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8.金木犀の再会
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ヴィゴ・オルソンは、孫娘の指差す方向を眺めて、その日本の秋ならではの芳香に微笑んだ。
「おじいちゃん、やっぱりあれ、金木犀ね。」
「・・・いい香りですね。日本で初めて見た木のひとつですよ」
スウェーデンから来日して、半世紀近くになる。
月に二度程、非常勤講師として大学に来ている。
待ち合わせして、昼食を取るのが恒例だった。
馴染みの蕎麦屋の帰り。
「おばあちゃんにお土産は?」
「いつものアーモンドのパイを買いに行きます」
祖母の好物だ。
「あとこれ。マカロン。ずっと流行ってるの知ってる?」
と、箱を手渡す。
「ああ、フランスのお菓子ですね。メレンゲのお菓子は大好きですよ。ありがとう」
私も、と笑う。
桃は祖父から祖母手製の煮物を受け取る。
今だに現役の美容師で、昔から仕事の合間によく煮物を作っていた。
「年末とお正月は来ますか?おばあちゃんが気にしていたから」
「うん。三十日から行ってもいい?おばあちゃん、なかなか仕事納めないからね」
年末ギリギリしか美容室に来れない人もいるから、と言うのが彼女のポリシー。
いつも、三十日に行って、仕事納めを手伝い、お正月には着物を着るお客様の為に店を開ける。
お正月に成人式に初釜に、一月は着物を着る人が結構いるので、大忙しだ。
祖母の実家は呉服屋で、着物もたくさん持っていたから貸衣装のような事もしていて重宝されている。
「・・・お母さんは行けるか、わからないけど」
「わかってますよ。桃ちゃんが気にすることはないです」
母はここ一年ばかり、新規事業でアメリカで暮らしているのだ。
自宅も不在がちなのに、実家になどそう帰るものか。
「・・・公太郎君は気の毒ですね」
「ホント。最近は、御用聞きみたいになってるもの」
不在がちの年上の恋人がさっぱり帰らなくて、用事ばかり押し付けられている。
「水道代を払っておけだの、大家さんの猫逃げたから探してこいだの言われて。やっと捕まえたら違う猫で。大家さん、気づかなくてね。しばらくしたら本物が帰って来たの。ハム太郎が怒られてた」
目に見えるようだと祖父が笑った。
全く、あの教え子は人がいい分、損も多い。
だからこそ、彼は学生時代に、この孫娘の子守り兼日本語教師としてアルバイトとして雇われてくれたのだろうけれど。
あのカタコトだった桃が、書き初めまで出来るようになったのは、桃の順応力の高さもあろうが、間違いなく公太郎の努力でもあるだろう。
「・・・それからね、桃ちゃんの弟。覚えていますか?小松川悠君。彼が入学して来たようですよ」
突然の話題に驚いて桃は押し黙った。
再会は思うより早く、突然だった。
それも思いがけない形で。
小松川悠の父が、大学の祖父を訪ねて来たのだ。
そこに悠も同席していた。
開け放った窓から、金木犀の香りがふんわりと部屋を満たしていた。
父と弟になる訳だけれど。
普通に、初対面の人、というのが感想。
「・・・初めましてだね」
小松川匠、それが父の名前。
「申し訳ない思いをさせたね」
匠はそう言ったが、いわゆる申し訳ない思いも、情けない思いも、辛い思いもした覚えがないのだが。
彼にとって申し訳ないのは、自分の存在なのだろう。
だけど、なぜ、急に現れたのだろう。
そう言う顔をしていたのだろう。
ヴィゴが口を開いた。
「・・・桃ちゃんが成人するまでは、小松川家の人間の接触はして欲しくないと言う意向でしたから。私と、|薔子さんのね」
薔子と言うのは祖母の名前だ。
ああ、確かに、自分は冬に二十歳を迎えていた。
「・・・ママ・・・、お母さんは知ってる?」
反対などしないのはわかっているけれど。でもきっと、推奨もしないだろう。自分の好きなようにしなさいと言うはずだ。
「エンマには伝えてあるよ。桃ちゃんが全部自分で決済すればいいと言っていたからね」
母らしい。
桃は頷いた。
「・・・桃さん、実は、先日、私の父が亡くなったのは知っていると思うのだけど。桃さんの祖父に当たる訳だけれど。・・・母が弱ってしまって。今、入院しているんです。桃さんに会いたいと言っているので、出来たら、会ってあげてくれないかな」
たった一度だけ会ったことのある父方の祖父の顔はもう思い出させないけれど。
ヴィゴは旧友の死の話題に悲しそうに目を伏せた。
桃は何と言っていいのかわからずに黙っていた。
祖父は友人として葬儀に参列をしたが、母も自分もそれは許されなかった。
なのに、今どういう顔で行けばいいのだろう。
そちらの都合で開けたり閉めたりするドアにどうして入らねばならないのか。
・・・・この場合、適切な答えは、わかりましたなのだろうけれど。
でも、行ったとして、何を話せばいいのだろう。
自分が産まれた事で、両家がだいぶ揉めたのは知っている。
祖母である彼女からは、嫌われてまではいないかも知れないけれど、疎まれた事があると言う事。
そして、父である匠には現在、れっきとした妻がいる訳だ。
自分の存在は、彼女にとっても愉快ではないのはわかる。
「・・・桃さん、どうかお願いします」
悠はそう言って、頭を下げた。
「おじいちゃん、やっぱりあれ、金木犀ね。」
「・・・いい香りですね。日本で初めて見た木のひとつですよ」
スウェーデンから来日して、半世紀近くになる。
月に二度程、非常勤講師として大学に来ている。
待ち合わせして、昼食を取るのが恒例だった。
馴染みの蕎麦屋の帰り。
「おばあちゃんにお土産は?」
「いつものアーモンドのパイを買いに行きます」
祖母の好物だ。
「あとこれ。マカロン。ずっと流行ってるの知ってる?」
と、箱を手渡す。
「ああ、フランスのお菓子ですね。メレンゲのお菓子は大好きですよ。ありがとう」
私も、と笑う。
桃は祖父から祖母手製の煮物を受け取る。
今だに現役の美容師で、昔から仕事の合間によく煮物を作っていた。
「年末とお正月は来ますか?おばあちゃんが気にしていたから」
「うん。三十日から行ってもいい?おばあちゃん、なかなか仕事納めないからね」
年末ギリギリしか美容室に来れない人もいるから、と言うのが彼女のポリシー。
いつも、三十日に行って、仕事納めを手伝い、お正月には着物を着るお客様の為に店を開ける。
お正月に成人式に初釜に、一月は着物を着る人が結構いるので、大忙しだ。
祖母の実家は呉服屋で、着物もたくさん持っていたから貸衣装のような事もしていて重宝されている。
「・・・お母さんは行けるか、わからないけど」
「わかってますよ。桃ちゃんが気にすることはないです」
母はここ一年ばかり、新規事業でアメリカで暮らしているのだ。
自宅も不在がちなのに、実家になどそう帰るものか。
「・・・公太郎君は気の毒ですね」
「ホント。最近は、御用聞きみたいになってるもの」
不在がちの年上の恋人がさっぱり帰らなくて、用事ばかり押し付けられている。
「水道代を払っておけだの、大家さんの猫逃げたから探してこいだの言われて。やっと捕まえたら違う猫で。大家さん、気づかなくてね。しばらくしたら本物が帰って来たの。ハム太郎が怒られてた」
目に見えるようだと祖父が笑った。
全く、あの教え子は人がいい分、損も多い。
だからこそ、彼は学生時代に、この孫娘の子守り兼日本語教師としてアルバイトとして雇われてくれたのだろうけれど。
あのカタコトだった桃が、書き初めまで出来るようになったのは、桃の順応力の高さもあろうが、間違いなく公太郎の努力でもあるだろう。
「・・・それからね、桃ちゃんの弟。覚えていますか?小松川悠君。彼が入学して来たようですよ」
突然の話題に驚いて桃は押し黙った。
再会は思うより早く、突然だった。
それも思いがけない形で。
小松川悠の父が、大学の祖父を訪ねて来たのだ。
そこに悠も同席していた。
開け放った窓から、金木犀の香りがふんわりと部屋を満たしていた。
父と弟になる訳だけれど。
普通に、初対面の人、というのが感想。
「・・・初めましてだね」
小松川匠、それが父の名前。
「申し訳ない思いをさせたね」
匠はそう言ったが、いわゆる申し訳ない思いも、情けない思いも、辛い思いもした覚えがないのだが。
彼にとって申し訳ないのは、自分の存在なのだろう。
だけど、なぜ、急に現れたのだろう。
そう言う顔をしていたのだろう。
ヴィゴが口を開いた。
「・・・桃ちゃんが成人するまでは、小松川家の人間の接触はして欲しくないと言う意向でしたから。私と、|薔子さんのね」
薔子と言うのは祖母の名前だ。
ああ、確かに、自分は冬に二十歳を迎えていた。
「・・・ママ・・・、お母さんは知ってる?」
反対などしないのはわかっているけれど。でもきっと、推奨もしないだろう。自分の好きなようにしなさいと言うはずだ。
「エンマには伝えてあるよ。桃ちゃんが全部自分で決済すればいいと言っていたからね」
母らしい。
桃は頷いた。
「・・・桃さん、実は、先日、私の父が亡くなったのは知っていると思うのだけど。桃さんの祖父に当たる訳だけれど。・・・母が弱ってしまって。今、入院しているんです。桃さんに会いたいと言っているので、出来たら、会ってあげてくれないかな」
たった一度だけ会ったことのある父方の祖父の顔はもう思い出させないけれど。
ヴィゴは旧友の死の話題に悲しそうに目を伏せた。
桃は何と言っていいのかわからずに黙っていた。
祖父は友人として葬儀に参列をしたが、母も自分もそれは許されなかった。
なのに、今どういう顔で行けばいいのだろう。
そちらの都合で開けたり閉めたりするドアにどうして入らねばならないのか。
・・・・この場合、適切な答えは、わかりましたなのだろうけれど。
でも、行ったとして、何を話せばいいのだろう。
自分が産まれた事で、両家がだいぶ揉めたのは知っている。
祖母である彼女からは、嫌われてまではいないかも知れないけれど、疎まれた事があると言う事。
そして、父である匠には現在、れっきとした妻がいる訳だ。
自分の存在は、彼女にとっても愉快ではないのはわかる。
「・・・桃さん、どうかお願いします」
悠はそう言って、頭を下げた。
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