金魚の記憶

ましら佳

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69.鉄火場から来た男

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レオンのアトリエというのは、ルンド郊外にある家の事だった。
大学とトーカンカフェの近くに借りているアパートとはまた別で、もともとは彼の母親の持ち物らしい。

家というかちょっとした邸宅。
森に続く庭に野生動物も現れて、桃はその度に喜んでいた。
スウェーデンには野生のハリネズミがいる。
栗かと思ったらハリネズミで驚いたものだ。


そして今や半分サンルームになっているアトリエに、仏像が四体鎮座している。
若草色の美しい梔子ガーデニアの花模様が織り込まれた柄のソファの周囲に、仏像があるわけで。

「すごいオシャレになった!」とレオンは喜んでいるが、桃は「そうかなあ」と首を傾げるばかり。
夜はなんか怖いし、違和感しか感じないけれど。
例えば日本の喫茶店やレストランにギリシャ彫刻やビスクドールが置いてあって、なんかオシャレとか思う、あの感覚に近いのだろうか。

仏像とは飾るというよりやはり祀るものでは無いかと、桃はたまにお茶やお花を置いて置くと、これまたいい感じだとレオンが評価している。

サッパリわからない・・・。

レオンは器用で、祖父が残した書籍をダンボールに出したりしまったりしているのを見兼ねて、どこからか持ってきた板で本棚を作ってくれ、ものの1時間程度で出来上がったのに驚いた。
自分でちょっとした棚から、家のリフォームまでしてしまう人が多い国だが、特に図工や美術で習ったりもしていないらしい。

桃とレオンは週末をこの家で過ごす事が多くなっていた。
そして、今日はたまたまレオンの代理人エージェントであるミカエルが訪れていた。
フランスに行ったきり帰ってこないマネージャーというのがいると聞いた事はあったが、彼はアメリカに行ったきり帰って来なかったらしい。
自分にもアメリカに行ったきり帰ってこない母がいると言うと、ミカエルは親近感を感じたようだった。

夕食に寿司を所望されて、なんで皆、日本人見ると寿司を作らせたがるんだと思いながら、桃は手巻き寿司を用意した。
甘いものも食べたいから、クレープも焼いた。


「しばらくぶりに来てみたら、こんな可愛い珍獣がいて、うまい食事まで出てくるとはね。・・・良かったよ。レオンは大学とアパートの往復して作品作って一生を終えちまうんじゃ無いかと思っていた」

大袈裟だなと言いながら、レオンは夢中で手巻き寿司を頬張っていた。

ミカエルは、これがハマチ、これがウナギ、と寿司ネタにも詳しいようだ。

「N.Yで寿司なんて普通だよ。むしろ寿司も食えなきゃランチ・ミーティングにもならない。まあ、スウェーデン人だから魚好きだしね」

彼は、アメリカで働く男らしく、健啖家でハードワーカーっぷりが分かる話をいくつも披露した。

レオンはミカエルがアメリカの画廊に持って行くものを物色しにアトリエに戻り、ミカエルが片付けを手伝ってくれた。

「・・・皿洗いは好きなんだ。あー・・・日本人からみたら雑かもしれないけど・・・」
「日本の食器は形がいろいろあるから大変よね。食洗機だとうまくいかなくて」
「・・・これなんて、最近競り落とせなかった古伊万里に似てる・・・」
「ああ、古伊万里よ。亡くなったおばあちゃんがお皿集めるの好きでね。持って来たの」
「・・・使っていいのか・・・?ちゃんと飾っておきなさい!あのクールな仏像の横とかに・・・」
「・・・仏像の横に平皿飾ってる家なんておかしいでしょ・・・」

おかしくないだろ、とミカエルは反論したけれど。
簡単に片付けた後、テーブルに残っていたクレープと焼いておいたイチジクのタルトを前にミカエルは口を開いた。


「・・・不愉快とは思うんだけれど、俺はレオンの代理人だからね。君の事を聞かせて欲しいんだけど」
「・・・はい?」
「つまりね。アーティストとかセレブとか、そう言う連中ってはどうしても周りにいろんな人間が集まってくるだろ?中には変な奴もいる。俺はそういう奴らから、レオンを守らなきゃならない。レオンが問題無く製作活動ができるように」

桃が頷いた。

「・・・あなたが話したいのは、芸術の話じゃなくて、経済の話ね」

桃がそう言ったのに、意外そうにミカエルは頷いた。

「そう。・・・君、頭良いな」
「・・・不思議よね。芸術家って天然資源みたい。その周りにいろんな思惑の人たちが集まってくる。原油とか天然ガスと言うより宝石や嗜好品、果物やお菓子とかお酒に近いのかな・・・。生活するのに必要では無いけれど、生きて行くのに必要なもの」「そうだね。俺たちはそれで食ってる。君からしたら卑しいと思うかな」
「・・・いいえ。あなた、レオンの事、心配していたじゃない。だから彼をただの儲かる道具だなんて思ってないのはわかるもの。・・・ただ、愛に金が絡むと拗れるじゃない?・・・私、貴方達の経済圏を邪魔するような影響力無いと思うけど・・・」
「そうかな ?例えば、君がある日突然、彼から離れて行くとする。レオンは情緒不安定になるだろ?作品の供給がストップされる。君のせいで俺たちは食いつめだ」

クレープにチョコレートクリームをたっぷり塗って、ミカエルが黄色いものを乗っけて頬張ると、なんとも変な顔をした。

「・・・なんだこれ・・・」
「数の子よ」
「え、パイナップルじゃないのかよ?カズノコ・・・とは?」
「ニシンの卵」

桃がおかしそうに笑い出した。

「・・・ひどいな。教えてくれればいいのに」
「だって。あなた、意地悪言うんだもの。・・・お詫びに、日本酒があるの。ニューヨーカーはSAKEが好きでしょ。・・・数の子、クリームチーズと合わせると良いおつまみになるのよ。ちょっと待ってね」

公太郎から送られてきた酒をいくつか出した。
ミカエルが歓声を上げた。

「ねえ。ミカエル、私のママもね、N.Yで仕事してた事があるの。私のママって戦闘機みたいな女なの。でもそのママが音を上げたの。・・・ゴリゴリでマッチョな街よね。・・・あなたもきっと大変だと思う。息切れしてて立ち上がれない夜もあるでしょう。・・・でも、同時に好きなんだと思うの。ママもいつか戻りたいって言ってたもの。業ってやつね」

ミカエルはちょっと微妙な顔をした。

「・・・ごめんなさいね。しんみりさせちゃって。ハイで居続けないと戦闘力下がってアメリカじゃ生きて行けなくなっちゃうわね。戦場とはまでは言わないけど、鉄火場なのは間違いないわ」

鉄火場とは賭博場の別名だが、その表現をミカエルは気に入ったらしい。


桃は一升瓶をテーブルに乗せた。

「これねぇ、知人のご実家のお酒なの。金賞取ったんだから。おいしいのよ」
「・・・・うまいな!この猫のエサみたいの何?」
「数の子とクリームチーズ、スモークサーモンと酒粕混ぜたもの、豚肉のリエット、梅酒飲んだ後の残った梅。・・・シメはねえ、日本はラーメンとか麺類が多いかなあ」
「ずっと飲み食いしてて、最後にラーメン?!すごい食うな、あんた!なら、さっきのツナを食べたい。俺はツナロールが大好きだから。スタイリッシュだろ?」
鉄火巻ツナロールが?スタイリッシュオシャレ?」

桃が吹き出した。
鉄火巻もカッパ巻きも彼から見たら、そうか、おしゃれなのか。

「ツナロールは、鉄火巻って言うのよ。マグロって赤いじゃない?真っ赤に焼けた鉄みたいだってのが火花散る賭博場鉄火場みたいってわけでね。で、昔、そんな賭博場鉄火場で、すぐ食べれるように作られたんだって。こう言う逸話っていくつもあるから真偽はわからないけど。・・・でも、あなたにピッタリね」

その逸話に、ミカエルはまさに!と悦に入り、手を打った。
それから二人は小一時間程酒盛りをしていた。
ミカエルは焼酎がうまいと何度も器を開け、そのうちソファで寝てしまった。

仕分けして来たとレオンが戻って来た。
テーブルの上のちょっとしたパーティーの後を見て、自分もつまむ。

「仲良くなったんだね」
「そうなの。・・・お客さん寝ちゃったから、スナック・桃、閉店です」

日本酒一升、濁り酒、栗やトマトの焼酎、全部飲んだらしい。
レオンは幸せな顔で酔い潰れて高鼾たかいびきで寝ている。

「あ、日本酒全部飲んじゃったの?もったいない。・・・すごいな。ベニ、ミカ、潰しちゃったの?」

レオンが愉快そうに言った。

桃は毛布をミカエルに掛けて、クッションを頭の下にそっと差し入れた。

「二人で何の話してたの?。気になる」

「・・・あなたの話ばかりよ」

満足そうにレオンは桃を寝室へと誘った。


その翌日、ミカエルはすっかり二日酔いになり、桃が作ったしじみ汁を1リットル飲んで寝ていた。
絵画やら彫刻を車に積み込むと、また来ると挨拶をした。

「俺は美術商やめたら日本の酒の卸しをやる事に決めた」

そう冗談を言って、彼はまた鉄火場へと向かって行った。
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