金魚の記憶

ましら佳

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32.消えない警鐘

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 大学院に進学して分かったことは、知っていたけれど、思ったより忙しいと言う事。
桃はここのところ毎日コンビニで豆大福と甘いミルクティーを買って帰宅していた。
いかにも自分が疲れていると実感するようなラインナップ。

おかしい。
朝に家を出たのに、また朝に帰宅している。
大体、今日は何曜日だっけ・・・。
公太郎はもう出社したらしく、不在だった。
そう言えば、最後に会ったのはいつであったか。
着替えもそこそこに、大福を取り出した。

「・・・あああ・・・疲れていると・・・あんこが食べたくなる・・・」

疲れている時こそプロテインと聞くが、どうしても脳は一瞬の快楽である糖分を欲する。

桃は疲れとつけっぱなしのコンタクトが角膜に張り付いて、目をショボショボさせながら大福の中身を吸った。

「・・・はあ・・・生き返った・・・」

冷蔵庫を開けると鍋ごとカレーが入っていた。
昨晩、公太郎が作ったそうで、温めて食べろとラインが来ていた。

公太郎のカレーは美味しくて、気に入っている。
玉ねぎをたっぷりのバターで揚げるように炒めて、牛肉と野菜を水ではなくビールで煮込んで、4種類のカレールーで味付けしたもの。

桃が知る、祖母の作る家庭的なカレーとは違う、手間も金もかかるもので、独身で時間も金もあった彼ならではものだろう。
カレーは豚コマか鶏ムネで作るのだと思っていたのだが、公太郎のカレーは牛リブロースが入っている。

「・・・ご飯もある・・・」

炊飯器を覗き込んだ。
公太郎は健康を気にする年頃なんだと言って、雑穀米を食べている。

「・・・バターと牛肉とビールをこれだけ入れといて、こんなご飯に粒々入れただけで何とかなるもんかなあ・・・まあいいや、美味しいから。・・・そうだ、カレーだから・・・」

冷蔵庫にしまっていた祖母が漬けた梅酒の瓶を取り出した。
カレーの時には、これに牛乳を入れたものを飲むのが好き。
公太郎はドロドロに固まるのが気持ち悪いと言うが、ラッシーのようになってなかなか美味しいのだ。

桃は上機嫌でカレーを食べて、梅酒の牛乳割りを飲み干した。
そのまま風呂に入り、満腹と湯上りの気持ちよさのまま、アイスまで食べた。
まだ朝だと言うのに、こんなにたらふく食べて、酒まで飲んでしまった・・・。

まともに寝ていないとは言え、頭も体も夕食だと勘違いしているようだ。

「・・・午後には大学・・・戻らなきゃならないのに・・・」

半ベソでそう呟いて、そのままソファで眠ってしまった。

 気がつくと、ベッドにいて、公太郎が額に冷えピタを貼っていた。
公太郎が無言で体温計を見せた。

「38.4℃。・・・風邪か、何か感染症かもしれないし。・・・まあまた疲れだとは思うけど」

桃はため息をついた。

「・・・研究室には連絡しといたから。豊花ゆたか教授、心配してたぞ。桃は体力ないから、ササミ食って、ジム行って体鍛えろって言ってた」

昔、同じ教授に師事していた経験のある公太郎がおかしそうに言った。

「・・・俺、院進まなくて分かったわー。過酷すぎる・・・。食欲は?」
「ある。カレー食べた。美味しかった」
「・・・うん、食欲あるな。・・・鍋全部食ったのか・・・。・・・ウェルシュ菌とかじゃ無いよなあ・・・」

もしや桃の体調不良は自分のカレーが原因の食中毒ではと心配になって来る。

「いやでもな・・・すぐに冷蔵庫入れたしな・・・。あ、桃、酒飲んだろ?」

カレーの時は梅酒の牛乳割を飲んでいる。

「・・・うん」
「どんだけ飲んだ?」
「瓶に半分残ってたの全部」
「・・・・桃、梅酒って、普通ホワイトリカーで漬けるんだよ。ホワイトリカーってな、アルコール度数35°あんだよ」
「え・・・なんなの・・・ホワイトリカーって・・・?」

梅酒はむしろ体に良いのだと思っていた。

「つまりは焼酎だよ。トウモロコシと廃蜜糖モラセスから作るらしいよな・・・」

公太郎は実家が造り酒屋で、醸造には詳しい。

「・・・えぇ?コーンウィスキーとラム・スピリッツって事?・・・殺す気?!」

おばあちゃんがそんなとんでもないものを自家生産していたとは。
おじいちゃんも大好きで、グラスでよく飲んでいたのに。

「ガブガブ飲むもんじゃ無いんだって。・・・睡眠不足と疲労の上、ろくなもん食べて無い上に突然こんなカレー大量に食って梅酒500ccくらい飲んだらそら具合も悪くなるわ」

公太郎はそう言うと温かいほうじ茶を差し出した。

「・・・・あの、ミルクティー買ってあるんだけど・・・あと、アイスは食べてもいいんじゃないかな・・・?」

公太郎が首を振った。

「しばらく、ほうじ茶と梅干し!」

桃は諦めてマグカップを受け取った。 

 

 ここしばらくほうじ茶ばかりで、口の中がシワシワする。
好物の甘いミルクティーかスパイスチャイを求めて、研究室から大学内のコンビニに向かった。
ほぼ生活している院生も多いためか、一通りなんでも揃っているのがありがたい。

激務に潤いというのは大切だと分かっているらしく、近隣一帯のどこよりも早く新発売のお菓子が入って来る。

桃は目についたものを片っ端からカゴに入れた。
まだ1年生か2年生と思わしき女子大学生が、フェイスパックを買っていて、はたと自分の行き届かなさに気づき、追加でカゴに入れた。
これ一枚で積年の手入れ不足がどうにかなるとは思えないけれど。

もう気にしないという日々ノーメイクの同僚もいれば、耐えられないと高額化粧品を購入したり、エステのローン契約をしてきてしまう同僚もいる。

「良いの、分かってるの、大して効果なんか無いかもしれない。サギでもいい!なんかしてるって安心感が欲しいの!」と言われたのを思い出す。

「・・・分かるー・・・」と桃は呟いた。

ビタミンと鉄分入りのドリンクも追加して、あとは何か無いかな、と物色していた時。
ふと、生理用品が目に止まった。
買っておくか。鎮痛剤も切れてたな、と手を伸ばして。

・・・・前、いつ来たっけ。

そもそも生理不順なのと、生理痛ばかりか排卵痛も酷いので嫌で仕方なく、最近その煩わしさと痛みが無いのが楽過ぎて忘れていた。



桃は買い物を済ませて、中庭のベンチに座った。
久しぶりの甘いチャイを飲みながら、スマホのアプリを開いた。
おそらく大多数の女性が使っている月経管理アプリ。
最後に記録したのは、3月。
記録管理をうっかり忘れていたと言う記憶もない。
今は5月になろうとしていた。
アプリのメッセージを見入った。
妊娠の可能性がある、と表示されていた。
桃は、困惑してしばらくその場に座っていた。


ドラッグストアで買えるの簡易的な妊娠検査薬で調べてみたら、予想していたように陽性プラスだった。
それから、数日、特に変わりない同じような日々を過ごした。

自分の中で感じた違和感が、いつか喜びに変わるのではないか。
もしくはそのきっかけがあるのではないかと思って。
けれど。
頭の中で警鐘が消えない。

・・・・ダメか・・・。

母のように思い切ることも、気にしない事も、喜ぶ事も出来そうに無い。
桃は、ネットで調べた病院に診察の予約をした。
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