ヴィーナスは微笑む

蒼井 結花理

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最終章

第109話 最期の時

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千早はしばらくの間紗耶香をきっと睨んでいたが、舞に視線を移す。


紗耶香に見せていた表情とは打って変わって、表情は緩んでいた。


いや、泣きそうになっていると言ったほうが正しいだろうか。


その瞳は充血していて、潤んでいた。


隣の竜一を見ると、舞を励ますように頷いた。


舞もこくんと頷いて、千早と向き合う。



「舞……」


「千早…」


千早と見つめ合う数秒間。


たった数秒間だったが、舞には何時間のようにも思えた。


千早は舞の両手にそっと手を重ねる。


彼女の手は、ひんやりとしていた。



「本当に悪かった。」


「……」


「私は馬鹿だ。紗耶香や瑞穂の戦略にまんまと乗せられて、舞を疑ってしまった。親友である舞を。」


「千早……」


「ちょっと考えれば…いや考えなくても分かったはずだった。お前がそんなことをする奴じゃないって。憎まれても仕方がないことをしたと思っている。私は……私は拓海を殺した犯人が憎らしくて仕方なかった。犯人を捕まえたい一心で、周りが見えなくなっていたんだ。」


舞は分かっているよ、という言葉の代わりに頷いた。


千早の目から、涙が零れ落ちる。


「ここで紗耶香に真相を聞くまで、お前のことを信じ切れなかった。そしたらこいつが舞のことを最初から信じてたって聞いて…正直負けた気分だったよ。親友失格だな、私は。」


千早は一瞬竜一に視線を送り、舞にすぐ戻した。


その瞳は、哀し気に揺らいでいた。



「もう、いいよ千早。」


舞は重ねられた千早の両手をぎゅっと握った。


「千早のこと、まったく恨んでもないし嫌いにもなってないよ。だって千早が優しい人だって私は知ってるから。だからきっと、元の千早に戻ってくれるって信じてた。まさかこんな状況の中での和解だなんて思っていなかったけど……」


舞が苦し気に笑うと、千早も眉を落とした。


ずっと望んでいた、千早との和解。


陽菜子とは敵わなかった、ささやかな願い。


こうやってまた、千早と友達に戻れることができた。


それだけで胸がいっぱいだった。



「舞…お前は最高の親友だよ。」


「あなたもね、千早。」


二人は顔を見合わせて笑い合う。


以前のように。


心の中に、ほんのりと温かいものが込み上げてきた。




「あのぉ~」


この雰囲気にそぐわない声色が、部屋に響き渡る。


振りかえると、紗耶香が壁の時計を指差していた。


時計の針は、十三時五十八分を示していた。



「盛り上がってるところ悪いんだけど、そろそろお時間なんですよね。もう、お別れは済みました?」


挑発的に言う紗耶香に、三人は身を震わせる。


紗耶香の手には、ライターが掲げられていた。



竜一が、舞を守るように抱きしめる。


そのぬくもりが、ほんの少しだけ恐怖心を和らげてくれた。


舞は竜一の胸の中で、そっと瞼を閉じる。



あぁ、もうこれで終わりなんだ。


千早とも、竜一とも…せっかく気持ちが通じ合ったのに、さよならなんだね。



これまでの出来事が、走馬灯のように駆け巡る。


女子高生らしいこと、何もできなかったけれど。


事件ばっかりで散々な学生生活だったけれど。


だけど、決して不幸せではなかった。


大切と思える人と、出会えたから。



舞は、覚悟を決めたように千早と竜一に視線を送った。


二人も、同じ気持ちのようだ。


力強く、頷き合う。



「紗耶香ちゃん。最後に聞いてもいい?」


「なんですか?」


「あなたは…あなたが送っている人生は幸せなの?」


舞の問に、紗耶香の目が訝し気に細められる。


その瞳には、みるみるうちに怒りが宿っていった。


「……どういう意味ですか?」


「いいえ、意味なんかないわ。ただ単純に聞いただけ。紗耶香ちゃんの人生は幸せなのかなって。」


「……幸せよ。大好きな瑞穂先輩のおそばにいれて、そのお手伝いもできているのですから。私だけが、瑞穂先輩の“特別”。これ以上の幸せがあって?」


「……そう。」


「………もういいかしら?」


「ええ、十分よ。」


「舞先輩。よけいなことさえしなければ、あなたは瑞穂先輩の駒として利用してもらえたまま、死ぬことはなかったのに。おバカさんですね。せいぜいあの世で目いっぱい後悔してください。……では、さようなら。」



紗耶香は見下すように口元を歪めて笑うと、ゆっくりとした動きで手からライターを落とした。


ライターが床を弾き、その直後、けたたましい音とともに炎に包み込まれていた。
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