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44.三十路の覚悟
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手術まで体力を落とさず、だが体に負担をかけないようにと青柳に言われた。
せめて階段を使って売店にでも行こうと環は部屋を出た。
昨日のうちに、五十六が日誌や授業の内容をまとめた資料を持ってきた。
パソコンで見てと持ってきたUSBには、来週から授業で取り上げる内容の薬物汚染についての資料が画像や映像、グラフと共にまとめてあった。
面白い。わかりやすい。
彼は、もしや、もしやなのだが、教師の才能があるんじゃないだろうか。
仕事やめて好きなことしろとは言ったが、教師を続けてくれたら嬉しいかもしれない。
心残りは、夫のことなのだが。
・・・・まあ、離婚するだろう。
見ず知らずのおじさんと結婚生活していてくださいなんてのがそもそも虐待案件だ。
・・・夫は、真面目だし、優しい人だ。
ちゃんとした仕事もしているし。
離婚してもやっていけるだろうし。
次、結婚するとしたら、もっと若くて可愛い奥さんと幸せになるのが向いている。
彼は、結婚生活に何か障害が出来て、夫婦で揉めながら、それでもぶつかりながらでも落とし所を見つけて続けていくのに向いていないのだ。
だから、なるだけ問題が起きないような女性と結婚するか、彼なりにしっかりと守れる女性と幸せになってほしい。
善悪は別として。自分たちは結婚に対する認識が違っていた。
だから自分だけが、いつも空回ってバカみたいだったのだ。
そして何より決定的に致命的に。
・・・私達には、結婚に、自分達に執着がないのだ。
お互い、引き止めて、すがりついて、私と向き合ってくれと、殴るほどの勢いも、泣いて頼み込む程の、気持ちがない。
・・・もともとあったのが冷めたのではなく、お互いもともとないのだ。
気づかないうちにそれこそ子供でもできていればまた状況は変わったのだろう。
子は鎹とはよく聞くが。
もちろん愛情も存在するのだが、子供がいればにっちもさっちもいかなくなるから身動き取れなくなって覚悟するっきゃないってことでもあろう。
・・・・別に我々が特別なのではなく。そんな夫婦って、世の中いっぱいいるだろう。
あとは。実家の両親と妹。
妹は建築業の夫と結婚してすでに二人子供がいるから、今更自分が離婚しても両親にとってもそれほど支障はなかろう。
違和感を感じさせないようにお盆と正月、日帰り帰省のみと言うプランでどうだろう。
これならば、五十六にも何とか飛び続ける事の出来るハードルではないだろうか。
あとは、本当に。
彼には楽しんで好きなように生きてほしい。
問題は、五十六が死ぬ時。
やっぱり体と中身が違うと、ちゃんと成仏出来ないらしいから。
彼も自分と同じようにあの気色悪い処理場に行くとしたら。
自分はもう仕方ないにしても。
五十六も同じ運命と言うのは、やはり、忍びないのだ。
・・・これはもう、自分が死んだ時に、交渉すると決めていた。
きっと毘沙門天が自分のミスを隠匿する為にやってくる。
そうしたら、土下座でも、脅すなりすかすなり、何でもするつもりだ。
売店で、ボールペンと、菓子パンと甘いカフェオレを買った。
健康的な病院食に文句はないが、いつもご飯とお茶で、パンとコーヒーは出ないので、どうしても食べたくなる。
昨日の夕方は心配した東海林たちが押しかけてきた。
妹から預かったと、文化祭で作った茶碗を持ってきてくれた。
ガラス質の青い釉薬が滑らかで深い色合いが美しかった。
嬉しくてサイドテーブルに置いてある。
・・・・結局、春海ちゃんには悪いことしちゃったな。
結局、その話は頓挫したままなのだ。
周りが盛り上がって居るだけなのかもしれないが、女の子を待たせたままと言うのは申し訳ないし、五十六の人間性も疑われかねない。
きちんと状況だけでも説明したほうがいいのだけれど・・・。
でもどう伝えればいいのか。
部屋に戻ると、青柳が両手にソフトクリームを持って立っていた。
高校生となった五十六をどう扱ったらいいかよくわからないらしく、昔好きだったからと折り紙を持ってきたりしていたのには笑った。
「・・・昔、いっくんのおかげで、鶴折れるようになったしね。本気で千羽鶴作ったら、いらねえとか言われて・・・あの時は、結構ショックだったなあ・・・」
そのまましばらく二人でソフトクリームを舐めていた。
「・・・これ、環先生が持って来てくれたの?」
「クラスの生活連絡日誌ですね。あとは宿題とか授業のノートのコピーです。クラスメイトが毎日交代で、ノートをコピーしてくれてて・・・」
日誌には付箋が色とりどり短冊のようについていて、ちょっとした今日あったこととか、ユカパイのブラウスから透けたブラの色のメモとか、飴や駄菓子がダイレクトにセロテープで貼ってあったりするのだ。
同じクラスとはいえ、今までたいして五十六と喋ったことがなったであろう生徒も心配しているのがわかり胸を打たれた。
「皆すごくいい子ばかりなんです」
すごく嬉しかった。
そして、何より、五十六がそれを見て、とても嬉しそうだった。
再来年の卒業式では、送り出す自分が泣きながら送り出される彼らを見つめているのだろうと思っていたけど。それは無理そうだけど。
もうちょっとで、先生さよならだけど。
・・・・皆の担任できて、良かったなぁ。
「お。顔色いいじゃん。プリン食う?」
「ありがと。夕ご飯早いからお腹すいちゃった」
環は言いながら、分厚いファイルを手渡しした。
表紙に、赤字で重要というシールが貼ってある。
「何コレ?」
「ちょっと見てみて。・・・うわ、うまっそー」
五十六が持って来た箱を開けると、プリンと焼き菓子の詰め合わせであったのに、環は歓声を上げた。
「それね、うちのクラスの子たちの、成績表と進路調査票。一緒に進学先の資料が挟んであるから。冬休み前には一斉調査するんだけど、一応連絡帳で事前に聞いておいたのよ。親御さんの意見も一緒に。学内の進路会議は特進組じゃないからどうしても二の次にされちゃうから、早めに動いてちょうだいね。あとさ、推薦枠の取り合いがあるんだけど・・・」
特進組が優先されるのは恒例だが、それでもどうしても確保したい生徒がちらほらいたのだ。
「困った時は、白鳥先生に相談してみて。進路指導担当だから、普段あんな感じだけどさ、経験豊富だし、なんでも知ってるし、頼りになるのよ・・・。ほんと、頼むね」
環がそう言って手を合わせると、五十六が、神妙に頷いた。
「わかった」
「クラスの子の人生、アンタにかかってるんだからね。・・・もう一つ。これ」
環が白い封筒を取り出した。
「な、なんだよ。遺書とかやめてくれよー・・・」
「・・・失礼な。違うわよ」
「え?見ていいのかよ?」
「見て」
どれどれ、と五十六は封筒に指を突っ込んだ。
三つ折りの紙を広げてギョッとした。
「・・・おい、これ・・・」
見たままよ、と環は肩をすくめた。
環の名前と、印鑑が押してあった。
「婚姻届も見たことないうちから、離婚届かよ、俺。・・・やだやだ。重い・・・」
「何よ。さっさと離婚しろみたいなこと言ってたくせに」
「いや、だって・・・。俺が渡すんだろー・・・」
「そりゃ、今の私が渡したら変じゃない」
五十六の顔して、体して。しかも死にかけていて。
「・・・・そうだけどさ・・・いいのかよ」
環は頷いた。
「いい」
「・・・・なんでだよ・・・・。俺のせいで、父ちゃんも母ちゃんも、先生も諒太も別れんのかよ・・・」
環はちょっと驚いて五十六を見た。
「ああ、違う違う。・・・結婚しない理由がないから結婚したって前言ったじゃない・・・」
「うん。・・・ひでー理由だよな」
環は苦笑した。
「・・・確かに。じゃ、離婚しない理由が無いから、離婚する」
何か言いかけた五十六を環が手で制した。
「もう決めたの。・・・・執着がないなら、手を離してあげるべきよ。お互いにね。私も、あんたも、夫も、次に進むための不安材料は少ないほうがいい。生きていくための荷物を少なくしよう」
五十六がため息をついて、しょんぼりしている。
「・・・ちょっとショック受けないでよ。少年。・・・だってあんた、自分がオバちゃんになるだけでも大変だろうに、さらにオジちゃんと結婚生活しろなんて、ひどい話じゃないのよ?」
「・・・そりゃそうだけどよー・・・」
五十六はしばらく黙って、それから顔を上げた。
「・・・いいんだな?本当に本当に、いいんだな?」
「うん。いい」
「ほんっとーのほんっとーーーに・・・」
「しつこい。いいんだってば」
「なあ。結婚ってさあ、ほんっとうに好きな人とすんじゃないのかよ。なんで皆離婚すんの・・・?」
「本っ当に好きかどうかは、まあわからないけど。嫌いな人とはあんまりしないんじゃない?なんかさあ、嫌な言い方なんだけど。大抵、二年とか三年とか交際してじゃあそろそろって皆結婚すんのよね。その頃ってお互い、いい感じに嫌いな部分もわかってるわけで・・・」
で、まあならば許せる範囲かな、となったら結婚するわけよ。
「・・・嘘だろ・・・ちょっと嫌いになったあたりで結婚すんの?」
「そうそう。アハハ。だからどーもそのあたりですでにいい感じにセックスレスよ」
「うわっ。夢を壊しやがって!最悪・・・っ」
なんだか口がよく回る。
環は食べていた手元の焼き菓子を見た。
洋酒が入っているようだ。
久々に酒を入れて、こんなのでちょっと酔ってしまったのかもしれない。
五十六は離婚届を丁寧に封筒にしまい直した。
「それ渡すのさ。あんたのタイミングでいいから。でも、なるべく早めでお願いします」
環は深々と頭を下げた。
「どれっ。じゃ、プリン食べよっかなー」
「はいはい。さっき表参道で買ってきたんだよなー」
「あ、これ知ってるー。私の地元の会社じゃないのー。機械工場なんだけど、副業でスィーツ作ったら本業より有名になっちゃったってやつよ、確か」
「へー、マジ?うっめ、これ」
「・・・あとさぁ。自分で言うの情けないんだけど。私の顔、気に入らない時は、プチ整形とかしてもいいからね。・・・口座にちょっとはお金あるから、自分のために使って」
「おお。そうだな。するする。もっとバチバチに二重にして、目は三倍大きくして、鼻高くして、小顔にして、口ももっとエロくしてよ。あ、シワもとんなきゃな。・・・プチじゃ済まねぇな」
「・・・随分、大規模工事ね・・・」
・・・・そんなに気に入らない?
わかっていたけどショックだ。
「まあ、いいけど?好きにしなさいって、言ったの私だし」
それで彼が生きて行けるならば、正しい選択に違いない。
「・・・・よし。んじゃ、好きにするからな!?」
五十六もプリンをかっ込んだ。
宣言と言うより確認。
「いいわよ。すれば?」
環は、二つ目のプリンに手を伸ばした。
せめて階段を使って売店にでも行こうと環は部屋を出た。
昨日のうちに、五十六が日誌や授業の内容をまとめた資料を持ってきた。
パソコンで見てと持ってきたUSBには、来週から授業で取り上げる内容の薬物汚染についての資料が画像や映像、グラフと共にまとめてあった。
面白い。わかりやすい。
彼は、もしや、もしやなのだが、教師の才能があるんじゃないだろうか。
仕事やめて好きなことしろとは言ったが、教師を続けてくれたら嬉しいかもしれない。
心残りは、夫のことなのだが。
・・・・まあ、離婚するだろう。
見ず知らずのおじさんと結婚生活していてくださいなんてのがそもそも虐待案件だ。
・・・夫は、真面目だし、優しい人だ。
ちゃんとした仕事もしているし。
離婚してもやっていけるだろうし。
次、結婚するとしたら、もっと若くて可愛い奥さんと幸せになるのが向いている。
彼は、結婚生活に何か障害が出来て、夫婦で揉めながら、それでもぶつかりながらでも落とし所を見つけて続けていくのに向いていないのだ。
だから、なるだけ問題が起きないような女性と結婚するか、彼なりにしっかりと守れる女性と幸せになってほしい。
善悪は別として。自分たちは結婚に対する認識が違っていた。
だから自分だけが、いつも空回ってバカみたいだったのだ。
そして何より決定的に致命的に。
・・・私達には、結婚に、自分達に執着がないのだ。
お互い、引き止めて、すがりついて、私と向き合ってくれと、殴るほどの勢いも、泣いて頼み込む程の、気持ちがない。
・・・もともとあったのが冷めたのではなく、お互いもともとないのだ。
気づかないうちにそれこそ子供でもできていればまた状況は変わったのだろう。
子は鎹とはよく聞くが。
もちろん愛情も存在するのだが、子供がいればにっちもさっちもいかなくなるから身動き取れなくなって覚悟するっきゃないってことでもあろう。
・・・・別に我々が特別なのではなく。そんな夫婦って、世の中いっぱいいるだろう。
あとは。実家の両親と妹。
妹は建築業の夫と結婚してすでに二人子供がいるから、今更自分が離婚しても両親にとってもそれほど支障はなかろう。
違和感を感じさせないようにお盆と正月、日帰り帰省のみと言うプランでどうだろう。
これならば、五十六にも何とか飛び続ける事の出来るハードルではないだろうか。
あとは、本当に。
彼には楽しんで好きなように生きてほしい。
問題は、五十六が死ぬ時。
やっぱり体と中身が違うと、ちゃんと成仏出来ないらしいから。
彼も自分と同じようにあの気色悪い処理場に行くとしたら。
自分はもう仕方ないにしても。
五十六も同じ運命と言うのは、やはり、忍びないのだ。
・・・これはもう、自分が死んだ時に、交渉すると決めていた。
きっと毘沙門天が自分のミスを隠匿する為にやってくる。
そうしたら、土下座でも、脅すなりすかすなり、何でもするつもりだ。
売店で、ボールペンと、菓子パンと甘いカフェオレを買った。
健康的な病院食に文句はないが、いつもご飯とお茶で、パンとコーヒーは出ないので、どうしても食べたくなる。
昨日の夕方は心配した東海林たちが押しかけてきた。
妹から預かったと、文化祭で作った茶碗を持ってきてくれた。
ガラス質の青い釉薬が滑らかで深い色合いが美しかった。
嬉しくてサイドテーブルに置いてある。
・・・・結局、春海ちゃんには悪いことしちゃったな。
結局、その話は頓挫したままなのだ。
周りが盛り上がって居るだけなのかもしれないが、女の子を待たせたままと言うのは申し訳ないし、五十六の人間性も疑われかねない。
きちんと状況だけでも説明したほうがいいのだけれど・・・。
でもどう伝えればいいのか。
部屋に戻ると、青柳が両手にソフトクリームを持って立っていた。
高校生となった五十六をどう扱ったらいいかよくわからないらしく、昔好きだったからと折り紙を持ってきたりしていたのには笑った。
「・・・昔、いっくんのおかげで、鶴折れるようになったしね。本気で千羽鶴作ったら、いらねえとか言われて・・・あの時は、結構ショックだったなあ・・・」
そのまましばらく二人でソフトクリームを舐めていた。
「・・・これ、環先生が持って来てくれたの?」
「クラスの生活連絡日誌ですね。あとは宿題とか授業のノートのコピーです。クラスメイトが毎日交代で、ノートをコピーしてくれてて・・・」
日誌には付箋が色とりどり短冊のようについていて、ちょっとした今日あったこととか、ユカパイのブラウスから透けたブラの色のメモとか、飴や駄菓子がダイレクトにセロテープで貼ってあったりするのだ。
同じクラスとはいえ、今までたいして五十六と喋ったことがなったであろう生徒も心配しているのがわかり胸を打たれた。
「皆すごくいい子ばかりなんです」
すごく嬉しかった。
そして、何より、五十六がそれを見て、とても嬉しそうだった。
再来年の卒業式では、送り出す自分が泣きながら送り出される彼らを見つめているのだろうと思っていたけど。それは無理そうだけど。
もうちょっとで、先生さよならだけど。
・・・・皆の担任できて、良かったなぁ。
「お。顔色いいじゃん。プリン食う?」
「ありがと。夕ご飯早いからお腹すいちゃった」
環は言いながら、分厚いファイルを手渡しした。
表紙に、赤字で重要というシールが貼ってある。
「何コレ?」
「ちょっと見てみて。・・・うわ、うまっそー」
五十六が持って来た箱を開けると、プリンと焼き菓子の詰め合わせであったのに、環は歓声を上げた。
「それね、うちのクラスの子たちの、成績表と進路調査票。一緒に進学先の資料が挟んであるから。冬休み前には一斉調査するんだけど、一応連絡帳で事前に聞いておいたのよ。親御さんの意見も一緒に。学内の進路会議は特進組じゃないからどうしても二の次にされちゃうから、早めに動いてちょうだいね。あとさ、推薦枠の取り合いがあるんだけど・・・」
特進組が優先されるのは恒例だが、それでもどうしても確保したい生徒がちらほらいたのだ。
「困った時は、白鳥先生に相談してみて。進路指導担当だから、普段あんな感じだけどさ、経験豊富だし、なんでも知ってるし、頼りになるのよ・・・。ほんと、頼むね」
環がそう言って手を合わせると、五十六が、神妙に頷いた。
「わかった」
「クラスの子の人生、アンタにかかってるんだからね。・・・もう一つ。これ」
環が白い封筒を取り出した。
「な、なんだよ。遺書とかやめてくれよー・・・」
「・・・失礼な。違うわよ」
「え?見ていいのかよ?」
「見て」
どれどれ、と五十六は封筒に指を突っ込んだ。
三つ折りの紙を広げてギョッとした。
「・・・おい、これ・・・」
見たままよ、と環は肩をすくめた。
環の名前と、印鑑が押してあった。
「婚姻届も見たことないうちから、離婚届かよ、俺。・・・やだやだ。重い・・・」
「何よ。さっさと離婚しろみたいなこと言ってたくせに」
「いや、だって・・・。俺が渡すんだろー・・・」
「そりゃ、今の私が渡したら変じゃない」
五十六の顔して、体して。しかも死にかけていて。
「・・・・そうだけどさ・・・いいのかよ」
環は頷いた。
「いい」
「・・・・なんでだよ・・・・。俺のせいで、父ちゃんも母ちゃんも、先生も諒太も別れんのかよ・・・」
環はちょっと驚いて五十六を見た。
「ああ、違う違う。・・・結婚しない理由がないから結婚したって前言ったじゃない・・・」
「うん。・・・ひでー理由だよな」
環は苦笑した。
「・・・確かに。じゃ、離婚しない理由が無いから、離婚する」
何か言いかけた五十六を環が手で制した。
「もう決めたの。・・・・執着がないなら、手を離してあげるべきよ。お互いにね。私も、あんたも、夫も、次に進むための不安材料は少ないほうがいい。生きていくための荷物を少なくしよう」
五十六がため息をついて、しょんぼりしている。
「・・・ちょっとショック受けないでよ。少年。・・・だってあんた、自分がオバちゃんになるだけでも大変だろうに、さらにオジちゃんと結婚生活しろなんて、ひどい話じゃないのよ?」
「・・・そりゃそうだけどよー・・・」
五十六はしばらく黙って、それから顔を上げた。
「・・・いいんだな?本当に本当に、いいんだな?」
「うん。いい」
「ほんっとーのほんっとーーーに・・・」
「しつこい。いいんだってば」
「なあ。結婚ってさあ、ほんっとうに好きな人とすんじゃないのかよ。なんで皆離婚すんの・・・?」
「本っ当に好きかどうかは、まあわからないけど。嫌いな人とはあんまりしないんじゃない?なんかさあ、嫌な言い方なんだけど。大抵、二年とか三年とか交際してじゃあそろそろって皆結婚すんのよね。その頃ってお互い、いい感じに嫌いな部分もわかってるわけで・・・」
で、まあならば許せる範囲かな、となったら結婚するわけよ。
「・・・嘘だろ・・・ちょっと嫌いになったあたりで結婚すんの?」
「そうそう。アハハ。だからどーもそのあたりですでにいい感じにセックスレスよ」
「うわっ。夢を壊しやがって!最悪・・・っ」
なんだか口がよく回る。
環は食べていた手元の焼き菓子を見た。
洋酒が入っているようだ。
久々に酒を入れて、こんなのでちょっと酔ってしまったのかもしれない。
五十六は離婚届を丁寧に封筒にしまい直した。
「それ渡すのさ。あんたのタイミングでいいから。でも、なるべく早めでお願いします」
環は深々と頭を下げた。
「どれっ。じゃ、プリン食べよっかなー」
「はいはい。さっき表参道で買ってきたんだよなー」
「あ、これ知ってるー。私の地元の会社じゃないのー。機械工場なんだけど、副業でスィーツ作ったら本業より有名になっちゃったってやつよ、確か」
「へー、マジ?うっめ、これ」
「・・・あとさぁ。自分で言うの情けないんだけど。私の顔、気に入らない時は、プチ整形とかしてもいいからね。・・・口座にちょっとはお金あるから、自分のために使って」
「おお。そうだな。するする。もっとバチバチに二重にして、目は三倍大きくして、鼻高くして、小顔にして、口ももっとエロくしてよ。あ、シワもとんなきゃな。・・・プチじゃ済まねぇな」
「・・・随分、大規模工事ね・・・」
・・・・そんなに気に入らない?
わかっていたけどショックだ。
「まあ、いいけど?好きにしなさいって、言ったの私だし」
それで彼が生きて行けるならば、正しい選択に違いない。
「・・・・よし。んじゃ、好きにするからな!?」
五十六もプリンをかっ込んだ。
宣言と言うより確認。
「いいわよ。すれば?」
環は、二つ目のプリンに手を伸ばした。
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