仔猫のスープ

ましら佳

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20.大閘蟹 

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 虹子にじこが逃げてから数ヶ月後、当事者、近親者のみで会合という席が設けられた。
自分が日本に行くのではなく、あちらからが来る、という今度こそ逃げられない集い。
レストランのテーブルに大閘蟹ダイザップハイ、いわゆる上海蟹がどんどん運ばれて来た。
秋の名物で、毎年楽しみにしている人も多く、会食に指定された店でも他の客のテーブルにもかにが並んで居た。
自分の両親である華子とさかえと、紅花べにかと夫である臨太郎りんたろう青磁せいじ柚雁ゆかりが来ることになって、気まずい、どうしようと悩んだ虹子にじこが避難先の親戚のさくらに相談したら、蟹がいいのでは、と彼女が店を予約してくれた。
誰もが蟹に夢中で口数が減っている。
大閘蟹ダイザップハイは、オスは味噌と白子が入っていて濃厚であり、メスはオレンジ色の卵がいっぱいで珍味。
非常に美味であるが、食べるのが結構大変。
「・・・あーもー、めんどくさい!」
を上げたのは柚雁ゆかりだった。
「もっと、タラバとかズワイみたいにズルンと食べれるようなカニないの?」
「ワタリガニみたいなもんだからなあ」
青磁せいじ柚雁ゆかりの父がカニを持ち上げて言った。
「ユカリさん、ボクが剥くから」
ジュジュが甲斐甲斐しく、柚雁ゆかりの皿に剥いた蟹の身を乗せた。
「ジュジュ君はマメだねえー。介護慣れしてるっつうか」
虹子にじこの父が感慨深そうに言った。
この街の男性は元イギリスの植民地という歴史的背景からか、それとも女が強くて愛妻家と恐妻家が多いからか、案外レディファーストが身についているらしく、レストラン等で、食器の用意をしていたり、骨から肉や魚を取り外して、母や妻や恋人に給仕しているのを見かける。
虹子にじこは黙ったまま、蟹の殻を組み立ててもっと大きい蟹を再構築していた。
虹子にじこ、相変わらず器用ねー。ねえ、蟹も食べたしさ、私、アフターヌーンティーとかしてみたい。・・・ちょっと、青磁せいじ、そこどいてよ」
「まだ食うのかよ?」
「えっ、お母さんも行きたい!華子も行くでしょ?」
「行く行く。今の時間なら結構空いてるかも」
「えー、お紅茶はなぁ・・・。じゃあパパ達どうしようかなぁ・・・」
虹子にじこの父のさかえがそう言うと、ジュジュが笑顔になった。
「これからマカオのカジノ行きますか? 船なら一時間くらいで着きますよ。僕、案内します」
「えっ、すごいね。父さん、船乗ってみたい!」
臨太郎りんたろうはワクワクした様子。
もう、こんなの、ただの観光だろ。
で、あぶれるのは俺なのかい、と青磁せいじはため息をついた。
何が、そろそろ一回家族会議しなくちゃね、だ。
大体、話は全て彼らの内で済んでいて、それで紅花べにか虹子にじこにこんな結婚やめちまえと言ったらしい。
それで、華子がパタパタと娘の撤退作戦を整えて、虹子にじこは自分の元を去ったらしい。
撤退と言うか。
もう、それは人生の再出発計画だ。
自分を置いて。
母と姉が、香港に着いたら親戚に渡せとあちこちの名物や銘菓をあれこれと持たせて空港まで送って行ったというのだから、呆れる。
それから9ヶ月程経った。
虹子にじこの生活も落ち着いた頃らしいしと、家族で香港を訪れる事になったのだが、何だか行きの空港からノリがおかしいと思っていた。
「やだあ、私、香港なんて二十年ぶりくらーい」
「私は、まあ、たまには来てたけど、旧正月とか。今だとまだギリギリ、セールやってるかも」
青磁せいじ、お父さん、今日の為にバミューダパンツ買って来たんだ。どうこれ?」
「お母さーん、華ちゃーん、免税店で化粧水が半額だったー」
「えっ、うそっっ!?買わなきゃ!」
「行きの空港からもう買い物してんのかぁ。じゃ、パパ、そこでかけ蕎麦食ってくるから」
この連中の言動、何もかもがおかしかった。
そして、今。
久しぶりに会った虹子にじこは特に何も変わっていなかったようだけれど、二十歳になっていた。
成人式のお祝いを実家の日本と、香港でやったらしく、写真を見せられた。
「可愛い~。姫ダルマみたいじゃないの!ちょっと、すごい振袖じゃない?」
「ウチの死んだ母のよ。あの人、着もしないのに箪笥たんすに八十着持ってたの。もう職人さんがいなくて、こういうのは作れないらしいわよ」
「このチャイナドレスもかわいいねえ」
「これはジュジュのひいおばあちゃんの。すごいの、刺繍も全部手仕事。飾りの真珠も本物。本物だから重いのよ。虹子にじこ、重い重いって言ってたもの。今だったらすごい金額になるらしいわよ。ひいばあ、女優だったのよ」
「えっ、芸能人?!」
と、当人そっちのけで盛り上がっている。
こんなのただの蟹食い放題の会じゃないか、と青磁せいじは八杯目の蟹に食いついた。
「・・・あの、・・・やっぱり、ちゃんと本人に謝ります・・・」
虹子にじこかにから口を離して、小さな声でそう言った。
「・・・えらい!虹子ちゃんはえらい!じゃ、青磁せいじ、アンタも土下座なり切腹するなりすんのよ。・・・アフターンっていうんだから、午後のうちに行かなきゃならないわね。その後、夕飯、飲茶でしょ。あー忙しい忙しい」
虹子にじこ、ママ達、アフタヌーンティーしてくるから。この先の香格里拉シャングリ・ラ酒店ホテル、行ってくる。あそこ土日食べ放題だから。夜は金蘭酒楼で、飲茶ね。桜ちゃんにも連絡しといたから」
「じゃあ、青磁せいじ、父さん達、ちょっと勝負してくるな。勝つつもりで行くから。お前は負け戦の回収だなー。じゃあねぇ」
青磁せいじさん、じゃあ、僕、マカオまで案内して来ますから。・・・あの、二人で桜姐さくらさんのとこ行ってみたらどうですか?」
虹子にじこが世話になっているベーカリーカフェのオーナーだ。
ジュジュが唯一、理性と優しさを保っているようだった。
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