96 / 211
3.
96.守護聖人
しおりを挟む
しかし、今こうして孔雀を前に翡翠の懊悩は霧散した。
自分に、こうして触れる事の出来る現実のいかに大切かを理解させたのは、目の前の孔雀だ。
「・・・さて。何をすればいいのかな。可愛い人」
孔雀は笑った。
「では、この度の褒章を頂きたく存じます。前線を守護し、救命に尽力した鸚鵡お兄様に格別のお情けを賜るわけにはまいりませんか」
鸚鵡を許せ、という事か。
翡翠はちょっと考えてから頷いた。
ぱっと孔雀の顔が輝いた。
「・・・翠玉とは本当に通じていないのか、確認してからだけどね」
「まあ、翡翠様・・・。鷂お姉様が言うには、私も鸚鵡お兄様もフラれたそうです・・・」
悲しくなるが事実だろう。
孔雀は自分で言ってショックを受けた。涙が出そうだ。
「・・・わかった。わかりました。・・・では、鸚鵡は来月一日から、宮城の出入りを許可するよ。・・・それから青鷺にもね。一度顔を見せたら私が喜ぶし、芙蓉が待っているだろうと伝えて」
特別に王族の霊廟の訪問を許可すると加えた。
孔雀は感激して頷いた。
「お優しい方。・・・私達は貴方にいくら感謝してもしきれません」
いつかその時が来たらと、真珠の首級を保管し、巫女愛紗に預けていたのは翡翠《ひすい》。
大鷲と共に葬ってあげるようにと。
巫女愛紗は大鷲の実姉に当たる。
大戦で負傷し、それでも生き延び老いた姉弟子がどれだけ感謝していたか。
「でもね。悲しい思いをさせたのも私。これが贖いになるとは思わないけれど」
「いいえ。翡翠様。家令は戦場で死んだとしても、政変で死んだとしても、誰も不満を口にする者などおりません。我々は実用品ですから、用に足ればそれでいいのですもの。だけど、そのお心遣いがあればこそです」
孔雀が総家令となり、実家に帰るとごねた時。
翌日から翡翠は孔雀に、手の内を、心の内を話すようになった。
何日もかけて、孔雀は絆され、そして、この人の総家令になろうと決めたのだ。
兄弟子も姉弟子も、本当に嫌ならやめちまえ、真鶴がいないんなら、ほら、藍晶でも天河でも担いでいずれクーデターでもやるか、等と言う。
彼らはそれが妹弟子にとって慰めなのだと本気で思っていたのだ。
けれど、孔雀が、翡翠が真珠の首を保管している事、それは巫女愛紗の元にある事。
「いつか、大鷲と弔えればいいと思う、と言われた。私はあの方のお気持ちに応えたいと思う」と言うと。
兄弟子や姉弟子は、驚くほどあっさりと納得してくれたのだ。
その事実は、自分のように、姉弟子や兄弟子の心を打ったのだ。
「・・・・お優しい方。私達、翡翠様が大好きです」
正面からそう素直に言われて、翡翠は感動すら覚えた。
生贄とまで言われた小さな家令は、見事な女家令に成長した。
なんという福音だろう、と翡翠は感謝したい気持ちで。
孔雀は、実は大鷲の残した日記を持っている。
名前すら死体すら残さぬ厳しい記録抹消罪だと言うのに、木ノ葉梟が必死に守ってくれた。
それを託されていたのだ。
「・・・大鷲お兄様は、天眼持ちで、大神官の修練を途中までとは言え修められたくらいの優秀な神官です。総家令にもなった。・・・本当は、その成れの果てを見るのが、私、怖かったんですけれど・・・」
そもそも神殿の神官、巫女家令でもある自分ではあるが、また大鷲も同じような立場であったのだ。
実際に聖堂の再建作業に携わり、彼の心を辿るような経験をして、自分と共通点も多く、会ったことのない兄弟子が、どんな境遇に身を置き心と身を堕としたのか知るのは恐ろしかった。
人間は環境や状況で体も心もいかようにも変わる。濃淡があれ、化学変化のように当然のように。
木ノ葉梟が残した大鷲の日記とその形見を見るにつけ、優しい兄弟子の人柄が偲ばれて、その分余計に怖かった。
母帝に背信、クーデターを起こしたとされて、真珠帝と大鷲は引き離された。
兄弟子の手記を読むだに、大鷲は真珠帝を愛していたと思う。
日記とは特別。その言葉、そして文字というのは不思議なもの。
優しく誠実で優秀な人柄が偲ばれるその文体が変化して行き、少しずつ彼が壊れていくのが垣間見えるようになる。
「ここしばらくで皇后陛下様から毒を賜り実際に服んだのは、大鷲お兄様だけであったそうですね」
それは、形式的なもので、今更飲まなくてもいいものなのだ。
それをまるで自分がジュースのように飲んでしまったのは、今思えば自分が無責任で無造作だったから。
芙蓉に言ったように、当時は、翡翠《ひすい》の事など、どうでもよかったから。
けれど、大鷲は違う。飲んで見せたのだ。
覚悟と言えば聞こえがいいが、俗な言い方をすれば、真珠帝の妻からの喧嘩を買ったのだ。
孔雀が数日寝込んだ程度は済まず、彼は生死を彷徨ったそうだ。
自分のため、真珠のため。
それほどまでに、兄弟子が愛した方だったとして。それなのに。
「私共は白鷹お姉様や梟お兄様から、真珠様がご自害されたと聞き及んでおりますけれど」
当時、翡翠の侍従だった川蝉がそう報告したからだ。
「・・・・けれど違いますね」
孔雀は確認したくてそう尋ねた。
翡翠《ひすい》は頷いた。
「川蝉はショックだったろうね。あれは自死ではないよ。・・・大鷲だと思う」
兄王が家令に殺されたと伝えても翡翠には何の支障もない。
翡翠は家令の名誉も守った事になる。
「家令は悪辣で淫らなものと言われはしますが、半身ともお慕いする皇帝を総家令が手にかけたとなれば、お姉様方やお兄様方の命は無かったでしょう。・・・お詫びと共に、感謝申し上げます」
間違いなく、翡翠は兄弟子や姉弟子の命を助けたのだ。
守護聖人はこの方の方だ、と孔雀はそっと礼をした。
自分に、こうして触れる事の出来る現実のいかに大切かを理解させたのは、目の前の孔雀だ。
「・・・さて。何をすればいいのかな。可愛い人」
孔雀は笑った。
「では、この度の褒章を頂きたく存じます。前線を守護し、救命に尽力した鸚鵡お兄様に格別のお情けを賜るわけにはまいりませんか」
鸚鵡を許せ、という事か。
翡翠はちょっと考えてから頷いた。
ぱっと孔雀の顔が輝いた。
「・・・翠玉とは本当に通じていないのか、確認してからだけどね」
「まあ、翡翠様・・・。鷂お姉様が言うには、私も鸚鵡お兄様もフラれたそうです・・・」
悲しくなるが事実だろう。
孔雀は自分で言ってショックを受けた。涙が出そうだ。
「・・・わかった。わかりました。・・・では、鸚鵡は来月一日から、宮城の出入りを許可するよ。・・・それから青鷺にもね。一度顔を見せたら私が喜ぶし、芙蓉が待っているだろうと伝えて」
特別に王族の霊廟の訪問を許可すると加えた。
孔雀は感激して頷いた。
「お優しい方。・・・私達は貴方にいくら感謝してもしきれません」
いつかその時が来たらと、真珠の首級を保管し、巫女愛紗に預けていたのは翡翠《ひすい》。
大鷲と共に葬ってあげるようにと。
巫女愛紗は大鷲の実姉に当たる。
大戦で負傷し、それでも生き延び老いた姉弟子がどれだけ感謝していたか。
「でもね。悲しい思いをさせたのも私。これが贖いになるとは思わないけれど」
「いいえ。翡翠様。家令は戦場で死んだとしても、政変で死んだとしても、誰も不満を口にする者などおりません。我々は実用品ですから、用に足ればそれでいいのですもの。だけど、そのお心遣いがあればこそです」
孔雀が総家令となり、実家に帰るとごねた時。
翌日から翡翠は孔雀に、手の内を、心の内を話すようになった。
何日もかけて、孔雀は絆され、そして、この人の総家令になろうと決めたのだ。
兄弟子も姉弟子も、本当に嫌ならやめちまえ、真鶴がいないんなら、ほら、藍晶でも天河でも担いでいずれクーデターでもやるか、等と言う。
彼らはそれが妹弟子にとって慰めなのだと本気で思っていたのだ。
けれど、孔雀が、翡翠が真珠の首を保管している事、それは巫女愛紗の元にある事。
「いつか、大鷲と弔えればいいと思う、と言われた。私はあの方のお気持ちに応えたいと思う」と言うと。
兄弟子や姉弟子は、驚くほどあっさりと納得してくれたのだ。
その事実は、自分のように、姉弟子や兄弟子の心を打ったのだ。
「・・・・お優しい方。私達、翡翠様が大好きです」
正面からそう素直に言われて、翡翠は感動すら覚えた。
生贄とまで言われた小さな家令は、見事な女家令に成長した。
なんという福音だろう、と翡翠は感謝したい気持ちで。
孔雀は、実は大鷲の残した日記を持っている。
名前すら死体すら残さぬ厳しい記録抹消罪だと言うのに、木ノ葉梟が必死に守ってくれた。
それを託されていたのだ。
「・・・大鷲お兄様は、天眼持ちで、大神官の修練を途中までとは言え修められたくらいの優秀な神官です。総家令にもなった。・・・本当は、その成れの果てを見るのが、私、怖かったんですけれど・・・」
そもそも神殿の神官、巫女家令でもある自分ではあるが、また大鷲も同じような立場であったのだ。
実際に聖堂の再建作業に携わり、彼の心を辿るような経験をして、自分と共通点も多く、会ったことのない兄弟子が、どんな境遇に身を置き心と身を堕としたのか知るのは恐ろしかった。
人間は環境や状況で体も心もいかようにも変わる。濃淡があれ、化学変化のように当然のように。
木ノ葉梟が残した大鷲の日記とその形見を見るにつけ、優しい兄弟子の人柄が偲ばれて、その分余計に怖かった。
母帝に背信、クーデターを起こしたとされて、真珠帝と大鷲は引き離された。
兄弟子の手記を読むだに、大鷲は真珠帝を愛していたと思う。
日記とは特別。その言葉、そして文字というのは不思議なもの。
優しく誠実で優秀な人柄が偲ばれるその文体が変化して行き、少しずつ彼が壊れていくのが垣間見えるようになる。
「ここしばらくで皇后陛下様から毒を賜り実際に服んだのは、大鷲お兄様だけであったそうですね」
それは、形式的なもので、今更飲まなくてもいいものなのだ。
それをまるで自分がジュースのように飲んでしまったのは、今思えば自分が無責任で無造作だったから。
芙蓉に言ったように、当時は、翡翠《ひすい》の事など、どうでもよかったから。
けれど、大鷲は違う。飲んで見せたのだ。
覚悟と言えば聞こえがいいが、俗な言い方をすれば、真珠帝の妻からの喧嘩を買ったのだ。
孔雀が数日寝込んだ程度は済まず、彼は生死を彷徨ったそうだ。
自分のため、真珠のため。
それほどまでに、兄弟子が愛した方だったとして。それなのに。
「私共は白鷹お姉様や梟お兄様から、真珠様がご自害されたと聞き及んでおりますけれど」
当時、翡翠の侍従だった川蝉がそう報告したからだ。
「・・・・けれど違いますね」
孔雀は確認したくてそう尋ねた。
翡翠《ひすい》は頷いた。
「川蝉はショックだったろうね。あれは自死ではないよ。・・・大鷲だと思う」
兄王が家令に殺されたと伝えても翡翠には何の支障もない。
翡翠は家令の名誉も守った事になる。
「家令は悪辣で淫らなものと言われはしますが、半身ともお慕いする皇帝を総家令が手にかけたとなれば、お姉様方やお兄様方の命は無かったでしょう。・・・お詫びと共に、感謝申し上げます」
間違いなく、翡翠は兄弟子や姉弟子の命を助けたのだ。
守護聖人はこの方の方だ、と孔雀はそっと礼をした。
1
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~
保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。
迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。
ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。
昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!?
夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。
ハートフルサイコダイブコメディです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
鬼の御宿の嫁入り狐
梅野小吹
キャラ文芸
▼2025.2月 書籍 第2巻発売中!
【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】
鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。
彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。
優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。
「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」
劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。
そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?
育ててくれた鬼の家族。
自分と同じ妖狐の一族。
腹部に残る火傷痕。
人々が語る『狐の嫁入り』──。
空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる