29 / 50
29.退路ではなく進路
しおりを挟む
「ほんで?」
放課後、五十六と環は保健室でまた会議、反省会をしていた。
「・・・バレたりはしないだろうけど・・・相当、怪しいと思われてるっぽい・・・」
「あのさあ、先生・・・。朝から焼き魚定食どーんと出して、法事の仕出しみてーな弁当まで持たせたら、そらーおかしいと思われるっつうの・・・」
だって。朝、自分と五十六の分の弁当を作っていたら、誰の分かと聞かれたのだ。
「そしたらさ、お兄さんの分ですと言うしかないじゃない・・・・」
なので、今日の昼は、自分の分の弁当は一三に渡してしまったので、適当に作ったサンドイッチを食べた。
五十六は当然、弁当は届くものと思っているので、さっさとかっこんでいたが。
「絶対怪しいと思われてる・・・。あんた、電話かラインかでフォローしといてよ」
了解、と五十六は軽く頷いた。
「で、なんで昨日連絡くれなかったわけ・・・?」
「ああ。そうそれ!実はさー、昨日、ユカパイと、ケーキバイキング行ったんだよ!」
嬉しそうにスマホの画像を見せてきた。
豪華なホテルのラウンジで楽しそうに、山のようなケーキにがっつく環・・・ではなく、五十六。
紫も楽しそうに、あれこれとケーキを選んでいる。
「・・・最高だったー。一回行ってみたかったんだよねえ。二時間食べ放題で、七千円。超うまかったっ。ま、こんなカッコだけど、ユカパイとスイーツデートしちまった!」
私が・・・お前の家であたふたしている間に・・・お前らスイーツブッフェに・・・。
「ホテルのラウンジでよ。最後にパティシエのニイちゃんが出てきて、あーだこーだ言うわけ。ユカパイ、キャーキャー言ってライン交換してたしよー。さすがユカパイ、フットワークもケツも軽い!ナイスなビッチだよなー、アハハ!アンケートに、他にどんなのがあったらいいかって書いてあったから、焼きそばと寿司って書いてきたわ。甘いもんばっかだと、しょっぺーもん食いたくなるじゃん?」
だったら普通のバイキングに行けよ・・・・。
「・・・ああもういい。頭痛い・・・。私ばっかりバカみたい。・・・ほんと・・・ビルから飛び降りたら、体戻んないかな・・・」
「は、早まんなよな・・・頼むから・・・」
内線が鳴った。
「ユカパイかな?今度はフルーツバイキングに行く約束したんだよ!ねー、知ってる?銀座の千疋屋、要予約で果物食い放題やってるんだって!・・・はいはーい・・・。え?・・・ええ?・・・なんで?!・・は、はい・・・わかりました」
フラれたか、ザマーミロと、環はほくそ笑んだ。
千疋屋のフルーツバイキングだと?
羨ましい。テレビでしか見たことがない。
妬んでいると、五十六が受話器を放り投げて慌てた様子だ。
「・・・ヤベー!センセイ!ヤバい!」
「何がよ?」
「・・・兄ちゃんが、来る・・・!」
なんでよ?!と環は立ち上がった。
高久一三は、木箱に入ったカステラ十本を抱えて、弟の通う学舎を訪れていた。
今晩には支社のある名古屋に帰るし、明後日からは仙台出張だ。
この先、なかなかこういう機会を持つことはできないだろう。
事務室で、兄である旨を伝えると担任の金沢先生は保健室にいる、という答えだった。
いわゆる保健室の先生が担任を持つ珍しさにちょっと驚いた。
これは人員削減の一環であろう。
本来はどこの学校も養護教諭に担任などの話は回ってこない。
おばちゃん先生も大変な時代だなあ・・・。
自分が高校生の時は、おばちゃん以上おばあちゃん未満な養護教諭が、案外のんびりと仕事をしていたものだが。
ああ、やっぱり最中か羊羹の方が良かっただろうか・・・。
カステラが喉に詰まって誤嚥でもされたら大変だ。
と思いながら、ドアをノックした。
「失礼します。・・・高久五十六の兄ですが・・・・」
ドアを開けると、見知った顔が椅子に座っていた。
弟だ。
「・・・なんだ。いそ、いたのか・・・」
なんだか緊張した面持ちでこちらを見ている。
さては、また何か悪さでもして説教されていたのだろうか。
・・・・となれば、手土産を持参してまことに良かった。
挨拶というかお詫びになってしまったが。
その横に、白衣を着た女性が立っていた。
「・・・は、はじめましてっ。担任の、金沢環でゴザイマス」
彼女もまた緊張した様子だったが、ぺこりと頭を下げた。
意外だった。
弟が、いつもおばちゃん先生だと言うから、大体五十代くらいなのだと思っていた。
どう見ても、目の前の女性は二十代後半か三十代前半だろう。
男子校で男子ばかりのクラスを受け持ち、しかも養護教諭で保健体育を教えているというのか。
なんと危篤な・・・。
前世に何か悪いことをして今世修行をさせられているとしか一三には思えない。
「兄ちゃん・・・、突然、ど、どうしたのかなー?」
黙っている兄を不思議に思ったのか、弟が声をかけてきた。
「ああ。あの・・・」
どん、と机の上にカステラの紙袋を置く。
「いつもお世話になっております。良かったらこちらどうぞ」
ソファを勧められ、一三が座った。
「で、いそは何でいるんだ?」
「・・・こっちのセリフだけどね・・・。いやあの、最近、いろいろ相談に乗っていただいておりまして・・・。ね、先生?」
「・・・あ?ハイ。そう、そうなんです!」
「ありがとうございます。お手数おかけしております。この度もいろいろとご面倒をおかけしたようで。その、食事の作り方や栄養などご指導頂いたようで」
一三は頭を下げた。
「いえそんな・・・いつものババくさいものですから」
言いながら、1.5リットルのペットボトルから注いだアイスミルクティをテーブルに並べながら、にこやかに微笑んだ。
朗らかな先生のようだ。一三はほっとした。
なぜか五十六は憮然としていたが。
「・・・それで、兄ちゃん。どうしたの。・・・三者面談は十一月始めの第一週14:00から、クラス名簿のあいうえお順で開始なんだけど」
「いや、いつもお世話になっているから。お礼と、普段の様子を聞いてみたくて」
「・・・・・・でも何も今日来なくたって、いいんじゃない・・・?」
「いやいや、こういう機会もなかなかないから。それで、先生。弟は普段いかがな様子ですか?」
「・・・あ、はい。はい?・・・あ、あの・・・高久くんは、最近とても、いい子で・・・。成績も、下から5番目だったのが、上から7番目になりまして・・・」
一三が首を傾げた。
「それは事実なのでしょうか?・・・今までこいつより下がいたのもびっくりですが・・・」
「・・・ええと、あとは、学校行事にもきちんと参加するようになりまして・・・服装も、生徒会規範帳に載るぐらいきちんとしています」
職員会議で教師達に言われていることをそっくり言ってみたりして。
まるで人が変わったようだと評判なのだ。
実際変わっているのだが。
「ですので、お兄さんが心配すること、ほんとにないですから・・・」
「そう言って頂けると・・・。体が弱い子でしたし。母とも早く別れて、父も忙しくて、私も大学進学から実家を出まして・・・。実際、誰がこの子を育てたのかわからないようなかわいそうな事をしてしまいまして。過保護、いや、父は負い目でしょうね。どうしても、やりたい事よりやらなくてもいい事ばかり見つけてやらせてこなかった。・・・自分でここまで育ってくれた子なんです。だから、申し訳ないですし、ずいぶん可愛いんですよ、父も私も」
わかります、と弟が涙ぐんで目元を抑えていたが、ティッシュの箱を養護教諭にぽんと投げた。
金沢先生を見ると、彼女もまた泣いているようで、受け取ったティッシュで顔中を拭いていた。
「いや、なんか・・・ちょっと改めて聞いたら、かわいそうになっちゃって・・・」
環の姿で、五十六は、おんおん泣き出した。
そういえばそうだ。母と別れて以来、誰かに育てられたか、と言われたら甚だ疑問なのだ。
強いて言えば、面倒を見てくれたのはしなのだが、彼女だってやはり親ではない。
「大丈夫です!お兄さんっ。高久くん、進路も決まりましたし、頑張るって言ってました!」
「そうなんですか・・・?!」
「えっ、えぇ!?」
環が驚いて立ち上がった。
遅い!だが、やっと決まったか!先生、待ってたよ!
「うん!前から薄々は思っていたけど警察官になりたいそうです!」
「・・・はあ?!」
五十六が机の引き出しから、ノートを取り出した。
環はノートを覗き込んだ。
見覚えがある几帳面な字が書いてあった。夫の字だ。
「・・・警察官になるには、エート、まず警察官になるための地方公務員試験というものを受けて、警察学校に入学し、半年ほど研修、勉強して、その後、卒業したら配属が決まる、そうです!」
一三はぽかんとしてノートと担任を見比べた。
「・・・警察官・・・それは、ものすごく意外ですが・・・」
ちょっと前まで、マジ南の島で遊んで暮らしてーとか言っていたのに・・・。
警察官のような社会の規範となるような職業に憧れを抱いていたとは・・・。
「は、反対なんですか?!」
「いや、実際なれるかどうかは別として、応援したいですが・・・」
良かった、とほっとしたように金沢環の姿で高久は微笑んだ。
思わず見とれてしまって、一三ははっとした。
「・・・今日はありがとうございました。私も一度会社に戻りますので、弟を送っていこうと思います。そろそろ失礼します」
「は?あ、いえいえ。・・・こちらこそ、どうもありがとうございました・・・」
ぺこりと頭をさげる。
環もリュックを持つと、ぺこりと頭を下げた。
なにか言いたそうだったが、そのまま二人は保健室を出た。
「いや、知らなかったなあ・・・、いそ、警察官になりたかったのかあ・・・」
兄がしみじみと言った。
「・・・え、えー・・・うん・・・?」
こっちこそ全然知らなかった・・・。
不良少年が警察官になるなんて、昔のドラマのようだが・・・。
警察官試験・・・どのくらい難しいんだろう・・・。
警察官では無く、地方公務員試験、いわゆる県や都府に勤務する職員の方だけれど。
その試験勉強は、大学時代にほんのちょっとかじった事はあるのだが。
過去問見てみないとわからない。
ああでも、まさかそれまで自分が受ける事になるとは思いたくないが・・・。
「・・・なあ、いそ・・・」
「は、はい!?」
ぼんやりした様子の一三が保健室のドアを眺めていた。
「金沢先生って・・・彼氏いるのかなあ・・・」
「へ・・・?は、はあ・・・!?」
環は驚いて、隣のはにかんだ笑顔の男を見上げた。
数日後、環宛に、笹かまと牛タンとずんだ餅という山のような仙台土産が届いた。
「・・・あいつ、何考えてんだぁ?」
高久は兄の真意を測りかねながらも、笹かまを二個いっぺんに口の中に放り込んだ。
「んあああ・・・うめー・・・。やっぱ笹かまはただの蒲鉾じゃねーわー・・・蒲鉾の王様。・・・このチーズ味とサラミ味いっぺんに食うと口ん中でハーモニーが広がる・・・最高。よし、次、甘いもん行くか・・・」
保健室のテーブルに笹かまとずんだ餅を積み上げる。
「しょっちゅうライン来るんだよな。金沢先生がどーたらこーたら・・・」
早速、警察官の筆記試験の過去問を開いていた環が顔を上げた。
「・・・これ以上話を複雑にしないでちょうだいよ?・・・ね、本気で警察官になりたいわけ?」
警察官試験の過去問を解きつつ、環が尋ねた。
「・・・ああ、やっぱり、私ここ間違ってた。苦手なのよね、放物線の問題って。・・・・ちょっと、この試験、結構難しいよ?時事問題多いし。あんた、ちゃんと新聞読んだりニュース見てる?・・・・あのさ、どう考えても、私が勉強しても仕方ないんだけど・・・」
「だってよ。万が一、試験までに体戻らなかったらどーすんだよ?」
「私に警察官なんか務まるわけないじゃないのよ・・・婦人警官ならまだしも」
機動隊になんか配属されたらどうしたらいいのだ。
「俺が婦人警官じゃおかしいだろ!?あとさ、兄ちゃんには、先生には旦那いるって言ったからさ。ダイジョーブダイジョーブ」
「そう?ならいいけど。・・・えーと、警察官になるにはね、高校卒業程度、大学卒業程度って試験が別れてるんだけど・・・。うーん、大学進学は考えてないの?」
「なんか俺、もうベンキョーとかより、仕事を覚えたいんだよねー。警察官か、大工さんとかやってみてえ」
「・・・大工さんかあ。手先器用だもんねぇ・・・。うちは工業高校じゃないから、建築系の情報ないもんなあ。駅前に職業訓練学校っていうのがあるんだけど。一回見学行って来ようかなあ・・・」
技術職を育てるためのかなり実践的な学校だ。
「俺も行く!」
「そうね。本人が見るのが一番だからね」
職業訓練学校に見学者随時募集という垂れ幕がかかっているのを見たことがある。
「かっけぇなあ。親方とかいんのかなあ・・・」
「東海林君はJR受けたいらしいし・・・。結構みんな、意外なんだよね・・・」
「えー。だって、東海林、マジ鉄道オタクじゃん。休みになると、青春18きっぷで一人であっちこっちの鉄道乗りに行くんだ。ほんでどっかの駅のネコ駅長とかの画像送ってきたりするし」
「へえ・・・。そうなんだ・・・」
「たださ、あそこんち、そこそこデッカイ病院じゃん。うちも父ちゃん会社やってるけどさ。兄ちゃんいるし、俺には全く向いてないからうるさくないけど。あいつ医大行かなくていいんかねえ?」
「・・・うん、だよねえ・・・・。理解あるお母さんみたいだけど・・・」
三者面談までに話を聞いておかなければ・・・。
「って、私この姿じゃ聞けないしなぁ・・・・」
もうなんでこんなことに・・・。
不甲斐ない・・・。
三者面談なんて大役をこんなアホに任せなければならないなんて・・・。
「あ、まただ。ウッゼーなあ」
五十六が舌打ちをした。
「また兄ちゃんからだ。あー、笹かまうまかったよっと・・・。今度は先生に名古屋土産送るって。先生、ういろうと、味噌カツどっち好き?」
「え・・・味噌カツ?」
「はいはいっと!」
「じゃなくてさあ。・・・なんで?ちゃんと説明したんでしょ?」
「ああ?旦那いるって?言ったよー。しかも警察官だって。感謝のつもりなんじゃねえ?あいつ、父ちゃんに転勤ばっかさせられて、友達少ないしな」
ほぼ毎年、東と西を行ったり来たりしているのだ。
来年あたりは、北海道か九州に転勤じゃない?と他人事のように父が言っていたのを思い出して、五十六は、北海道ならカニ、九州なら明太子かと舌舐めずりをした。
五十六は煮込みハンバーグをチンしながら、カステラを一本食いしていた。
「このザラメくっついてるカステラうめーよなあー。最初に考えたヤツ、天才!」
一三の持参したカステラは、職員室で一切れずつ皆で食べ、残りは持ち帰った。
「全部同じ味つうのが気が利かねえよなー。抹茶とか、大納言とかあるのによー。お?」
また、メールが入った。
「・・・また先生の話か・・・。いいかげん、キショ・・・」
自分の身内がこうだとひくわ・・・。
先生の様子だとか、好きな物だとかをいちいち聞いてくるのだ。
「ま、スリーサイズぐらいなら教えてやれるけど・・・。・・・先生にバレたら殺されるな・・・」
週毎に腹がきつくなり、ウェストのサイズが大幅アップになったことは環には伏せておこう。
女の消費カロリーはかなり少ないのだろうか。
ちょっと食べるとすぐに体が重く感じる。
「いい加減にしろ。何のつもりだよ。・・・送信っと」
二本目のカステラを食べようと桐の箱を開けた。
「・・・返信爆速男め・・・どれどれ・・・?」
内容を確認しながら蓋を持ったが、驚いて取り落とした。
「いやいやいやいや・・・。無理だろーーー!」
《結婚を前提におつきあいしたいと思っている》
という浮かれた文章と、ハートを抱いたパンダのスタンプが躍っていた。
放課後、五十六と環は保健室でまた会議、反省会をしていた。
「・・・バレたりはしないだろうけど・・・相当、怪しいと思われてるっぽい・・・」
「あのさあ、先生・・・。朝から焼き魚定食どーんと出して、法事の仕出しみてーな弁当まで持たせたら、そらーおかしいと思われるっつうの・・・」
だって。朝、自分と五十六の分の弁当を作っていたら、誰の分かと聞かれたのだ。
「そしたらさ、お兄さんの分ですと言うしかないじゃない・・・・」
なので、今日の昼は、自分の分の弁当は一三に渡してしまったので、適当に作ったサンドイッチを食べた。
五十六は当然、弁当は届くものと思っているので、さっさとかっこんでいたが。
「絶対怪しいと思われてる・・・。あんた、電話かラインかでフォローしといてよ」
了解、と五十六は軽く頷いた。
「で、なんで昨日連絡くれなかったわけ・・・?」
「ああ。そうそれ!実はさー、昨日、ユカパイと、ケーキバイキング行ったんだよ!」
嬉しそうにスマホの画像を見せてきた。
豪華なホテルのラウンジで楽しそうに、山のようなケーキにがっつく環・・・ではなく、五十六。
紫も楽しそうに、あれこれとケーキを選んでいる。
「・・・最高だったー。一回行ってみたかったんだよねえ。二時間食べ放題で、七千円。超うまかったっ。ま、こんなカッコだけど、ユカパイとスイーツデートしちまった!」
私が・・・お前の家であたふたしている間に・・・お前らスイーツブッフェに・・・。
「ホテルのラウンジでよ。最後にパティシエのニイちゃんが出てきて、あーだこーだ言うわけ。ユカパイ、キャーキャー言ってライン交換してたしよー。さすがユカパイ、フットワークもケツも軽い!ナイスなビッチだよなー、アハハ!アンケートに、他にどんなのがあったらいいかって書いてあったから、焼きそばと寿司って書いてきたわ。甘いもんばっかだと、しょっぺーもん食いたくなるじゃん?」
だったら普通のバイキングに行けよ・・・・。
「・・・ああもういい。頭痛い・・・。私ばっかりバカみたい。・・・ほんと・・・ビルから飛び降りたら、体戻んないかな・・・」
「は、早まんなよな・・・頼むから・・・」
内線が鳴った。
「ユカパイかな?今度はフルーツバイキングに行く約束したんだよ!ねー、知ってる?銀座の千疋屋、要予約で果物食い放題やってるんだって!・・・はいはーい・・・。え?・・・ええ?・・・なんで?!・・は、はい・・・わかりました」
フラれたか、ザマーミロと、環はほくそ笑んだ。
千疋屋のフルーツバイキングだと?
羨ましい。テレビでしか見たことがない。
妬んでいると、五十六が受話器を放り投げて慌てた様子だ。
「・・・ヤベー!センセイ!ヤバい!」
「何がよ?」
「・・・兄ちゃんが、来る・・・!」
なんでよ?!と環は立ち上がった。
高久一三は、木箱に入ったカステラ十本を抱えて、弟の通う学舎を訪れていた。
今晩には支社のある名古屋に帰るし、明後日からは仙台出張だ。
この先、なかなかこういう機会を持つことはできないだろう。
事務室で、兄である旨を伝えると担任の金沢先生は保健室にいる、という答えだった。
いわゆる保健室の先生が担任を持つ珍しさにちょっと驚いた。
これは人員削減の一環であろう。
本来はどこの学校も養護教諭に担任などの話は回ってこない。
おばちゃん先生も大変な時代だなあ・・・。
自分が高校生の時は、おばちゃん以上おばあちゃん未満な養護教諭が、案外のんびりと仕事をしていたものだが。
ああ、やっぱり最中か羊羹の方が良かっただろうか・・・。
カステラが喉に詰まって誤嚥でもされたら大変だ。
と思いながら、ドアをノックした。
「失礼します。・・・高久五十六の兄ですが・・・・」
ドアを開けると、見知った顔が椅子に座っていた。
弟だ。
「・・・なんだ。いそ、いたのか・・・」
なんだか緊張した面持ちでこちらを見ている。
さては、また何か悪さでもして説教されていたのだろうか。
・・・・となれば、手土産を持参してまことに良かった。
挨拶というかお詫びになってしまったが。
その横に、白衣を着た女性が立っていた。
「・・・は、はじめましてっ。担任の、金沢環でゴザイマス」
彼女もまた緊張した様子だったが、ぺこりと頭を下げた。
意外だった。
弟が、いつもおばちゃん先生だと言うから、大体五十代くらいなのだと思っていた。
どう見ても、目の前の女性は二十代後半か三十代前半だろう。
男子校で男子ばかりのクラスを受け持ち、しかも養護教諭で保健体育を教えているというのか。
なんと危篤な・・・。
前世に何か悪いことをして今世修行をさせられているとしか一三には思えない。
「兄ちゃん・・・、突然、ど、どうしたのかなー?」
黙っている兄を不思議に思ったのか、弟が声をかけてきた。
「ああ。あの・・・」
どん、と机の上にカステラの紙袋を置く。
「いつもお世話になっております。良かったらこちらどうぞ」
ソファを勧められ、一三が座った。
「で、いそは何でいるんだ?」
「・・・こっちのセリフだけどね・・・。いやあの、最近、いろいろ相談に乗っていただいておりまして・・・。ね、先生?」
「・・・あ?ハイ。そう、そうなんです!」
「ありがとうございます。お手数おかけしております。この度もいろいろとご面倒をおかけしたようで。その、食事の作り方や栄養などご指導頂いたようで」
一三は頭を下げた。
「いえそんな・・・いつものババくさいものですから」
言いながら、1.5リットルのペットボトルから注いだアイスミルクティをテーブルに並べながら、にこやかに微笑んだ。
朗らかな先生のようだ。一三はほっとした。
なぜか五十六は憮然としていたが。
「・・・それで、兄ちゃん。どうしたの。・・・三者面談は十一月始めの第一週14:00から、クラス名簿のあいうえお順で開始なんだけど」
「いや、いつもお世話になっているから。お礼と、普段の様子を聞いてみたくて」
「・・・・・・でも何も今日来なくたって、いいんじゃない・・・?」
「いやいや、こういう機会もなかなかないから。それで、先生。弟は普段いかがな様子ですか?」
「・・・あ、はい。はい?・・・あ、あの・・・高久くんは、最近とても、いい子で・・・。成績も、下から5番目だったのが、上から7番目になりまして・・・」
一三が首を傾げた。
「それは事実なのでしょうか?・・・今までこいつより下がいたのもびっくりですが・・・」
「・・・ええと、あとは、学校行事にもきちんと参加するようになりまして・・・服装も、生徒会規範帳に載るぐらいきちんとしています」
職員会議で教師達に言われていることをそっくり言ってみたりして。
まるで人が変わったようだと評判なのだ。
実際変わっているのだが。
「ですので、お兄さんが心配すること、ほんとにないですから・・・」
「そう言って頂けると・・・。体が弱い子でしたし。母とも早く別れて、父も忙しくて、私も大学進学から実家を出まして・・・。実際、誰がこの子を育てたのかわからないようなかわいそうな事をしてしまいまして。過保護、いや、父は負い目でしょうね。どうしても、やりたい事よりやらなくてもいい事ばかり見つけてやらせてこなかった。・・・自分でここまで育ってくれた子なんです。だから、申し訳ないですし、ずいぶん可愛いんですよ、父も私も」
わかります、と弟が涙ぐんで目元を抑えていたが、ティッシュの箱を養護教諭にぽんと投げた。
金沢先生を見ると、彼女もまた泣いているようで、受け取ったティッシュで顔中を拭いていた。
「いや、なんか・・・ちょっと改めて聞いたら、かわいそうになっちゃって・・・」
環の姿で、五十六は、おんおん泣き出した。
そういえばそうだ。母と別れて以来、誰かに育てられたか、と言われたら甚だ疑問なのだ。
強いて言えば、面倒を見てくれたのはしなのだが、彼女だってやはり親ではない。
「大丈夫です!お兄さんっ。高久くん、進路も決まりましたし、頑張るって言ってました!」
「そうなんですか・・・?!」
「えっ、えぇ!?」
環が驚いて立ち上がった。
遅い!だが、やっと決まったか!先生、待ってたよ!
「うん!前から薄々は思っていたけど警察官になりたいそうです!」
「・・・はあ?!」
五十六が机の引き出しから、ノートを取り出した。
環はノートを覗き込んだ。
見覚えがある几帳面な字が書いてあった。夫の字だ。
「・・・警察官になるには、エート、まず警察官になるための地方公務員試験というものを受けて、警察学校に入学し、半年ほど研修、勉強して、その後、卒業したら配属が決まる、そうです!」
一三はぽかんとしてノートと担任を見比べた。
「・・・警察官・・・それは、ものすごく意外ですが・・・」
ちょっと前まで、マジ南の島で遊んで暮らしてーとか言っていたのに・・・。
警察官のような社会の規範となるような職業に憧れを抱いていたとは・・・。
「は、反対なんですか?!」
「いや、実際なれるかどうかは別として、応援したいですが・・・」
良かった、とほっとしたように金沢環の姿で高久は微笑んだ。
思わず見とれてしまって、一三ははっとした。
「・・・今日はありがとうございました。私も一度会社に戻りますので、弟を送っていこうと思います。そろそろ失礼します」
「は?あ、いえいえ。・・・こちらこそ、どうもありがとうございました・・・」
ぺこりと頭をさげる。
環もリュックを持つと、ぺこりと頭を下げた。
なにか言いたそうだったが、そのまま二人は保健室を出た。
「いや、知らなかったなあ・・・、いそ、警察官になりたかったのかあ・・・」
兄がしみじみと言った。
「・・・え、えー・・・うん・・・?」
こっちこそ全然知らなかった・・・。
不良少年が警察官になるなんて、昔のドラマのようだが・・・。
警察官試験・・・どのくらい難しいんだろう・・・。
警察官では無く、地方公務員試験、いわゆる県や都府に勤務する職員の方だけれど。
その試験勉強は、大学時代にほんのちょっとかじった事はあるのだが。
過去問見てみないとわからない。
ああでも、まさかそれまで自分が受ける事になるとは思いたくないが・・・。
「・・・なあ、いそ・・・」
「は、はい!?」
ぼんやりした様子の一三が保健室のドアを眺めていた。
「金沢先生って・・・彼氏いるのかなあ・・・」
「へ・・・?は、はあ・・・!?」
環は驚いて、隣のはにかんだ笑顔の男を見上げた。
数日後、環宛に、笹かまと牛タンとずんだ餅という山のような仙台土産が届いた。
「・・・あいつ、何考えてんだぁ?」
高久は兄の真意を測りかねながらも、笹かまを二個いっぺんに口の中に放り込んだ。
「んあああ・・・うめー・・・。やっぱ笹かまはただの蒲鉾じゃねーわー・・・蒲鉾の王様。・・・このチーズ味とサラミ味いっぺんに食うと口ん中でハーモニーが広がる・・・最高。よし、次、甘いもん行くか・・・」
保健室のテーブルに笹かまとずんだ餅を積み上げる。
「しょっちゅうライン来るんだよな。金沢先生がどーたらこーたら・・・」
早速、警察官の筆記試験の過去問を開いていた環が顔を上げた。
「・・・これ以上話を複雑にしないでちょうだいよ?・・・ね、本気で警察官になりたいわけ?」
警察官試験の過去問を解きつつ、環が尋ねた。
「・・・ああ、やっぱり、私ここ間違ってた。苦手なのよね、放物線の問題って。・・・・ちょっと、この試験、結構難しいよ?時事問題多いし。あんた、ちゃんと新聞読んだりニュース見てる?・・・・あのさ、どう考えても、私が勉強しても仕方ないんだけど・・・」
「だってよ。万が一、試験までに体戻らなかったらどーすんだよ?」
「私に警察官なんか務まるわけないじゃないのよ・・・婦人警官ならまだしも」
機動隊になんか配属されたらどうしたらいいのだ。
「俺が婦人警官じゃおかしいだろ!?あとさ、兄ちゃんには、先生には旦那いるって言ったからさ。ダイジョーブダイジョーブ」
「そう?ならいいけど。・・・えーと、警察官になるにはね、高校卒業程度、大学卒業程度って試験が別れてるんだけど・・・。うーん、大学進学は考えてないの?」
「なんか俺、もうベンキョーとかより、仕事を覚えたいんだよねー。警察官か、大工さんとかやってみてえ」
「・・・大工さんかあ。手先器用だもんねぇ・・・。うちは工業高校じゃないから、建築系の情報ないもんなあ。駅前に職業訓練学校っていうのがあるんだけど。一回見学行って来ようかなあ・・・」
技術職を育てるためのかなり実践的な学校だ。
「俺も行く!」
「そうね。本人が見るのが一番だからね」
職業訓練学校に見学者随時募集という垂れ幕がかかっているのを見たことがある。
「かっけぇなあ。親方とかいんのかなあ・・・」
「東海林君はJR受けたいらしいし・・・。結構みんな、意外なんだよね・・・」
「えー。だって、東海林、マジ鉄道オタクじゃん。休みになると、青春18きっぷで一人であっちこっちの鉄道乗りに行くんだ。ほんでどっかの駅のネコ駅長とかの画像送ってきたりするし」
「へえ・・・。そうなんだ・・・」
「たださ、あそこんち、そこそこデッカイ病院じゃん。うちも父ちゃん会社やってるけどさ。兄ちゃんいるし、俺には全く向いてないからうるさくないけど。あいつ医大行かなくていいんかねえ?」
「・・・うん、だよねえ・・・・。理解あるお母さんみたいだけど・・・」
三者面談までに話を聞いておかなければ・・・。
「って、私この姿じゃ聞けないしなぁ・・・・」
もうなんでこんなことに・・・。
不甲斐ない・・・。
三者面談なんて大役をこんなアホに任せなければならないなんて・・・。
「あ、まただ。ウッゼーなあ」
五十六が舌打ちをした。
「また兄ちゃんからだ。あー、笹かまうまかったよっと・・・。今度は先生に名古屋土産送るって。先生、ういろうと、味噌カツどっち好き?」
「え・・・味噌カツ?」
「はいはいっと!」
「じゃなくてさあ。・・・なんで?ちゃんと説明したんでしょ?」
「ああ?旦那いるって?言ったよー。しかも警察官だって。感謝のつもりなんじゃねえ?あいつ、父ちゃんに転勤ばっかさせられて、友達少ないしな」
ほぼ毎年、東と西を行ったり来たりしているのだ。
来年あたりは、北海道か九州に転勤じゃない?と他人事のように父が言っていたのを思い出して、五十六は、北海道ならカニ、九州なら明太子かと舌舐めずりをした。
五十六は煮込みハンバーグをチンしながら、カステラを一本食いしていた。
「このザラメくっついてるカステラうめーよなあー。最初に考えたヤツ、天才!」
一三の持参したカステラは、職員室で一切れずつ皆で食べ、残りは持ち帰った。
「全部同じ味つうのが気が利かねえよなー。抹茶とか、大納言とかあるのによー。お?」
また、メールが入った。
「・・・また先生の話か・・・。いいかげん、キショ・・・」
自分の身内がこうだとひくわ・・・。
先生の様子だとか、好きな物だとかをいちいち聞いてくるのだ。
「ま、スリーサイズぐらいなら教えてやれるけど・・・。・・・先生にバレたら殺されるな・・・」
週毎に腹がきつくなり、ウェストのサイズが大幅アップになったことは環には伏せておこう。
女の消費カロリーはかなり少ないのだろうか。
ちょっと食べるとすぐに体が重く感じる。
「いい加減にしろ。何のつもりだよ。・・・送信っと」
二本目のカステラを食べようと桐の箱を開けた。
「・・・返信爆速男め・・・どれどれ・・・?」
内容を確認しながら蓋を持ったが、驚いて取り落とした。
「いやいやいやいや・・・。無理だろーーー!」
《結婚を前提におつきあいしたいと思っている》
という浮かれた文章と、ハートを抱いたパンダのスタンプが躍っていた。
1
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
Bグループの少年
櫻井春輝
青春
クラスや校内で目立つグループをA(目立つ)のグループとして、目立たないグループはC(目立たない)とすれば、その中間のグループはB(普通)となる。そんなカテゴリー分けをした少年はAグループの悪友たちにふりまわされた穏やかとは言いにくい中学校生活と違い、高校生活は穏やかに過ごしたいと考え、高校ではB(普通)グループに入り、その中でも特に目立たないよう存在感を薄く生活し、平穏な一年を過ごす。この平穏を逃すものかと誓う少年だが、ある日、特A(特に目立つ)の美少女を助けたことから変化を始める。少年は地味で平穏な生活を守っていけるのか……?
鷹鷲高校執事科
三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。
東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。
物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。
各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。
表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる