仔猫のスープ

ましら佳

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21.小金蘭

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 虹子にじこが世話になっていると言う親戚の店というのは、繁華街を抜けて少し静かな場所だった。
いかにも高級住宅とその住民相手の店ばかりと言う場所。
世界で一番地価が高いこの街のこんな場所に自分で建物ごと店を持っていると言うのだから、どうなっているんだと不思議になる。
「桜ちゃんは、おじいちゃんの曽孫。おじいちゃんとおばあちゃんの孫が私。ジュジュのお母さんと桜ちゃんが従姉妹」
何だか複雑な話なのだが、つまり、虹子にじこの祖父と先妻の子供の流れがジュジュであり、後妻に当たる祖母との子が華子であり、孫が虹子にじこと言う事らしい。
「辿れば百年くらい前の話になるのか。よく続いてるもんだ。・・・じゃあ、虹子にじこは女優と関係ないの?」
「ないない。て言うか、ジュジュも。女優さんだったひいおばあちゃんとジュジュのおばあちゃんは血が繋がっていなんだって」
何だかこんがらがって来た。
「まあ、とにかく広い意味で親戚だから」
誰もが深く考えることを拒否したらしい。
あまりこだわらない方が続くものってあるのかもしれない。
やたら広い敷地に、小洒落たたまご色の建物。
イタリアにでもありそうな建築物だった。
店には、小金蘭、Golden Orchid Cafe and Bakeryと書いてある。
「ジュジュの叔父さんが建築家でね。設計してくれたんだって。・・・桜ちゃん!」
ドアを開けると、木のデザインの小さめのシャンデリアがいくつも吊るされていたり、小鳥がとまったりしている小洒落たインテリアの数々。
カウンターの下のガラスケースに、パンや焼き菓子が並んでいた。
地元の人々やいろんな国の人たちが食事を楽しんでいる様子だった。
虹子にじこに呼ばれて、四十代くらいの女性が顔を上げた。
虹子にじこちゃん!今年の蟹どうだった?」
「美味しかった!七人で五十杯食べたの。で、皆、それぞれ遊びに行った」
「そっかそっか。・・・あら。こちらが、青磁せいじさん?」
「どうもお世話になっております。こちら気持ちです」
青磁せいじが紙袋を手渡した。
「まあ、ご丁寧に・・・。虎屋の羊羹なんて久しぶり。・・・まあ・・・これじゃアナタ・・・。ねぇ?」
と言って、虹子にじこを見る。
虹子にじこは変な顔をしていた。
なんだよ、と思いいつ青磁せいじは店のあちこちに飾ってある額に目を向けた。
セピア色の昔の街角の写真や、人物の写真。
「それ、桜ちゃんのひいおばあちゃん。女優だった人。その隣が、仲良しの俳優さん。それから、私のおばあちゃんとおじいちゃん。皆、友達だったんだって。金蘭って、仲の良い親友って意味らしいよ」
昔の写真らしい絵画的構図の気取ったものの他に、大きな笑顔で自然なものまで。
確かに、なんというか、ババンと個性の強い面子である。
銀幕の時代はこうしたいかにもスターという感じの人々がいたのだろう。
「・・・この店がオープンして、私がこの女優さんの縁続きだって知った人たちが持って来てくれたの。昔、映画を撮ってた人だとか。弟子でしたって俳優さん方とか、ファンだった人とかね。ほら、香港ってあんまり歴史的建造物とかそういうのがないじゃない?だから有名人が歴史的存在なのよね。愛されっぷりが違うもの。海外に移住してしまった人も多いけれど、香港に戻って来た時はこの店に来てくれて、写真見て行ってくれるの」
なんというか、確かに、独特の雰囲気のある写真である。
現在の街の様子もそうだった。
「なんか、匂いが違うじゃない?」
虹子にじこに聞かれて、青磁せいじは「うんまあ、その土地独特の匂いってはあるよな」と答えた。
「うん、そうなんだけど。・・・これは。・・・辛いこともあるけれど、あらががたい人生の魅力的な匂いっておばあちゃんは言ってたの」
「そうそう。ひいおばあちゃんはそれからお金の匂いよって言ってたらしいわよ」
桜と虹子にじこが笑った。
なるほど、この個性の強そうな女性たちが言ったら説得力があると青磁せいじは納得した。
「・・・何か好きな食べたいもの持って行って。ちゃんとお話しするといいわよ」
桜はそう言って虹子せいじ青磁せいじに微笑んだ。


 驚くべきことに、この建物は四階建てで、一階が店舗、二階が倉庫、三階が桜とその夫の住居、4階にあるフロアの半分があまり使っていないオフィス、その半分を虹子にじこが使っているらしい。
訳ありの身元を預かってくれていると言うよりは、かなり自由なホームステイ。
華子が、しばらく虹子にじこの面倒をみてくれないかと桜に事情を話して連絡した時も「すごい、パン屋さんに下宿って。魔女の宅急便みたい」なんて喜んでいたくらいで、「黒猫はいないの?」とか楽しそうなことばかり言っていた。
快適そうなインテリア、家具。
下に行けば、いつでも美味しいパンにお菓子。
ちょっと行けば、これまた親戚の経営するレストランがある。
これじゃ帰ろうなんて思わなくなるな、と青磁せいじは納得した。
テーブルにペストリーと飲み物を置くと、まずは、と虹子にじこは頭を下げた。
「・・・ご迷惑おかけしました」
「はい。かけられました」
「・・・すいません・・・」
虹子にじこは更にかしこまった。
「・・・いや、もういい。どうせ何か始めてたわけじゃないんだから」
始めることすら出来なかったんだから。
「でも・・・。あの、青磁せいじ、仕事やりづらくない?同僚とか先輩とか患者さんから変なあだ名つけられてヒソヒソ言われたり・・だって、結婚直前で新婦が逃げちゃったってことだもの・・・」
十歳も年下のついこの間まで未成年、未社会人、しかもそうした張本人にいたわられて青磁せいじは頷いた。
「ああ、具体的によく分かってんね、はい、そうね」
いくつか不名誉なあだ名を付けられたが、今ではネタにする者、絶対に触れない者、それぞれだ。
「いや、本当にもういい。だって、こうなってみて、誰も虹子にじこを責めないだろ。俺ばっかり。・・・それもそうだ」
長く一緒に居すぎて、居なくなられるのが怖かった。
だったらさっさと何らかの関係になってしまえばいいかと思った。
「他に好きな男がいるわけでもない。何を排除してもやりたいことがあるわけでもない。遊びたいわけでもない。まだ自由でいたいわけでもない」
一つ一つ確認するのに、虹子にじこは頷いた。
「そう。だから、問題は私にある」
わからないことばかり。でも、それだけは分かっていた。
虹子にじこはまっすぐ青磁せいじを見た。
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