金魚の記憶

ましら佳

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9.りんごのスリッパ

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待ち合わせた病院の特別室に続くフロアではるかが待っていた。
他にも何人もお見舞いの家族が利用するようで、お茶が飲めたりとちょっとしたホテルのラウンジのようだった。

病院には華やかすぎず、沈みすぎない格好でと思ったが、他の女性達はきれいなワンピースやスーツ姿だった。
いわゆる富裕層というのは、お見舞いにもこんなステキなお出かけの装いで来るのか、と桃は気後れというよりは驚いてしまった。

桃は大学帰りと言う事もあり、いつもと同じような、黒のニットのタートルネックとツィードのパンツに、深緑色のジャケット姿。
もしかしたら、もうちょっときれいな格好しなければならなかったのかな、と思ったけれど、はるかも似たような服装だったのでほっとしたが。
いやいや、彼は男性だしなあ、と思い直す。
「・・・桃さん、急にすみません」
彼は相変わらず敬語だが、その方が桃も気まずくなかった。

「大丈夫です。今日は、予定もないので。・・・あの、おばあさんは、何のご病気何ですか?私が来ても大丈夫なんでしょうか・・・」
聞くのははばかられたけれど、果たしてどんな状態なのか、心の準備をして置きたかったし、免疫が下がっていたりして、もし万が一自分が何か感染症でも移してしまったらと不安だし。
マスクもした方がいいのだろうか。
はるかはご心配なくと微笑んだ。
「いえ、そういった病気ではないんですよ。・・・会えるのを楽しみにしていましたから。・・・悠《はるか》です」

そう言うと、彼はドアを開けた。
促されて桃も部屋に入った。
ベッドではなく、手前の部屋のソファに座っていた老婦人がこちらを見ていた。
「今日はいかがですか」
「・・・ええ、もうそろそろ退院したいのだけれど、なかなか検査が終わらなくて・・・。・・・こんにちは、桃さんね?」
桃はそっと頭を下げた。
「・・・初めまして、ももべに・オルソンです」
「こんにちは。・・・小松川紫乃《こまつがわしお》です。・・・あなたの、おばあちゃんなんだけれど・・・」
そう呼んでもらえるかどうかわからなくて、と困ったように微笑む。
思ったより顔色が良いようでほっとした。
「・・・では、おばあちゃんとお呼びしてもよろしいですか・・・」
「もちろんよ!」
桃もまた微笑んで、お見舞いと持ってきた小さな花束とお菓子の入った籠を差し出した。

それを紫乃しのはとても喜んだ。
「ごめんなさいね。急で驚いたでしょう?・・・私がわがまま言ったの。夫がね、あなたが二十歳になって会えるのを楽しみにしていたのに、その前に亡くなってしまって。私、どうしてもちゃんと会っておきたくて・・・」
そう言って、紫乃しのはそっと目元を拭った。
「・・・大きくなったのね・・・。ごめんなさいね、いろんな事情があって、あなたとあなたのお母様をお迎え出来なかったの。・・・これはもう仕方ない事だけれど、それでも反対したのは私と夫だもの」
桃が首を振った。
「私はわからない事ですし・・・。私、特に、辛かった事もないんですよ。・・・本当に・・・」
紫乃しのは複雑な顔をした。
「・・・母のこと、もちろんご存知だと思うのですけど・・・。確かに、普通の日本のお母さんとは違うような気もするんですけど。でも、結構ああいう人、いるし・・・。それに、私、母方のおじいちゃんとおばあちゃんのところに居たのも長いので、不自由無かったんです」

母を庇うわけではなく、本当にそうなのだ。
子供の時にあちこちの国に連れ回されて、何だか言葉がちゃんぽんだっただのばかり強調されているが、別に放置されていたわけでもないのだ。
大体、海外は日本よりも数段子供の対する庇護義務があるので、過保護な程だった。
だから結果的に連れ回されていたわけで。

「・・・私、割にどこでも楽しかったし・・・」
正直に言うと、紫乃しのは頷いた。
「知ってるわ。・・・あのね、実はね、昔、私、桃さんに会ったことあるの。・・・あなたが十二歳くらいかな。パリのレストランでお手伝いしてたでしょう?とても楽しそうだった」
ももも驚いたが、はるかもまた驚いた。
確かに、その頃、母の友人の経営するその店で毎日母の帰りを待っていた時期があった。
その友人の娘は二つ下で、二人でちょっとしたお手伝いをしながら店で過ごすのが日課。

「・・・私、あなたが二十歳までは会ってはいけないのに行っているわけだから、名乗れないでしょう?だから、観光客のふりをしてね」
「・・・ごめんなさい。覚えてません・・・」
桃は申し訳なさそうに少し頭を下げた。
「いいのよ、それで。わかるわけないし。わかられてたら大変だもの。・・・私が日本人だとわかると、ようこそと言ってくれて、焼き立てのお菓子を勧めてくれたのよ。名前は何だったかしら。そうね、丁度今くらいの時期でね」
「・・・きっと、ショーソン・オ・ポムですね。アップルパイ」
「そう!そうだわ。三角みたいな形の。おいしかったわ。思い出した、リンゴのスリッパと言う名前だって教えてくれて」
スリッパのような形ということで付けられた名前だ。
「・・・じゃあきっと、他もいろいろご存知ですね・・・。お店のこととか・・・」

オーナーは、確かに母の友人、ではあるのだが。
正しく言えば、彼は当時の母の恋人だ。
「・・・ええ、ごめんなさいね。・・・でも、それはお母様にとって、いけない事じゃないでしょう。・・・ただ、あなたが心配ではあったけれど」
「欧米はステップファミリーが多いですしね。どちらかと言ったら、大人の生活がメインだけれど、その為にも子供は大事にされるんですよ。私も、その子も楽しくしてました。彼女はパティシエの国家資格を取って、お店を持っています。今でも連絡取りますよ。あの頃楽しかったよねってよくお話しをします」
兎にも角にもフランスは、子供が割に大きくなるまで子供一人での行動は許されない。
いつも大人がそばについているし、学校の送り迎えも毎日保護者がするのだ。
だから、送迎は母親とその恋人がしてくれていた。
だから本当に不足に思った事などないのだと桃は言った。
紫乃しのは、安心したように頷いた。
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