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「お嬢様。テオドール様がお見えになられました」
侍女の声が部屋に響く。私は小さく息を吐いて呼吸を整えると、顔に笑顔を貼り付けた。
「ありがとう。すぐに向かうわ」
「お嬢様……」
心配そうに眉を下げる侍女の横をすり抜け、私は婚約者であるテオドール・ラルストン侯爵令息が待つ我が家の庭園へと歩き出した。
正直に言えば行きたくない。
だって──今日私は、愛するテオドール様に婚約を破棄されるのだから。
*
私、メイフィールド伯爵家の長女シャロン・メイフィールドとラルストン侯爵家の次男テオドール・ラルストン様との婚約が結ばれたのは、私が十四才の時。
お互いの領地の利益のために結ばれた政略結婚だ。
我が家の庭園で行われた初めての顔合わせ。煌めく銀色の髪と刺すように鋭いアイスブルーの瞳、彫刻のように整ったその姿に、私は一瞬で目を奪われた。なんて綺麗な男性なのかしら、と緊張しつつも笑顔で挨拶をするが、テオドール様は鋭い目付きでこちらを一瞥しただけだった。
それから両親を交えて紅茶を飲み、「せっかくだから我が家の庭園を案内して差し上げなさい」というお父様の言葉に従ってテオドール様を連れ出す。時々立ち止まって花の説明をするも、彼は無口なのか、「ああ」「そうか」「なるほど」なんていう短い相槌しか返してくれなかった。……やっぱり男性に花のお話は退屈だったかしら? もっと他の話題を考えてくれば良かったわ。全ての花の説明を終え、しゃがんで花壇を覗きながら内心で反省していると、不意に低い声が聞こえた。テオドール様の声だ。
「シャロン嬢の説明は聞きやすかった。今日のためにたくさん勉強してくれたんだろう?」
驚きの言葉に顔を上げると、アイスブルーの瞳と目が合う。その目は相変わらず鋭い。
「た、退屈じゃ、ありませんでしたの?」
本音がポロリと口からこぼれた。だって、あまり興味がなさそうに見えたのに。
「いや? 私は花に詳しくないので聞いていて楽しかったし、非常に勉強になった。ありがとう」
「そう……ですか」
彼の言葉が嬉しかった。実はこの日のために図鑑を引っ張り出したり、庭師に色々と教えてもらって知識を増やしていたのだ。その努力が認められたみたいで、私は自然と笑顔になる。
「あまり長居しては申し訳ない。そろそろ戻ろう」
そう言って差し出された右手にそっと触れると、彼のぬくもりを感じた。私の心臓はドキドキと高鳴っている。今思えば、私はこの瞬間テオドール様に恋をしたのだろう。
正式に婚約が結ばれると、月に二回の交流会が開かれるようになった。ラルストン家は代々騎士の家系で、近衛騎士や騎士団長など数々のエリート騎士を輩出してきた名門侯爵家。テオドール様も立派な騎士となるため日々鍛錬を重ねている。そんな事情もあり、交流会は両家でのお茶会がほとんどだった。テオドール様は相変わらず無口でいつも難しい顔をしている。もしかして嫌われているのかしら? なんて思っていたのだけれど、ラルストン家の皆様から「ごめんなさいね。あの子感情表現が苦手な上に表情筋死んでるから」「素直じゃないだけなんだ。見捨てないでやってくれ」と言われたし、本人からも「私はあまり話すのが得意じゃない。笑顔を作るのも苦手だ。不快な思いをさせてしまうかもしれないが、その……私は貴方のことを大切に思っている」と言われたので、少なくとも嫌われてはいないようだと安心した。ただ、その顔はやっぱり険しかったけれど。
何度か顔を合わせていくと、テオドール様からテオ様に、シャロン嬢からシャロンと呼び合うようになった。なんだか距離が縮まったように感じて嬉しかった。
それに、テオ様は我が家を訪れる際は必ずピンク色の薔薇の花束を持って来て下さる。なんと、庭園を案内した時にチラリと話した私の好きな花を覚えていてくださったのだ。私はお礼に刺繍入りのハンカチを贈ったり、手作りのクッキーを振る舞ったりした。
「うん。シャロンの作るクッキーは美味いな」
「ふふっ、ありがとうございます」
見かけによらず実は甘党のテオ様は、お茶会で手作りクッキーを出すと必ず褒めてくれる。私は完食するその姿を見るのがとても好きだった。
一つ年上のテオドール様が貴族学園に入学すると、交流会の数はぐんと減った。王都から領地に帰ってくるのは学園の長期休暇ぐらいなので、年に数回しか会えなくなってしまったのだ。だけど手紙のやりとりとプレゼントの贈り合いだけは続いている。例え義務でも嬉しかった。会えないことは寂しかったけれど、テオ様は騎士の訓練と学業の両立で忙しそうなので仕方ない。私が学園に入学するまでの一年間、その状態は続いた。
だけど、入学式や十六才のデビュタントではエスコートをしてくれたし、それ以降の夜会もドレスやアクセサリーをプレゼントしてくれた。学園でもごく稀ではあるが昼食を共にしたり、騎士団の訓練を受けるテオ様を見に行ったりもした。もちろん、差し入れのクッキーも忘れずに。テオ様はきちんと婚約者としての義務を果たしてくれていた。政略とはいえ、穏やかに二人の仲は深まっていった。きっと、私たちの関係は上手くいっていたのだと思う。
関係が崩れ出したのは、テオ様が学園の最終学年に上がった頃からだ。
春、学園に一人の女子生徒が編入して来た。アンジェラ・キース男爵令嬢。ふわふわしたピンクがかった金髪に優しそうな垂れ目が特徴的な非常に可愛らしいご令嬢だ。しかも、そのふわふわした外見に反して非常に聡明で、編入試験では見事満点。病気で学園に登校出来なかったらしいが、特効薬が見つかったため完治し、特例ではあるが最終学年である三年生として学園に通う許可が出たそうだ。
そして、学園に不慣れな男爵令嬢の面倒を見ることになったのがどういうわけか王太子殿下だった。男爵令嬢の学年──つまり、テオ様と同じ三年生なのだが、その学年には王太子殿下がいらっしゃる。テオ様は宰相の御子息と王太子殿下と仲が良く、学園でもいつも一緒に行動していた。将来の側近候補としても有名だった。
だが、いつの間にかその三人の間にアンジェラ様が入っていた。初めはみんな、面倒を見ることになったのだから仕方ない。学園に慣れてくれば自然と離れていくだろうと楽観視していた。だが、彼女たちの距離は離れるどころかどんどん近付いていった。休み時間、昼食、放課後、更には休日までアンジェラ様と一緒に過ごし、街に出掛けてはプレゼントを贈っていた。……それぞれの婚約者の令嬢を放って。それはもちろん、テオ様もだ。
この状況はさすがに看過出来ないと、王太子殿下の婚約者であるマーガレット様が四人に苦言を呈した。しかし意味はなく、彼らの仲をますます深めただけだった。何故か教師も彼らの味方をするので止める者もいなく、やりたい放題だ。
テオ様とはタウンハウスでの交流会も断られ、学園で話す機会もほとんどなくなった。その代わり、アンジェラ様と二人でいる姿をよく見かける。それは学園の中でも……外でも。二人が仲睦まじく寄り添っているのを見るたび、私の胸は切り裂かれるように痛んだ。
……私が街に誘っても騎士の訓練で忙しいと断っていたのに、アンジェラ様と過ごす時間はあるのですね。私が行きたいと言っていたカフェにアンジェラ様と行ったのですか? 観劇でエスコートもされたとか。私とは数えるくらいしか外出したことがないのに。交流会をすっぽかされてもう何度目になるでしょう。
少しずつ少しずつ、私の心は削られていった。
侍女の声が部屋に響く。私は小さく息を吐いて呼吸を整えると、顔に笑顔を貼り付けた。
「ありがとう。すぐに向かうわ」
「お嬢様……」
心配そうに眉を下げる侍女の横をすり抜け、私は婚約者であるテオドール・ラルストン侯爵令息が待つ我が家の庭園へと歩き出した。
正直に言えば行きたくない。
だって──今日私は、愛するテオドール様に婚約を破棄されるのだから。
*
私、メイフィールド伯爵家の長女シャロン・メイフィールドとラルストン侯爵家の次男テオドール・ラルストン様との婚約が結ばれたのは、私が十四才の時。
お互いの領地の利益のために結ばれた政略結婚だ。
我が家の庭園で行われた初めての顔合わせ。煌めく銀色の髪と刺すように鋭いアイスブルーの瞳、彫刻のように整ったその姿に、私は一瞬で目を奪われた。なんて綺麗な男性なのかしら、と緊張しつつも笑顔で挨拶をするが、テオドール様は鋭い目付きでこちらを一瞥しただけだった。
それから両親を交えて紅茶を飲み、「せっかくだから我が家の庭園を案内して差し上げなさい」というお父様の言葉に従ってテオドール様を連れ出す。時々立ち止まって花の説明をするも、彼は無口なのか、「ああ」「そうか」「なるほど」なんていう短い相槌しか返してくれなかった。……やっぱり男性に花のお話は退屈だったかしら? もっと他の話題を考えてくれば良かったわ。全ての花の説明を終え、しゃがんで花壇を覗きながら内心で反省していると、不意に低い声が聞こえた。テオドール様の声だ。
「シャロン嬢の説明は聞きやすかった。今日のためにたくさん勉強してくれたんだろう?」
驚きの言葉に顔を上げると、アイスブルーの瞳と目が合う。その目は相変わらず鋭い。
「た、退屈じゃ、ありませんでしたの?」
本音がポロリと口からこぼれた。だって、あまり興味がなさそうに見えたのに。
「いや? 私は花に詳しくないので聞いていて楽しかったし、非常に勉強になった。ありがとう」
「そう……ですか」
彼の言葉が嬉しかった。実はこの日のために図鑑を引っ張り出したり、庭師に色々と教えてもらって知識を増やしていたのだ。その努力が認められたみたいで、私は自然と笑顔になる。
「あまり長居しては申し訳ない。そろそろ戻ろう」
そう言って差し出された右手にそっと触れると、彼のぬくもりを感じた。私の心臓はドキドキと高鳴っている。今思えば、私はこの瞬間テオドール様に恋をしたのだろう。
正式に婚約が結ばれると、月に二回の交流会が開かれるようになった。ラルストン家は代々騎士の家系で、近衛騎士や騎士団長など数々のエリート騎士を輩出してきた名門侯爵家。テオドール様も立派な騎士となるため日々鍛錬を重ねている。そんな事情もあり、交流会は両家でのお茶会がほとんどだった。テオドール様は相変わらず無口でいつも難しい顔をしている。もしかして嫌われているのかしら? なんて思っていたのだけれど、ラルストン家の皆様から「ごめんなさいね。あの子感情表現が苦手な上に表情筋死んでるから」「素直じゃないだけなんだ。見捨てないでやってくれ」と言われたし、本人からも「私はあまり話すのが得意じゃない。笑顔を作るのも苦手だ。不快な思いをさせてしまうかもしれないが、その……私は貴方のことを大切に思っている」と言われたので、少なくとも嫌われてはいないようだと安心した。ただ、その顔はやっぱり険しかったけれど。
何度か顔を合わせていくと、テオドール様からテオ様に、シャロン嬢からシャロンと呼び合うようになった。なんだか距離が縮まったように感じて嬉しかった。
それに、テオ様は我が家を訪れる際は必ずピンク色の薔薇の花束を持って来て下さる。なんと、庭園を案内した時にチラリと話した私の好きな花を覚えていてくださったのだ。私はお礼に刺繍入りのハンカチを贈ったり、手作りのクッキーを振る舞ったりした。
「うん。シャロンの作るクッキーは美味いな」
「ふふっ、ありがとうございます」
見かけによらず実は甘党のテオ様は、お茶会で手作りクッキーを出すと必ず褒めてくれる。私は完食するその姿を見るのがとても好きだった。
一つ年上のテオドール様が貴族学園に入学すると、交流会の数はぐんと減った。王都から領地に帰ってくるのは学園の長期休暇ぐらいなので、年に数回しか会えなくなってしまったのだ。だけど手紙のやりとりとプレゼントの贈り合いだけは続いている。例え義務でも嬉しかった。会えないことは寂しかったけれど、テオ様は騎士の訓練と学業の両立で忙しそうなので仕方ない。私が学園に入学するまでの一年間、その状態は続いた。
だけど、入学式や十六才のデビュタントではエスコートをしてくれたし、それ以降の夜会もドレスやアクセサリーをプレゼントしてくれた。学園でもごく稀ではあるが昼食を共にしたり、騎士団の訓練を受けるテオ様を見に行ったりもした。もちろん、差し入れのクッキーも忘れずに。テオ様はきちんと婚約者としての義務を果たしてくれていた。政略とはいえ、穏やかに二人の仲は深まっていった。きっと、私たちの関係は上手くいっていたのだと思う。
関係が崩れ出したのは、テオ様が学園の最終学年に上がった頃からだ。
春、学園に一人の女子生徒が編入して来た。アンジェラ・キース男爵令嬢。ふわふわしたピンクがかった金髪に優しそうな垂れ目が特徴的な非常に可愛らしいご令嬢だ。しかも、そのふわふわした外見に反して非常に聡明で、編入試験では見事満点。病気で学園に登校出来なかったらしいが、特効薬が見つかったため完治し、特例ではあるが最終学年である三年生として学園に通う許可が出たそうだ。
そして、学園に不慣れな男爵令嬢の面倒を見ることになったのがどういうわけか王太子殿下だった。男爵令嬢の学年──つまり、テオ様と同じ三年生なのだが、その学年には王太子殿下がいらっしゃる。テオ様は宰相の御子息と王太子殿下と仲が良く、学園でもいつも一緒に行動していた。将来の側近候補としても有名だった。
だが、いつの間にかその三人の間にアンジェラ様が入っていた。初めはみんな、面倒を見ることになったのだから仕方ない。学園に慣れてくれば自然と離れていくだろうと楽観視していた。だが、彼女たちの距離は離れるどころかどんどん近付いていった。休み時間、昼食、放課後、更には休日までアンジェラ様と一緒に過ごし、街に出掛けてはプレゼントを贈っていた。……それぞれの婚約者の令嬢を放って。それはもちろん、テオ様もだ。
この状況はさすがに看過出来ないと、王太子殿下の婚約者であるマーガレット様が四人に苦言を呈した。しかし意味はなく、彼らの仲をますます深めただけだった。何故か教師も彼らの味方をするので止める者もいなく、やりたい放題だ。
テオ様とはタウンハウスでの交流会も断られ、学園で話す機会もほとんどなくなった。その代わり、アンジェラ様と二人でいる姿をよく見かける。それは学園の中でも……外でも。二人が仲睦まじく寄り添っているのを見るたび、私の胸は切り裂かれるように痛んだ。
……私が街に誘っても騎士の訓練で忙しいと断っていたのに、アンジェラ様と過ごす時間はあるのですね。私が行きたいと言っていたカフェにアンジェラ様と行ったのですか? 観劇でエスコートもされたとか。私とは数えるくらいしか外出したことがないのに。交流会をすっぽかされてもう何度目になるでしょう。
少しずつ少しずつ、私の心は削られていった。
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