20 / 28
20.大閘蟹
しおりを挟む
虹子が逃げてから数ヶ月後、当事者、近親者のみで会合という席が設けられた。
自分が日本に行くのではなく、あちらからが来る、という今度こそ逃げられない集い。
レストランのテーブルに大閘蟹、いわゆる上海蟹がどんどん運ばれて来た。
秋の名物で、毎年楽しみにしている人も多く、会食に指定された店でも他の客のテーブルにも蟹が並んで居た。
自分の両親である華子と栄と、紅花と夫である臨太郎、青磁と柚雁が来ることになって、気まずい、どうしようと悩んだ虹子が避難先の親戚の桜に相談したら、蟹がいいのでは、と彼女が店を予約してくれた。
誰もが蟹に夢中で口数が減っている。
大閘蟹は、オスは味噌と白子が入っていて濃厚であり、メスはオレンジ色の卵がいっぱいで珍味。
非常に美味であるが、食べるのが結構大変。
「・・・あーもー、めんどくさい!」
音を上げたのは柚雁だった。
「もっと、タラバとかズワイみたいにズルンと食べれるようなカニないの?」
「ワタリガニみたいなもんだからなあ」
青磁と柚雁の父がカニを持ち上げて言った。
「ユカリさん、ボクが剥くから」
ジュジュが甲斐甲斐しく、柚雁の皿に剥いた蟹の身を乗せた。
「ジュジュ君はマメだねえー。介護慣れしてるっつうか」
虹子の父が感慨深そうに言った。
この街の男性は元イギリスの植民地という歴史的背景からか、それとも女が強くて愛妻家と恐妻家が多いからか、案外レディファーストが身についているらしく、レストラン等で、食器の用意をしていたり、骨から肉や魚を取り外して、母や妻や恋人に給仕しているのを見かける。
虹子は黙ったまま、蟹の殻を組み立ててもっと大きい蟹を再構築していた。
「虹子、相変わらず器用ねー。ねえ、蟹も食べたしさ、私、アフターヌーンティーとかしてみたい。・・・ちょっと、青磁、そこどいてよ」
「まだ食うのかよ?」
「えっ、お母さんも行きたい!華子も行くでしょ?」
「行く行く。今の時間なら結構空いてるかも」
「えー、お紅茶はなぁ・・・。じゃあパパ達どうしようかなぁ・・・」
虹子の父の栄がそう言うと、ジュジュが笑顔になった。
「これからマカオのカジノ行きますか? 船なら一時間くらいで着きますよ。僕、案内します」
「えっ、すごいね。父さん、船乗ってみたい!」
臨太郎はワクワクした様子。
もう、こんなの、ただの観光だろ。
で、あぶれるのは俺なのかい、と青磁はため息をついた。
何が、そろそろ一回家族会議しなくちゃね、だ。
大体、話は全て彼らの内で済んでいて、それで紅花が虹子にこんな結婚やめちまえと言ったらしい。
それで、華子がパタパタと娘の撤退作戦を整えて、虹子は自分の元を去ったらしい。
撤退と言うか。
もう、それは人生の再出発計画だ。
自分を置いて。
母と姉が、香港に着いたら親戚に渡せとあちこちの名物や銘菓をあれこれと持たせて空港まで送って行ったというのだから、呆れる。
それから9ヶ月程経った。
虹子の生活も落ち着いた頃らしいしと、家族で香港を訪れる事になったのだが、何だか行きの空港からノリがおかしいと思っていた。
「やだあ、私、香港なんて二十年ぶりくらーい」
「私は、まあ、たまには来てたけど、旧正月とか。今だとまだギリギリ、セールやってるかも」
「青磁、お父さん、今日の為にバミューダパンツ買って来たんだ。どうこれ?」
「お母さーん、華ちゃーん、免税店で化粧水が半額だったー」
「えっ、うそっっ!?買わなきゃ!」
「行きの空港からもう買い物してんのかぁ。じゃ、パパ、そこでかけ蕎麦食ってくるから」
この連中の言動、何もかもがおかしかった。
そして、今。
久しぶりに会った虹子は特に何も変わっていなかったようだけれど、二十歳になっていた。
成人式のお祝いを実家の日本と、香港でやったらしく、写真を見せられた。
「可愛い~。姫ダルマみたいじゃないの!ちょっと、すごい振袖じゃない?」
「ウチの死んだ母のよ。あの人、着もしないのに箪笥に八十着持ってたの。もう職人さんがいなくて、こういうのは作れないらしいわよ」
「このチャイナドレスもかわいいねえ」
「これはジュジュのひいおばあちゃんの。すごいの、刺繍も全部手仕事。飾りの真珠も本物。本物だから重いのよ。虹子、重い重いって言ってたもの。今だったらすごい金額になるらしいわよ。ひいばあ、女優だったのよ」
「えっ、芸能人?!」
と、当人そっちのけで盛り上がっている。
こんなのただの蟹食い放題の会じゃないか、と青磁は八杯目の蟹に食いついた。
「・・・あの、・・・やっぱり、ちゃんと本人に謝ります・・・」
虹子が蟹から口を離して、小さな声でそう言った。
「・・・えらい!虹子ちゃんはえらい!じゃ、青磁、アンタも土下座なり切腹するなりすんのよ。・・・アフターンっていうんだから、午後のうちに行かなきゃならないわね。その後、夕飯、飲茶でしょ。あー忙しい忙しい」
「虹子、ママ達、アフタヌーンティーしてくるから。この先の香格里拉酒店、行ってくる。あそこ土日食べ放題だから。夜は金蘭酒楼で、飲茶ね。桜ちゃんにも連絡しといたから」
「じゃあ、青磁、父さん達、ちょっと勝負してくるな。勝つつもりで行くから。お前は負け戦の回収だなー。じゃあねぇ」
「青磁さん、じゃあ、僕、マカオまで案内して来ますから。・・・あの、二人で桜姐のとこ行ってみたらどうですか?」
虹子が世話になっているベーカリーカフェのオーナーだ。
ジュジュが唯一、理性と優しさを保っているようだった。
自分が日本に行くのではなく、あちらからが来る、という今度こそ逃げられない集い。
レストランのテーブルに大閘蟹、いわゆる上海蟹がどんどん運ばれて来た。
秋の名物で、毎年楽しみにしている人も多く、会食に指定された店でも他の客のテーブルにも蟹が並んで居た。
自分の両親である華子と栄と、紅花と夫である臨太郎、青磁と柚雁が来ることになって、気まずい、どうしようと悩んだ虹子が避難先の親戚の桜に相談したら、蟹がいいのでは、と彼女が店を予約してくれた。
誰もが蟹に夢中で口数が減っている。
大閘蟹は、オスは味噌と白子が入っていて濃厚であり、メスはオレンジ色の卵がいっぱいで珍味。
非常に美味であるが、食べるのが結構大変。
「・・・あーもー、めんどくさい!」
音を上げたのは柚雁だった。
「もっと、タラバとかズワイみたいにズルンと食べれるようなカニないの?」
「ワタリガニみたいなもんだからなあ」
青磁と柚雁の父がカニを持ち上げて言った。
「ユカリさん、ボクが剥くから」
ジュジュが甲斐甲斐しく、柚雁の皿に剥いた蟹の身を乗せた。
「ジュジュ君はマメだねえー。介護慣れしてるっつうか」
虹子の父が感慨深そうに言った。
この街の男性は元イギリスの植民地という歴史的背景からか、それとも女が強くて愛妻家と恐妻家が多いからか、案外レディファーストが身についているらしく、レストラン等で、食器の用意をしていたり、骨から肉や魚を取り外して、母や妻や恋人に給仕しているのを見かける。
虹子は黙ったまま、蟹の殻を組み立ててもっと大きい蟹を再構築していた。
「虹子、相変わらず器用ねー。ねえ、蟹も食べたしさ、私、アフターヌーンティーとかしてみたい。・・・ちょっと、青磁、そこどいてよ」
「まだ食うのかよ?」
「えっ、お母さんも行きたい!華子も行くでしょ?」
「行く行く。今の時間なら結構空いてるかも」
「えー、お紅茶はなぁ・・・。じゃあパパ達どうしようかなぁ・・・」
虹子の父の栄がそう言うと、ジュジュが笑顔になった。
「これからマカオのカジノ行きますか? 船なら一時間くらいで着きますよ。僕、案内します」
「えっ、すごいね。父さん、船乗ってみたい!」
臨太郎はワクワクした様子。
もう、こんなの、ただの観光だろ。
で、あぶれるのは俺なのかい、と青磁はため息をついた。
何が、そろそろ一回家族会議しなくちゃね、だ。
大体、話は全て彼らの内で済んでいて、それで紅花が虹子にこんな結婚やめちまえと言ったらしい。
それで、華子がパタパタと娘の撤退作戦を整えて、虹子は自分の元を去ったらしい。
撤退と言うか。
もう、それは人生の再出発計画だ。
自分を置いて。
母と姉が、香港に着いたら親戚に渡せとあちこちの名物や銘菓をあれこれと持たせて空港まで送って行ったというのだから、呆れる。
それから9ヶ月程経った。
虹子の生活も落ち着いた頃らしいしと、家族で香港を訪れる事になったのだが、何だか行きの空港からノリがおかしいと思っていた。
「やだあ、私、香港なんて二十年ぶりくらーい」
「私は、まあ、たまには来てたけど、旧正月とか。今だとまだギリギリ、セールやってるかも」
「青磁、お父さん、今日の為にバミューダパンツ買って来たんだ。どうこれ?」
「お母さーん、華ちゃーん、免税店で化粧水が半額だったー」
「えっ、うそっっ!?買わなきゃ!」
「行きの空港からもう買い物してんのかぁ。じゃ、パパ、そこでかけ蕎麦食ってくるから」
この連中の言動、何もかもがおかしかった。
そして、今。
久しぶりに会った虹子は特に何も変わっていなかったようだけれど、二十歳になっていた。
成人式のお祝いを実家の日本と、香港でやったらしく、写真を見せられた。
「可愛い~。姫ダルマみたいじゃないの!ちょっと、すごい振袖じゃない?」
「ウチの死んだ母のよ。あの人、着もしないのに箪笥に八十着持ってたの。もう職人さんがいなくて、こういうのは作れないらしいわよ」
「このチャイナドレスもかわいいねえ」
「これはジュジュのひいおばあちゃんの。すごいの、刺繍も全部手仕事。飾りの真珠も本物。本物だから重いのよ。虹子、重い重いって言ってたもの。今だったらすごい金額になるらしいわよ。ひいばあ、女優だったのよ」
「えっ、芸能人?!」
と、当人そっちのけで盛り上がっている。
こんなのただの蟹食い放題の会じゃないか、と青磁は八杯目の蟹に食いついた。
「・・・あの、・・・やっぱり、ちゃんと本人に謝ります・・・」
虹子が蟹から口を離して、小さな声でそう言った。
「・・・えらい!虹子ちゃんはえらい!じゃ、青磁、アンタも土下座なり切腹するなりすんのよ。・・・アフターンっていうんだから、午後のうちに行かなきゃならないわね。その後、夕飯、飲茶でしょ。あー忙しい忙しい」
「虹子、ママ達、アフタヌーンティーしてくるから。この先の香格里拉酒店、行ってくる。あそこ土日食べ放題だから。夜は金蘭酒楼で、飲茶ね。桜ちゃんにも連絡しといたから」
「じゃあ、青磁、父さん達、ちょっと勝負してくるな。勝つつもりで行くから。お前は負け戦の回収だなー。じゃあねぇ」
「青磁さん、じゃあ、僕、マカオまで案内して来ますから。・・・あの、二人で桜姐のとこ行ってみたらどうですか?」
虹子が世話になっているベーカリーカフェのオーナーだ。
ジュジュが唯一、理性と優しさを保っているようだった。
3
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
会社の後輩が諦めてくれません
碧井夢夏
恋愛
満員電車で助けた就活生が会社まで追いかけてきた。
彼女、赤堀結は恩返しをするために入社した鶴だと言った。
亀じゃなくて良かったな・・
と思ったのは、松味食品の営業部エース、茶谷吾郎。
結は吾郎が何度振っても諦めない。
むしろ、変に条件を出してくる。
誰に対しても失礼な男と、彼のことが大好きな彼女のラブコメディ。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

乗り換え ~結婚したい明子の打算~
G3M
恋愛
吉田明子は職場の後輩の四谷正敏に自分のアパートへの荷物運びを頼む。アパートの部屋で二人は肉体関係を持つ。その後、残業のたびに明子は正敏を情事に誘うようになる。ある日、明子は正敏に結婚してほしいと頼みむのだが断られてしまう。それから明子がとった解決策 は……。
<登場人物>
四谷正敏・・・・主人公、工場勤務の会社員
吉田明子・・・・正敏の職場の先輩
山本達也・・・・明子の同期
松本・・・・・・正敏と明子の上司、課長
山川・・・・・・正敏と明子の上司
離婚した彼女は死ぬことにした
まとば 蒼
恋愛
2日に1回更新(希望)です。
-----------------
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。
もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。
今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、
「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」
返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。
それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。
神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。
大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。
-----------------
とあるコンテストに応募するためにひっそり書いていた作品ですが、最近ダレてきたので公開してみることにしました。
まだまだ荒くて調整が必要な話ですが、どんなに些細な内容でも反応を頂けると大変励みになります。
書きながら色々修正していくので、読み返したら若干展開が変わってたりするかもしれません。
作風が好みじゃない場合は回れ右をして自衛をお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる