金魚の記憶

ましら佳

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37.水の都の温室

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スウェーデンでの生活も3年が過ぎた。

バルト海に面したストックホルムの街は、湖にも囲まれていて、北欧におけるヴェネチアと呼ばれている。
水の都というのはどこも美しいし栄えるものだけど、この街は猥雑さといものがあまり見受けられない。
すっきりとした街、というのが桃の印象。

土地が低く平面が続いているような感じだが、なんとなく、山頂の町にいるような不思議な隔絶感があるというか。
大学と家の往復の毎日ではあるが、祖父と食事やピクニックに行ったり、一人でふらりと美術館や図書館に行ったりという生活が楽しかった。
ただ街中を歩っているだけであれこれと視覚も聴覚も刺激される日本の都会とは全く違う街の様子に、妻を亡くしたヴィゴも、疲弊していた桃も慰められるのを感じていた。


桃は友人も出来て、それなりに楽しく日々を過ごしていた。
スウェーデン人の友人は、極東から来た少し自分たちに近い素材感、しかし味付けはだいぶ違う桃を珍しがったし面白がった。
やはり両親のどちらかが外国人という友人達も、桃の、もはやスウェーデン風味があまり感じられない様子に、あれこれと現地の生活の知恵を教えてくれていた。

そして彼らは、桃をなぜかベニと呼ぶ事を好んだ。
確かに、桃の名前の一部ではあるのだが。
普段は使わないし表に出ない忘れていてたミドルネームのようなもので、今まで家族からも呼ばれた事はない。
けれど、呼ばれるたびに、そう自覚する度に、何か違う自分、新しい自分になったような気がして嬉しかった。
大学の敷地の一角にある温室の植物園で桃と友人達はランチを取っていた。
明るく、湿度もあり、桃のお気に入りの場所。
熱帯の鮮やかな花もあるが、日本の八重桜や椿やツツジも植栽されていて、懐かしい。


外食は高いし、手軽なコンビニも無いし、昼食持参の者が多いのだが、なんというか外国のランチだよな、というのが桃の感想。
桃のように弁当箱におかずをあれこれ詰めてくるのは珍しいらしい。
そして、今日は桃もどうしても食べたかったコンビニ再現サンドイッチ。
自分でも驚きなのだが、和食というより、コンビニ飯が食べたくて仕方がない。
コンビニの冷たいおにぎりに、ピザまん、カップに入った季節ごとのデザート。
どこにも無い。
ストックホルムは首都である。
ここに日系のどこのコンビニもないのだから、国中どこを探したって無いのだろう。
コンビニというものはあるが、どちらかと言ったら、小さなスーパーやドラッグストアのような日用品店。

東アジア圏には似たような形態のコンビニがあるのに、この寒い国には無い。
一年の半分以上が寒いこの国で、いつでもあったかいおでんとか肉まんとか食べれたらとっても幸せだと思うのだけど。
自分たちのものこそ本場と自負するワイルドなサンドイッチを食べ慣れている同僚達も、桃の作る、彼らから見ればやたら軟弱なサンドイッチを気に入ったらしく、次々と食べている。

「・・・私、ツナ!・・・美味しい。でもこれすぐお腹すくのよね」
「生クリーム塗ってイチゴだのキウイだのバナナやみかんが丸ごと入っているサンドイッチなんて、最初は驚いたもんだけど・・・」

日本食というのは、現在割にどこでも人気がある。
保守的な層は自分達の食文化以外は進んでは食べないものだけれど、こうして受け入れられているのはやはり、日本人が食べているものはとにかく食のバリエーションが多い、つまりとっかかりが多いからではないだろうか。
スーパーにも普通に寿司コーナーがあり、普通にテイクアウトの寿司があって驚いた。
味の高低差にも驚いたけれど。

「・・・ラーメンを自力でスープから炊いてる人がいるなんて驚きよ・・・」

桃がそう言うと、サンドイッチを分解して、何が入っているのか調べていたヨハンが笑った。
ある日、眼鏡を掛けたマッチョな彼がいきなり、俺のラーメン食ってくれ、本場の作り方を教えてくれ、と研究室に現れたのだ。

「日本って皆、家でママがラーメン作ってると思ってたんだよ」

その本人であるヨハンが弁解した。

「・・・ああいう本格的なものは、家庭料理では無いのよねえ・・・」

普通に袋麺なのかと思っていたのに、彼に恋人の彼氏と住むアパートに連れて行かれ、へいらっしゃい、と出迎えられて、キッチンに並ぶどでかい鍋の中の、一体どこの部位なのか怖くなる豚骨の山に唖然としたものだ。

「材料は揃えたからさ!ネットで見たんだ!長浜ラーメンというの作ってくれ!!」
「・・・私、普通に、醤油ラーメン派なんだよね・・・」

と言うと、ラーメンにはあれこれあるのかと講義を求められた。

「まず、日本には、三大ラーメンというのがあり、札幌・味噌味、喜多方・醤油味、博多・豚骨・・・」

と言う桃の一般的な浅い知識の講義にも、彼らは熱心にメモを取っていた。
そして、たまにラーメンパーティーに、作るところから参加させられている。
仕込みは早朝からであり、ほぼ無給のバイトである。
今では、結構美味しくなり、メンバーにも好評だ。
ヨハンの彼氏は中国系で、ラーメンならそっちが本場だろうと思うのだが、日本語も少しわかる彼曰く「俺、スウェーデンでゆとり育ちだから漢字もろくに書けないないから無理」との事。
結局、中国人に餃子の作り方を教えているという変な事になっていた。
このカップルの夢は、ラーメン屋を開業する事らしい。
その夢に少しでも貢献できるならば嬉しいけれど。

「・・・ねえ、ベニはさ、恋人作らないの?」

アンナがニヤニヤして聞いて来た。
スウェーデン人の母とイタリア人の父を持つという彼女は、大迫力の美女。

「ベニ、人気あるのに。男でも女でもさ・・・どっちが良いの?」

彼氏も彼女も取っ替え引っ替えの彼女からすると、浮いた話のない桃にどうにかこうにか恋人を、と言う事らしい。

つい先日も、ガールフレンドと楽しい一夜を過ごしていたら、ボーイフレンドが踏み込んで来て、泣きながら捨てないでくれと言ったとかなんとか。

「・・・うーん・・・私、才能無いみたいなのよ・・・。全部、うまく行かないの・・・」

真面目な顔で言う桃にヨハンが気の毒そうな顔をした。

「・・・哀れだな・・・」
「うん。そう言う星の下に生まれたのよ、きっと」
「そうやって受け入れるのは東洋的でちょっと素敵だけど。でも受け入れすぎなんじゃ無い?抗ってこそ人生よ」

ったられたを繰り返しているアンナが言うと説得力はある。

「・・・ねえ、でもベニって、フランスに居たんでしょ?フランス人って積極的なイメージ」
「分かる。俺、フランス人の彼氏いたよ。いい感じだった」
「・・・住んでたの子供の時だもの。・・・夏休み、ママは仕事だし、どうせ暇だからってサマースクールに突っ込まれた事あるんだけど。・・・まあ、ハイティーンの子達なんかは、イチャイチャしてたりモメてたりしたけど・・・」

桃は顔をしかめた。

「・・・私、本当に子供だったから。・・・周りがいきなり盛り上がって。なんかもう、皆、突然どうしちゃったの?って怖くなっちゃって。次の年から、夏休みは日本のおじいちゃんとおばあちゃんの家に行く事にして、毎日トンボ獲ってたもの」

アンナとヨハンが大笑いした。

桃は、それから小一時間ほど過ごし、教授に呼ばれていたのを思い出して、立ち上がった。
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