10days of the HITMAN

登美丘 丈

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二日目

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 昨日はパンツ売りの少女に邪魔された俺だったが、今日は決めてやると心に誓い、目の前の喫茶店でコーヒーを啜る標的を眺めていた。
 それにしても……俺に仕事を依頼したヤクザも言っていたが、絵に描いたように、毎日同じ行動をする爺さんだった。
 十五階建ての自社ビル、その最上階の社長室に寝泊りし、午後二時から四時の間だけ外に出る。一日一食のようだ。
 これといった趣味もなく、仕事が大好物のようだ。きっと金が好きなんだろう。だが、一日二時間外出するだけの人間に、大金など必要なのだろうか。爺さんは何のために会社を経営し、金を稼ぎ続けているのだろうか。
わからない。俺のような、今日の金にさえ困る人間にはわからない。
「もう、そろそろかな」
 呟く。
 いつから独り言をするようになったのだろうか。家を出てからだろうか。いや、違う。家族と暮らしていた頃から、俺は独り言が多かったように思う。家族と会話しなくなったせいだ。
 標的がコーヒーを飲み干す。
 途端、緊張感が高まる。ポケットの中で握るナイフの柄は汗でびっしょりだ。一旦ナイフから離した手をシャツで拭う。
「四時だな」
 呟く。と、次の瞬間、
「そうですね」
 と返事をされ、ギョッとする。
「ん、何だ?」
 そう呟いた時には、目の前に男が現れていた。
  年の頃は二十代半ば、冴えない黄緑のポロシャツにベージュのスラックス、両方ともヨレヨレで皺だらけだ。そして顔、いや、表情も冴えない。覇気がなかった。冴えない格好が冴えない表情に見せているのかと思ったが、そうではないようだ。何かに自信をなくしたような顔をしている。
「何だ、おまえ! ちょっとどいてくれ!」
 男の肩越しに、標的が席を立つのが見えた。
 だが、男はどかない。
「おい!」
 昨日のことが嫌でも思い出される。昨日は少女に邪魔されたのだ。
 俺は男の体を力づくでどけようとした。
 と、男が口を開く。
「私は、小学校の教師をしています。ですが……生徒が私の方を全く見てくれないのです……」
 そう言うや、そのままうな垂れた。
「……」
 唖然とした。そして、前置きも何もなく、いきなり路地に佇む俺のような男に、いや、俺のような男だが、俺の都合も聞かず、いきなり相談口調で悩みを吐露する男を不快に思った。だが同時に、「学級崩壊」という単語を思い出し、この男のクラスも、そういう危機に陥っているのだろうかと憐れに思った。
「……一体……どうしたらいいのでしょうか?」
 俺が何も答えないでいると、男が勇気を振り絞ったような表情で言った。
 俺は、一段と男が憐れになったが、
「あのな……あんた、何か勘違いしてるんじゃねえか。俺はこんなところにいるが、別に占い師じゃねえんだ。ていうか、そこどけよ! あっ!」
 俺の視線を追うように、男が振り返る。
 標的が喫茶店を出て、会社に向かって歩いていく。
「……」
「どうかしたのですか?」
 男が首を傾げながら訊いてくる。
「……何でもねえよ」
 邪険に返しながらも、俺は少しホッとしていた。
「そうですか。それなら教えてください。私は一体どうすれば……」
「知るかよ、そんなこと! ていうか、何であんたは俺に相談なんかしてくるんだよ!」
「こちらで人間ウォッチングをしておられるようでしたので、人間についてお詳しいのではないかと……だから色々とお話しをお伺いできるのではないかと思いまして……」
「……人間ウォッチングというか……」
「お願いです。どうか私にいいアイデアをくれませんか?」
 男はその青白い覇気のない顔からは想像のつかない執拗さで食い下がってくる。
「ちっ!」
 思わず舌打ちをしていた。だが、俺のそんな態度を意にも介さない様子で、
「お願いです。生徒が私を見てくれるようになるアイデアなり、魔法のようなものがあれば教えて頂きたいのです」
 と熱心な様子で男が迫ってくる。
 俺は、この熱心さはどこからくるのだろうかと考えた。そしてすぐに答を見つけた。この男は、常に「自分、自分」なのだ。自分しか見ていない。相手のことなど露ほども考えていない。全て自分本位。或いは世間が自分をどう見ているかということしか考えていない。
 そういう俺もそうなのだが……。
「俺が生徒でも、あんたなんか見ねえよ。なぜなら、あんたが気に入らないからだ。それが理由だ! わかったら、帰れ!」
 俺は男を一喝した。
 男は一瞬怯んだが、尚も食い下がってくる。
「私のどこが気に入らないのですか? 私は真面目に一生懸命生きている人間です。客観的に見てもそう思います。いや、常に私は自分のことを客観的に見、頑張っていると判断しております。それなのに、一体何なのですか? あなたといい、生徒たちといい、私は悲しいです」
 まるで下手な政治家のようにダラダラと所信表明を並べている。俺は呆れ果て、目を閉じた。無視を決め込もうとしたのだ。
「ちょっと、失礼じゃないですか? どうして私を見ようとしないのですか? もっと私を見て下さい」
 男は憤懣やるかたないといった様子で、俺に突っかかってくる。
「うるせえ、馬鹿!」
 再び一喝する。
 男はまたもや一瞬怯んだが、すぐに体勢を立て直し、向かってこようとする。だが、一瞬俺の方がキレるのが早かった。
「黙れ! 何も喋らず俺の話を聞け!」
 男はのけぞるように二、三歩後ろへ下がった。中途半端な不良の俺だったが、恐らく勉強ばかりしてきたであろうモヤシ男には恐怖以外の何物でもなかったようだ。俺は昔から弱い者には強いのだ。
「あんたな、生徒が自分を見てくれないとか言ってたな。俺にも同じことを言った。それはな、あんたがまず相手を見ようとしないからじゃねえのか」
 俺がガキの頃、俺の話を聞いてくれる教師はいなかった。まともに見てもくれなかった。少しでも俺を見てくれ、俺の話を聞いてくれる教師がいれば……。
 いや、俺が先に教師から目を逸らしたのかもしれない。親から目を、そして心を逸らしたように……。
「……」
「生徒の話を一度でも聞こうとしたか?」
「……」
「鏡なんだよ。相手が自分を見てくれないのは、自分が相手を見ていないからだよ。あんたは自分のことを客観的に見ていると言った。それは悪いことじゃない。自分をそういう風に見ることができるというのは素晴らしいことだと思うよ。でも、そればかりじゃダメだろう。相手を見ないと。あんたが自分を客観視しているのは、逃げているようにしか見えない」
「……」
 男はずっと無言だったが、頭を垂れ始めている。
「明日、教室に入ったら、まず生徒一人一人をじっと見てやれ。文字通り目と目を合わせ、じっと見るんだよ。あんた自身を見るようにな。そして何かを感じ取ればいい。そこから始めるんだ。それが第一歩で、二歩、三歩と進んで行けばいい。いつか心と心が通い合うようになる。あんたが目を逸らさなければな」
 男が何やら呟いている。と、大粒の涙が零れ落ちた。嗚咽を洩らしていたのだ。男は頭を垂れた状態から、尚も頭を下げた。そのまま背中を向けて去って行く。
「何なんだよ、一体……何でいつも邪魔が入るんだよ……また遠くなったじゃねえか、薔薇色の未来が……関わるからいけないんだよな。でも……昨日も今日も、何か俺自身を見ているようで、放っておけないんだよな……」
 俺はまた独り言をしていた。
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