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⌘2章 高貴なる人質 《こうきなるひとじち》
47.飛来
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残雪は、元首夫妻から招待された山荘で過ごしていた。
重厚で野趣を感じる建物で、大きな石積みの薪ストーブがあり、その薪を燃やし切った熱で部屋中を暖めているという構造に残雪は感心した。
熱伝導の観点から行ったら空気を温めるなんて非効率。石や煉瓦をそのまま温めて蓄熱放熱してしまえと言う事だ。
しかも、調理も可能。
残雪は大喜びで、ケイティと共に夕食作りに勤しんだ。
さすがに現在ではあまり調理には使わない、子供の時以来だわとケイティもはしゃいでいた。
薪ストーブや薪オーブンのいい所は、鍋ごと入れておいて放っておけば、煮込み料理や、パンが焼ける事。
しかもここの薪ストーブは大きいから、鍋やグリル皿に材料を入れてさえ置けばいくつもの料理が出来上がる。
なんて便利、と残雪は感動を覚えた。
夫人の所有していたワイナリーは今では国有となって随分整備された。
その近くに建てられたこの山荘は、元首夫妻が家族で過ごしたり私的に友人を招く為に使われていた。
こちらに来て、三度目の冬。
今年は冬が早く、ぶどうの果実は早めに摘み取られた。
貴腐ワインの他にも、通常のワインも仕込まれ、熟成が楽しみだと夫妻は言い合っていた。
夜空で白鳥の鳴く声が聞こえて、残雪はバルコニーに出た。
凍りつく程に冷えた空気。
新月の闇夜の為、白鳥の群れを確認する事は出来なかったけれど、遠くの方でまだ声がする。
凍てつく冬の極北から、この近くの湖沼に飛来して来ているのだろう。
白鳥を見るといつも思うのだが、渡り鳥にとって、帰るというのは、どっちなのだろう。
その地の人々は、季節になると"向かう"と言うし、"帰って来た"と言うけれど。
人間にとったら移動に見える彼等の行動は、彼らにしたら横の移動ではなく、実は未来に向かって前に進んでいる生き方なのかもしれないなどと言って理解されるかどうかはわからないけれど。
残雪は、蜂鳥と駒鳥を連れて白鳥を見に行こうと思った。
天上では星が硬質な瞬きを地上に届けていた。
薄着のまま外に出た残雪に、コリンがガウンを着せかけた。
「・・・ありがとう。・・・ああやって白鳥が飛んだ日の後って、吹雪になる事が多いと思うんだけど。雪が降るよって教えてくれてるのかも」
コリンは空を見上げて不思議そうな顔をした。
素晴らしい星空で、雪雲の気配なんてしない。
「本当よ。雪の匂いがするもの。明日は雪よ」
「へえ、なかなか趣があるね。・・・よくわからないな。どんな匂いなんだい?」
「うーん・・・そうね・・・カビ臭いみたいな。埃臭いみたいな匂い?」
コリンが吹き出した。
「・・・初めて過ごした夜にしてはだいぶロマンチックだ」
「だって本当だもの」
残雪も笑った。
「でも私、嫌いじゃないのよ。春も、菜の花の近くに行くと酸っぱいような黄色いような匂いってあるじゃない?雨が降る時の匂いとか、秋の焚き火みたいなちょっと油臭いような匂いとか、ああ言うのも好き」
野生動物による日々の生活日記みたいだとコリンはまたおかしくなった。
ここしばらく、また治安が乱れていた。
地方で騒乱がある度に、平定隊という名目で軍隊が構成されて出動する辞令が出るのだが、それが目に見えて増えていた。
コリンもその尉官メンバーであり、戻って来たのは数日前。
騒乱では収まらない規模の違和感、予感に、血が冷えるような感覚が、消えない。
あの狂気が、またこの地を焼け野原にしてしまうのではないか。
変とか乱とか、革命の前には必ず何度かあるものだけど。
革命家やその賛同者達が走り出し、火をつけて行く。
そして彼等は当然のように殪れ行くのだけど、いつもいつも、世界は残された人々の手に余る。
また更に気温が下がって来た。
残雪はガウンを開けてコリンを抱き込んだ。
「寒いでしょ。風邪を引くわ」
女の体温はたいして高くないから、それほど暖かくないのかもしれないが。
「うーん、ぬるま湯のように心地良い」
そう言うと、残雪も吹き出した。
「まあ。初めての夜にしてはだいぶロマンチックね。せめて陽だまりと言わない?」
なるほど、陽だまり。
しばらくそんなものを感じた事は無かったから忘れていた。
いや、実感として知っていたかも疑問だが。
いつも自分はまだあの深い森の中にいる気がしていた。
父や兄を亡くし母や姉と離れ、その同輩達と逃げ隠れ住んだあの日々。
陽だまり。
子供の時の自分が欲しかったものはそれだったのかもしれない。
恋人になって日が浅い関係ではあるが、コリンはその事実に改めて感動していた。
「コリン、春になったら、お花見しましょう」
「お花見?何の?」
「え?桜の花の下でお弁当とかお団子食べたりするじゃない?」
この国にはそういう習慣はないと言われて残雪は驚いた。
「世界中の人がやってるもんだと思ってた・・・」
「桜だけがたくさんある場所はないなあ・・・似たようなのだとリンゴ畑とかいいんじゃないかな?」
それがいいと残雪が頷いた。
「リンゴの花も可愛いのよね。そうしましょう」
「春が待ち遠しいなあ。・・・夏は?」
「夏?夏は、スイカ割りしたり、流しそうめんやったり、花火したりしない?」
目隠ししてスイカを棒で叩き割るだの、麺を木の雨樋みたいなものに水流して掬って食べると言われて、コリンは冗談みたいな習慣だと吹き出した。
「しないなあ・・・。どうやったらそんな事考えつくんだろう。・・・うん、夏も楽しみだ」
戸惑いながら探り合うように求め合った夜には相応しい、素朴な程に飾りの無い未来の計画。
未来の計画をするというのは、今、自分には未来がある、望むという確認にもなる。
それが、ささいな事でも。
きっと、これから先、季節が巡るのをこうして楽しみにするようになるのではないかと思いながら、コリンは残雪の語る異国の不思議な季節の行事を聞いていた。
重厚で野趣を感じる建物で、大きな石積みの薪ストーブがあり、その薪を燃やし切った熱で部屋中を暖めているという構造に残雪は感心した。
熱伝導の観点から行ったら空気を温めるなんて非効率。石や煉瓦をそのまま温めて蓄熱放熱してしまえと言う事だ。
しかも、調理も可能。
残雪は大喜びで、ケイティと共に夕食作りに勤しんだ。
さすがに現在ではあまり調理には使わない、子供の時以来だわとケイティもはしゃいでいた。
薪ストーブや薪オーブンのいい所は、鍋ごと入れておいて放っておけば、煮込み料理や、パンが焼ける事。
しかもここの薪ストーブは大きいから、鍋やグリル皿に材料を入れてさえ置けばいくつもの料理が出来上がる。
なんて便利、と残雪は感動を覚えた。
夫人の所有していたワイナリーは今では国有となって随分整備された。
その近くに建てられたこの山荘は、元首夫妻が家族で過ごしたり私的に友人を招く為に使われていた。
こちらに来て、三度目の冬。
今年は冬が早く、ぶどうの果実は早めに摘み取られた。
貴腐ワインの他にも、通常のワインも仕込まれ、熟成が楽しみだと夫妻は言い合っていた。
夜空で白鳥の鳴く声が聞こえて、残雪はバルコニーに出た。
凍りつく程に冷えた空気。
新月の闇夜の為、白鳥の群れを確認する事は出来なかったけれど、遠くの方でまだ声がする。
凍てつく冬の極北から、この近くの湖沼に飛来して来ているのだろう。
白鳥を見るといつも思うのだが、渡り鳥にとって、帰るというのは、どっちなのだろう。
その地の人々は、季節になると"向かう"と言うし、"帰って来た"と言うけれど。
人間にとったら移動に見える彼等の行動は、彼らにしたら横の移動ではなく、実は未来に向かって前に進んでいる生き方なのかもしれないなどと言って理解されるかどうかはわからないけれど。
残雪は、蜂鳥と駒鳥を連れて白鳥を見に行こうと思った。
天上では星が硬質な瞬きを地上に届けていた。
薄着のまま外に出た残雪に、コリンがガウンを着せかけた。
「・・・ありがとう。・・・ああやって白鳥が飛んだ日の後って、吹雪になる事が多いと思うんだけど。雪が降るよって教えてくれてるのかも」
コリンは空を見上げて不思議そうな顔をした。
素晴らしい星空で、雪雲の気配なんてしない。
「本当よ。雪の匂いがするもの。明日は雪よ」
「へえ、なかなか趣があるね。・・・よくわからないな。どんな匂いなんだい?」
「うーん・・・そうね・・・カビ臭いみたいな。埃臭いみたいな匂い?」
コリンが吹き出した。
「・・・初めて過ごした夜にしてはだいぶロマンチックだ」
「だって本当だもの」
残雪も笑った。
「でも私、嫌いじゃないのよ。春も、菜の花の近くに行くと酸っぱいような黄色いような匂いってあるじゃない?雨が降る時の匂いとか、秋の焚き火みたいなちょっと油臭いような匂いとか、ああ言うのも好き」
野生動物による日々の生活日記みたいだとコリンはまたおかしくなった。
ここしばらく、また治安が乱れていた。
地方で騒乱がある度に、平定隊という名目で軍隊が構成されて出動する辞令が出るのだが、それが目に見えて増えていた。
コリンもその尉官メンバーであり、戻って来たのは数日前。
騒乱では収まらない規模の違和感、予感に、血が冷えるような感覚が、消えない。
あの狂気が、またこの地を焼け野原にしてしまうのではないか。
変とか乱とか、革命の前には必ず何度かあるものだけど。
革命家やその賛同者達が走り出し、火をつけて行く。
そして彼等は当然のように殪れ行くのだけど、いつもいつも、世界は残された人々の手に余る。
また更に気温が下がって来た。
残雪はガウンを開けてコリンを抱き込んだ。
「寒いでしょ。風邪を引くわ」
女の体温はたいして高くないから、それほど暖かくないのかもしれないが。
「うーん、ぬるま湯のように心地良い」
そう言うと、残雪も吹き出した。
「まあ。初めての夜にしてはだいぶロマンチックね。せめて陽だまりと言わない?」
なるほど、陽だまり。
しばらくそんなものを感じた事は無かったから忘れていた。
いや、実感として知っていたかも疑問だが。
いつも自分はまだあの深い森の中にいる気がしていた。
父や兄を亡くし母や姉と離れ、その同輩達と逃げ隠れ住んだあの日々。
陽だまり。
子供の時の自分が欲しかったものはそれだったのかもしれない。
恋人になって日が浅い関係ではあるが、コリンはその事実に改めて感動していた。
「コリン、春になったら、お花見しましょう」
「お花見?何の?」
「え?桜の花の下でお弁当とかお団子食べたりするじゃない?」
この国にはそういう習慣はないと言われて残雪は驚いた。
「世界中の人がやってるもんだと思ってた・・・」
「桜だけがたくさんある場所はないなあ・・・似たようなのだとリンゴ畑とかいいんじゃないかな?」
それがいいと残雪が頷いた。
「リンゴの花も可愛いのよね。そうしましょう」
「春が待ち遠しいなあ。・・・夏は?」
「夏?夏は、スイカ割りしたり、流しそうめんやったり、花火したりしない?」
目隠ししてスイカを棒で叩き割るだの、麺を木の雨樋みたいなものに水流して掬って食べると言われて、コリンは冗談みたいな習慣だと吹き出した。
「しないなあ・・・。どうやったらそんな事考えつくんだろう。・・・うん、夏も楽しみだ」
戸惑いながら探り合うように求め合った夜には相応しい、素朴な程に飾りの無い未来の計画。
未来の計画をするというのは、今、自分には未来がある、望むという確認にもなる。
それが、ささいな事でも。
きっと、これから先、季節が巡るのをこうして楽しみにするようになるのではないかと思いながら、コリンは残雪の語る異国の不思議な季節の行事を聞いていた。
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