金魚の記憶

ましら佳

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77.息なんて出来ない

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はるかは友人の経営するホテルに戻った。

新郎の友人ために特別室が長期押さえてあって、ここで好きに過ごすように手配されていた。
分かりやすく豪華絢爛で、キンキラキン。
数日この部屋で過ごしたが、朝起きると頭痛がする。

結婚式では映画に出てくるマハラジャのようであった新郎の友人は、今日はいつも通りのラフな格好をしていた。
ITの会社をいくも持っていて、自国では父親ライフラインの会社を経営しているそうだ。
いわゆる、超富裕層と言う人々。

「・・・ハル、シャンパン飲みなよ。それともワイン?」

友人達は、結婚式の前夜からずっと飲んでいた。
シャンパンもだいぶ飲んだが、もう飽きたと言うのが正直なところ。

「・・・なあ、リシュ、チャイって出来るか?」
「チャイ?」
「うん。いわゆる普通ので良いんだけど・・・」

リシュはどこかに電話をして、注文してくれたようだ。

しばらくすると、着飾った女性がワゴンを押してやって来た。
人数分のチャイが乗っていた。
リシュの母親が作って来てくれたらしい。
はるかは恐縮してたちあがった。

「・・・申し訳ないです。・・・わざわざ・・・」
「良いのよ。チャイが飲みたいなんて嬉しいわ」

彼女はにこやかにカップを手渡した。

「・・・美味しいです。・・・あの、お聞きしたい事があるんです。以前飲んだ時、ブラックペッパーが入っていたんです。あと、蜂蜜もいいかと思ったけどジャグリーにしたと言われて。甘くて辛いなと思って覚えているんです。それは普通なんですか?」

ジャグリーというものが、黒糖のような未精製の砂糖だと言うのは調べて分かったのだが。

「・・・あら、ハル。体調が悪かったの?風邪でもひいていた?黒胡椒は喉にいいの。それから蜂蜜もいいけれど、ジャグリー蜜は昔からお薬だと思われていてね。魔法の糖蜜よ。ミネラルやビタミンも多いし。・・・それ、日本人の女の子なんでしょう?よく知っている事」

新郎の母親は、自分達の文化に理解がある事にとても好感を持ったようだ。

そうなのか、とはるかは腑に落ちた。
確かにあの時、自分は喉が不調だった。
それで、桃は、黒胡椒とジャグリーを入れたのか。

「・・・あなた、その子にとても大切にされていたのね。私の息子も、奥様になった方にきっとそうしてもらえますように。・・・同じ日本人の女の子の話ですもの。何だかとても嬉しいわ」

リシュの母親はそう言うと、自分の事のように喜んだ。
リシュは照れたような顔をしていた。
日本人の女性と結婚すると言った時、父も姉妹もそればかりか会ったこともない親戚にまで電話で反対されたのだが、この母親だけは賛成してくれたのだ。

母親は、それじゃごゆっくりね、と行って部屋を出て行った。


結婚式を終えた新郎新婦は、明後日からヨーロッパに新婚旅行に出かける予定で、妻となった女性は必要なものを買いに出かけたそうだ。

「・・・なあ、ハル、どこ行ってたんだよ」
「ちょっと芸術鑑賞」
芸術アート?」

部屋にホテルのスタッフが次々に絵画を運び込んで来たのに、様々な国の出身である友人達が集まって来た。

「へえ。開けて良いか?」
「良いよ」

友人達は楽しそうに梱包を外し始めると、様々な様式スタイル絵画が現れた。

「・・・芸術アートは・・・わかんないな・・・・」
「俺だって・・・」

医師や、経済や法律や政治や航空産業やITに明るくても、芸術アート?そっちはちょっと、と言うメンバーばかり。


「ずいぶん買ったな。・・・これ同じ作家か?」
「ああ、投資なら良いんじゃないか」
「でも、ハル、これから帰るんだろ。どうやって持って帰るんだよ?」
「手荷物でいけるだろ」
「いけないだろ・・・これなんか、ドアくらいでかい」
「いや、これだけだから」

はるかは、梱包を解かないままの小さめの絵を見せた。

「ええ?じゃ、これどうするんだよ?送るか?」
「いいよ。好きにして。・・・その一番大きいのはリシュへの結婚祝いにするよ」

そう言うと、はるかは友人達と食事をして、そのまま空港へと向かい帰国の飛行機に乗り込んだ。



残された絵画の前に、友人達はしばし途方に暮れていた。

「どうすんだ、これ・・・」
「なあ、ネットで調べたら。この作家、結構有名みたいだぞ」
「・・・スウェーデン人?・・・ふーん。まさに投資には売ってつけかけかもな。・・・俺、これ、オフィスに飾ろうかな」
「じゃ、俺はこれ。でかいからホテルのどっかにでも良いかもな」
「俺は妻の土産にしよう。新進気鋭の画家アーティストの作品だって言ったら、きっと気に入る。・・・ほら、この色合いなんていい感じだろ?」
「お前ばっかり美術アートがわかるみたいなふりして」
有名人セレブとなったら芸術アートにも理解がないとな」

彼らは笑い合った。

なんにしてもあのはるかが目をつけたのだ。
これから売れて、値が跳ね上がるのかもしれない。
取らぬ狸の皮算用であるが。

友人達もそれぞれ絵画を手に帰途についた。



アメリカから日本というのは結構遠い。
アメリカ大陸とユーラシアを隔てている太平洋の大きさを実感する。
海と空ばかりが続く、非常に退屈なフライト。
リシュから結婚式の招待状が届き、軽い気持ちで受けたら、披露宴が3日も続いて驚いた。
現実離れした派手なパーティーだった。
着飾った騎馬隊や象まで出て来たのだから。
その上、ずっとシャンパンを飲まされていたので、数日ふわふわしていてなんだか不思議な世界に迷い込んだような気分。

しかし、収穫は大いに合った。
やはり思い続けるのは縁なのだ。
桃の幼なじみであるひなに偶然再会し、桃の近況を聞けた事。

それから、あの絵。
間違いない、あれは桃だ。

桃と親しくしている画家がいるというのは知っていた。
彼の絵を取り扱うギャラリーというのは、世界にいくつかあって、その中のひとつがN.Yにあった。
いい機会だから、訪れてみようとは思っていたのだが。
壁にかかっていた彼の絵は、どれもこれも節操無い程に多才なものであったけれど。

思わず釘付けになったのは、眠る半裸の女性の絵。
水に漂っているように見えた。

ああ、自分の金魚が。
誰か他の人間の胸の中にいる。

そう思ったら、堪らなかった。
しかも売り物では無いと来た。
勘に触った。

結局、全部購入するからと全て買い上げてしまったが、他のものなんて要るはずもないから、置いて来た。
きっと友人達がなんとかするだろう。
実業家とか成功者というのは、芸術アートに疎いというのは格好がつかないから、きっとステイタスとしてそれぞれ適当に持ち帰るはずだ。

他の、あんな板に布張って絵具塗ったものいらない。

はるかは愛しい人の描かれた絵を思った。

結局、搭乗の際に、手荷物とはいかず預けたのだが、はるかが心配そうにしているのに、航空会社のスタッフが、絵画ならば更に梱包して大切に運ぶと申し出てくれたので仕方なく引き渡したけれど。

飛行機の倉庫のような粗雑な場所で、凍ったりオイルの匂いが染みついたらどうしてくれるんだと気が気ではない。

彼女の祖父が亡くなった葬儀で再会した時、以前よりも落ち着いて円やかな様子になっていた。
海外生活で日本にいる時より穏やかになるというのも珍しいと思うが、それだけ日々、無事に過ごしているという事。

自分がいない世界で、彼女は平穏と生きていた。
ほっとしたのと、たまらないほどの違和感。

だって、自分は彼女のいない世界で、呼吸だって苦しいのに。
いつも息苦しい気がするのに。
息なんて何年もまともに出来ていない。

呼吸すら努力して、生きているというのに。



はるかは自宅に帰宅する前に、鎌倉の邸宅に寄った。
結局ここははるかが相続して、管理を任されていた。
古い建物であるし、父が面倒くさいから手放そうとしていたのを譲り受けたのだ。
いずれ文化財になるかもしれないと言う話も出ていて、あまり使用してはいないのだけれど。
どっちにしても、妻も子供達も、古い日本家屋は暮らし辛いからとあまり興味もないので、ほぼ保存状態であるが、月に何度か管理を頼んでいるので、傷んだ様子もなく整然としている。

はるかは、リビングの一番広い場所で梱包を解いた。

無事また手元に戻ったのが何より嬉しい。
嬉しかった事はもう一つ。
あのチャイだ。
自分の些細な体調の変化に、彼女は心を配っていたという事実。
果たして、つまりはあの未精製の砂糖や、黒胡椒がどれほど効いたものかは分からないけれど。
基本的に、自分は民間療法には懐疑的だから。
けれど、彼女の自分に対するひとつの愛情表現であろうと言うのはわかる。
些細な事かもしれない。
それは彼女に取っては当たり前の習慣かもしれない。
だが、それを享受したのは間違いなく彼女の好意からであろうから。

厳重な梱包を解くと、眠る半裸婦の絵が出て来た。
他の絵に比べると、随分絵具が薄く、まだ途中なのかと思うほどの薄塗り。
しかし、それが水に漂うようで、夢見るようで。

飾るにしても、まずは額を買わなければならないだろう。

「・・・どこに飾ろうかな。確か絵って、湿度とか光に弱いと聞いた事があるような・・・。それとも、しまっておいた方がいいですかね、桃さん?」

はるかが絵の中の桃に話しかけた。
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