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17.薔薇色の金魚
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桃は年末に母の実家である祖父母の家を訪れていた。
美容師である祖母は、毎年、大晦日と元日だけ休み、二日の朝早くから店を開ける。
お正月に着物を着たい人もいるから、というのが理由。
それ以外にも、茶席の初釜や、成人式等で松の内は着物を着る機会は多い。
呉服屋の娘で、着物も小物もたくさん所有している祖母の店はちょっとした貸衣装館のようだった。
桃は、届いたばかりの仕出しのおせち料理の重箱を嬉しそうに眺めながら、自分が食べたい栗きんとんを別に大量に作っていた。
黄金色に炊かれた栗を一粒、味見しながら、美味しいと言いつつ、祖母がちょっとだけ悲しそうな顔をした。
「・・・桃ちゃんがこんなに早く結婚しちゃうなんて・・・」
桃が婚約したという話に、祖母は喜ぶよりも前に寂しくなってしまったようだった。
「・・・薔子さん、お祝いしてあげなくてはいけませんよ」
祖父がそう言ったが、祖母はだって、と尚も言い募る。
「だって、ついこの間までちょっと大きめのポメラニアンくらいだったのに」
ついこの間が随分昔のようだ。
「・・・エンマは、あの調子だから。誰も追いつけないでしょ。・・・でも桃ちゃんはこんなにいい子だから。・・・ほら、すぐ捕まっちゃったのよ」
「エンマはねぇ、うーん、そうですねえ、彼女は、馬力があるというか・・・」
「暴走特急ですよ。・・・でもそれが通常運転なんだから仕方ないわ」
祖母は仕方ない、と言いながらも、母の悪行をあれこれ並べたてた。
しかし、エンマは薔子さんにそっくりです、と祖父がよく言うのも知っているから、桃としては笑ってしまった。
「・・・おばあちゃんは、あちらのおうちの方のお知り合いの方、というのも心配なの・・・」
やはり、祖母の懸念はそこなのだ。
「きちんとしたおうちというのはね。・・・困った事があった時に、責任持って対処できる人間がいるという事なの。例えば、子供が遺されたりしたら、その子が成人するまで責任持って養育できる人間が何人もいるという事。・・・無いものにしたり、受け入れる事を拒否するというのは、決してきちんとした家ではないのよ。・・・手探りでもいい、それを出来るか出来ないか。・・・申し訳ないけれど、小松川さんのおうちは違うわね」
旧家の出身の彼女からすると、父の属する一見ハイソサエティな人々の層というのは決して人間性というものが備わっているとは思えないらしい。
昔、同じ事を、自分の娘にも、そして桃の父の母親にも言ったのだ。
それは、紫乃には痛い言葉であったろう。
正しさというのはひとつでは無いが、きっと、薔子の言う正しさというのは、誠実とか真摯とかそういうものだ。
けれど、理想だけでは生きていけない現実がある事を、また違う正しさで生きてきた紫乃も知っている。
だからこそ、どうしても痛く、相容れないのだろう。
「・・・まあどっちにしても。そんな事、お構いなしですからね。エンマは」
薔子はそう言って、むくれた。
あの娘は、その昔「あんたらの正しさなんか私には関係ないのよ。ならばそのままで正しいのは私よ。正しいのはこの子よ」
そう言って、桃を産んでしまった。
当然、出産や育児を手伝ったのは母親である自分で、ぶつかった事も多いけれど。
けれど、その強さは、薔子にも紫乃にも無いものだ。
そして、桃にも。
「・・・おばあちゃん。保真智さんのママもパパも、そのままでいいって言ってくれたの」
薔子もまたそれには感銘を受けたようだった。
「・・・大抵ね、婿の方の親は、お前の成功の為に奥様になる方に一緒に苦労してもらうのよって言って結婚させるのよ。でも、娘の方は、旦那様に幸せにしてもらいなさいって言って結婚させるものなの。あれは駄目ね。・・・だから、そのままでいいと言ってくださるのは、ありがたい事ね」
そう言って、祖母は少し泣き出してしまった。
「・・・幸せになって、桃ちゃん。・・・幸せというのは人によって結構違うものだから、あなたが思う幸せになって頂戴ね」
祖母はそれから、両家顔合わせの食事会の時に着る為の振り袖をいろいろ出していたから選ぶようにと言って衣装部屋へと桃を連れて行った。
まるで花畑のように、あれこれ出された色とりどりの振袖と帯。
「懐かしくてあっちもこっちも出してたら、全然片付かないの」
桃が七五三に来た着物や、浴衣もいくつも出て来た。
浴衣は毎年祖母が仕立ててくれていた。
けれど、赤い浴衣は一枚だけ。
きっとこれが、悠と彼の祖父と会った時のものだろう。
手にとって見ていると、祖母が顔を綻ばせた。
「懐かしいわねぇ。それは初めて桃ちゃんに縫ったものよ。それにこの薔薇色の稚児帯。可愛かったのよね」
ボリュームがある花のようなふわふわとした素材の帯を出してくる。
赤い浴衣に、薔薇色のオーガンジー素材の帯。
これじゃ、まるで金魚みたい、と桃はおかしくなった。
祖母は花嫁衣装は、実家の呉服屋に貸し出しを頼もうと思う、と言った。
「・・・昔からね、特別に取ってあるものがいくつかあるのよ。お姉さんも張り切って、後でどれがいいか映像繋ぐから選んでって言うのよ?あの人、新し物好きだから、スマホとかそういうのも得意みたいなのよねえ」
対して彼女はハイテクは苦手。
「桃ちゃんの花嫁衣装のお着付けも私ができるなんて嬉しい。花嫁衣装なんて私、久々で出来るかしら!」
妻と孫娘の様子を嬉しそうに眺めながら、ヴィゴは恒例の年越し蕎麦を茹で始める準備を始めた。
美容師である祖母は、毎年、大晦日と元日だけ休み、二日の朝早くから店を開ける。
お正月に着物を着たい人もいるから、というのが理由。
それ以外にも、茶席の初釜や、成人式等で松の内は着物を着る機会は多い。
呉服屋の娘で、着物も小物もたくさん所有している祖母の店はちょっとした貸衣装館のようだった。
桃は、届いたばかりの仕出しのおせち料理の重箱を嬉しそうに眺めながら、自分が食べたい栗きんとんを別に大量に作っていた。
黄金色に炊かれた栗を一粒、味見しながら、美味しいと言いつつ、祖母がちょっとだけ悲しそうな顔をした。
「・・・桃ちゃんがこんなに早く結婚しちゃうなんて・・・」
桃が婚約したという話に、祖母は喜ぶよりも前に寂しくなってしまったようだった。
「・・・薔子さん、お祝いしてあげなくてはいけませんよ」
祖父がそう言ったが、祖母はだって、と尚も言い募る。
「だって、ついこの間までちょっと大きめのポメラニアンくらいだったのに」
ついこの間が随分昔のようだ。
「・・・エンマは、あの調子だから。誰も追いつけないでしょ。・・・でも桃ちゃんはこんなにいい子だから。・・・ほら、すぐ捕まっちゃったのよ」
「エンマはねぇ、うーん、そうですねえ、彼女は、馬力があるというか・・・」
「暴走特急ですよ。・・・でもそれが通常運転なんだから仕方ないわ」
祖母は仕方ない、と言いながらも、母の悪行をあれこれ並べたてた。
しかし、エンマは薔子さんにそっくりです、と祖父がよく言うのも知っているから、桃としては笑ってしまった。
「・・・おばあちゃんは、あちらのおうちの方のお知り合いの方、というのも心配なの・・・」
やはり、祖母の懸念はそこなのだ。
「きちんとしたおうちというのはね。・・・困った事があった時に、責任持って対処できる人間がいるという事なの。例えば、子供が遺されたりしたら、その子が成人するまで責任持って養育できる人間が何人もいるという事。・・・無いものにしたり、受け入れる事を拒否するというのは、決してきちんとした家ではないのよ。・・・手探りでもいい、それを出来るか出来ないか。・・・申し訳ないけれど、小松川さんのおうちは違うわね」
旧家の出身の彼女からすると、父の属する一見ハイソサエティな人々の層というのは決して人間性というものが備わっているとは思えないらしい。
昔、同じ事を、自分の娘にも、そして桃の父の母親にも言ったのだ。
それは、紫乃には痛い言葉であったろう。
正しさというのはひとつでは無いが、きっと、薔子の言う正しさというのは、誠実とか真摯とかそういうものだ。
けれど、理想だけでは生きていけない現実がある事を、また違う正しさで生きてきた紫乃も知っている。
だからこそ、どうしても痛く、相容れないのだろう。
「・・・まあどっちにしても。そんな事、お構いなしですからね。エンマは」
薔子はそう言って、むくれた。
あの娘は、その昔「あんたらの正しさなんか私には関係ないのよ。ならばそのままで正しいのは私よ。正しいのはこの子よ」
そう言って、桃を産んでしまった。
当然、出産や育児を手伝ったのは母親である自分で、ぶつかった事も多いけれど。
けれど、その強さは、薔子にも紫乃にも無いものだ。
そして、桃にも。
「・・・おばあちゃん。保真智さんのママもパパも、そのままでいいって言ってくれたの」
薔子もまたそれには感銘を受けたようだった。
「・・・大抵ね、婿の方の親は、お前の成功の為に奥様になる方に一緒に苦労してもらうのよって言って結婚させるのよ。でも、娘の方は、旦那様に幸せにしてもらいなさいって言って結婚させるものなの。あれは駄目ね。・・・だから、そのままでいいと言ってくださるのは、ありがたい事ね」
そう言って、祖母は少し泣き出してしまった。
「・・・幸せになって、桃ちゃん。・・・幸せというのは人によって結構違うものだから、あなたが思う幸せになって頂戴ね」
祖母はそれから、両家顔合わせの食事会の時に着る為の振り袖をいろいろ出していたから選ぶようにと言って衣装部屋へと桃を連れて行った。
まるで花畑のように、あれこれ出された色とりどりの振袖と帯。
「懐かしくてあっちもこっちも出してたら、全然片付かないの」
桃が七五三に来た着物や、浴衣もいくつも出て来た。
浴衣は毎年祖母が仕立ててくれていた。
けれど、赤い浴衣は一枚だけ。
きっとこれが、悠と彼の祖父と会った時のものだろう。
手にとって見ていると、祖母が顔を綻ばせた。
「懐かしいわねぇ。それは初めて桃ちゃんに縫ったものよ。それにこの薔薇色の稚児帯。可愛かったのよね」
ボリュームがある花のようなふわふわとした素材の帯を出してくる。
赤い浴衣に、薔薇色のオーガンジー素材の帯。
これじゃ、まるで金魚みたい、と桃はおかしくなった。
祖母は花嫁衣装は、実家の呉服屋に貸し出しを頼もうと思う、と言った。
「・・・昔からね、特別に取ってあるものがいくつかあるのよ。お姉さんも張り切って、後でどれがいいか映像繋ぐから選んでって言うのよ?あの人、新し物好きだから、スマホとかそういうのも得意みたいなのよねえ」
対して彼女はハイテクは苦手。
「桃ちゃんの花嫁衣装のお着付けも私ができるなんて嬉しい。花嫁衣装なんて私、久々で出来るかしら!」
妻と孫娘の様子を嬉しそうに眺めながら、ヴィゴは恒例の年越し蕎麦を茹で始める準備を始めた。
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