21 / 211
1.
21.あれが我々の神
しおりを挟む
孔雀はバランスを崩して床に伏した。
白鷹が、熱いと感じたのが分かったから、室内に燃え盛る炎か焼けた鉄板でもあるのかと思っていたが、そこは冷たいくらいで。
鉄のように重いはずの扉が、まるでレースのカーテンのように軽やかに閉まった。
扉が水晶なのだから、透過してもっと光が入ってもいいだろうに、意外なほど暗い。
いや、実際はそうではない、視力を操作されているんだと思った。
白鷹が、熱くもない扉に熱を感じたように。
ここが本当の奥の院。
神殿の心臓、いや、脳だ。
神様がいるところ、神様の寝室、と子供の時からそう教わってきた。
ここには神官長の白鷹と、正式な神官の鷂と金糸雀、それから百年以上も空席の大神官しか入れないはずだ。
大神官は常在できるが、それ以外は長期間の潔斎を過ごして、短時間だけやっと入れるのだ。
孔雀は去年やっと神官補佐になったのに。
どこからか不快だとわかる感情の唸り声が聞こえた。
潔斎もしないで、月の障りの身体のまま踏み入ったことにだろう。
孔雀は息を詰めた。
本当に、頭からばりばり喰われるのだろうか。
でも、神様って、言ったのに。
・・・神様がどうして人間を食べたりするのだろう。
孔雀はじっとしていたが、ふと、違和感に気付いた。
血の匂いがする。
自分の血だと思ったが。違う。
この部屋中、血の匂いがする。
視力を奪われた分、他は鋭敏になるようだ。
不思議なもので、聴覚や嗅覚が視力を補うかのようにして脳裏に風景を見せていた。
暗い画面に鮮やかに浮かぶ色彩の粒子にはっとする。
肌が粟立ち、背筋が冷たい。
唸り声に聞こえるこれはなんなんだろう。
不快や敵意とも違うのではないだろうか。
どうにも気になって、もうちょっと、と手を伸ばした。
危険を感じたら逃げろ離れろは鉄則だが、そこに違和感や興味を感じると確認したくなる。
子供時代から決定的に危機管理が危ういタイプではあった。
伸ばした指の先に何かが触れた。
冷たい水晶のような滑らかさ。
結露しているかのように表面が濡れていた。
外気とそこまで差はないだろうに。
あ、と孔雀は、気付いた。
不快ではない、敵意ではない。
これは、欲求。
指先が、突然掴まれて、いきなり水底に引きずり込まれた。
水もないのに。
でも、身体に感じる圧迫感、塞がれる息苦しさ。
浜育ちの自分は何度も溺れて泳ぎを覚えたのだ。
水というのは、仲間が欲しいのだ。
自分と同じものなになれと、自分と同じ濃度になれと、自分と同じところに来いと、何でも満たし、溶そうとする。
だが、そうはいかないだろうと思った。
だって、ここに水はなく。自分と同じ濃度になど出来ない。
しかし、ぬるりと溶け出す液体の感覚があった。
あ、これ。水じゃないんだ。血だ。
孔雀の身の内から滲む血を手繰り寄せ、同じ濃度の血で溶かし食いつくそうとしているのだ。
感じるのは、欲求。欲求。
でも、なんで。
触れると、ぬるりとした血の隙間を鎖のようなものできつく縛られているらしい。
ああ、これ。
白鷹お姉様がやったんだ。
孔雀は、さらに手を伸ばして指をその鎖の輪に滑らせた。
またひっぱられた気がして目を開けると、白鷹に抱きしめられていた。
白鷹が扉をこじ開けて、孔雀を引っ張り出して、また扉を閉めたらしい。
扉に、怖いほど輝く短刀が突き立てられていた。
「・・・ああ、お前、私が半世紀苦労してふんじばったもんを解いちまって・・・」
「解けなかった」
孔雀が言った。
「鎖の輪っかを外したの」
「・・・一個づつかい?」
それは白鷹が50年かけたイメージの鎖。
なるほど、解けるわけがない。
ならばとこの妹弟子は、輪を外して来たらしい。
子供の時から、夜遊びに出かける姉弟子兄弟子に置いていかれ、1人で遊んでろとパズルだの知恵の輪だの渡されて来た孔雀らしいと言えばそう。
白鷹は半分呆れて、厚い水晶の盾のような扉越しに目をすがめた。
「・・・なにあれ・・・お前、何したのよ?」
自分の鎖を外して、何を仕掛けてあの荒ぶる獣を収めて来たのだろう。
薄い布のようなものが見える。
その中に入るあの忌々しく恐れ多い神が、信じられない事に安らいでいるのが分かった。
「レース編みみたいな。あの、洗濯ネットあるでしょ?あれに猫入れて獣医さんに連れて行くの。あれに入れると落ちつくから・・・」
「知らないねぇ・・・」
まず、洗濯などしないからそのネットもわからないし、なんで猫をそんなもんに入れる気になるのかも理解できない。
しかし、そのよくわからないライフハック的なものが功を奏したのだろう。
しかし。
それはそうとして、ひどい有様だ。
改めて孔雀を眺めた。
黒衣だからわかりづらいが、血だらけで、顔色も悪い。
どんな酷い目に遭ったのか思い、白鷹は胸は傷んだ。
あの獣を自由にした事など、ここ百年ないのだ。
捕縛を解かれた飢えた獣が、こんな雛を見て
何をしたかなど・・・。
けれど。
しかし、孔雀は、それを切り抜けたと言うよりは、受け止めて来たのか。
喰われたのか、喰わせてやったのか。
これからこの雛鳥は、こんなもんじゃ済まないだろう。
ならば、それが希望。
「・・・わかったかい。あれが我々の神だよ。神官はこれを鎮める。押さえ込んでいるのはこっちだよ。家令は・・・、お前は、神にも王族にも皇帝にも、呑み込まれてはだめ」
白鷹が恐ろしい獣を睨みつけるかのように、扉を凝視していた。
「・・・いいかい。総家令にならなきゃ、お前は一生この中だよ」
そして、自らの手でこの妹弟子の幼さを殺す罪悪感と悲しさを感じつつも、家令の誰もがそうであるように唆す甘言を紡ぐ快感に震えながら、そっと耳打ちした。
白鷹が、熱いと感じたのが分かったから、室内に燃え盛る炎か焼けた鉄板でもあるのかと思っていたが、そこは冷たいくらいで。
鉄のように重いはずの扉が、まるでレースのカーテンのように軽やかに閉まった。
扉が水晶なのだから、透過してもっと光が入ってもいいだろうに、意外なほど暗い。
いや、実際はそうではない、視力を操作されているんだと思った。
白鷹が、熱くもない扉に熱を感じたように。
ここが本当の奥の院。
神殿の心臓、いや、脳だ。
神様がいるところ、神様の寝室、と子供の時からそう教わってきた。
ここには神官長の白鷹と、正式な神官の鷂と金糸雀、それから百年以上も空席の大神官しか入れないはずだ。
大神官は常在できるが、それ以外は長期間の潔斎を過ごして、短時間だけやっと入れるのだ。
孔雀は去年やっと神官補佐になったのに。
どこからか不快だとわかる感情の唸り声が聞こえた。
潔斎もしないで、月の障りの身体のまま踏み入ったことにだろう。
孔雀は息を詰めた。
本当に、頭からばりばり喰われるのだろうか。
でも、神様って、言ったのに。
・・・神様がどうして人間を食べたりするのだろう。
孔雀はじっとしていたが、ふと、違和感に気付いた。
血の匂いがする。
自分の血だと思ったが。違う。
この部屋中、血の匂いがする。
視力を奪われた分、他は鋭敏になるようだ。
不思議なもので、聴覚や嗅覚が視力を補うかのようにして脳裏に風景を見せていた。
暗い画面に鮮やかに浮かぶ色彩の粒子にはっとする。
肌が粟立ち、背筋が冷たい。
唸り声に聞こえるこれはなんなんだろう。
不快や敵意とも違うのではないだろうか。
どうにも気になって、もうちょっと、と手を伸ばした。
危険を感じたら逃げろ離れろは鉄則だが、そこに違和感や興味を感じると確認したくなる。
子供時代から決定的に危機管理が危ういタイプではあった。
伸ばした指の先に何かが触れた。
冷たい水晶のような滑らかさ。
結露しているかのように表面が濡れていた。
外気とそこまで差はないだろうに。
あ、と孔雀は、気付いた。
不快ではない、敵意ではない。
これは、欲求。
指先が、突然掴まれて、いきなり水底に引きずり込まれた。
水もないのに。
でも、身体に感じる圧迫感、塞がれる息苦しさ。
浜育ちの自分は何度も溺れて泳ぎを覚えたのだ。
水というのは、仲間が欲しいのだ。
自分と同じものなになれと、自分と同じ濃度になれと、自分と同じところに来いと、何でも満たし、溶そうとする。
だが、そうはいかないだろうと思った。
だって、ここに水はなく。自分と同じ濃度になど出来ない。
しかし、ぬるりと溶け出す液体の感覚があった。
あ、これ。水じゃないんだ。血だ。
孔雀の身の内から滲む血を手繰り寄せ、同じ濃度の血で溶かし食いつくそうとしているのだ。
感じるのは、欲求。欲求。
でも、なんで。
触れると、ぬるりとした血の隙間を鎖のようなものできつく縛られているらしい。
ああ、これ。
白鷹お姉様がやったんだ。
孔雀は、さらに手を伸ばして指をその鎖の輪に滑らせた。
またひっぱられた気がして目を開けると、白鷹に抱きしめられていた。
白鷹が扉をこじ開けて、孔雀を引っ張り出して、また扉を閉めたらしい。
扉に、怖いほど輝く短刀が突き立てられていた。
「・・・ああ、お前、私が半世紀苦労してふんじばったもんを解いちまって・・・」
「解けなかった」
孔雀が言った。
「鎖の輪っかを外したの」
「・・・一個づつかい?」
それは白鷹が50年かけたイメージの鎖。
なるほど、解けるわけがない。
ならばとこの妹弟子は、輪を外して来たらしい。
子供の時から、夜遊びに出かける姉弟子兄弟子に置いていかれ、1人で遊んでろとパズルだの知恵の輪だの渡されて来た孔雀らしいと言えばそう。
白鷹は半分呆れて、厚い水晶の盾のような扉越しに目をすがめた。
「・・・なにあれ・・・お前、何したのよ?」
自分の鎖を外して、何を仕掛けてあの荒ぶる獣を収めて来たのだろう。
薄い布のようなものが見える。
その中に入るあの忌々しく恐れ多い神が、信じられない事に安らいでいるのが分かった。
「レース編みみたいな。あの、洗濯ネットあるでしょ?あれに猫入れて獣医さんに連れて行くの。あれに入れると落ちつくから・・・」
「知らないねぇ・・・」
まず、洗濯などしないからそのネットもわからないし、なんで猫をそんなもんに入れる気になるのかも理解できない。
しかし、そのよくわからないライフハック的なものが功を奏したのだろう。
しかし。
それはそうとして、ひどい有様だ。
改めて孔雀を眺めた。
黒衣だからわかりづらいが、血だらけで、顔色も悪い。
どんな酷い目に遭ったのか思い、白鷹は胸は傷んだ。
あの獣を自由にした事など、ここ百年ないのだ。
捕縛を解かれた飢えた獣が、こんな雛を見て
何をしたかなど・・・。
けれど。
しかし、孔雀は、それを切り抜けたと言うよりは、受け止めて来たのか。
喰われたのか、喰わせてやったのか。
これからこの雛鳥は、こんなもんじゃ済まないだろう。
ならば、それが希望。
「・・・わかったかい。あれが我々の神だよ。神官はこれを鎮める。押さえ込んでいるのはこっちだよ。家令は・・・、お前は、神にも王族にも皇帝にも、呑み込まれてはだめ」
白鷹が恐ろしい獣を睨みつけるかのように、扉を凝視していた。
「・・・いいかい。総家令にならなきゃ、お前は一生この中だよ」
そして、自らの手でこの妹弟子の幼さを殺す罪悪感と悲しさを感じつつも、家令の誰もがそうであるように唆す甘言を紡ぐ快感に震えながら、そっと耳打ちした。
2
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
高貴なる人質 〜ステュムパーリデスの鳥〜
ましら佳
キャラ文芸
皇帝の一番近くに控え、甘言を囁く宮廷の悪い鳥、またはステュムパーリデスの悪魔の鳥とも呼ばれる家令。
女皇帝と、その半身として宮廷に君臨する宮宰である総家令。
そして、その人生に深く関わった佐保姫残雪の物語です。
嵐の日、残雪が出会ったのは、若き女皇帝。
女皇帝の恋人に、そして総家令の妻に。
出会いと、世界の変化、人々の思惑。
そこから、残雪の人生は否応なく巻き込まれて行く。
※こちらは、別サイトにてステュムパーリデスの鳥というシリーズものとして執筆していた作品の独立完結したお話となります。
⌘皇帝、王族は、鉱石、宝石の名前。
⌘后妃は、花の名前。
⌘家令は、鳥の名前。
⌘女官は、上位五役は蝶の名前。
となっております。
✳︎家令は、皆、兄弟姉妹という関係であるという習慣があります。実際の兄弟姉妹でなくとも、親子関係であっても兄弟姉妹の関係性として宮廷に奉職しています。
⁂お楽しみ頂けましたら嬉しいです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
仔猫のスープ
ましら佳
恋愛
繁華街の少しはずれにある小さな薬膳カフェ、金蘭軒。
今日も、美味しいお食事をご用意して、看板猫と共に店主がお待ちしております。
2匹の仔猫を拾った店主の恋愛事情や、周囲の人々やお客様達とのお話です。
お楽しみ頂けましたら嬉しいです。
好きになるには理由があります ~支社長室に神が舞い降りました~
菱沼あゆ
キャラ文芸
ある朝、クルーザーの中で目覚めた一宮深月(いちみや みつき)は、隣にイケメンだが、ちょっと苦手な支社長、飛鳥馬陽太(あすま ようた)が寝ていることに驚愕する。
大事な神事を控えていた巫女さん兼業OL 深月は思わず叫んでいた。
「神の怒りを買ってしまいます~っ」
みんなに深月の相手と認めてもらうため、神事で舞を舞うことになる陽太だったが――。
お神楽×オフィスラブ。
デリバリー・デイジー
SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。
これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。
※もちろん、内容は百%フィクションですよ!
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる