。

「・・・レオン、彼を愛していた?」

レオンは首を振った。
自分に気を使って、とかではなく。
つまり、彼は本当にそうだったのだろう。

「嫌いではないよ。好きだったし、あの才能だもの。尊敬していた。けど、どうにかなるとは、考えづらかったな」

きっと、それがラースには受け入れ難かったのだろう。

「・・・彼の死については、アンナが亡くなってしまった事、それでミカエルが嘆いていたのも、ショックだったし、罪悪感もあったんだと思う。・・・衝動的なものもあると思う。でも、それと僕が結びついてしまったのか、わからないんだ」

サーラは、ラースはレオンの特別になりたくて当て付けに死んだんだと言った。
それが、きっと一番正解に近いのではないだろうか。

でも、例えば愛しい人の心の中で、何か輝くような記憶とか、美しい花とか金魚とか。
そうではなく、いつまでもどこか不吉な影として残って行く事であっても、彼はそれで良かったのだろうか。
悪霊、とサーラが言ったように。

桃は、レオンの鼓動越しに、その見知らぬ影の持ち主を思った。
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