青天のヘキレキ

30.訳ありなカップル

　環たまきは、暗い表情で病院の待合室に座っていた。
五十六いそろくの代わりに、この際、大学受験だって、警察官試験だって受けてもいい。
嫌だけど、ダメだけど。
でも・・・これは嫌だ・・・！
「はーい、高久五十六たかくいそろくくーん、元気にお返事できるかなー・・・?」
のっそりと立ち上がった患者に看護師は驚いて半歩後あとずさった。
「・・・はい・・・この度は・・・お世話をかけます・・・」
まるでお悔やみのようにそう言う。
どうしても泌尿器科に行きたくない環たまきは、考えて考えて、そして思いついたのだ。
未成年は、小児科に行ける!と。
周りは予防注射の乳児連れの若いママさんや、おでこに冷えピタを貼られた小学生くらいの元気な病児達が走り回っていた。
場違いなのは仕方ない。
環たまきは隣で身の置き場がない様子の男を振り返った。
アキラである。
五十六いそろくが何度も店に電話をして、来ないならネットで晒してやると脅して、呼びつけていたのだ。
環たまきが病院受診するんだから保険証見せろと迫ると、しおしおと彼が出した保険証には、氏名、三条昭和さんじょうあきかずと書いてあって。
「・・・アンタ、本名、昭和で、アキカズっていうの!?・・・なんて地に足のついた名前・・・。アキラじゃないじゃない！？」
イメージが大事な仕事なんだと、三条氏は小さく答えた。
看護師が診察室に入るように促した。
「・・・アンタも来な!」
ニット帽を目深にかぶったアキラは小さく頷いた。
診察室に入ると、丸椅子に座れと言われた。
「はい、アーンできるかな。はい、もしもししようね。・・・うん、大丈夫。肺の音もきれいだね」
優しそうな五十代くらいの医師が、どうしたのかな?と小首を傾げた。
環たまきはこそこそと耳打ちをした。
「・・・・すみません。大変恐れ入りますが・・・カンジタの疑いがありまして、あと性病検査して頂きたいんです・・・」
「・・・うん、オッケー。・・・あ。いいよ、まだパンツ脱がなくて」
環たまきはホッとしてズボンをずり上げた。
「カンジタなんかはねぇ。赤ちゃんも、舌とか陰部に出来ちゃったりするしね。体調落とさないようにね。・・・でも他の性病なんかは心配だよねえ・・・」
検査会社に回す書類を書きながら、彼はそう言った。
「でも君、そう遊んでる風にも見えないからさ」
「・・・・一回だけなんです」
紫ゆかりとの関係は一度だけだと五十六いそろくはそう言っていた。
「・・・その、相手がどうもカンジタにかかったと聞いて・・・。心配で。保健の先生に病院行くように勧められまして・・・」
「うん。そうか。保健室には行ってるんだね。うん。じゃ、いいよ。来週また来てね。で、そちらは?保護者さん?」
アキラが、いやあと首を振った。
「ええと・・・あの・・・」
「この人が原因なんで。性病検査、全部してください。全部！」
「・・・・俺だって被害者かもしれないじゃないか?!」
はあ?!と環たまきが凄んだ。
中に入っているのは、三十代女性だが、外見は勢いのある高校生男子。
なかなかの迫力である。
後ろめたい気持ちのあるアキラも、うっと言葉に詰まった。
この2人はどういう関係なのか、と看護師達は怪しんだが、医師は涼しい顔で、ハイハイと書類に記入をした。
「ハイ、じゃ君はもういいよ。・・・・エート、で、三条さん？少し先生とお話ししましょうか？」
先に出ろと促されて、環たまきは診察室を出た。
三十分後、医師によってこってり絞られたらしきアキラもとい三条昭和さんじょうあきかずが、涙目で待合室に戻って来たのに、環たまきは、「反省しろ。これを機会に真人間まにんげんになれ」と呟いた。


　一週間後、環たまきが検査結果を聞きに行くと、医師は良かったね、と検査結果用紙を手渡した。
「・・・・全部、陰性・・・・！」
ほっとして、環たまきは泣き出したい気分だった。
「・・・良かったね。でも今回は運が良かったのかもしれないよ。・・・話し合って、彼にもちゃんと治療するように伝えてね。薬は出したけど、完治するまでキチンと治療しなさいってね」
アキラはやはりカンジタだったらしい。
「・・・はあ・・・って。別に、もうあの人と関係ないんですけど・・・」
まあ、とにかく助かりましたと環たまきは頭を下げた。
若い女性看護師に促されて立ち上がる。
「はい、今日は終わりです。お大事にね。受付の前で会計待ってね。・・・二人、まだまだ大変だと思うけど、ちゃんと話し合って、頑張ってね！」
看護師にも受付の女性にも激励された。
どうも誤解されたようだが、お世話になりましたと再び頭を下げて、診察室を出た。

  　最近、環たまきの授業の評判がいい。
今までは、黒板いっぱいに文字を書き、プリントを配り、ミニテストをするというローテーションだったのが、いろんな視覚的な資料を出してくるようになった。
そもそも保健の授業自体が少ないから、環たまきが用意したものを使って五十六いそろくに授業の進め方をみっちり教え込む時間はある。
放課後、五十六いそろくがディスカウントストアや100均で使えそうな道具や文房具を買って来ては少しずつ準備して来ていた。
動画編集された視覚資料まである。
「・・・今日は、皆にちょっと知ってほしいことがあって」
パソコンの画面をホワイトボードに投影しながら、五十六いそろくが口を開いた。
なぜか先進国の中でも日本の若い世代、そして高齢世代に性病が増えていることを示すグラフだ。
最初、嫌なテーマだなと五十六いそろくは気乗りしなかったが、環たまきに、身近な話題じゃないの、今のあんたにぴったりじゃないの、と嫌味を言われて、そうですねーとしか言えなかった。
環たまきが自分の席で、心配そうに教壇を見つめて、時計を指差して、早く授業を進めろと口でぱくぱくして伝えた。
「・・・ええと、性病にもいろいろありまして。体調が悪いと、公衆浴場とかプールでうつって来ちゃうものもあるんですね・・・。抗生物質飲んでいて、発症しちゃうとか」
人間の体とは不思議なバランスで保たれていると高久たかくも驚いた。
「・・・で、あの・・・一応、画像は用意したんだけど・・・。その、だ、男性の、症例ごとの・・・。こ、これは各々ネットで見てください・・・心臓とメンタル弱い人は気をつけて・・・」
環たまきは分かりやすくしたいと、あろうことかいろいろな病巣の局部の写真をA2サイズに印刷してでっかいパネルに貼ろうとして、それを全部繋げたらどうだろうと言うのだ。
とんでもねえ、恐怖の屏風びょうぶだ・・・、と五十六いそろくは震え上がった。
「データ!データにしよう！先生!ほら、パネルに両面テープで貼るのも大変だし!」
と五十六いそろくが説得して、なんとか環たまきは思いとどまってくれたのだが。
ナイーブな年頃の男子が見たら貧血になってトラウマになりそうなものばかりだというのに。
女って神経太いよなあ・・・・。
「男子諸君・・・、画像見ると、本当に、後悔するから、ならないほうがいいよ・・・」
青い顔でそう言う養護教諭に、これは相当だと生徒達はゴクリと生唾を飲んだ。
見せりゃいいのに!と環たまきが憮然とした顔をしているのは分かったが、同じ男である友人達にこんな悲惨かつ無神経なものは見せられなかった。
見たい人は自分で見てくれ、としか言えない。
「ええと。・・・とりあえずですね。男性のほうは、それとして。はい・・・」
気持ちを立て直して、五十六いそろくは手元の資料に目を落とした。
「女性にとって問題が多いんです。性病が原因で、不妊症とか、更に病気の原因になる場合があるんですね。お互い知らずにってこともあるんで。でも、大切なパートナーにそんな思いさせるのは嫌でしょう?」
授業準備の最中、環たまきが休憩中に五十六いそろくがコンビニで買ってきた炭酸飲料をうまいうまいと次から次に飲み、資料をあれこれ高久に見せながら、言うには。
まあそのジュースが、適当に買ったから気づかなかったが、後からよく見たらチューハイだったのは、黙っておく。
環たまきは大学卒業したての頃、先輩の産休の間、ある高校に赴任していたことがあるそうなのだ。
その時に、一人、性病にかかっていた女の子がいたの、と。
別にその子も、その相手の男の子も、遊んでたわけではないのよ。不思議でしょう。
ただ、その男の子は、初めておつきあいをしたのが彼女ではなかったそうなの。
今時、珍しくはないよね。高校三年生とかで、二人とか三人と付き合ったことありますって子もいるよね。
夏休み前にさ。その子、すごくお腹が痛くなって熱が出て保健室に来て。
私、まだ新卒だったし、これは虫垂炎か、それとも結石かって、もうびっくりして一緒に病院に行ったのよ。
そしたら、クラミジアっていう割とよく聞く性感染症だったの。
でもひどくなっててね。腹膜炎になってて。入院して。自然妊娠は難しいでしょうって言われて。
本人は泣いて泣いて。
お父さまはとても怒ってらして。
でも、お母さまがねえ、娘に、自分の行動に自覚が無いあんたが悪い!ってそう言ったの。
お母様は本当はその相手を殺したい気持ちでしょうよ。
でも、お母様は、それを抑えて、自分の身は自分で守れと言ったのよ。
それで、私もはっとしたのよ。
この子悪くない。だってどんなリスクがあるってこと、誰も教えてないじゃないって。
知識をつけてやんなきゃって。
先輩も私も、学校から言われて、性に関する授業には、最低限にして欲しいって言われてたの。
情けない話だけど。興味ある年頃の生徒を刺激したくないからっていうのが本音で。
親だって、性教育をしてくださいなんて学校には言わないじゃない・・・。
でも、それじゃダメなんだよねえ。興味あるうちに知識あげないと・・・。
私、あの時。すっごい後悔したんだあ。
私さあ。あのあと先輩復帰してその学校辞めてから、やっぱりショックで、養護教諭なんか私には無理だと思ってさあ・・・。
で、しばらく近所のスーパーでバイトしてたの。お惣菜コーナーとベーカリーね。
社員になるかって言われたんだけど、でもその前に結婚して、引っ越したから、一回辞めて・・・。
ああ、だからやたら年季の入った飯を作るのか、と五十六いそろくは合点が行った。
で、結婚もして、生活落ち着いて。仕事復帰しようって思って。どーせ旦那帰ってこないからちょうどいいし。生活費の足しになるし。
ほんとたまたま、ここの学校の求人の話貰ってさ。
どうしようって悩んだんだけど、男子校って聞いて。これは男の子に指導しなきゃと思って。
ダメ元で応募したら採用されて・・・。ま、たいした授業できなかったですけど・・・と、言いたいことだけ言って、環たまきは酔っ払ってそのまま寝てしまったのだが。
いろいろコイツも大変なんだな、と思って、五十六いそろくは授業の準備を真面目に協力することにしたのだ。
五十六いそろくは画面を変えた。
意外と神妙な顔で同級生達は話を聞いていた。
「望む人はいないだろうけど、望まぬ性病は予防することが出来ます。自分と、大切なひとのためにね、できることを考えてください」
ちらりと五十六いそろくが壁の掛け時計を見たと同時に、チャイムがなった。
時間ぴったりだ。
「はい、ではー。皆、最後に。半信半疑だったんだけど、エロ動画の9割は嘘なんだってよー。・・・では、授業終わりです」
五十六いそろくは、礼をすると、教室を出た。
よかった。とにかく無事に授業が終わった。
環たまきはほっと胸をなでおろした。