金魚の記憶

ましら佳

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51.苦くて甘い傷

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慌ただしく宝が兄の部屋へと入って来た。

「・・・まだここに居たの?・・・もう、早くして・・・何!?このタヌキ?」

デスクやチェストにタヌキのぬいぐるみが置いてあった。
こんなもの買うようなタイプじゃないだろうに。
宝は無造作に掴んで眺めた。

「・・・ああ、乱暴にするな・・・・。限定品なんだから!葉っぱが曲がったじゃないか・・・」

保真智ほまちがタヌキの頭の葉っぱを直した。
かなり気に入っているらしい。


保真智ほまちが、そう言えば最近桃に会った、と言うと、宝が「だから何なの?」と、途端に苛ついたように返した。

「もう昔の話じゃない・・・ちょっと?!お兄ちゃん、結婚もして、子供もいるんだからしっかりしてよ?」
「・・・分かってるよ。別に、なんだってことはないけどさ。たまたま会ってさ。うちのホテルのを会場にして授賞式があってさ。それで賞貰ったらしくてね」

あんな別れ方をしたのだ。
気にならない方がおかしいだろう。
5年や6年なんて、過去とは言えるが昔と言えるほどでもない。

「・・・お兄ちゃん、あれで、良かったのよ。確かに、きれいだったし頭もいい子だったけど。・・・大体、別れた女が勝手に産んで、父親に認知もされてない娘なんて。非嫡出児どころか私生児ってやつよ。・・・今行くから!」

宝は階下で自分を呼ぶ娘や甥っ子の声に返事をした。

「ねぇ、お兄ちゃん、早くして。・・・あの子達が癇癪かんしゃく起こしたら、また出発が遅れるじゃない」

今日は自分の家族と兄の家族でテーマパークに行く約束をしていたのだ。
待ち合わせの兄の家に寄ったら、保真智ほまちは自室でまだのんびりしていて宝は大いに腹が立っている。

保真智の妻も、もう少し気を利かせてくれるといいのに、なんでも任せきりなんだから。


保真智ほまちは顔色を変えていた。

「・・・宝、お前、なんで知ってるんだ?」

桃の出生に関することは、それは、両親しか知らない話。
長兄にも話していないはずだ。
いくらあけすけな親でも、それは妹には言わない約束のはずだった。
しかも家族顔合わせの食事会すらしないまま破談となったのだから、宝は桃と面識は無いはずだ。

宝は、ああ、失敗した、という顔をした。

「・・・わかるもんじゃない、こういうのって」
「いや、そんなわけないのは、わかるな?」
「・・・私が別に調べ回ったとかじゃ無いからね。私、・・・はるかさんよ。あの人が、私に言ったの。兄の妻に出生に関する問題があったら、困るんじゃないかって。そもそも私に黙ってた、お兄ちゃんも悪いのよ」
「・・・はるか君が?お前に?」
「あの頃、私、付き合ってたのがそういうのうるさいタイプの人だったじゃない?・・・だから私会いに行ったの。あんな不思議ちゃん、本人だってこれで良かったのよ。・・・でも私がいくら言ったところで、そんなの決めたのは自分なんだからね。私のせいじゃないと思うわ。・・・いいじゃない、もう皆、今、幸せなんだから。・・・私達、あの頃と変わったのよ、もう」

そんなことより早くして、と常に現在に生きている宝は兄を急かした。

「・・・そうだな。でも、・・・彼女だけ変わって無かったよ」

兄の口調や表情には間違いなく後悔が浮かんでいて、宝は困ったように、責めるようにため息をついた。




保真智ほまちはホテルのロビーではるかの姿を見つけると近寄った。

はるかの商談相手が来日していて、このホテルに宿泊しまていた。
ほんの数分刻みのスケジュールを開けて貰い、対面が叶ったのだ。


「ああ、保真智ほまちさん。久しぶりですね」
「・・・はるか君、こっちにいるとは知らなかった。一昨年の春、確か、本社にいるって言って無かった?」
「ああ、その冬からこちらにいるんです」

そうと言うと、はるかはにこやかに微笑んだ。

「・・・先週、桃ちゃんに会ったよ。授賞式で」
「そうでしたか。そちらのホテルが会場でしたね。私は仕事で行けなくて。・・・桃さん、緊張したし恥ずかしかったって、迎えに行く前にすぐ会社に帰って来ましたからね」

はるかが嬉しそうに言った。


「・・・今、桃ちゃんと親しくしているの?」

彼等の関係性からしたら意外だ。

「今、会社も一緒ですしね。一緒にいる時間も増えましたよ」
「・・・はるかくん、以前、うちの妹に、桃ちゃんのことで何か吹きこんだようだけど」
「ああ、そうでしたか?」
「・・・宝が、桃ちゃんに何か言ったとしたら。申し訳ない事と思ってね。・・・でも、はるか君が、そんなに桃ちゃんを嫌いだとは思わなかったから」


とんでもない、とはるかが否定した。

「嫌いなわけないでしょう。嫌いだったら今こうしていませんよ」
「・・・じゃあ、何で・・・?」

保真智ほまちは違和感と怒りを感じた。

「・・・もう別にいいのでは?私が宝さんにお伝えした事で彼女が桃さんに何か言ったというのは、本当でしょうけど。・・・でもそれが理由で、桃さんはあなたを選ばなかったわけじゃない。もういいでしょう?ご自分が一番ご存じではないですか。・・・まあ、もう、昔の事ですしね。すみません、それでは失礼します」

やんわりと、スマートに、フラットにそう言って、はるかは秘書達と共にエレベーターへと向かった。

それは。
昔のことだろ、お前は。
今更、首を突っ込む資格はないだろう。

と、無言で突きつけられたと言う事。

あの時の傷をたまに苦く甘く思い出して傷口を開いては舐め溶かす、そんな事すら許さないと言う事。

保真智ほまちは何も言い返す事は出来なかった。
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