上 下
86 / 170
3.

85.恋しいのは飛び立った鳥

しおりを挟む
時は戻る。 

青鷺あおさぎが、私室で嬉しさと呆れが入り混じった視線を妹弟子に向けた。
前線であるのが信じられないような、亡き皇后の宮にあったものとよく似た美しい調度品にかこまれた部屋だった。。
「・・・よくまあ来たものね。ふくろうお兄様だって、総家令になってから前線まで視察に来たことはあまりないのよ」
この妹弟子は昔、白鷹はくたかにひっぱたかれてよく泣かされていたものだ。
その後に、まあまあお姉様そんなに怒らないでやってととりなし、さあ孔雀くじゃく、あと百回、いえ二百回、できるまでやるわよとしごくのが彼女流。

なんと瑞々みずみずしく優雅に育ったかと、やはり自分の教育の賜物たまものであろうと思うあたりがやはり白鷹はくたかの妹弟子。
青鷺あおさぎお姉様こそ。ずっと前線でお勤めでしょう?そろそろお城にお戻りになったらいかがでしょう。翡翠ひすい様もお待ちになっていますよ」
青鷺あおさぎが首を振った。

「いいえ。・・・私は戻らない方がいいわ。きっと藍晶らんしょう様のかせにもなりかねないから」
翡翠ひすいも知っている事とは言え、二妃を殺したというこの企みに実際に関わった人間は自分以外にもう居ない。
それでいいのだと藍玉らんぎょくは言うだろうけれど。
本来、間接的にも周囲にいて止められなかったという形ですら、関わった人間全員死んでこそ、やっと意味のあるものになるのだけれど。
少なからず当事者であった自分が、今更あの生まれながらに幸福な王子の一点の染みにでもなる事は望むことではない。

川蝉かわせみは城で死んだってね。・・・大変だったわね」
まだ若い孔雀くじゃくが、すでに二人の家令を看取っていた。
「順番から言えば次は白鷹はくたかお姉様なんですけど。私が死ねばよかったっていつも言うけど、もう何度も聞いたし、なんとなく言ってるだけなんでしょうね、あれ」
「あの人まだまだ頑張るでしょうよ。何食べてあの元気なのかしらね、やっぱり人の肉かもねえ」
青鷺あおさぎも苦笑した。
人肉をほふるるダキニと呼ばれたあの姉弟子。
しばらく会っていないが、そう簡単に死にはしないだろう。

「・・・青鷺あおさぎお姉様。芙蓉ふよう様にお渡しした指輪。そのまま芙蓉ふよう様がお持ちになりましたよ。お手紙は私がキルンで燃やしました」
指輪は芙蓉の亡骸と一緒に王家の墓に葬られ、あの割印のある手紙は二通とも、孔雀がその手でキルンで焼却した。
決して表に出せない王家や宮廷に関わる罪人や、それから家令達の骸が昇華されるキルンの炎を眺めながら、この末の妹弟子は何を思ったろうと青鷺あおさぎは少し悲しくなった。
「・・・ええ。ありがとう」
藍玉らんぎょくは間違いなく、愛した人だった。
「・・・私はあの時止められなかったのよ。二妃様はお気の毒な事だった。・・・だから私は城から出されても当然。その上、お前が毒をたまわるなんて」
以前、前線の野戦病院に来た黄鶲きびたきから聞いたのだ。
「私が城を出る事が、不遜ではあるけれど、芙蓉ふよう様にとって何らかの抑止力になるだろうと思ったの。ふくろうお兄様にお願いしたのは私」
城を放逐される家令が総家令の妻ではまずかろうと離婚も願い出た。

「そもそもふくろうお兄様と結婚したのも、芙蓉ふよう様の近くにいる為に私が強請ねだった事だしね」
「・・・芙蓉ふよう様の本来の生い立ちですとか、お名前ですとか。元老院次席はご存じなかったようですね」
そうね、と青鷺あおさぎは頷いた。
それで当然、とどこか嬉しそうだった。
真意を知っているのは私だけ。あの男じゃない、とでも言うように。

路峯ろほうは突然に亡くなったそうね」
忌事や、重要な話題や確信こそ遠回しに婉曲表現する事が多い宮廷のたしなみが身についた青鷺あおさぎにしては珍しく、はっきりと切り出す。
しかも、これほど宮廷のたしなみが身についた女家令が、呼び捨てにしたというのだから、やはりこの女は、恋人でもあった皇后を挟んで、あの男を嫌っていたのだろう。

「はい。お気の毒でございました」
「・・・お前?」
なかなか鋭い。いや、今や家令達は皆気付いているのだろう。
「・・・強いて言えば、真鶴まづるお姉様です」
困ったように愛らしく微笑む妹弟子に、青鷺あおさぎは戸惑うほどだ。
「そんなことは問題ではないんです。私が伝えなければならないのは・・・、青鷺あおさぎお姉様、私が藍玉らんぎょく様の死の床でお預かりした言葉は、あなたを愛しているって。自分のもとを飛び立ってしまった鳥の事が恋しくて仕方なかったって」
彼女が今際いまわきわで、近くに孔雀くじゃくが控えている事に気づき、そっと呼んだのだ。

「本来は正式な司祭が呼ばれなければならないけれど、聖堂ヴァルハラでの経験もある孔雀お前でもまあいいでしょう」と力なく笑い、自分は他の何でもなく公主として死ぬ事、それから青鷺あおさぎにと伝言を。会って直接伝えてね、と彼女は言ったのだ。

青鷺あおさぎが目を潤ませた。
「・・・私もよ。きっと知っているでしょうけど。・・・真珠しんじゅ様が討たれて、大鷲おおわしお兄様が居なくなった時、藍玉らんぎょく様も廃公主となって。お母様であるご正室様のご実家もお取り潰しになって。・・・私、諦めきれなくて。藍玉らんぎょく様のお許しを白鷹はくたかお姉様に願い出たの。琥珀こはく様が、それならば、路峯ろほうの父親の養女になって、翡翠ひすい様の正室として城に戻れと仰った。ただ、条件は、路峯ろほうとの間の子を皇太子にすること。・・・私、あんまりなことだと思って。家令じゃあるまいし、公主にそんなことさせるなんて。・・・不敬ではあるけれど、私、琥珀こはく様を随分お恨み申し上げたものよ。嫌ならば廃公主のまま離宮をお下賜くださることになっていたの。宮廷には関われないけれど、一生は保証される。琥珀こはく様はどちらでもいいから好きにしなさいと仰った。私はそれでいいと思ったのに。・・・あの時、なぜ、藍玉らんぎょく様がそう致しますと仰ったのか、今でもわからない・・・」
「・・・青鷺あおさぎお姉様。それはあなたを愛していたからよ。・・・藍玉らんぎょく様がお望みは、皇后でもないし、離宮でのお暮らしでもないのよ。ご自分が皇帝になって、あなたを総家令にしたかったのよ」
彼女はずっと待っていたのだ。いつか、いつか青鷺あおさぎが来るのではないかと。
そして、自分を女皇帝にして、ずっとそばにいてくれるのではないかと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

処理中です...