金魚の記憶

ましら佳

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57.誠実な人なんていない

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はるかは座り直した。

「桃さん、保真智ほまちさんに会ったそうですね」

話題が変わって、桃は戸惑ったが頷いた。

「・・・はい。授賞式で挨拶文を考えるのを手伝って頂いたの。助かりました。結婚されて4歳の男の子がいらっしゃるんだって仰ってました。」
「桃さん、今だから言いますけれど、桃さんとお付き合いしている時も、保真知ほまちさんは他の女性達とも親しくしていましたよ。今だって似たようなものです」

桃は困惑したようにはるかを見て、思い切ったように口を開いた。

「・・・それは・・知ってます・・・」
「知っていたんですか?」
「・・・私より大人の方だし。・・・そう言うのって、なんとなく、わかるというか・・・」

そう言う気配ってするものよ、と桃は言った。

「ほら、猫とか犬も。ああ、この子は可愛がられてるんだな、いろんな人にたくさん撫ででもらってるんだなってわかる子いるじゃない?保真智ほまちさんてそんな感じだったの」

なんておかしな話だろう、と自分でも思うけれど。
それから、誰にも言わなかったけれど。
変な電話が何回かあったのだ。

「なんですか、それ?」
「わからないですけど・・・。電話番号だってどうやって知ったのかもわからないし。多分、その、お付き合いしていた方のどなたか・・・?無言電話とか・・・あと、加工してある声ってあるでしょう?あれで、保真知ほまちさんと別れろとか言って切れちゃうの」
「・・・それ、保真知ほまちさんに言ったんですか?」

桃は首を振った。

「・・・どうしてですか」
「別れたく無い方がいる、と言う事でしょ。・・・それは私が決められないじゃない」

はるかはため息をついた。

「・・・保真知ほまちさんは不誠実な人だけれど桃さんにとってそうでないならいいと思ってました・・・でも・・・桃さん、あなたもです」
「・・・はるかさん・・・」
保真智ほまちさんに他の女性がいると気付いていて、彼にそれを確かめもせずに、たださなかったとしたら、桃さんも不誠実です」
「・・・桃さん、あなたは優しくて不誠実だから」

そう言うと、はるかは目の前の温かい紅茶を飲み干した。

「・・・多分ね、桃さんて、ほんの一部の嫌いな人がいて、それよりは好きな人がいて、あとは人類も動物もほんのり皆好き、みたいな感じでしょう?・・・でもね、僕はね。一部の好きな人以外は皆大っ嫌いなんですよ」

こんな風に彼が自分の事を話すのは初めてで。
更にその内容が意外で、桃は驚いた。

「・・・はるかさん、それは・・・・・」
「はい」
それは、ひどい、だろうか。
それは、最低、かもしれない。

「ひどくて最低で結構です。・・・私も最低かもしれない。けれどね、保真智ほまちさんも、宝さんも、藤枝さんもそうでしょう?」

ああ、と桃は思った。
以前、宝が自分に会いに来たのは、悠《はるか》がきっかけなのか。

「・・・もっと言いますか?保真智ほまちさんの今の奥さんは、お兄さんの一輝かずきさんのいわゆる愛人だった人ですよ。最低でしょう。・・・あの人達ね、もともと桃さんと保真智ほまちさんと予約してた結婚式の日取りの予約をキャンセルしないまま披露宴やったんですよ。新婦と新婦側の人間出席者だけ替えてね」
「・・・はるかさん・・・」
「・・・知人が新郎側で何人か招ばれてましてね。最初、桃さんが予定していたアイリスやヒヤシンスなんかの会場の花。おばあさんがとても気に入っていましたね」

披露宴で桃が最初に決めたのは、会場に飾る花。
決めたのは、それだけだった。
結局、ドレスも決めないまま破談にしてしまったから。
保真智ほまちの母からサンプルで送られてきたアレンジブーケがとてもすてきだと紫乃しのが喜んでいたのだ。
それを覚えていたはるかひなの披露宴会場に贈った花でも合った。

「当日は、バラやユリでいっぱいだったそうです。ユリは香りが強いし、花粉が服についてむせて大変だったそうですよ。アレルギーや喘息の方が体調を崩されたそうです」
「・・・お花は、奥様になる方がお決めになったんでしょうから・・・」

他人がどうこう言わなくても、いいではないか。
そんな事、言われたら誰でも嫌なはずだ。

「ええ、ですから。・・・ひどいもんでしょう。でもね、保真智《ほまち》さんがお選びになった方だから。・・・ねえ、誠実な人なんて誰もいない」

桃はもういい、と首を振った。

「・・・はるかさん、もう、いいですから・・・やめてください・・・」

桃は泣き出したくなった。

「・・・なら、保真智ほまちさんに他の女性がいる事も知っていて、私に何も言わなかったはるかさんだって、誠実ではないはずです」

はるかは少しだけ傷ついた顔をした。

「・・・わかっています。でも、桃さんは知らないと思ったから」

自分が知って悲しまないように、と言う事か、と桃は思ったが。

「・・・そうすれば、桃さんは、罪悪感で、保真智ほまちさんに別れを切り出すと思ったんです。実際そうだったでしょう?あなたは優しいから」

桃は驚いてはるかを見据えた。

「・・・相手も不貞を働いているから自分もした、じゃないって事です。まあ、桃さんはそういうタイプでは無いでしょうからね。当て付けの不貞で片付けられたら嫌ですから。あの時は間違いなく私は桃さんに選ばれたわけです」

桃は一度椅子から立ち上がって、何か言いかけようとして言わず、また座った。
気持ちが付いていかない。

「・・・もう、いい・・・。本当に。今、幸せなら、それでいいじゃない・・・」

現在、保真智ほまちは結婚して、妻がいて、子供がいる。

その子は電車が好きで、パパとママが呆れるほどに一緒に付き合ってあげている。
それで十分じゃないか。

「・・・そうですか?・・・誰が幸せなんですか?・・・誰も幸せなんかではないのではないですか?」
はるかは不愉快そうにそう言った。
桃は絶句した。
自分のせい、と言いたいのか。
反論なんて出来る立場じゃ無いけれど。

「・・・だから・・・出ていきますから・・・私、もう、近づきません・・・」

保真智ほまちにも、公太郎にも、はるかにも。
悠《はるか》が悲しそうな顔をした。

「・・・違います。そうじゃない。ああ、どうやったら伝わるのか・・・」

そう言うと、悠《はるか》は桃を引き寄せた。

「桃さんがいなきゃ、誰も幸せなんかじゃない。・・・私もそうです」

桃ははるかの胸の熱さに戸惑った。
なんでこの人はこんなに自分に執着するのか。
この胸にいると言う、彼の言う大切な宝物のような金魚が自分であるはずないではないか。

「・・・はるかさん。・・・私ね、はるかさんと関係した後、保真智ほまちさんとお別れして。すぐに、藤枝さんと付き合ったの」
「・・・知ってます」
「・・・そう」
「藤枝さんが、二度も桃さんと家族になり損ねたからって言ってましたから」

公太郎がそう言ったのか、と桃は申し訳なく思った。

「・・・そうね。・・・結局、すぐに別れたのよ。・・・私が不誠実だから」

結局、母共々、彼の時間を無駄にさせて、傷つけただけ。

「・・・はるかさん。保真智ほまちさんはすごいと思うの。はるかさんが言う最低ってくらいの人を幸せにしちゃったのよ。私もあなたも、誰も幸せに出来ないのに・・・」
「桃さん。あなたがいれば・・・」
「いいえ。出来ない」

どこまでも自分達は姉弟。

「・・・悠《はるか》さん。・・・幸せになって」

桃は願いを込めて、悠《はるか》の頬に触れた。

「・・・そしたら、桃さんは幸せですか」

桃は頷いた。

「そうね。あなたの幸せを祈っています」

はるかはその手にそっと触れた。

「・・・桃さん。あなたの願いを叶える私に何をくださいますか」
「・・・私が差し上げられるものなんて・・・」
「僕のせいにして下さって構いません」

だから、と懇願されて。

桃は困ったように微笑んだ。

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