ステュムパーリデスの鳥 〜あるいは宮廷の悪い鳥の物語〜

ましら佳

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166.龍現ふたり

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子供、それが何だ。家令なら成人だ。それに足るように教育されていた。
自分よりも年嵩の姉弟子や兄弟子なら逆に激昂したかもしれない、悲嘆に暮れたかもしれない。
そうではなかった自分はやっぱりそう、子供だったのだろう。
放り出すにしても、どう考えても三年では無理である事、どうか五年下さいと頼み込んだのだ。

かつての総家令達の日記をあれこれ引っ張り出して、翡翠ひすいに見せた。
歴代の総家令達が、あらゆる可能性を考慮して、その時々に応じた雛形を残していたのだ。
それは、総じて注釈付きの。
なるだけ噛み砕いた言葉、まるで時を経て今、まだ子供の孔雀くじゃくがこれを読むとわかっているかのように言って聞かせるように。
お前も大変だと思うけれど、辛いこともあろうけれど、何とか切り抜けなさい、どうか挫けぬようにと、それぞれの思いが書き込まれてあったのだ。

翡翠は悠長にしていては孔雀が成人の年になってしまうと渋ったが、初代の総家令である鶺鴒せきれいの、もはや文化財のように古めかしい日記に、総家令の務めとしてという箇条書きの中に、皇帝が自らの意思で権威を他に移譲する場合速やかに努めよ、という一文を見て、決心したようだった。

「私、それで翡翠ひすい様が刑だの罪だのに問われて、私もそうなるとしたらそれはそれで構わないと申し上げました。・・・まあ結局、五年どころか十年かかってもまだ片付か無いことばかりです。・・・でも、そう遠くない未来に果たされると思います」

頑張ったの、と、ちょっと威張っていうのがおかしい。
人知れずそれだけのことを二人で積み上げてきた自信があるのだろう。
真鶴まづるは深く息を吐いた。

「お前ったら。わかってる?お前は翡翠ひすいに生きるも死ぬも貴方とならと言ったのよ。・・・そんな、お前、そんな事言われたら・・・」

だからあの不感症が化学変化を起こしたのか。
真鶴まづるは、ああもう、と、立ち上がった。

「いいわ。ならば思ったようにすればいい。家令の事は家令で済ませるのが鉄則ね。孔雀くじゃくに任せるわ」
真鶴まづるお姉様・・・」
「・・・まったく。あんたの小悪魔っぷりには参るわ!・・・・いいこと。ならば、私もお前もこんなとこにいられないわよ。あの二番目はやっぱり二番選手よ。A国は制服組の前任のトップを出してきた。Q国は、母后が出てきたようだもの」

小悪魔とは思わないが、姉弟子にはそう見えるようだ。
それよりも孔雀くじゃくは驚いた。
今まで母后はむしろ無関心な様子だったのに。
母后が元家令と言えど、この場合友好的な交渉材料にならないのは見えている。
彼女も息子に、より有利で豊かな状態で国を預けたいからだ。
A国は、戦艦を二つ沈められた恨みもある。
これで二国に結託でもされたら、下手をしたら国ごとすり潰される。

「このままじゃまた戦争になる。あとは、国土の分捕り合いよ。お前がなるだけ小さくまとまった形で、国の形を整えて次に渡したいならば、どうあっても、血を流すわけにはいかないよね。役にも立たない二番目の王子様といちゃついてる暇はないよ。ああ、一番目もあてにならないようだけど。まああっちは、人質くらいにはなるか」

意地悪くそう言っても、真鶴まづるは美しかった。

「覚悟しなきゃなんないのは、お前よ、可愛い孔雀くじゃく。お前がした事する事。それは私も翡翠ひすいも好ましいでしょう。けれど、あの二番目はどうかしらね。お前、嫌われるわよ。どうするの」

孔雀くじゃくは少しうつむいた。
姉弟子の言う事は正しい。
説明とか、よもや弁解など彼女の前にはいつも無意味だった。

真鶴は嫣然《えんぜん》と微笑むと、窓の外を見上げた。
遠くから、とどろく雷鳴のような音と振動。ヘリの音だ。

「ほら、あの荒っぽいのは金糸雀カナリアだ。・・・気の毒に、白鴎はくおうが締め上げられて口を割ったね」

孔雀くじゃくを迎えに来たのか、援護に来たのか。

「あの様子じゃ、金属バットでも持って怒鳴り込んで来そうだわ。・・・私をかばってくれる?」
「・・・もちろんよ。真鶴まづるお姉様に会えたら金糸雀カナリアお姉様きっと喜ぶわ。金糸雀カナリアお姉様も、真鶴まづるお姉様が大好きだもの」

孔雀くじゃくはベッドから飛び降りた。


 早朝、異常を察知した金糸雀カナリアが、白鴎はくおうが厨房に慌てて到着したのを待ち構えて折檻よろしく問い詰めたのだ。
それを聞いた金糸雀カナリアの様子と来たら、討ち入りにでも行くような有様で、どこから出してきたのか軽量マシンガンを何梃も出してきたのだ。
救助じゃないのか、討ち入りか、と言う天河てんが金糸雀カナリアは不敬にも舌打ちして言ったのだ。

「家令と家令が本気でぶつかったら、戦争です。・・・いいですか、相手は真鶴まづるお姉様です。私は今更、孔雀くじゃくをお姉様に渡す気はありません。お姉様にのそばにいると言うことは、その身をすっかり預けるということです。孔雀くじゃくは自分で生きるも死ぬも無くなります」

天河てんがは、まるで悪魔でも見たかのようにそう言う金糸雀カナリアに、無理やりついて来てしまったのだ。
しかし、思ったような大惨事にはならなかった。
それどこか、エントランスで出迎えた孔雀くじゃく金糸雀カナリアに駆け寄り、金糸雀カナリアに何かそっと耳打ちして、館の女主人よろしく現れた真鶴まづるがぎゅっと金糸雀カナリアを抱きしめた途端、ガラス窓でも蹴破りそうな勢いだった金糸雀カナリアは、突然おんおん泣き出してしまったのだ。
基本的に比類なき才媛と取り澄ましているこの女家令がこんな有様になるのが信じられずに天河《てんが》は立ち尽くしていた。

「一番おねえさんだから金糸雀カナリアお姉様がずっとがんばってくれたのよ」

孔雀くじゃく真鶴まづると微笑みあった。
思いがけず出会った叔母にあたる元皇女の女家令は、異常に美しかったが、同時に確かに気味の悪さも覚えた。
記憶にある祖母の琥珀こはく女皇帝にそっくりで、それをさらに凶々まがまがしくしたような目でこちらを見ている。
彼女はじろじろと天河《てんが》を見て「なんでお前がいいのかわかんないわ、孔雀《くじゃく》はきっと乱視が進んだんだね。輪郭がはっきり見えないんだわ。・・・おお嫌だ」
と心底嫌そうに言った。

「何よ、言いたい事あれば言えばいいじゃないの、補欠」と、喧嘩腰の真鶴まづるに、天河てんがは「王族っちゃ大体皆感じ悪いけど、あんたはその王族すらクビになったんだろ。相当トチ狂ってんじゃないの」と言い、真鶴まづるが怒鳴り返して、ちょっとした修羅場になった。

初対面の出会いと共にこの二人の相性は最悪のようだ。
王族に龍現りゅうげんが二人現れると、戦乱となると言われているけど、これはそもそもソリが合わないという事もあるのかもなあと孔雀くじゃくは呑気に思った。
真鶴まづる天河てんがは相手を呪い合うかのように睨み合って、孔雀くじゃくにお互いの悪い印象を訴えた。
それから、孔雀くじゃくはまるで、お茶会に招待されたかのように真鶴まづるに邸内のしつらえのあれこれを褒め、丁寧に礼をして、姉弟子と再会を喜んだ金糸雀カナリアが運転するヘリで共に帰投したわけだが。


 その晩、孔雀くじゃくは居ずまいを正して、天河てんがに告げた。

天河てんが様、これは、貴方が間違いなくお優しく、正しいからですが。私のことを知れば知るだにお嫌いになる事と思います。それでも私をと望まれるのであれば、私も覚悟を決めます。そうでなくとも、私はお恨みする事はありません」

立場を弁えた発言と聞こえるが、実際は、自分を望まぬのなら、そんなお前に未練なぞない、と孔雀くじゃくは言ったのだ。
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