金魚の記憶

ましら佳

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53.別の靴も見つからない

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月子は、友人達との忘年会という名の近況報告会を終えて店を出た。
2ヶ月前から予約していたという、タパスの品揃えと直送のサングリアとカヴァワインが話題のスペインバル。
大きなフロアに客達が詰め込まれていて、着飾った男女の品定め状態だった。

バルってこんなだったっけ?
確か、居酒屋とか軽食を出す喫茶店のはず、と疑問に思うけれど。
何か、違くない?
自分はこれまでそんな事思ったこともなく、コンセプトなんて度外視で、その客達の割と真ん中あたりで食ったり飲んだり愛想振りまいたりしていたものだ。

去年までは。
でも今年は、どうにも居た堪れなかった。
やはり医師や大手の金融会社や、いわゆる官僚に当たる女友達が、いつもと違う様子の月子に疲れているんじゃないかと言う程に。
確かに年末の会食疲れもあるけれど。
最近親しくしている桃は、年末の予定としては、会社の忘年会と、あとは特に用事もないけれど、アパートの大家さんが材料用意してくれる予定だから、大家さんと藤枝と初めてのハタハタ鍋をやる、と言っていた。

「・・・いいな・・・」

歩きながら、月子はそう呟いた。
桃は、まだ会社には明言していないが、スウェーデンの大学に戻るアテが出来たらしく契約内に実績が出せて、上司の藤枝にもこれで迷惑がかからないとほっとしていたようだった。
藤枝も、応援しつつ彼女と再び離れるのは寂しそうだったけれど。

お互い言わないけれど、多分。
あの二人は昔付き合っていたんだろうなと思う。
匂わせとか色っぽい会話なんかは果てしなくゼロだけど、お互い食の好みとか生活とか体質を知り尽くしている。
それは、余程親しい間柄、一緒に生活したとか、そういう事がなければ身につかないものだろう。

・・・あの子、可愛いし、性格いいし、頭いいもんな。

やっかむわけでもなく、そう思う。
自分のように医者一家で、とにかく医大に入れ、さっさと医者になれと言われて育ったガリ勉ではなく。
彼女の身につけているものは、教養のある家族に囲まれて磨かれて来た知性というものだ。
桃は、数カ国語を話すけれど、それはビジネス会話では無く文学や美術や自然科学を語るために身についたものであると分かった。

彼女の祖父はスウェーデン人で、母国と日本で大学教授でもあった人物であり、教養人、文化人として有名らしい。
ネットでちょっと検索したらすぐに名前と経歴が出て来て、そのイケオジっぷりとともに驚いた。
その彼に、教育を仕込まれたのだろうと思えば納得だ。
だから、桃はやっぱりビジネス界で戦って行くには、確かに向いていないのだろうけど。

ああいう女と一緒にいたら、きっと自分も知識がつくし、ちょっといい人間になったような気分になるだろうな。
男は当然、若く美しい女、その魅力を知識が邪魔しない女の方がいいだろうけれど。

ああいう、桃のような女がいいという男という者もいて。
そして、大抵はそういう男の方が、誰しも好ましいものだ。
自分だって、そう。
教養とは本来、教育に付帯して身につくものだと考えると、自分は何とアンバランスなのだろうと思う。

「・・・いいなぁ・・・」

月子はもう一度そう呟いた。
ハイヒールが寒いし痛かった。
今まで、痛いなんて感じた事はなかったし、多少痛くて普通だしそれでこそと思っていたのに。
いつものように、もう少し歩って、馴染みのカフェバーに寄って。
知り合いに連絡して、車で迎えに来て貰うつもりだった。
忙しい仕事の合間に、彼はそれでも自分の我儘わがままを聞いてくれると思うけれど。
何だかもう、そんな事してる自分がバカみたいだと思った。
こんなに自分が虚しく感じるのなんて初めて。

それを補うかのように今日はめかし込んできたけれど。
余計バカの上塗りをしたような気分。

あの時。桃と藤枝と会食の後。
酔い潰れた藤枝を送る途中の三毛猫タクシーを再び呼び出した。
そのまま乗り込んで、藤枝の部屋にまで押しかけて拒否されたのは、今思い出しても惨めな気分。

「いやいや、ダメですよ。自分で自分がおすすめ出来無い」と言って居たけれど。
そんなの理由にならない。
きっと、それは、桃の為。

足が痛い。
こんな靴、放り出してやりたい。
でも、別の靴も見つからない。
まるで今の自分みたいだ。
頭も痛くなって来た、と思ったけれど、それは胸が痛いのだと気付いて、もうそこから一歩も歩きたく無くなってしまった。

スマホに登録しっ放しのタクシーの連絡先を思い出した。
藤枝がよく使っているという三毛猫マークが書いてあるタクシー。
あんなチャラチャラした若い男と話すの何だか面倒だけれど。
もう早く帰宅してしまいたかった。
試しに連絡してみると、近くにいるからすぐに行けるというメッセージが返って来た。


三毛猫マークの車に乗り込むと、月子は無愛想に自宅に行ってとだけ告げた。
藤枝の家から帰宅する時も、藤枝な呼んで乗って帰ったから、場所はわかるはずた
運転者の名前に、猫のイラストと長谷川八一と氏名が書いてあった。
変な名前。
なんて読むのかも分からず、月子は無視した。

「・・・ちょっと聞いていいっすか?・・・あのー、何してる人すか?」

興味津々と言う態度に、月子が眉を寄せた。

「医者」
「マジ?うおー、女医!?・・・先生、俺、腰痛いっす。座っちゃえばいいんでですけど、立つ時とか・・・」
「ヘルニアじゃない?整形外科行きなさいよ。湿布で誤魔化すんじゃなくてね」
「・・・先生、藤枝さんと付き合ってんの?」
「関係ないでしょ」
若さなのか性格なのか、踏み込んで来られてイラっとした。
「・・・すいません・・・。いや、ちょうど、藤枝さんに、一昨日呼んで貰って。そん時、相談つうか・・・話聞いて貰ったから、会ったらお礼言っといて欲しいなって・・・」
「・・・別に、いいけど・・・」

藤枝に会う口実が出来たとちょっと嬉しくなった。
我ながら浅ましいけれど。

「・・・相談て、何?」
「あ、えーと。俺ね、出身、新潟なんですけど。・・・だから、ほら!八一やいちって名前で」
「・・・え?何で?」
「知らないっすか?会津八一あいづやいち。会津なのに新潟。新潟の偉人っすよ。歌人で。あめつちにわれ一人泣きぬれてって、歌とかの人」
「知らない。あのさ、私、そう言う文学とか芸術とかわかんないから。私、世界一教養と情緒が無い女なの、ごめんなさいね!」

多分、桃なら、知ってる、と言って盛り上がるんだろうな、と思って、更に不機嫌になった。

「・・・マジすか?小学校の時とか覚えさせられるんすけど・・・。まあいいや。で、去年、父ちゃんが倒れて。農家なんすけど。・・・だから、俺、地元、帰ろうかなあって考えてて・・・」
「・・・倒れたって・・・?」
「えーと、脳の血管切れたとかで。あ、でも生きてるんで!でも、右半身がちょっと動かなくなってて・・・」
「・・・そう。リハビリ、大変ね・・・」

命は助かっても、そのリハビリが辛くて、やめてしまう患者も多い。
本人も、その家族も負担は大きい。

「そうなんすよ。母ちゃんがほぼつきっきりなんすけど。でも父ちゃんてマジ田舎の昭和っつーか江戸時代みたいなオヤジだから言うこと聞かなくて・・・。そうなると、誰が田んぼやるんだっつうね・・・。兄ちゃんはもうこっちで結婚しちまってるし・・・」
月子は少し反省して、八一やいちの話を聞いていた。

「そんな話をちょっと藤枝さんに言ったら。・・・そしたら、コメ作ってんのすげーなって言ってくれて。藤枝さんの実家って酒屋なんすよ。店じゃなくて、作ってる方。関西の・・・何つったかな、結構有名な。米作ってくれるから酒が作れるんだもんなあって農家って神様みたいな人たちだよなって・・・」

八一やいちはたまらなく嬉しそうに言った。

「昔、藤枝さんの父ちゃんも廃業するか悩んだ時期があるらしいんですけど。そん時、外国人の先生が、藤枝さんの父ちゃんに、日本酒と言うのは人類が作り出した最も高度で洗練された・・・えっと、何てったかな、真髄エッセンスだって言ったらしいんですよね。そしたら父ちゃん、なんかやる気出して持ち直したらしくて」

きっとその外国人の先生というのは、桃の祖父の事だろう。

「だから、俺。実家帰ろうと思って。だから、藤枝さんのおかげで帰る決心ついたって言っておいてくれないっすか?」
「・・・・そう。分かった。伝えておく・・・」
「・・・ただ、あのー、猫がいて・・・」

また猫か、と月子は少し呆れた。
桃も、飼い猫をどうやって連れて行くかとまた倒れる程悩んでいた。
思い余って農林水産省と航空会社にまで電話して、自分で考えろと言われたらしい。
藤枝が引き取ると言ってくれたそうだが、桃は、別れるのが辛いしそんな無責任な事は出来ないと言っていた。
猫ってそんなにいいものだろうか。
基本的に、生き物を飼育した経験が無い月子にはピンと来ないのだが。
犬とは違い、散歩も要らないし、人間よりは大分格安の食費で済む、同居人未満の動くインテリアみたいなものではないのだろうか。

「・・・そいつ三毛猫なんすよ。俺、前の仕事ブラックで病んで辞めて。そん時、保護して、タクシー始めたんすけど。・・・実家、今大変だし、連れて行けねぇしなあって・・・。譲渡会とかに申し込んではいるんですけどねえ・・・」
だから三毛猫タクシーっていうんすよ、と八一やいちは三毛猫のイラストを示した。

皆、こうして、新しい人生を、靴を履き替えるようにして選択していくのに。
自分の為に、誰かのために。
自分は、こんな痛い靴、生き方を、嫌だと思いながら続けていくのか。
だって、惚れ込むような新しい靴見つけたけど。
誰かの為に生き方変えたいと思ったけど。
断られちゃったもの。
そんなの、見つからないのと一緒。

月子はそう興味もなく青年の話を聞いていた。
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