上 下
59 / 211
2.

59.皇帝の福音

しおりを挟む
 川蝉かわせみは改めて周りを見渡した。
白鷹はくたかが総家令だった時代は、目にも眩しい純白と銀色の内装だった。
一番記憶に新しいふくろうの時代は濃いプラム色のカーテン、内装はステンレス張りの不可解に不気味な部屋だった。
こんな明るく健全な総家令室に足を踏み入れるのは、そうだ、大鷲おおわしの時代。
柔らかな白とたまご色のカーテンだったのは覚えている。
あの当時も、宮廷には子供たちが暮らすのを許されていた。
真珠しんじゅ帝が鷹揚おうような人物で、大鷲おおわしの願いを聞き入れたのだ。
懐かしく穏やかな時代。
大戦が終わり、戦後の復興も済み、これから全てが彼らのもと明るい方へと進むのだと思っていた。
しかし。宮廷とはそういうものではないと、知っていたはずなのに。

翡翠ひすいつばめを呼ぶと、スパークリングワインを持って来させた。
翡翠ひすいが即位し孔雀くじゃくが総家令になった記念に作ったスパークリングで、評判が良くて販売してみたら大人気で、という自慢話を一通り聞かされてから、グラスに注がれた軽やかに弾ける液体を飲み干した。
確かにうまい。
「OLさんのアルコール部門おもたせナンバーワンになった」
「・・・はあ・・・?」
翡翠ひすいはとてもうまそうに飲み干してしまう。
「この度は、登城をお許し頂きまして感謝申し上げます」
深々と頭を下げた家令を、翡翠ひすいは制した。
「それは即位した時に許可をしたはずだもの。勝手に来なかったのは、お前と青鷺あおさぎだけだからね。お前たちの妹弟子がどれだけ悲しんでいたか」
確かに、翡翠ひすいが即位し、孔雀くじゃくが総家令職を拝命した折、白鷹はくたかふくろうによって宮城から放逐された自分たち世代は恩赦による名誉回復という栄誉に預かった。
孔雀くじゃく白鷹はくたかの入れ知恵で皇帝にねだった、という宮廷の噂は半分本当で半分嘘だろう。

そもそも自分たちの放逐処分により下の世代の正式な城での勤務が繰り上がってしまったのだ。
いかに家令が一騎当千とは言え、まだまだ若い彼らには辛い思いもさせただろう。
上の世代の我々が外部から出来る限りの援護射撃をしたとは言え、実際に宮廷に体が無いのだ。
その一番のあおりを食ったのが、年少であった孔雀くじゃくであり大嘴であり燕。

そもそも彼らは、翡翠ひすいの次の王に仕えるようにと教育されていたのだから。
あの子達はのんびり大人になればいいじゃない、と、元皇女の真鶴がよく言っていたのに。
更に言えば、とんでもない誤算だったのは孔雀が総家令職に就いた事。
戦中派の姉弟子と兄弟子が、断りきれない立場の継室候補群の娘を小学校を中退させてまで家令に召し上げた時も唖然としたが、それが十五で総家令になったというのだから。
なんの手違いか、悪い冗談か、またはまたあの姉弟子と兄弟子の何かの策略だろうと思っていたが、望んだのが翡翠ひすいだと聞いて、今度こそ呆れた。
変態だったのか、と愕然としたが、黄鶲きびたきから就任後の床入りの事の顛末を聞いて、おかしくて仕方がなかった。
何を思い出して吹き出しそうになっているのを悟られたのだろう、翡翠ひすいが憮然とした。

「ふん。どうせ、知ってるんだろう。家令め」
失礼しました、と川蝉くじゃくは苦笑した。
「陛下に大変なご不満でありますとか、ご迷惑をおかけしております」
「ご迷惑というほどでもないよ。・・・まあ、多少の不都合はあるけれど。まあ今は、それでもいい。今が一番いいもの」
そう断言する翡翠ひすいに、川蝉かわせみは絶句した。
彼は、そう明るい幼年時代や少年時代を過ごしたわけではない。
戦後処理に掛かりきりだった母王、彼女から片時も離れなかった総家令。
たわむれに、または総家令の愛を試すかのように、あてつけに繰り返される妃や寵姫の入宮。その度に嫉妬深い人肉を喰らうダキニと呼ばれる白鷹《はくたか》は怒り狂い、それを確認して琥珀こはくは大変満足をするのだ。
焼き餅焼きだったのねえ、なんて孔雀くじゃくは呑気に言うが、当時を知る身からすると、はっきり言ってあの二人は人格破綻していた。

翡翠ひすいの父である継室は、馬術でオリンピックに出るほどの腕前だったが、それ以外の事にあまり関心を示さなかった。
結局、女皇帝は総家令だけを連れて離宮に移ってしまったのだ。継室と、彼らの子供たち、つまり自分の実子を置き去りにして。

そもそも政治のために娶った元老院派でもそう高位ではない男継室との間の子である翡翠を、女皇帝はそれほど重要には思っていなかった。
それは、まだとても若い時に当時の元老院長の家から迎え入れた正室との間の長子でもある真珠に向けた感情もそれほど違いは無かったろうが。
あんな辛い思いをさせた子供よ。その上、愛情まで欲しいというの。
女皇帝はそう言ってはばからなかった。
体のそう強くはない彼女が、王室の規則に則《のっと》り十代半ばで結婚し、繰り返した妊娠と流産、死産。確かに辛かったと思う。

大戦中は戦場を駆け回り、戦後は王位を父と兄から簒奪さんだつして、戦後処理に奔走した。
その結果、子供たちに、愛しさより煩わしさを感じるようになったのかもしれない。
結局、彼女の愛情は、半身の総家令と、最後に産んだ皇女のみに向けられた。
とは言え、真珠しんじゅ翡翠ひすいも父親が元老院派の貴族筋の出身である以上、天河てんがのようにギルド派の母親を持ち、更にその不運な事件の影響からの冷遇ともいえる状態にはならなかったが。
翡翠ひすいはいっそ自由気ままな程で、アカデミーに進み、更には国外で過ごしていた事もある。
しかし、その数年後に母帝に呼び出されるのだ。兄王を討て、と。

今思い出しても、悪夢のような日々。
同行したのは自分。
その後、翡翠ひすいは皇太子となり、宮城での生活が始まったのだ。
その後、川蝉かわせみ翡翠ひすいの侍従であり、彼の叔父である瑪瑙めのう帝が離宮で過ごす等や、総家令であるふくろうが軍属の際など、総家令が城を留守にする際は、宮城において総家令代理としての職務についていた。
翡翠ひすいが幸せだった時期というのはいつだろうと、つい考えてしまう。
思い当たるのは、ギルド出の元教師という異色の経歴の妃が暇を持て余して自分の子供である第二太子含め宮廷の子供たち相手に学校ごっこをしていた頃ではなかろうか。
あの頃彼は、後宮自体にはさして興味もない様子だったのだが、面白がって二妃に子供用の机だ椅子だと買い与えていた。
しばらくして彼女もまた、この宮廷から姿を消すことになったが。

「・・・いろいろあったな、お前と私は」
翡翠ひすいがそう言って、仕方なさそうにため息をついた。
川蝉かわせみもまた頷いた。
この宮廷で、翡翠ひすいと自分の身の周りに起きた事を思うと、まだ胸につかえるものがある。
しかし、いろいろあったと、そう振り返る事が出来るとしたら、もうそれは過去なのだ。
そう思う理由と動機があの妹弟子であり我々家令に属する者であるとするならそれで本望。
「あれだけのことがあって、いっそお前が総家令ではないのが不思議なくらいだ」
「いえ。直近までは、あの妹弟子に何と言う茶番をさせて、周りの大人は情けない話だと思っていたのです。けれど、これでよろしいのだと、今、思いました」
そう、いろいろあった。いろいろありすぎたのだ。
真珠しんじゅ帝を背信の罪でち、二妃をなくし・・・。
彼は、再出発する事にしたのだ。あまりも重い物を背負ったまま。
それは、自分にはできそうもないけれど。
川蝉かわせみは痛みを感じながらも嬉しく思った。

孔雀くじゃくがそのたすけになるのなら、それは我々の喜びです」
「まあ、女性というのは男よりも、誰しもそうであるけど。孔雀くじゃくは現実的だよ」
翡翠《ひすい》は満足そうに微笑んだ。
「現実的というのは、出来ることは出来るだけやって、出来ない事には目をつむり、違う形でフォローすると言う事です。あとは、どうぞ気になさらないで」
孔雀くじゃく翡翠ひすいにそう言ったのだ。
なる程、それが、周りの怪獣のような姉弟子兄弟子に振り回され育った彼女の身の処し方、生き方となったのだろう。
それから、我々家令一同、真心を尽くしてお仕え致しますと、即位の儀典で孔雀くじゃくがそう宣誓した事。
いまだかつてそのような口上を述べた者はいなかった。
真心というのは、彼女の中では現実なのだ。
そして、それは今、自分にも痛切な現実である。
それに翡翠ひすいは救われたのだ。
だから、孔雀くじゃくは福音。そう思う。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

高貴なる人質 〜ステュムパーリデスの鳥〜

ましら佳
キャラ文芸
皇帝の一番近くに控え、甘言を囁く宮廷の悪い鳥、またはステュムパーリデスの悪魔の鳥とも呼ばれる家令。 女皇帝と、その半身として宮廷に君臨する宮宰である総家令。 そして、その人生に深く関わった佐保姫残雪の物語です。 嵐の日、残雪が出会ったのは、若き女皇帝。 女皇帝の恋人に、そして総家令の妻に。 出会いと、世界の変化、人々の思惑。 そこから、残雪の人生は否応なく巻き込まれて行く。 ※こちらは、別サイトにてステュムパーリデスの鳥というシリーズものとして執筆していた作品の独立完結したお話となります。 ⌘皇帝、王族は、鉱石、宝石の名前。 ⌘后妃は、花の名前。 ⌘家令は、鳥の名前。 ⌘女官は、上位五役は蝶の名前。 となっております。 ✳︎家令は、皆、兄弟姉妹という関係であるという習慣があります。実際の兄弟姉妹でなくとも、親子関係であっても兄弟姉妹の関係性として宮廷に奉職しています。 ⁂お楽しみ頂けましたら嬉しいです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

処理中です...