ステュムパーリデスの鳥 〜あるいは宮廷の悪い鳥の物語〜

4.

114.火喰蜥蜴

　硅化木けいかぼく宮の応接室で、孔雀くじゃくと緋連雀ひれんじゃくが一宮家の主人である一宮隆東いちみやたかとうと妻の里加さとかと対峙していた。
女官長も同席し、重々しい空気の中、一宮家の弁護士が、孔雀くじゃくに書類を差し出した。

「・・・拝見致します」

並んでいるのはつらつらとした文字の羅列ではあるが、これはつまり請求書だ。孔雀くじゃくは一読してから緋連雀ひれんじゃくに手渡した。

「・・・こちら後ほど精査させて頂きます。ですけれど、四妃様の御身の上に関わります事をこの場で決定する事は出来ませんので」
「なぜか。宮廷に関わる事は、総家令殿の匙加減ひとつのはずでしょう。かわいそうに四妃様はお心を塞いでらっしゃる」

一宮が隣の弁護士を振り返った。
静養先の離宮には四妃の為に金糸雀カナリアと白鴎はくおう、典医の黄鶲きびたき、副女官長を同行させた。
だからこそ一宮は、報道官で弁護士でもある金糸雀カナリアと、最近宮廷で力を持ち始めたギルド長の息子である白鴎はくおうが不在なのを見計らってやって来たのだろう。

「一宮様。私の一存で決定できる事など、思うより少ないと存じます」

里加夫人が横目で微笑みながら孔雀くじゃくを一瞥した。

「総家令。貴女、だから陛下におねだりしていらっしゃるのでしょう。・・・ご存知かしら。今、宮廷ではあなたが嫉妬して四妃様に毒でも盛ったのではないか、なんて噂されているそうですけれど」

女官長がきっと里加さとかを睨みつけた。
女官がそう噂を流しているとでも言うのか。
しかし、女官長と言えど、相手は継室の両親、大貴族である。
宮の主人の許可が無ければ発言は出来ないのだ。
家令である鳥は囀さえずるけれど、女官の蝶は舞うばかり。それは後宮の鉄則。

「・・・まあ。怖い。女官が不敬よ」
「噂ですよ。女官長殿。まさか貴女方に不手際があろうとは言っていません。この度の離宮行きも。御子を無事産めなかった四妃様を疎んじて陛下に押し付けて城から追いやったのだとか・・。後宮の慶事は総家令の実績ですからね」

孔雀が自分の役に立たなかった継室を追い出したと言いたいのか。

「・・・一宮様、奥方様」

孔雀くじゃくが口を開いた。

「・・・この度、とても悲しい事でした。まだお気持ちの安まらない四妃様を離宮にとお誘いしたのは確かに私でごさいます。ご実家で静養をと言うお声も頂きましたが。その選択肢は私にはございませんでした。・・・なぜかは、おわかりと存じます」

皇帝が、妃を実家に返せと言ったのか、と一宮ははっとした。
孔雀くじゃくは穏やかな静かな声で、にこやかに微笑んでいた。

こういう時、この女は猟奇的ですらあると緋連雀ひれんじゃくは思う。
静かにギアを変える。
その纏まとう空気が、唇を動かす声までも変化したと感じるまでに。
例えば、前線でそうであるように。
となれば、この城もやはり戦場か。
姉弟子である緋連雀ひれんじゃくはいつものように平然とつんとしていたが、彼女以外のその場にいた人間が孔雀くじゃくを異質なもののように感じていたろう。

「・・・一宮様。私は神に侍はべる神官でございます」

意図がわからず、夫妻は、妙な顔をした。
「私は存じ上げませんが、一宮様と奥方様の御縁のご祈祷は、神殿オリュンポスの表院で神官の鷂が執り行わさせて頂いたとか。また、ヴァルハラではそれは豪華なお式であったとか。お式は、大司教の、大嘴の伯父様でしたね」
それが何だという顔をする。

「一宮様の御縁に関わります事は、宮廷に置きましてそれ以降も以前も記録がございません」

夫妻が顔色を変えた。
それ以外の人間は、何の事かと不審気に孔雀くじゃくと一宮夫妻を見ていた。

「後宮に后妃様方が入宮された場合、特にお母上様がお心配りをされるものでございます。この度もいづれもその通りでございまして、大変に感謝申し上げたく存じております」

一宮夫人が眉を寄せて唇を歪めた。

「総家令。・・・鷂はいたか、神殿のあの不良巫女の淫らな事。その後、司教にお成りになった当時の大司教様の甥をたぶらかして、辞めさせたのは誰もが知る事です。・・・妹である貴女も姉と同じ事をしているということかしら。家令というのは嫌らしいことね」

里加さとかが孔雀くじゃくと緋連雀ひれんじゃくを見た。
孔雀くじゃくがそっと息を吐いた。
それを吸い込むようにして、緋連雀ひれんじゃくが口を開いた。

「・・・まあ、さすが一宮様の奥方様。殿方の習性をよくご存知ですこと」

孔雀くじゃくが、ダメよ、お姉様。と唇で言ったが、姉弟子は、黙ってな、と唇で返した。

「陛下もそのような妹弟子をご寵愛なのは事実ですし。四妃様も気に病まれるのもわかりますわ。・・・今思えば、きっと、奥方様もお悔しく思っていたらしたのでしょう。ええ因果は巡ると言いますものね。・・・私ったら」

何を言い始めたのだ、と孔雀くじゃくは緋連雀ひれんじゃくを振り返った。
女官長が、あっ、と思い出したように小さく叫んだ。

「・・・男の方って。お側にいらっしゃる女性で変わったりするものですものね。陛下はだいぶ変わりましたものねえ。四妃様を離宮にお連れになるのをお許しになったくらいですもの」

この姉弟子はやはり肉食獣というより猛禽もうきん類のようだ。
緋蓮雀ひれんじゃくなんて可愛らしい小鳥の名前なんて相応しくない。
いや、猛禽もうきんの鷲わしや鷹たかというより、やはり火喰蜥蜴サラマンダー。
恐竜ティラノサウルスの生まれ変わりとかねえ、と孔雀くじゃくは半ば感心して、するどい牙で貴族夫妻を切り裂き啄ついばみ始めた姉弟子を見ていた。

「一宮様はお変わりになりませんのねえ。・・・ああ、補償だ賠償だと仰るけれど、私がして頂きたいくらい」

まさか、この姉弟子は彼と何か・・・。
女官長と目が合うと、彼女は孔雀くじゃくに小さく頷いた。

「本当に、ちっとも良くなかった。本当に。・・・奥様、こんなお粗末さで問題なくてらっしゃるの?でしたら並大抵の忍耐力がおありになるか、または感受性が特殊でいらっしゃるのでしょうねぇ。・・・何なら家令の誰かご紹介致しましようか。なにせいやらしいからいい仕事しますことよ。まあ・・・相手が奥様ですからねえ・・・タダではちょっと・・・おいくらかご用意して頂けましたら」

一宮が青くなり、里加さとかが怒りで顔面が白くなった。
女官長は空を仰いだ。

「・・・お姉様、な、なんてこと言うの・・・。・・・え?っていうことは・・・緋連雀ひれんじゃくお姉様、一宮様と・・・?」
「そうよ。だって本当のことよ。この方、時間は何分だったかしら、何秒だったかしら。内容は話すまでもないけど。言う?」
「・・・やめてよ!デリカシーないんだから!・・・・でも、お姉様、私、一宮様の分の帳簿書いた覚えないわ」

この姉弟子なら、例え夫にだってマケてやるから五千円くらい払えと言いそうだ。
タダ乗り等あり得ないだろう。
緋連雀の戦利品を帳簿につけて整理したのは孔雀くじゃく。
しかし、その名前は無かったはずだ。

「ああだって。茶碗だから」
「お茶碗・・・・?」

孔雀くじゃくも女官長も話が見えない。

「だからさあ、この緋連雀ひれんじゃくの相手をするなら、株券か現金、または土地の権利書ってのが当時の宮廷の常識だったの。通貨だよ、通貨。・・・ぜひにってこいつが言うからさあ。そしたらあの不完全燃焼な軽作業な上に、出してきたのが茶碗よ。きったねえ茶碗」
「・・・失礼な!あれは、当家の家宝と伝えられるものだ」
「それを当主の母親の目を盗んでかっぱらってきたんだろ。・・・調べたら、どこが家宝だよ。偽モンじゃないか」

え、と一宮が呆然とした。

「本当ですことよ。私の師匠に見せたら、偽モンだって言うんだから。マイナスになるようなもの、この緋連雀ひれんじゃくの売り上げ台帳に載せれないわよ!」

緋連雀ひれんじゃくの師匠は、画聖と言われる人間国宝で、絵画ばかりか美術品にも詳しい。

「・・・まあ、淡雪あわゆき先生がそう仰るなら、間違いないわね・・・」

孔雀くじゃくも頷いた。

彼の鑑定眼には定評があり、今までも国内外のいくつもの埋もれた絵画や美術品を世に送り出してきた。
彼の鑑定書のついた絵画は大変な価値がついている。

「・・・あら?・・・じゃあ・・・。淡雪あわゆき先生って翡翠ひすい様のお友達だもの。その顛末てんまつは翡翠ひすい様もご存知なんじゃない?」

孔雀くじゃくがそう言うと、一宮夫妻が顔面蒼白になった。
孔雀くじゃくは思い出して姉弟子の袖を引っ張った。

「・・・・緋連雀ひれんじゃくお姉様、昔、突然、マロにくれた水入れって・・・・」
「ああ、そうそう。それ。あんたの雑種犬にあげたやつ。アンタ、皿だの茶碗、好きだからさ?」
「・・・やだ。そんな理由のお茶碗だったの!?しかも偽物・・・。緋連雀ひれんじゃくお姉様、私、知ってたらいらなかったわよ、そんな茶碗!不潔!・・・だからマロは死んだのよ！このおじさんとお姉様のせいなの？！」
「何言ってんのよ。アンタの犬はネズミ捕りの殺鼠剤入の米食べて死んだんでしょ。アンタと一緒でなんでも食うからよ」

孔雀くじゃくはかつての愛犬の亡骸を思い出して、ひどい！と泣きそうなった。

「もう本当にお姉様、一回病院行って！」

孔雀くじゃくははっとして一宮夫妻に向き直った。

「一宮様、奥様も。こういう場合はどちらかではダメで両名でなければならないんです。・・・あの、よろしかったら良い病院ご紹介致しますか?検査された方がよろしくてよ。秘密は絶対に守ってくれるんですよ。一宮様も奥様も、他にも関係がある方いらっしゃるなら、正直に窓口申告されて。・・・感染症のウィルスや細菌というのは恐ろしいんです。ちょっとお水や石鹸で洗ったくらいじゃ落ちないんですよ？」
「やだぁ、バイキン扱いじゃない」
「バイキンよ！！お姉様もよ！！」

真剣に言う孔雀くじゃくに、緋連雀ひれんじゃくは笑い出し、女官長も笑いを堪えるのが精一杯。

その後、一宮夫妻は、しばらく城には寄りつかなかった。
後日、その話を女官長から聞いた翡翠もまた大笑い。

「緋連雀ひれんじゃくの素行不良も何かの役には立つもんだね」

と翡翠ひすいは呑気なもの。
この女官長もまた緋連雀ひれんじゃくには手を焼いてきたけれど。

「孔雀くじゃくちゃんの、不潔とバイキンと病院行けがトドメでしたねえ」

難しい年頃を引きずったあの総家令。

「・・・ただ。少しよくわからないなことを言っていました。一宮様の縁に関することは、後にも先にもそれっきりとか。それから奥様。確かに入宮された正室様やご継室様と外とのやり取りを、ご実家のお母様が中立ちになられる事が多いのですけど。失礼ながら、一宮樣のご細君はそれほどではございませんので。総家令が感謝を申し上げる程ではないと思います。どういうことかしら」

翡翠ひすいは、さてね、とだけ言って笑った。