ステュムパーリデスの鳥 〜あるいは宮廷の悪い鳥の物語〜

3.

70.元老院《セナトゥス》

小さな孔雀くじゃく風と呼ばれた宮城の改装であるが、皇太子宮である象牙ぞうげ宮は空調と水回りのみの改装に留とどめ、引き続き、皇太子である藍晶らんしょうが有名なデザイナーに一任していた。
「竣工から一年経ちますけれど、内装はこれからなんでしょうか」と孔雀くじゃくが度々心配する程に、相変わらずコンクリート打ちっ放しのデザインで、まことに斬新。

かと思うと、元老院達が主に使う階は、改装を拒否されていた。
時代を投影した、その時代の粋を集めたクラシックともまた違う、圧迫感のある豪華絢爛ごうかけんらんな内装に非常に高価な調度類が置かれている。
悪くはないが、こういうものは掃除が出来ないから傷むし洗濯出来ないから汚いのよね、と孔雀くじゃくは正直あまり好きではない。
見習い女官が掃除の際に大きな古時計に少しでも傷を付けようものなら、これは重要文化財、と難癖をつけられる。

じゃ、お前がやれと至極しごく真っ当な意見を元老院の人間に白鴎はくおうが言ったとかで揉めたが、孔雀くじゃく的にはその通りだと思う。
というわけで白鴎はくおうはそもそもギルド出、父親が現在のギルド長でもあり、元老院には嫌われている。もちろん孔雀くじゃくも。

若い総家令は、以前の白鷹はくおうや梟ふくろう程、不遜ふそんでもなく強権的でもない。
うまく事を次代に運んだとして宮廷では概おおむね好意的に受け入れられていた。
他の家令達も、それぞれに宮廷や軍、神殿オリュンポスや聖堂ヴァルハラで働いている。
予定外の事情で数年早く繰り上げれた人事ではあったが、何と言っても家令。
一騎当千とは言ったものだ。
毎日の定例報告会とはまた別に、急に呼び出されて来てみれば。

孔雀くじゃくは元老院長に茶を勧めた。
「どうぞ、お召し上がりください」
前線で三国が長年お互いの主張を崩さず、睨み合って均衡状態を保っているように。
こちらもまた、新たなパワーバランスの構築に余念がないようだ。
元老院長は元老院の総意であるとして、「そろそろ藍晶様に、ご継室を」と始まった。
孔雀くじゃくは、はあ、と頷いて、名簿を眺めていた。
「ですけれど、元老院長様、昨年、藍晶らんしょう様にはご正室が入られたばかりです」
去年の秋に、元老院の比嘉ひが家の次女が嫁いでいた。
もともと推薦されていた一宮いちみや家の長女ではなく、孔雀くじゃくが勧めた縁談に藍晶らんしょうが乗ったのだ。
「皇太子殿下様のご正室は比嘉ひが家の二の姫という事で了承頂きました」と、あの時、この総家令は告げたのだ。
元老院としては当てが外れたが、長年婚姻を渋っていた藍晶らんしょうが元老院出の正室を娶ったという事は大きな安心材料だった。
一宮いちみや家の長女ではなく、特に総家令にも王家にも得のない比嘉ひが家の次女を勧めたのかはなぜかわからないが、藍晶らんしょうが彼女ならば諾とするだろうという総家令の判断は、正しかったようだ。
盛大に行われた婚姻は、国の内外から賓客が訪れ、祝福された。
「陛下にもご正室が入られて程なくしてご継室が入られましたからね。不思議な事はありません」
孔雀は、はあ、まあ、そうであるけれども。と事実だけを確認して頷いた。
「女性同士のお気持ちを考えますと、早めに親しくなった方が良いのではないかと思うのですがね」
それこそ余計な御世話だと思うのだが。
じゃ、ご本人同士に聞いてみますか、と言いそうになり孔雀くじゃくは茶を飲んだ。
最近また藍晶らんしょうの浮名が聞こえ始めていた。
正室である鈴蘭すずらんが戸惑っているのは後宮中の人間が知っている。
「・・・調度、殿下と親しくされている女性がいらっしゃるとか・・・」
孔雀はそっとため息をついた。そういうわけか。
「・・・元老院長様でいらっしゃいましたか、麻上あさがみ様の三の姫を藍晶らんしょう様にご紹介されたのは・・・」

先月、皇太子に紹介されたばかり。
皇太子の彼の継室として、なんとふさわしい身分、ふさわしい立場、ふさわしい振る舞いと容姿の女性だろうと思った。
はっきり言って非の打ち所がない。
いや、あの、と元老院長が口ごもる。
「出会いの一環としてですな・・・」
「・・・お互いによろしくない事かもしれませんよ。纏まとまればそれは藍晶らんしょう様や元老院様方と今後の関係もさらに良くなるかもしれませんけれど。・・・万が一そうではなくなったら、藍晶らんしょう様は元老院から心が離れるかもしれません。ご正室様だって元老院のご出身ですよ。新たなご継室の予定を進めるあまり、結局はご正室もご継室からも藍晶らんしょう様がお心を遠ざけられてはそれこそ・・・ご存知とは思いますけれど、藍晶らんしょう様は議員派とも親しいですから」
「だからですよ。そこを総家令にはうまくまとめて貰いたいのです。それがあなたの仕事でしょう」
なんと虫のいい無理難題だろう。
正室と良好な関係のまま継室を入宮させて、なおかつ元老院に有利に事を運べというのだ。

「藍晶らんしょう様はリベラルとして内外から支持を受けておりますから。議員派を遠ざける事はないと思いますよ」
「そこですよ。・・・親しいと評判であった議員派のあの元女優かつ元ニュースキャスターとやらが継室に入らなくて良かった・・・。やはり浅ましい事でしたな。どなたかは存じないが女官も災難でしたね」
彼女に唆そそのかされた若い議員達に女官が不埒な行いをされたとして、皇帝が怒り議会を解体させ再編成させたことは未だに語り草だ。
その女官が誰なのか、当時かなりの噂となったが、結局はわからずじまい。
女官長も家令も口を割らなかった。
ただ妙な事に、一人、議員上がりが家令になったという異例の人事に誰もが首を傾げたものだ。
きっと家令が見せしめの為に議員を一人仲間に引き入れ屠ほふったのだろうとまことしやかに囁《ささや》かれている。

「基本的に、マスコミの方は入宮は控えて頂いておりますから、元々難しいお話でございましたよ」
マスコミ、金融、宗教関係に関わる人間は継室には入れない。そういう決まりがある。
元老院長の横に座っていた貴族然とした男が首を振った。
「そんなもの。身分ではない、職業でしかない事です。辞めたら関係ないでしょう。だが、それまでの人間関係を断つ事は、あのような人間には不可能でしょう。宮廷の様々な事が表に出て、有る事無い事騒がれては、総家令だってお困りでしょう。今後またないとも限らない。やはり宮廷の様々は今や家令では管理しきれないという事ではないですか」

そう言われて、孔雀くじゃくは唇だけで微笑んだ。
前元老院長を父に持つ世襲の元老院次席。路峯隼人《ろほうはやと》。
翡翠ひすいの正室であった芙蓉ふようを出した名家だ。
元老院での発言力もある。
元老院長が麻上《あさがみ》家の三の姫なら、一宮《いちみや》家の姫をと推薦したのは彼。
当然、自分ではなく孔雀くじゃくが推薦した比嘉《ひが》家の姫が皇太子の正室になったわけだから、孔雀くじゃくの事を不快に思っている。
正室候補が見込み無しとなれば、継室は思惑通りにというわけか。

確かに、彼は翡翠ひすいと学友でもあり、王族とも近い。
その上。雉鳩きじばとの母が、彼の父に後妻に入っていた。
雉鳩きじばとの母というのは、琥珀こはく帝の父である黒曜こくよう帝の総家令であった白雁はくがんと、黒曜こくよう帝の妹姫の娘。
彼女は、一度王族筋の人間と結婚していたが離縁し、元老院次席の父の元へ嫁いでいた。
家令の結婚や離婚が人事なように、王族の婚姻は政治、ならば貴族のそれは資産と特権を目減りさせない為の経済活動に近い。
確か前元老院長と雉鳩きじばとの母の縁談をアレンジしたのは、梟ふくろうであったはずだ。
総家令であった白雁はくがんの娘であるという気遣いもあったろうが、王族と縁のある人間を娶るというのは貴族にとっても誉れであるから、どうにもまた当時の梟ふくろうはこの件で私服を肥やした感がある。
家令というのは誠に節操が無い、と孔雀くじゃくはそっとため息をついた。
「総家令。これは、広く世間の認識ですが。総家令は陛下の寵愛ちょうあいに甘んじて、ご自分の障りになるような皇太子や第二太子殿下方への婚姻を遠ざけてらっしゃると言われているのはご存知ですか」

まさか貴族から世間一般の認識を聞かされるとは思わなかった。