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ヒロインになる覚悟
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「ソフィア、今日も市井の話を聞かせてくれないか?」
お昼休み、学園の中庭の木陰のベンチは、わたしのいつもの定位置。そこで一人休んでいると、アレクサンドル王子が隣に座ってきた。
アレクサンドル王子は、最近、よく庶民の暮らしについて聞きたがる。
私は10歳まで市井で暮らしていた。男爵夫人に追い出された時、父は母にまとまった額のお金を持たせたようだが、母は自分を捨てた父が許せなかったのか、そのお金に手を付けようとはしなかった。母なりのプライドだったのかもしれない。どうしても必要な時だけは使っていたようであるが。
母は住み込みの食堂で働き、女手一人で私を育ててくれた。わたしもある程度大きくなると、近所の人にお願いして、子供ができるアルバイトをさせてもらっていた。
決して裕福とは言えない生活。それでも、忙しい毎日の中で、母は愛情だけは溢れんばかりに与えてくれた。食堂の人も、近所の人も、わたし達母娘にみんな優しくしてくれた。
前世を知る今となっては、母の愛に包まれ、近所の人にも親切に見守られ、のびのび自由に暮らしていたあの生活は、ある意味、貴族より恵まれていたのかもしれない。
王宮や学園、予め準備された視察場所など、狭い世界の限られた範囲の外出しかしたことのないアレクサンドル王子にとって、わたしが話すありのままの庶民生活の話は、とても新鮮に感じられるようであった。
「ソフィアは花屋の経験もあるのか!?」
アレクサンドル王子が目を丸くして、驚いている。
今日は、わたしが花屋でアルバイトをしていた時の話をしていた。
「花を包んでいると、恋人にあげるのか、お客さんがあげる相手を想像して、にんまり微笑んでいたりするんです。そんな時、こっちまでほっこり幸せパワーを分けてもらえるんです。働くって大変だけど、誰かの幸せを分けてもらえるって、素敵でしょっ?」
王子は、わたしのくだらない話をいつも身を乗り出して、聞いてくれる。……普通の貴族なら、おそらく眉を顰めるか、馬鹿にするかするだろう。でも、わたしは働いた経験を誇りに思っている。だから、王子が真っ直ぐ聞いてくれるのが、とても嬉しかった。
「その花屋の横に、リカルの泉というのがあって、後ろ向きで泉にコインを投げると、恋の願いが叶うと言われているんです! 1枚投げると想いが通じて、2枚投げるとずっと一緒にいられて、3枚投げると別れることができるんだそうです! 不思議でしょ!? だから、花屋に来たお客さんは、大体おつりを投げて帰るんですよ」
今思えば、前世の世界のどこかにも、そんな泉があったなぁとか思い出していると、アレクサンドル王子がポツリと呟いた。
「……私も王都に行ってみたいな」
わたしの話を目を輝かせて聞いていた王子の表情が、急に陰る。
なぜだかわたしの胸も痛くなった。
―――本当はアレクサンドル王子に深く関わるべきではないと分かっている。
でも、まるで鳥の籠の中の生活のような王子に、少し同情してしまったのかもしれない。
気が付くと、誘ってしまっていた。
「それならアレクサンドル様、今日の放課後、一緒に少しだけ王都に遊びに行ってみませんか? わたしの昔住んでいた地域が学園から近いんです! 案内しますよ」
王都の地理は、大体頭に入っている。放課後、学園からこっそり出ても、近所ならすぐ戻って来られるだろう。
「いいのか!?」
とても嬉しそうな顔である。
「一応、護衛の人には声を掛けておいてくださいね。わたしが取って置きの庶民スポットを案内しますよっ」
わたしは冗談で、自分の胸を叩いてみせた。
それで、王子が喜んでくれるのなら、わたしも嬉しい。
「ソフィアがそう言うなら、期待しておこう」
二人の間で笑いが漏れる。
とても穏やかな空気が二人の間を包んだ。
そして、放課後、私は昔自分が住んでいた、庶民の住むエリアの近くを、限られた時間ではあるが、案内して回った。
初めて見る王都に、アレクサンドル王子はずっとテンションが高めであった。
昔住んでいた食堂に、花屋に、リカピの泉。久し振りに訪れるそこは、わたしもとても懐かしかった。
「アレクサンドル様もリカピの泉にコインを投げますか? 3枚投げれば、しつこいご令嬢が追いかけてこなくなるかもしれませんよ」
ふふふっと笑って、王子を見ると、真剣な顔で見つめ返された。
「私の今の願いは、1枚だな」
「えっ?」
そう言うや否や、アレクサンドル王子は何やら願いを込めて、後ろ向きで泉に向かってコインを1枚投げ入れた。
そして、わたしに向き合うと、真っ直ぐ見つめて聞いてきた。
「私が何を願ったか、知りたいか?」
その藍色の瞳は、いつもと違い、熱を帯びて見えた。
―――胸が大きく跳ね上がる。
聞きたいけど、今はまだ聞く勇気が持てなかった。
「……願いは叶うまで、人には言ってはいけないんです」
それだけ答えるのがやっとであった。
「……そうか」
そう言って、王子は何事もなかったかのように、再び歩き始めた。
活気ある大通り。庶民の生き生きとした雰囲気が伝わってくる。
「これが父上が守っている我が国なのだな」
王子はとても眩しそうに、庶民の様子を観察していた。
しかし、大通りを歩いていると、ふと見た道の片隅に、ボロボロの服を着た男の子が、箱を持って立っていた。通りすがりの大人が、その子供の持つ缶の箱にコインをチャリンと入れてあげている。
「あれは何だ?」
「おそらく孤児です……。理由があって親がいない子や親が働けなくて貧しい子は、ああして物乞いをするしかないのです」
そういう意味では、わたしは父にすぐ引き取られて幸運だった。近所の人も助けてくれたかもしれないが、いつまでも他人の好意に甘える訳にはいかない。
「孤児は教会の孤児院が保護しているのではないのか!?」
「全部が全部の孤児が入れる訳ではないようです。教会の孤児院の数にも限りがありますから……。孤児院に入れる子供は幸せです」
「……そうなのか。私はまだまだ何も知らないのだな」
王子は自分の無知さに、肩を落としていた。
「アレクサンドル様はこれからです! わたし達はまだ12歳ですよっ。これから学んでいけばいいんです! まずは知ることが第一歩ですっ」
わたしは少しでも元気になってもらおうと、わざと明るく言葉を重ねる。
ねっ?と励まそうと微笑んで王子を見ると、目元を赤くして、王子は何とも言えない表情をしていた。
その後、すっかり無言になってしまった王子と、その日はそのまま学園に戻った。
後日、お昼休みにいつもの木陰のベンチで本を読んでいると、またアレクサンドル王子がやって来た。そのまま黙ってわたしの横に、腰掛ける。
王子は膝の上で手を組んで、正面を向いたまま、話し出した。
「ソフィア、私はあれから、いろいろ考えた。私はいずれ、貧民を減らし、路地裏から孤児がいなくなるような世の中にしたい。まずは王都から、そしていずれは王国全土、皆が豊かに暮らせるように、そんな国造りを、次期王である兄上を手助けして、一緒にしていきたい!」
目をキラキラ輝かして、王国の未来を語る少年の横顔は、とてもかっこよく見えた。言い終えると、王子はソフィアの瞳をとらえた。
「こんな風に思えたのも、お前のおかげだ」
王子がそっとわたしの手を握った。
「なぁ、ソフィア。こんな私の横に、これからもずっと一緒にいてくれないか?」
日に日に、アレクサンドル王子に惹かれてしまう。
(これは、乙女ゲームのストーリーのせいなの?)
いくら理性で気持ちにセーブを掛けようとしても、好きになる気持ちは止まらない。
―――ああ、恋とはするものではなく、落ちるとはよく言ったものね。
(ねぇ、私、頑張ってもいい?)
アレクサンドル王子の横に立つなんて、おこがましいかもしれない。それでも、彼の側に居たい。
それに、前世で学んだ知識と今世でこれから学ぶ知識を合わせれば、わたしでも、いずれアレクサンドル王子の手助けができるかもしれない。
この国を、彼と一緒により良い国にできるかもしれない!
―――初めて恋を知った12歳。私はヒロインになる覚悟をした。
お昼休み、学園の中庭の木陰のベンチは、わたしのいつもの定位置。そこで一人休んでいると、アレクサンドル王子が隣に座ってきた。
アレクサンドル王子は、最近、よく庶民の暮らしについて聞きたがる。
私は10歳まで市井で暮らしていた。男爵夫人に追い出された時、父は母にまとまった額のお金を持たせたようだが、母は自分を捨てた父が許せなかったのか、そのお金に手を付けようとはしなかった。母なりのプライドだったのかもしれない。どうしても必要な時だけは使っていたようであるが。
母は住み込みの食堂で働き、女手一人で私を育ててくれた。わたしもある程度大きくなると、近所の人にお願いして、子供ができるアルバイトをさせてもらっていた。
決して裕福とは言えない生活。それでも、忙しい毎日の中で、母は愛情だけは溢れんばかりに与えてくれた。食堂の人も、近所の人も、わたし達母娘にみんな優しくしてくれた。
前世を知る今となっては、母の愛に包まれ、近所の人にも親切に見守られ、のびのび自由に暮らしていたあの生活は、ある意味、貴族より恵まれていたのかもしれない。
王宮や学園、予め準備された視察場所など、狭い世界の限られた範囲の外出しかしたことのないアレクサンドル王子にとって、わたしが話すありのままの庶民生活の話は、とても新鮮に感じられるようであった。
「ソフィアは花屋の経験もあるのか!?」
アレクサンドル王子が目を丸くして、驚いている。
今日は、わたしが花屋でアルバイトをしていた時の話をしていた。
「花を包んでいると、恋人にあげるのか、お客さんがあげる相手を想像して、にんまり微笑んでいたりするんです。そんな時、こっちまでほっこり幸せパワーを分けてもらえるんです。働くって大変だけど、誰かの幸せを分けてもらえるって、素敵でしょっ?」
王子は、わたしのくだらない話をいつも身を乗り出して、聞いてくれる。……普通の貴族なら、おそらく眉を顰めるか、馬鹿にするかするだろう。でも、わたしは働いた経験を誇りに思っている。だから、王子が真っ直ぐ聞いてくれるのが、とても嬉しかった。
「その花屋の横に、リカルの泉というのがあって、後ろ向きで泉にコインを投げると、恋の願いが叶うと言われているんです! 1枚投げると想いが通じて、2枚投げるとずっと一緒にいられて、3枚投げると別れることができるんだそうです! 不思議でしょ!? だから、花屋に来たお客さんは、大体おつりを投げて帰るんですよ」
今思えば、前世の世界のどこかにも、そんな泉があったなぁとか思い出していると、アレクサンドル王子がポツリと呟いた。
「……私も王都に行ってみたいな」
わたしの話を目を輝かせて聞いていた王子の表情が、急に陰る。
なぜだかわたしの胸も痛くなった。
―――本当はアレクサンドル王子に深く関わるべきではないと分かっている。
でも、まるで鳥の籠の中の生活のような王子に、少し同情してしまったのかもしれない。
気が付くと、誘ってしまっていた。
「それならアレクサンドル様、今日の放課後、一緒に少しだけ王都に遊びに行ってみませんか? わたしの昔住んでいた地域が学園から近いんです! 案内しますよ」
王都の地理は、大体頭に入っている。放課後、学園からこっそり出ても、近所ならすぐ戻って来られるだろう。
「いいのか!?」
とても嬉しそうな顔である。
「一応、護衛の人には声を掛けておいてくださいね。わたしが取って置きの庶民スポットを案内しますよっ」
わたしは冗談で、自分の胸を叩いてみせた。
それで、王子が喜んでくれるのなら、わたしも嬉しい。
「ソフィアがそう言うなら、期待しておこう」
二人の間で笑いが漏れる。
とても穏やかな空気が二人の間を包んだ。
そして、放課後、私は昔自分が住んでいた、庶民の住むエリアの近くを、限られた時間ではあるが、案内して回った。
初めて見る王都に、アレクサンドル王子はずっとテンションが高めであった。
昔住んでいた食堂に、花屋に、リカピの泉。久し振りに訪れるそこは、わたしもとても懐かしかった。
「アレクサンドル様もリカピの泉にコインを投げますか? 3枚投げれば、しつこいご令嬢が追いかけてこなくなるかもしれませんよ」
ふふふっと笑って、王子を見ると、真剣な顔で見つめ返された。
「私の今の願いは、1枚だな」
「えっ?」
そう言うや否や、アレクサンドル王子は何やら願いを込めて、後ろ向きで泉に向かってコインを1枚投げ入れた。
そして、わたしに向き合うと、真っ直ぐ見つめて聞いてきた。
「私が何を願ったか、知りたいか?」
その藍色の瞳は、いつもと違い、熱を帯びて見えた。
―――胸が大きく跳ね上がる。
聞きたいけど、今はまだ聞く勇気が持てなかった。
「……願いは叶うまで、人には言ってはいけないんです」
それだけ答えるのがやっとであった。
「……そうか」
そう言って、王子は何事もなかったかのように、再び歩き始めた。
活気ある大通り。庶民の生き生きとした雰囲気が伝わってくる。
「これが父上が守っている我が国なのだな」
王子はとても眩しそうに、庶民の様子を観察していた。
しかし、大通りを歩いていると、ふと見た道の片隅に、ボロボロの服を着た男の子が、箱を持って立っていた。通りすがりの大人が、その子供の持つ缶の箱にコインをチャリンと入れてあげている。
「あれは何だ?」
「おそらく孤児です……。理由があって親がいない子や親が働けなくて貧しい子は、ああして物乞いをするしかないのです」
そういう意味では、わたしは父にすぐ引き取られて幸運だった。近所の人も助けてくれたかもしれないが、いつまでも他人の好意に甘える訳にはいかない。
「孤児は教会の孤児院が保護しているのではないのか!?」
「全部が全部の孤児が入れる訳ではないようです。教会の孤児院の数にも限りがありますから……。孤児院に入れる子供は幸せです」
「……そうなのか。私はまだまだ何も知らないのだな」
王子は自分の無知さに、肩を落としていた。
「アレクサンドル様はこれからです! わたし達はまだ12歳ですよっ。これから学んでいけばいいんです! まずは知ることが第一歩ですっ」
わたしは少しでも元気になってもらおうと、わざと明るく言葉を重ねる。
ねっ?と励まそうと微笑んで王子を見ると、目元を赤くして、王子は何とも言えない表情をしていた。
その後、すっかり無言になってしまった王子と、その日はそのまま学園に戻った。
後日、お昼休みにいつもの木陰のベンチで本を読んでいると、またアレクサンドル王子がやって来た。そのまま黙ってわたしの横に、腰掛ける。
王子は膝の上で手を組んで、正面を向いたまま、話し出した。
「ソフィア、私はあれから、いろいろ考えた。私はいずれ、貧民を減らし、路地裏から孤児がいなくなるような世の中にしたい。まずは王都から、そしていずれは王国全土、皆が豊かに暮らせるように、そんな国造りを、次期王である兄上を手助けして、一緒にしていきたい!」
目をキラキラ輝かして、王国の未来を語る少年の横顔は、とてもかっこよく見えた。言い終えると、王子はソフィアの瞳をとらえた。
「こんな風に思えたのも、お前のおかげだ」
王子がそっとわたしの手を握った。
「なぁ、ソフィア。こんな私の横に、これからもずっと一緒にいてくれないか?」
日に日に、アレクサンドル王子に惹かれてしまう。
(これは、乙女ゲームのストーリーのせいなの?)
いくら理性で気持ちにセーブを掛けようとしても、好きになる気持ちは止まらない。
―――ああ、恋とはするものではなく、落ちるとはよく言ったものね。
(ねぇ、私、頑張ってもいい?)
アレクサンドル王子の横に立つなんて、おこがましいかもしれない。それでも、彼の側に居たい。
それに、前世で学んだ知識と今世でこれから学ぶ知識を合わせれば、わたしでも、いずれアレクサンドル王子の手助けができるかもしれない。
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―――初めて恋を知った12歳。私はヒロインになる覚悟をした。
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