仔猫のスープ

ましら佳

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14.甘酒

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 紗良さらは元日から自宅の台所で手伝いをしていた。
初詣の参拝者が引きも切らずで、母からは振る舞いの甘酒をせっせと運ぶ仕事を言いつかった。
結構な重労働。
だから毎年、繁忙期には友人と旅行に行っていたのに。
しかも、お正月なのだから晴れ着を着せて貰えるのかと思ったら、作務衣を渡された。
「着物じゃないの!?」と言うと、母は「着物でなんて働けないでしょ?お母さん達もお手伝いさん達も皆、作務衣よ。お正月に着物なんて着た事ないわよ。知らなかったの?」と呆れられた。
・・・知らなかったのだ。
お客様のおもてなしをするというのだから、母も手伝ってくれる女性達も皆、晴れ着を着て着飾っているのだと思っていた。
しかも、この梅干しの古漬けみたいにくすんだ臙脂えんじ色。
最悪・・・・。
「・・・大体、甘酒なんかわざわざ飲みに来るなんて・・・」
紙コップに注いで、お盆に載せた。
参拝客にいかがですかと持っていくと、皆、意外なほど手に取るのだ。
おかげで、仕事が終わらない。
「・・・ちょっと。入れすぎよ。そんななみなみ入れたら運んでいる間にこぼれるでしょ? 六分目までにするの」
道理で、運んでいるうちにだいぶ減るわけだ、と紗良さらは納得しつつ、しかし、カチンとも来た。
「・・・いいじゃない。どうせ、タダなんだし」
そう言うと、母がため息をついた。
「・・・紗良さら。アンタを甘やかしすぎたわ。向いてないなあと思っていたし、それを一から教育なんて、億劫だと思っていたのも正直ある。・・・でもね、アンタももうそろそろ三十なんだから、今までのようには行かないのよ。いい?飲ませてあげてるなんて思ってんじゃないわよ、飲んでいただくのよ?私達はね、檀家さんあって成り立っているのよ?」
そう言われて、紗良さらは言葉を失った。
あまりにも正論。
そして、あまりにも自分は愚かだと突きつけられたようで。
泣き出しそうになって紗良さらはそのまま、台所を飛び出した。

 
 昔は幼稚園も経営していたので、敷地の端に園庭だった小さな公園がある。
今は人気ひとけも無いが、自分もこの幼稚園に通ったのだ。
あの頃は何も考えないで、与えられる日々の全てが楽しかった。
幼稚園教諭と保育士、どちらも資格は取ったけれど。
就職に至らず、結局自宅で過ごしていた時、母が檀家さんに紹介されたと話を持ちかけて、月ノ輪小児科の受付業務の仕事をして五年。
五年。ずっと青磁せいじが好きだった。
なのに、ちょっと近付けた、踏み込めたと思ったら、これだもの。
虹子にじこが嫌いなのではない。
青磁せいじの中にある虹子にじこが疎ましい。
以前、母が月ノ輪小児科の先生なんて、紗良さらの旦那さんにいいんじゃないかしらと、父に言っていたのを知ってる。
彼の家が昔から五本の指に入る大口の檀家な事、何より開業医である事、もう実母は亡くなっている事。
それは紗良さらにとっても魅力的だった。
今時、休日診察も往診もして、感謝されていた。
子供達やその保護者からも信頼されていて。
特殊な家業だから、自分の両親を良く言う人、陰で悪く言う人、いろいろ見て来た。
仕方ないのだろうと思いながら、それは小さな自分には負い目だった。
けれど、青磁せいじの悪口を言う人を知らない。
そういう人のそばに居れたら、安心だろう、幸せだろう、自分は何もせずとももっと良くなるのではと思った。
でもそのうち、母は、青磁せいじ先生とは、歳も離れてるし、やっぱり紗良さらには合わないんじゃないかしらなんて言い出して。
こっちはすっかりその気になっていたのに。
勝手なものだ。
遊具の椅子の前で、紗良さらは俯いていた。
上着も持たないで出て来てしまったから寒いけれど、戻るのは嫌だった。
恥ずかしかったし、悔しかった。
ああ、知らない事ばっかり。
自分の至らなさばっかり、自分の醜いところばっかり露呈する。
自分が、青磁せいじ虹子にじこの過去に対して、興味があったのだろうと青磁せいじは言った。
だから、持ってっちゃったんだよね。と。
「まあ、欲しいならあげるけど・・・」とまで言った。
欲しくなんか無い。
欲しいわけがないだろう。
大体、興味って、何?
興味じゃない、私は貴方が好きなのよ。
虹子にじこは、自分の人生を青磁せいじに変えられるのが怖かった、違和感があったと言っていたけれど。
理解出来なかった。
出来る事なら、何でも持ってる人に自分の人生を丸ごと変えてもらいたいとずっと思っていた。
それが、青磁せいじだと思ったのに。
青磁せいじにしようと思ったのに。
大体、逃げ出して、なぜ虹子にじこは帰って来たのだ。
未練があったと言う事ではないか。
「・・・はあ・・・さむ・・・」
惨めさが募って来た。
「・・・・あれ?えーと、首藤しゅとうさん?」
声をかけられて、誰か同級生でも来たかとイラっとした。
進学や就職で地元を離れた同級生達も多くは帰省している頃だろう。
しかし、知らぬ声に顔を上げた。
手にお守りの入った紙袋を下げて、紙コップを持った高階湊人たかしなみなとだった。
「あけましておめでとうございます。・・・これどうぞ良かったら。さっき貰ったんですよ。行きに一杯貰ったのに、帰りにもまた貰って」
お互い気付かなかったが、これは間違いなく自分が配っていたものだ。
「・・・まだあったかいですよ。寒くないですか?」
湊人みなとは、紗良さらが薄着なのを不思議がった。
「こんなとこあったんですね。転勤して来て初めてお参りしました。あ、どうぞどうぞ」
遠慮していると思われたのか、ぐいぐいと紙コップを押しつけられた。
別にいらないって、と思ったが、面倒になって紗良さらは受け取った。
自分で文句を言って配っていたものを自分が受け取って飲んでるなんてバカみたい。
そう思いながらも、温かさと湯気に引かれて、口をつけた。
「・・・美味しい」
ちょっと信じられなくて、思わず口をついた。
「ですよね。甘酒なんか、子供の時以来ですよ。寒いからあったまりました。こんなにうまかったっけって思って・・・。きっと、お寺秘伝の作り方があるんでしょうね」
ええまあ、と紗良さらは適当に話を合わせた。
実際は、業務スーパーで更に安売りの時に買い込んだパック入りのものを、大鍋にジャバジャバ入れて水足して、薄まったその分砂糖を入れて温めたものだけど。
「・・・あの後、大丈夫でしたか?」
突然そう言われて、面食らった。
あの後?・・・ああ、虹子にじこの店にこの人、いたっけ。
あまりにもどうでも良くて、彼らがいたことを忘れていた。
「すごくショック受けていたようだったから。・・・いや、俺らもびっくりでしたけどね。なんて言うか、人っていろいろあるもんですよね・・・」
関係ないじゃない、とカチンと来て、紗良さらは立ち上がって、また座り直した。
「・・・あの、招待状、ちゃんと返せましたか?」
勝手に持って来たのだろうと案じられて、気がかりだったのだろう。
「・・・取ってあるわけだから、大事なものでしょうから」
辛い過去の遺物だとしても。
「・・・返しました。・・・でも、別に、返さなくても良かったみたい」
「え?」
紗良さらはため息をついた。
「・・・欲しいなら別にあげるけどって言われたから」
そう言って、彼女は泣き出してしまった。
しゃくり上げて泣く女性を見たのは、子供の時以来で、湊人みなとは、言葉を失った。
確かに無断で持ち出した行為は悪い。
でも、彼女の気持ちを考えたとき、それは随分と冷たい言葉ではないだろうか。
二人はしばらくそこで無言で座り込んでいた。
日も暮れかかった時、遠くの方から紗良さらを呼ぶ声がした。
母親がコートを手に持っていた。
上着も持たずに出て来たのを心配して探しに来たのだろう。
紗良さら湊人みなとに挨拶をすると、その場を離れた。
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