金魚の記憶

ましら佳

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24.波間の泡沫《あぶく》 ⌘R

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雪が降り続いていた。
低気圧は予想よりも発達し、東日本全域を覆っていた。
高速鉄道や在来線の鉄道網だけではなく高速道路も混乱中のようだ。

その水槽の底のような空間で、桃とはるかは二晩過ごした。
求めあったのか、何かを埋めあったのか。

桃は、それが何なのか確認したかった、と言うのに近い。

保真智ほまちとの間には決して無かった関係が、こうもふいに現れて、難無く経験してしまったと言うのが不思議なくらい。

桃は浴槽のお湯に頬まで浸かっていた。
石の素材の床材も床暖房が引いてあり温かい。
なんと言うか、この邸宅は、家の中全部が大体同じ気温になっている。
それがまた水槽の中のように感じるのだ。

ちょっとスウェーデンの家に似ている、と桃は思った。
町中に引かれたヒーティングシステムが各戸にも配備されていて、
外は氷点下5℃でも屋内はとても暖かい。

お湯に溶かしたエプソムソルトの柚子のいい香りにほっとする。
柚子とコットンフラワーは、桃が一番好きな匂い。
更にエプソムソルトを入れたお風呂が好きな事も、はるかは知っていたのだろう。

桃はほんの少しだけ出血していたのに気づいて、一度湯から上がってシャワーで流した。
こんな時、血が出るなんてよく聞くけれど、実際は出血したりしなかったり、半々らしい。

ちょっと痛かったけれど、病院に行って薬をつけるとか聞いた事もないし。
粘膜だから治りは早いかもしれない。
つまり口蓋垂喉ちんこをちょっと切ったようなものだろうか、と桃は理解した。

はるかは熱っぽかったけれど、乱暴にはしなかったし、優しかった。
今はどちらかと行ったら関節が痛いくらい。
運動不足だなあと思いながら、桃はぼんやりとした気分で湯船に浸かっていた。
不思議と大変なことになってしまったとは思わなかった。
どこかで、これで予定調和な気がしていた。

問題は、これからだ。

桃は再び湯船に体をくぐらせた。


はるかが、桃と過ごす為に用意していたと言うのは本当らしく、桃が風呂から上がると、簡単な食事はもう用意してあった。

好物のスモークサーモンとグレープフルーツのマリネを桃は飲み込んだ。

「美味しいですか?」

聞かれて、桃は頷いた。

「桃さん、こういう冷たい料理好きですよね」

なぜ知っているのだろう。

確かに桃は、こういう冷製オードブルのようなものや、ハムやお寿司や刺身が大好き。
熱いものはあまり得意ではない。

あつあつのラーメンなんかも、ぬるくなるまで待ったり、ひどいとスープを水で薄めて食べたりするので、こだわりラーメン店には申し訳なくて行けない。

冬場、外で、アイスクリームを震えながら嬉しそうに食べているタイプだ。
はるかは不思議そうな桃に誇らし気な顔をした。

「・・・いつも、ご友人と大学のカフェでこういうの食べていたでしょう。保真智ほまちさんと一緒にいるのもたまに見かけましたよ」
「学年も学部も違うから、思うほど会いませんでしたね」
「・・・僕は見てましたけどね」

そうでしたか、と桃はちょっと気まづく思った。

「他にも結構知っていますよ。・・・あとは、アイスクリームは一年中食べているし、凍ったバターをかじるのも好き」

桃は少し笑った。
我ながらなんてひどい食生活。

「それから、セーターとかの毛織物の服も好きでしょう」

桃はブランドものはたいして分からないが、祖父母や母からクリスマスや誕生日のプレゼントの時に何がいいと聞かれると、いつもウールやカシミアのセーターや手袋やコートの冬服ばかりお願いしていた。
イタリアにある、生地を生産から縫製までしていて、ブランドメーカーに生地を卸している会社が作っている素材が好きで愛用している。
もとが高価だから、アウトレットのものだけれど。

長年プレゼントはそればかりなので、結構数が集まっていて、冬場の桃はいきなり単価が高くなり、夏は適当以下の格好をしているので価格大暴落、と言うのは家族間での笑い話な程。

「・・・すごい観察」
「観察じゃないです。愛情です」

はるかが本気で言うのがおかしかった。
桃はスパイスを感じるチャイ味のアイスクリーム食べていた。
温まりすぎた体でアイスクリームを口に含むと、とろけてしまったような口内がひんやりして気持ちいい。

「・・・チャイ味って初めて食べました。美味しいですね」

はるかがそう言った。
冷たくて優しい甘さとスパイシーさを感じる。
何だか矛盾しているけれどとても好ましい。
まるで桃のようだと思った。

「・・・はるかさんは、何味が好きなんですか?」
「うーん・・・アイスは、普通にバニラとか好きです。・・・つまらないと思いましたか?」
「いいえ。バニラがやっぱりベストよね。・・・私、あとはチョコミントとか、チョコレートチリとか、ヘーゼルナッツに醤油とか、割にトリッキーな味が好きなの」
「・・・そんなのありますか・・・?」
「ある。アメリカなんて、ドラゴンとかユニコーンとか、もう味がよく分からないのあるもの・・・何でもありなんだと思う」

アイスクリームはそれだけ汎用性が高く夢のある食品なのだろう。

はるかが近寄って来て、桃を抱き寄せた。
桃はそのままされるがままでアイスを黙って食べていた。
その間も、はるかは桃の首筋を吸ってみたりとまだ熱が冷めないようだった。

「・・・桃さん、後悔していますか?」

桃は首を振った。
正直な気持ちだった。
だって、多分、いつか同じ状況になれば、きっとこうなったと思う。
はるかはほっとして桃の唇を探って冷たい舌を吸った。
たまらなく美味い。

「・・・・来るべきでは無かったと思いますか?・・いいんですよ、全部、僕のせいで」
「・・・いいえ」

そこまで無責任では無い。
半分、丸め込まれたようなものだとしても、自分で決めて、そしてこうなった。
決して誰かせいではなく、自分の決めた結果だと納得したかった。
愚かな事だとしても。

はるかはちょっと意外そうな顔をしたが、桃を抱き込んで耳元に囁いた。

「・・・桃さん、これで、保真智ほまちさんと結婚出来ませんね」

桃は一瞬息を飲んだが、そっと頷いた。

「・・・そうね」

さあ、終わりにしなくちゃ行けない。
決まりをつけなくちゃいけない。
自分がそうしたんだもの。

はるかさん、お願いがあります」
「はい」
「・・・この事、誰にも言わないで」
「もちろんです」
「それから。しばらく私に近づかないで」

はるかは絶句したようだったが、何か言いかけたのに、桃はスプーンをはるかの口に当てて遮った。

「・・・そうしてくださるなら・・・もう一回、してもいいです」

突き放した後にうっとりと微笑まれ誘われて、はるかはたまらずに桃の頬に手を伸ばした。
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