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85.恋しいのは飛び立った鳥
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時は戻る。
青鷺が、私室で嬉しさと呆れが入り混じった視線を妹弟子に向けた。
前線であるのが信じられないような、亡き皇后の宮にあったものとよく似た美しい調度品にかこまれた部屋だった。。
「・・・よくまあ来たものね。梟お兄様だって、総家令になってから前線まで視察に来たことはあまりないのよ」
この妹弟子は昔、白鷹にひっぱたかれてよく泣かされていたものだ。
その後に、まあまあお姉様そんなに怒らないでやってととりなし、さあ孔雀、あと百回、いえ二百回、できるまでやるわよと扱くのが彼女流。
なんと瑞々しく優雅に育ったかと、やはり自分の教育の賜物であろうと思うあたりがやはり白鷹の妹弟子。
「青鷺お姉様こそ。ずっと前線でお勤めでしょう?そろそろお城にお戻りになったらいかがでしょう。翡翠様もお待ちになっていますよ」
青鷺が首を振った。
「いいえ。・・・私は戻らない方がいいわ。きっと藍晶様の枷にもなりかねないから」
翡翠も知っている事とは言え、二妃を殺したというこの企みに実際に関わった人間は自分以外にもう居ない。
それでいいのだと藍玉は言うだろうけれど。
本来、間接的にも周囲にいて止められなかったという形ですら、関わった人間全員死んでこそ、やっと意味のあるものになるのだけれど。
少なからず当事者であった自分が、今更あの生まれながらに幸福な王子の一点の染みにでもなる事は望むことではない。
「川蝉は城で死んだってね。・・・大変だったわね」
まだ若い孔雀が、すでに二人の家令を看取っていた。
「順番から言えば次は白鷹お姉様なんですけど。私が死ねばよかったっていつも言うけど、もう何度も聞いたし、なんとなく言ってるだけなんでしょうね、あれ」
「あの人まだまだ頑張るでしょうよ。何食べてあの元気なのかしらね、やっぱり人の肉かもねえ」
青鷺も苦笑した。
人肉を屠るダキニと呼ばれたあの姉弟子。
しばらく会っていないが、そう簡単に死にはしないだろう。
「・・・青鷺お姉様。芙蓉様にお渡しした指輪。そのまま芙蓉様がお持ちになりましたよ。お手紙は私が炉で燃やしました」
指輪は芙蓉の亡骸と一緒に王家の墓に葬られ、あの割印のある手紙は二通とも、孔雀がその手でキルンで焼却した。
決して表に出せない王家や宮廷に関わる罪人や、それから家令達の骸が昇華される炉の炎を眺めながら、この末の妹弟子は何を思ったろうと青鷺は少し悲しくなった。
「・・・ええ。ありがとう」
藍玉は間違いなく、愛した人だった。
「・・・私はあの時止められなかったのよ。二妃様はお気の毒な事だった。・・・だから私は城から出されても当然。その上、お前が毒を賜るなんて」
以前、前線の野戦病院に来た黄鶲から聞いたのだ。
「私が城を出る事が、不遜ではあるけれど、芙蓉様にとって何らかの抑止力になるだろうと思ったの。梟お兄様にお願いしたのは私」
城を放逐される家令が総家令の妻ではまずかろうと離婚も願い出た。
「そもそも梟お兄様と結婚したのも、芙蓉様の近くにいる為に私が強請った事だしね」
「・・・芙蓉様の本来の生い立ちですとか、お名前ですとか。元老院次席はご存じなかったようですね」
そうね、と青鷺は頷いた。
それで当然、とどこか嬉しそうだった。
真意を知っているのは私だけ。あの男じゃない、とでも言うように。
「路峯は突然に亡くなったそうね」
忌事や、重要な話題や確信こそ遠回しに婉曲表現する事が多い宮廷の嗜みが身についた青鷺にしては珍しく、はっきりと切り出す。
しかも、これほど宮廷の嗜みが身についた女家令が、呼び捨てにしたというのだから、やはりこの女は、恋人でもあった皇后を挟んで、あの男を嫌っていたのだろう。
「はい。お気の毒でございました」
「・・・お前?」
なかなか鋭い。いや、今や家令達は皆気付いているのだろう。
「・・・強いて言えば、真鶴お姉様です」
困ったように愛らしく微笑む妹弟子に、青鷺は戸惑うほどだ。
「そんなことは問題ではないんです。私が伝えなければならないのは・・・、青鷺お姉様、私が藍玉様の死の床でお預かりした言葉は、あなたを愛しているって。自分のもとを飛び立ってしまった鳥の事が恋しくて仕方なかったって」
彼女が今際の際で、近くに孔雀が控えている事に気づき、そっと呼んだのだ。
「本来は正式な司祭が呼ばれなければならないけれど、聖堂での経験もある孔雀でもまあいいでしょう」と力なく笑い、自分は他の何でもなく公主として死ぬ事、それから青鷺にと伝言を。会って直接伝えてね、と彼女は言ったのだ。
青鷺が目を潤ませた。
「・・・私もよ。きっと知っているでしょうけど。・・・真珠様が討たれて、大鷲お兄様が居なくなった時、藍玉様も廃公主となって。お母様であるご正室様のご実家もお取り潰しになって。・・・私、諦めきれなくて。藍玉様のお許しを白鷹お姉様に願い出たの。琥珀様が、それならば、路峯の父親の養女になって、翡翠様の正室として城に戻れと仰った。ただ、条件は、路峯との間の子を皇太子にすること。・・・私、あんまりなことだと思って。家令じゃあるまいし、公主にそんなことさせるなんて。・・・不敬ではあるけれど、私、琥珀様を随分お恨み申し上げたものよ。嫌ならば廃公主のまま離宮をお下賜くださることになっていたの。宮廷には関われないけれど、一生は保証される。琥珀様はどちらでもいいから好きにしなさいと仰った。私はそれでいいと思ったのに。・・・あの時、なぜ、藍玉様が諾と仰ったのか、今でもわからない・・・」
「・・・青鷺お姉様。それはあなたを愛していたからよ。・・・藍玉様がお望みは、皇后でもないし、離宮でのお暮らしでもないのよ。ご自分が皇帝になって、あなたを総家令にしたかったのよ」
彼女はずっと待っていたのだ。いつか、いつか青鷺が来るのではないかと。
そして、自分を女皇帝にして、ずっとそばにいてくれるのではないかと。
青鷺が、私室で嬉しさと呆れが入り混じった視線を妹弟子に向けた。
前線であるのが信じられないような、亡き皇后の宮にあったものとよく似た美しい調度品にかこまれた部屋だった。。
「・・・よくまあ来たものね。梟お兄様だって、総家令になってから前線まで視察に来たことはあまりないのよ」
この妹弟子は昔、白鷹にひっぱたかれてよく泣かされていたものだ。
その後に、まあまあお姉様そんなに怒らないでやってととりなし、さあ孔雀、あと百回、いえ二百回、できるまでやるわよと扱くのが彼女流。
なんと瑞々しく優雅に育ったかと、やはり自分の教育の賜物であろうと思うあたりがやはり白鷹の妹弟子。
「青鷺お姉様こそ。ずっと前線でお勤めでしょう?そろそろお城にお戻りになったらいかがでしょう。翡翠様もお待ちになっていますよ」
青鷺が首を振った。
「いいえ。・・・私は戻らない方がいいわ。きっと藍晶様の枷にもなりかねないから」
翡翠も知っている事とは言え、二妃を殺したというこの企みに実際に関わった人間は自分以外にもう居ない。
それでいいのだと藍玉は言うだろうけれど。
本来、間接的にも周囲にいて止められなかったという形ですら、関わった人間全員死んでこそ、やっと意味のあるものになるのだけれど。
少なからず当事者であった自分が、今更あの生まれながらに幸福な王子の一点の染みにでもなる事は望むことではない。
「川蝉は城で死んだってね。・・・大変だったわね」
まだ若い孔雀が、すでに二人の家令を看取っていた。
「順番から言えば次は白鷹お姉様なんですけど。私が死ねばよかったっていつも言うけど、もう何度も聞いたし、なんとなく言ってるだけなんでしょうね、あれ」
「あの人まだまだ頑張るでしょうよ。何食べてあの元気なのかしらね、やっぱり人の肉かもねえ」
青鷺も苦笑した。
人肉を屠るダキニと呼ばれたあの姉弟子。
しばらく会っていないが、そう簡単に死にはしないだろう。
「・・・青鷺お姉様。芙蓉様にお渡しした指輪。そのまま芙蓉様がお持ちになりましたよ。お手紙は私が炉で燃やしました」
指輪は芙蓉の亡骸と一緒に王家の墓に葬られ、あの割印のある手紙は二通とも、孔雀がその手でキルンで焼却した。
決して表に出せない王家や宮廷に関わる罪人や、それから家令達の骸が昇華される炉の炎を眺めながら、この末の妹弟子は何を思ったろうと青鷺は少し悲しくなった。
「・・・ええ。ありがとう」
藍玉は間違いなく、愛した人だった。
「・・・私はあの時止められなかったのよ。二妃様はお気の毒な事だった。・・・だから私は城から出されても当然。その上、お前が毒を賜るなんて」
以前、前線の野戦病院に来た黄鶲から聞いたのだ。
「私が城を出る事が、不遜ではあるけれど、芙蓉様にとって何らかの抑止力になるだろうと思ったの。梟お兄様にお願いしたのは私」
城を放逐される家令が総家令の妻ではまずかろうと離婚も願い出た。
「そもそも梟お兄様と結婚したのも、芙蓉様の近くにいる為に私が強請った事だしね」
「・・・芙蓉様の本来の生い立ちですとか、お名前ですとか。元老院次席はご存じなかったようですね」
そうね、と青鷺は頷いた。
それで当然、とどこか嬉しそうだった。
真意を知っているのは私だけ。あの男じゃない、とでも言うように。
「路峯は突然に亡くなったそうね」
忌事や、重要な話題や確信こそ遠回しに婉曲表現する事が多い宮廷の嗜みが身についた青鷺にしては珍しく、はっきりと切り出す。
しかも、これほど宮廷の嗜みが身についた女家令が、呼び捨てにしたというのだから、やはりこの女は、恋人でもあった皇后を挟んで、あの男を嫌っていたのだろう。
「はい。お気の毒でございました」
「・・・お前?」
なかなか鋭い。いや、今や家令達は皆気付いているのだろう。
「・・・強いて言えば、真鶴お姉様です」
困ったように愛らしく微笑む妹弟子に、青鷺は戸惑うほどだ。
「そんなことは問題ではないんです。私が伝えなければならないのは・・・、青鷺お姉様、私が藍玉様の死の床でお預かりした言葉は、あなたを愛しているって。自分のもとを飛び立ってしまった鳥の事が恋しくて仕方なかったって」
彼女が今際の際で、近くに孔雀が控えている事に気づき、そっと呼んだのだ。
「本来は正式な司祭が呼ばれなければならないけれど、聖堂での経験もある孔雀でもまあいいでしょう」と力なく笑い、自分は他の何でもなく公主として死ぬ事、それから青鷺にと伝言を。会って直接伝えてね、と彼女は言ったのだ。
青鷺が目を潤ませた。
「・・・私もよ。きっと知っているでしょうけど。・・・真珠様が討たれて、大鷲お兄様が居なくなった時、藍玉様も廃公主となって。お母様であるご正室様のご実家もお取り潰しになって。・・・私、諦めきれなくて。藍玉様のお許しを白鷹お姉様に願い出たの。琥珀様が、それならば、路峯の父親の養女になって、翡翠様の正室として城に戻れと仰った。ただ、条件は、路峯との間の子を皇太子にすること。・・・私、あんまりなことだと思って。家令じゃあるまいし、公主にそんなことさせるなんて。・・・不敬ではあるけれど、私、琥珀様を随分お恨み申し上げたものよ。嫌ならば廃公主のまま離宮をお下賜くださることになっていたの。宮廷には関われないけれど、一生は保証される。琥珀様はどちらでもいいから好きにしなさいと仰った。私はそれでいいと思ったのに。・・・あの時、なぜ、藍玉様が諾と仰ったのか、今でもわからない・・・」
「・・・青鷺お姉様。それはあなたを愛していたからよ。・・・藍玉様がお望みは、皇后でもないし、離宮でのお暮らしでもないのよ。ご自分が皇帝になって、あなたを総家令にしたかったのよ」
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