ステュムパーリデスの鳥 〜あるいは宮廷の悪い鳥の物語〜

ましら佳

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165.皇帝の真意

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 孔雀くじゃくはそっと息を吐いた。

「・・・私、本当は。全部、放り投げて来たの。全部よ」

万が一自分が戻らなかったらと雉鳩きじばとに分厚い資料と総家令の鍵を渡してきた。
これからの行く末を何通りか描いた青写真と総家令が開けることの出来る宮城の全ての部屋の鍵。総家令達の日記が収められた木箱の鍵。
雉鳩は頭を抱えたが、やはり、白鴎と同じように、好きにしろ、と言って送り出してくれた。

「良かった。真鶴まづるお姉様には淡雪あわゆき先生がいてくれたのね」

この誰をも惹きつけてやまない彼女が寂しくしている姿なんて有りえないけれど、それでも彼女に伴侶と呼べる人がいたのは嬉しかった。

「でも、淡雪あわゆきはもう居ないのよ」

だから、代わりに自分が欲しいというのだろうか。
この人らしい。
私の代わりが淡雪あわゆきだったと言いたいのだろが、そうではない。逆だ。
最初はそうだったかもしれない。でも今となっては淡雪が恋しくて、孔雀くじゃくを欲しがる。
でもこの姉弟子の事だ。
自分の意に染まぬとなれば、この身ひとつで済むわけがない。

それにしても、真鶴まづるを取り巻く想像以上の潤沢な資金、広範囲の情報網。
一体、どうやって。
孔雀くじゃくが思い当たるのは、確かにヘルメスの組織的なものと、あとは、アカデミーだ。真鶴まづるはアカデミーに多大な貢献をした事によって、とても若いうちから数人しかいないアカデミー特別委員になっていた。
知識を志すものに広く門戸を開放し、才能ある者には望む全てを与える事が信条のあの組織は、その対象が優秀であれば、犯罪者でも悪魔にでも力を貸すだろう。
恐ろしい事だ。そんな組織と、ヘルメスの思想が共感した。
アカデミーの教授達の多くが、シンパなのではないだろうかとすら思う。
彼らが孔雀くじゃくの前で、よく淡雪あわゆきと旅先で会ったなどと話題にしたのもフェイクだったのではないか。
もう、その頃、彼は死んでいたのではないか。

ヘルメスという意識体の恐ろしさにため息が出る。
そう思っているうちに習慣になり、文化になり、宗教になり、歪んだ正義になる。
家令はそのうち、抹殺されるのではないか。
孔雀くじゃくは不安を感じた。

総家令としてここまで生きてこれたのは、確かに、途中までは真鶴まづるのお陰なのだ。
きっと、あの姉弟子はどこか高みから見つけてくれる。
自分も同じとはいかなくても、少しでも高く昇れば、姿くらいは見えるかもしれない、そう信じていた。

まだ二十歳にも満たない小娘が、心の拠り所にしていたのは間違いない。
自分よりずっと年かさの人間達、母親より父親よりも、祖母より祖父よりも。
元老院だの議員だの貴族だの、ギルドだの。
そんなの小娘にとったらどうでもいい肩書きの人間達から罵声を浴び、陰湿な計略を仕掛けられても。継室から疎まれようと、女官から怨恨めいた視線を向けられても、軍において限界を超えた訓練や、凄惨な前線の戦闘の場においても、外交の場で、あるいは議場で、二百を超す人間に責め立てられても、孔雀くじゃくは平気だったのだ。
真鶴まづるにいつかたどり着くと決めていたし、姉弟子や兄弟子がいてくれたから。

「・・・瑠璃鶲るりびたきお姉様と、川蝉かわせみお兄様が亡くなったの・・・」

親しい姉弟子や兄弟子を看取らねばならない。それは総家令の義務だ。
二人とも苦しんで死んだ。まるで呪いのように。
それだけが、辛くて怖くて仕方なかった。
苦しんでいる兄弟子や姉弟子を厭う程に、憎む瞬間がある程に、辛い姿だった。
戦場で数えきれぬ人間を殺してきた自分が何を怯えるのだろうと思えば思うほど、怖くて悲しかった。

ふくろうがいつかわかると言ったように、あの小部屋の総家令達の日記の入った箱の前の床のそこだけ磨り減った床に自分も足をつけて、立ったり座ったり、うなだれて泣いたりしていた日々のなんと多かった事か。今までの総家令もそうしてきたように。

しかし、瑠璃鶲るりびたきが死んだ後、帰還したはずの孔雀くじゃくの姿が見えないと心配した翡翠ひすいがあの小部屋を見つけたのだ。
これ棚じゃないのか、と驚いた様子だったが、その中でめそめそうずくまっていた孔雀くじゃくを見つけると、そのまま何も聞かないで一晩近く抱いて慰めていてくれたのだ。

翡翠ひすい様がいつも慰めてくださった。・・・あなたはいなかったわ」

孔雀くじゃくが顔を覆った。

「いなかったのよ。私が、あなたが淡雪あわゆき先生を亡くして寂しい時に、そばにいれなかったように。それは、私たちが受け入れなければならないこと」

道はもう分《わか》たれたという事。

「・・・ねぇ、孔雀くじゃく。私は、そう、結構いろんな事を知ってる。城であちこちくすぶっている熾火おきびも、よどんだ底なし沼も。もういいよ。孔雀が引き受けることなんてない。翡翠ひすい雉鳩きじばとにおっ付けて、天河てんが大嘴おおはしに放り出してやりな。お前は私といればいい」

真鶴まづる孔雀くじゃくの頬を両手で包んだ。
懐かしい青菫あおすみれ色の瞳が真っ直ぐ見返して来る。
別れより今まで、この妹弟子に何が起きたのか大体把握はしていたけれど、彼女の内面世界に果たして何が起きたのか等、想像もしなかった。
それは自分にとって必要ではなかったから。
おとなになったと言ったが、確かにそう。
華やかでくらい宮廷で、果たしてその身も心も削られ、毒に染まったろうと思ったが、そうではない。この妹弟子は鍛えられたのだ。
真鶴まづるはその逞しさを喜び、そして疎ましく思った。
もう、自分は必要ではないのか。
子供っぽい悲しさが、恨みや怒りに変わるほんの少し前に、孔雀くじゃく真鶴まづるの首に手を回して抱きしめた。

「・・・私達が一緒にいれない理由などいくらでもある。でも、真鶴まづるお姉様、私の近くにいて。・・・もうどこにも行かないで」

孔雀くじゃくはべそをかきはじめた。
泣いているのは多分、小さい頃の自分だ。
真鶴まづるに置いて行かれて、寄る辺ない日々をただ泣き暮らしていた頃の。
真鶴まづるは決めかねているかのように、ため息をついた。
即断即決、いるものよりいらないものが多く、いらいものなど未練なく放り出す彼女の初めて見る戸惑い。

真鶴まづるお姉様。・・・翡翠ひすい様が私を総家令にしたのは、真鶴まづるお姉様への嫌がらせとか、錯乱したからとかじゃないのよ。お城の人が言うように、小娘に誑《たぶら》かされたわけでもない」

真鶴《まづる》はじっと孔雀《くじゃく》を見つめた。

「・・翡翠《ひすい》様は、三年で、政権を新政府に移譲されるおつもりだった。ほとんど放り出すようなやり方で。皇帝とそれに連なる王族のお持ち物全て、お身柄も新政府に預けるという担保です。そんなものどうなるかなんてわかっていて。誰もが納得する方法だって。・・・何で私だったかは、私が子供だったから。家令の成人は十五だけど。本来一般人の成人は二十歳。あの時、三年たったら私は十八。未成年は刑を免れるかもしれないからというお考えだったの」

翡翠ひすいは国のあり方を変えようとしたのだ。
極端に言えば、形だけをすっかり変えるためならクーデターでもいい。
その際、罪に問われるのは、皇帝と近しい王族、そして総家令、家令達。
とにかく皇帝と総家令の重刑は免がれないだろうと。
その時に、孔雀くじゃくがまたこどもなら、酌量の余地はあると。
皇帝によって半ば公式寵姫のようにして総家令にされたとなれば尚都合がいい。
孔雀くじゃくはそれを聞いて、茫然とした。
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