50 / 65
11通目:受験と思い出
3
しおりを挟む
*
しんしんと雪の降り積もった、風の冷たい寒い日だった。
集合場所の校門の前には見慣れない学校の制服が集まっている。受験特有の緊張感が漂う中、単語帳を開いて最後の追い込みをかける人や、深呼吸をして緊張をほぐす人など、それぞれ試験に挑む最終確認を入念にしていた。
どこの中学校かは分からないが、中には頭に鉢巻をした教師が何人かの生徒を引き連れて「いいかお前ら! お前らはやれば出来るんだ! 最後まで諦めるなよ!」と受験生の応援を始める学校まであった。気合いの入れようが元テニスプレイヤーの有名人並みに半端ない。どうしよう、突然目の前に来て今日からお前は富士山だとか言われたら。いやでもそれで合格できるなら私にも言ってほしい。
私はなんとなく気持ちが落ち着かなくて、ひとり校舎の周りをうろうろと歩き回ることにした。うっすらと地面に積もった雪に私の足跡がぽつりぽつりと残っていく。
ようやく一人になって、安堵の白い息を吐き出す。……やっぱり人混みは苦手だ。それに加えてピリピリとしたあの空気。あれに飲み込まれてしまっては受かるものも受からない。いくらめんどくさがりの私でも受験に失敗するのはさすがに嫌だ。少し歩いて気を落ち着かせてから試験会場に向かおうか。
そう思って雪の中をザクザクと進んで行くと、数メートル先にぼんやりと校舎を見上げている男子生徒がいた。制服は着ているがこの高校のものではない。……とすると、あの子も受験生だろうか。まぁ、今日ここに来てるんだからそうなんだろうな。
周りに人の気配はまったくない。私も彼と同じように校舎を見上げてみる。ビュオオオウと音を立てて吹いてきた風が冷たくて、私は思わずマフラーに顔を埋めた。
その刹那──。
「…………あ」
ぼとり。
小さな声と共に、私の目の前で赤いお守りが彼の手から見事に滑り落ちたのである。
私たちは二人とも、雪の上に落ちたお守りを見つめたまま動きが止まってしまった。
……おいおいおいおいちょっと待て。目の前でお守りが落ちるなんて、いくらなんでも縁起が悪過ぎるんじゃないの? 数分後には机に座って試験問題と向き合っているというのに。まるで、金メダルをかけた短距離走の決勝で、スタート直前に転んで棄権を余儀なくされた選手のような気分になった。
呆然としていた彼も、慌てたようにお守りを拾い上げ、両手で一生懸命汚れを払っていた。これは落としてしまった彼も可哀想だし、見てしまった私も気分が悪い。……どうしよう。胸にぐるぐると不安が渦巻く。
いや、弱気になってはいけない。……こんな時こそ神頼みだと、私は鞄から彼の持っていた色と同じ、赤い色のお守りを取り出した。学業の神様を祀ってあると言われ、毎年全国各地から数多くの受験生がお参りに来るという有名な神社で買った有難いお守りである。私はそれをぎゅっと握りしめた。受験は何があるか分からない、念には念を入れて万全の準備をしておくようにというおばあちゃんの言葉に従って、このお参りも赤と青、予備として二つ買っておいたのだが……。
もしかして、このお守りが役に立つかもしれない。
「…………ねぇ」
気付くと、私は男子生徒の背中に声をかけていた。しゃがんだままの男子生徒が振り返る。
「……それ」
彼の手の中にある赤いお守りを指差してから、私は自分の手のひらをすっと差し出した。私が持っている赤いお守りにはご利益のありそうな金色の糸で合格祈願という文字がしっかりと縫い付けてある。うん、これならきっと効果はあるだろう。
「私のこれと交換しよう」
「……は?」
男子生徒は怪訝そうな声を出した。私はお構いなしにずんずんと近寄り、彼の手から赤いお守りを奪って、代わりに私が持っていた赤い色のお守りを半ば無理やり握らせた。ひんやりとした冷たい指先が触れる。
「えっ、あの、」
「…………大丈夫だよ」
戸惑った彼の声を遮って話を続けた。
「私のと交換したから大丈夫だよ。君は受験に落ちたりしない」
彼が驚いたのが雰囲気で分かった。突然見知らぬ女にこんなことをされれば驚くのも無理はない。というか、普段の私なら絶対にこんなことはしないだろう。なのに、深夜テンションならぬ受験テンションとでも言えばいいのだろうか。同じ受験生のピンチを目の当たりにして、何かせずにはいられなかったのだ。
「それね。学業の神様が祀られてる有名な神社で買ったやつだからご利益あると思うよ」
「いや、俺は……」
「私のことなら気にしないで。もう一つお守り持ってるから大丈夫」
「そうじゃなくて……」
「試験、お互い頑張ろうね」
私は彼の赤いお守りを、予備で買っていた自分の青いお守りと一緒に鞄にしまった。学業の神様の強力なお守りと一緒にしていれば、悪い運気はきれいさっぱり浄化されるはずだ。大丈夫、だいじょうぶ。私も彼も神様にちゃんと守ってもらえる。間違いない。
私はすっきりとした気持ちで立ち上がった。顔の表情も自然と緩む。
「それじゃあ。入学式で会えるといいね」
私は彼の顔も見ずに、ただそれだけ言って試験会場へと歩き出す。
「あ、あの!」
背後からの声に足を止めて振り返ると、彼は右手にしっかりと握った赤いお守りを高く掲げた。
「これ! ありがとう!」
私は少し微笑むと、今度こそ試験会場へと向かって歩き出した。
しんしんと雪の降り積もった、風の冷たい寒い日だった。
集合場所の校門の前には見慣れない学校の制服が集まっている。受験特有の緊張感が漂う中、単語帳を開いて最後の追い込みをかける人や、深呼吸をして緊張をほぐす人など、それぞれ試験に挑む最終確認を入念にしていた。
どこの中学校かは分からないが、中には頭に鉢巻をした教師が何人かの生徒を引き連れて「いいかお前ら! お前らはやれば出来るんだ! 最後まで諦めるなよ!」と受験生の応援を始める学校まであった。気合いの入れようが元テニスプレイヤーの有名人並みに半端ない。どうしよう、突然目の前に来て今日からお前は富士山だとか言われたら。いやでもそれで合格できるなら私にも言ってほしい。
私はなんとなく気持ちが落ち着かなくて、ひとり校舎の周りをうろうろと歩き回ることにした。うっすらと地面に積もった雪に私の足跡がぽつりぽつりと残っていく。
ようやく一人になって、安堵の白い息を吐き出す。……やっぱり人混みは苦手だ。それに加えてピリピリとしたあの空気。あれに飲み込まれてしまっては受かるものも受からない。いくらめんどくさがりの私でも受験に失敗するのはさすがに嫌だ。少し歩いて気を落ち着かせてから試験会場に向かおうか。
そう思って雪の中をザクザクと進んで行くと、数メートル先にぼんやりと校舎を見上げている男子生徒がいた。制服は着ているがこの高校のものではない。……とすると、あの子も受験生だろうか。まぁ、今日ここに来てるんだからそうなんだろうな。
周りに人の気配はまったくない。私も彼と同じように校舎を見上げてみる。ビュオオオウと音を立てて吹いてきた風が冷たくて、私は思わずマフラーに顔を埋めた。
その刹那──。
「…………あ」
ぼとり。
小さな声と共に、私の目の前で赤いお守りが彼の手から見事に滑り落ちたのである。
私たちは二人とも、雪の上に落ちたお守りを見つめたまま動きが止まってしまった。
……おいおいおいおいちょっと待て。目の前でお守りが落ちるなんて、いくらなんでも縁起が悪過ぎるんじゃないの? 数分後には机に座って試験問題と向き合っているというのに。まるで、金メダルをかけた短距離走の決勝で、スタート直前に転んで棄権を余儀なくされた選手のような気分になった。
呆然としていた彼も、慌てたようにお守りを拾い上げ、両手で一生懸命汚れを払っていた。これは落としてしまった彼も可哀想だし、見てしまった私も気分が悪い。……どうしよう。胸にぐるぐると不安が渦巻く。
いや、弱気になってはいけない。……こんな時こそ神頼みだと、私は鞄から彼の持っていた色と同じ、赤い色のお守りを取り出した。学業の神様を祀ってあると言われ、毎年全国各地から数多くの受験生がお参りに来るという有名な神社で買った有難いお守りである。私はそれをぎゅっと握りしめた。受験は何があるか分からない、念には念を入れて万全の準備をしておくようにというおばあちゃんの言葉に従って、このお参りも赤と青、予備として二つ買っておいたのだが……。
もしかして、このお守りが役に立つかもしれない。
「…………ねぇ」
気付くと、私は男子生徒の背中に声をかけていた。しゃがんだままの男子生徒が振り返る。
「……それ」
彼の手の中にある赤いお守りを指差してから、私は自分の手のひらをすっと差し出した。私が持っている赤いお守りにはご利益のありそうな金色の糸で合格祈願という文字がしっかりと縫い付けてある。うん、これならきっと効果はあるだろう。
「私のこれと交換しよう」
「……は?」
男子生徒は怪訝そうな声を出した。私はお構いなしにずんずんと近寄り、彼の手から赤いお守りを奪って、代わりに私が持っていた赤い色のお守りを半ば無理やり握らせた。ひんやりとした冷たい指先が触れる。
「えっ、あの、」
「…………大丈夫だよ」
戸惑った彼の声を遮って話を続けた。
「私のと交換したから大丈夫だよ。君は受験に落ちたりしない」
彼が驚いたのが雰囲気で分かった。突然見知らぬ女にこんなことをされれば驚くのも無理はない。というか、普段の私なら絶対にこんなことはしないだろう。なのに、深夜テンションならぬ受験テンションとでも言えばいいのだろうか。同じ受験生のピンチを目の当たりにして、何かせずにはいられなかったのだ。
「それね。学業の神様が祀られてる有名な神社で買ったやつだからご利益あると思うよ」
「いや、俺は……」
「私のことなら気にしないで。もう一つお守り持ってるから大丈夫」
「そうじゃなくて……」
「試験、お互い頑張ろうね」
私は彼の赤いお守りを、予備で買っていた自分の青いお守りと一緒に鞄にしまった。学業の神様の強力なお守りと一緒にしていれば、悪い運気はきれいさっぱり浄化されるはずだ。大丈夫、だいじょうぶ。私も彼も神様にちゃんと守ってもらえる。間違いない。
私はすっきりとした気持ちで立ち上がった。顔の表情も自然と緩む。
「それじゃあ。入学式で会えるといいね」
私は彼の顔も見ずに、ただそれだけ言って試験会場へと歩き出す。
「あ、あの!」
背後からの声に足を止めて振り返ると、彼は右手にしっかりと握った赤いお守りを高く掲げた。
「これ! ありがとう!」
私は少し微笑むと、今度こそ試験会場へと向かって歩き出した。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
オオカミ少女と呼ばないで
柳律斗
児童書・童話
「大神くんの頭、オオカミみたいな耳、生えてる……?」 その一言が、私をオオカミ少女にした。
空気を読むことが少し苦手なさくら。人気者の男子、大神くんと接点を持つようになって以降、クラスの女子に目をつけられてしまう。そんな中、あるできごとをきっかけに「空気の色」が見えるように――
表紙画像はノーコピーライトガール様よりお借りしました。ありがとうございます。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
従妹と親密な婚約者に、私は厳しく対処します。
みみぢあん
恋愛
ミレイユの婚約者、オルドリッジ子爵家の長男クレマンは、子供の頃から仲の良い妹のような従妹パトリシアを優先する。 婚約者のミレイユよりもクレマンが従妹を優先するため、学園内でクレマンと従妹の浮気疑惑がうわさになる。
――だが、クレマンが従妹を優先するのは、人には言えない複雑な事情があるからだ。
それを知ったミレイユは婚約破棄するべきか?、婚約を継続するべきか?、悩み続けてミレイユが出した結論は……
※ざまぁ系のお話ではありません。ご注意を😓 まぎらわしくてすみません。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる